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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2005-01-16
■ [economy][pension]マクロ経済から公的年金を考える その2
今日は公