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toppage memoranda

(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2005-01-15

[notice]リンク修正しました

読者からのメールで、トップページのタブ型リンクのリンク先が再帰的にトップページとなっていて、about以下のページとなっていないとのご指摘をいただきましたので、訂正いたしました。霞ヶ関に入ると、日銀に批判的な経済理論が身に付くのかなどと言われてしまっていますが(笑。ちなみに、このページでは当サイトのほか、pogemutaさんのサイトkanryoさんのサイトが官僚のサイトとして紹介されていますが、日銀の金融政策に批判的なのは当サイトだけですから、両サイトの紹介として明らかに間違っていて失礼である上、この両サイトを紹介することと霞が関=日銀に批判的と指摘することは明らかに矛盾していると思います)、直近の"writings"では財務省の片山さつき主計官による防衛構想をこき下ろしていまして、そういう霞が関礼賛的な主張をしているわけではない実例となっていますので、もし「リンクをクリックしてもページが見られない!」ということがございましたら、改めてご覧いただければと思います。

ちなみに、"writings"がメインページになったという誤解を招いている面もあるようですが、トップページはリアルタイム・思いつき指向(笑)、"writings"は掘り下げ指向というデマケ(霞が関用語。demarcationの略で、役割分担の意味)で併存させていこうと考えております。

[media]NHK検閲疑惑

上で紹介した2大官僚blog(笑)で触れられているNHKの番組内容への安倍・中川両氏の検閲圧力疑惑ですが、「普段から議員とのおつきあいがある官僚の方々の見解」なるものには情報価値が認められるようですので、少し触れておきたいと思います。

よく役所に対する批判として問題になるのが、規則を盾にとった杓子定規な対応ですが、逆に言えば、そういうプロトコルは仮に介入圧力があった場合には大きな武器になるわけです。メディアにおける典型例が用語についての放送コードで、今回と似たような例を挙げれば、石原都知事がいくら中国の呼称は支那(「しな」で出てこないぞ、ATOK17)だといっても放送コードが盾となるわけで、放送コードを変えろという主張はあっても、番組内容への直接の介入はありません(放送コードに引っかかるから無理です、と言われるに決まっているからです)。

本件について、圧力の有無はとりあえず脇に置くとして、NHK内の経緯を見ると、番組内容について部長試写や局長試写という異例の手続きを経て変更されたということのようです。となると、以下は勝手な推測ですが、NHKでは相当程度強い自主性が現場に認められていて、内容についての組織としてのチェックというのは原則行われていない(おそらくこれは「奇跡の詩人」日木流奈事件とかムスタンやらせ事件の一因でもあるのでしょう)一方で、それは明確なルールではなく慣行として確立されているのではないでしょうか。

つまり、今回の騒動の遠因としては、放送内容の自主的なチェック体制がきちんと整っていないことが挙げられるのではないでしょうか。おそらくは担当プロデューサー個人の判断に委ねられているのだろうと思いますが、そうした体制が整っていれば、仮に圧力があったとしても、部内の正規の手続きを経て承認されたものですから私個人ではどうしようもありません、とはねつけることができるわけです。

それは自主的な検閲だ、という批判もあるとは思いますが、組織に属して組織の人や金を使って番組を制作する以上、組織としてその内容でいいかどうかをチェックするのは当然です(上記の放送コードにしても、組織として表現を一定程度制約していることには違いありません)。不当なチェックを避けることは、チェックしないことではなくきちんとしたチェック基準を作ることにより対応すべき問題でしょう。

[economy][pension]マクロ経済から公的年金を考える その1

そもそもなんで公的年金が必要なのか、ということを、人道的見地とか憲法問題から離れてマクロ経済の観点から考えると、次のようなことが言えるのではないかと思います。

まず、公的年金がない世界を考えた場合、国民は老後の不安に備えるためせっせと自力で貯蓄(預貯金のほか、年金保険や投信など、類似のものを含んで以下この語を使います)しなければなりません。一般に、ある国の経済において一番長期間の存続が期待されるのは国ですから(たいていどこの国でも国債が最も長期の債券であることからわかります。究極の例として、コンソル債(永久債)なんてものは政府以外には発行し得ないでしょう)、国以外の者が提供する貯蓄で老後の不安に備える場合には、実際に必要になるまでの間に貯蓄を提供する銀行等が破綻するリスクに備えて分散して貯蓄するなど、より多くの額を貯蓄する必要があります。

経済学的には、所得は消費か貯蓄のいずれかに振り向けられることになりますから、貯蓄が増えるということは、必然的に消費を減らすことになります。つまり、典型的な合成の誤謬である貯蓄のパラドックスが生じて、マクロ的な経済活動に対してマイナスの影響が生じることになります。

また、自分で十分な貯蓄ができないような低所得者層の老後は、当然ながら借金も十分にはできないでしょうから、無い袖は振れぬということでその消費水準は極めて低レベルなものとなるでしょう(更に言えば、貯蓄がなければのたれ死んでしまいます)。他方で、十分以上の貯蓄ができる高所得者層は、少々貯蓄が減ったところで消費水準が変わらないでしょうから、高所得者層から徴収した税金や保険料で低所得者層の年金をまかなうという所得再分配を行った場合には、全体としての消費水準が上がり、経済がその分よくなることになります。この所得再分配は、当然市場原理に反するものですから、政府がやらなければいけない、つまり銀行等が提供する貯蓄では不可能であり公的年金でしかできないことと言えます(厳密には年金でなくてもいいのですが)。

では、公的年金は不可欠かというとそうでもないわけで、そのデメリットが上記のメリットを上回るようであればいらないことになります。というわけで、次回は公的年金に生じ得るデメリットを論じたいと思います。

本日のツッコミ(全10件) [ツッコミを入れる]
kino (2005-01-15 22:01)

「マクロ経済から公的年金を考える その1」
デメリットをどのような立場(個人、国全体、高所得者、低所得者etc)からみるのかがすごく気になります(官僚の方がどのような立場からものを見てるという意味においてです)。

英-Ran (2005-01-16 01:59)

kinoさん、「マクロ経済から」考えるってタイトルに書いてるやんけ……というつっこみでは答えになりませんか。官僚だからと云々言うのは(少なくともこの件では)無粋ですぜ。

bewaad (2005-01-16 05:16)

デメリットについて書いてみましたので、ぜひ感想を寄せてください>kinoさん

bewaad (2005-01-16 05:18)

フォローありがとうございました>英-Ranさん。「マクロ経済から」というタイトルが羊頭狗肉にならないか、実はとっても不安なのは内緒です(笑)。

kino (2005-01-16 14:54)

英-Ranさん。もちろん、幾つかの案を紹介するだけなら「マクロ経済学」から可能でしょうが、その案の中で「これを支持する」という場合には、(分配の問題が絡み)どのような立場(何を重視するか)から言うのかで結論は変わると思ってます。

英-Ran (2005-01-18 09:17)

kinoさん。もしかすると経済学者の方によって見解が違うのかもしれませんが、基本的にはパレート改善な状況以外はマクロ経済学的に支持できない(支持できても条件付き)なんだと思ってます。分配も関してもジニ係数などの概念があるのだから、それに従うべきであって、特定の立場を重視するのであればマクロ経済的とはいえないのではないでしょうか(異論モトム)

bewaad (2005-01-19 04:06)

私のような半可通がいうのもなんですが、静学的に考えれば各人の限界消費性向が同レベルになるまで再分配するのが一番いいのでしょうが、それについてルーカス批判的な、というか囚人のジレンマ的な問題がないか−つまり、そういう再分配が労働に対するインセンティブにどういう影響を与えるか−を考えると、多分その案はだめなのでしょう。そういう意味で、昨日(1/18)と今日(1/19)のエントリでの再分配案というのは、私なりの定性的価値判断が入っていることは否定しません>kinoさん。

bewaad (2005-01-19 04:07)

パレート最適はどちらかというとミクロな話ではないでしょうか>英-Ranさん。所得再分配はその存在自体、パレート効率的ではないものですし。

英-Ran (2005-01-19 22:42)

厚生経済学第二定理の「任意のパレート効率的な資源配分は,適切な所得再分配を行えば,市場メカニズムで実現できる」が念頭にあるんですが、もしかして私が解釈を間違っているだけかも……
ミクロだろうがマクロだろうが、パレート改善でなければ、誰かが損失を被るわけで「絶対に正しい」とは誰にも言えないわけで、学問的には割り切れないと思う。もちろん、現実問題としてはセカンドベストな選択も必要となってくると思うし、そこがエコノミストにとっては現実への応用力が問われる部分になるとは思っているけれど。

bewaad (2005-01-20 05:11)

そのあたりにつきましては、次のいちごのスレを読むとまさに悩みどころなのだなぁ、と思います。
http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/economy/0217/10-25


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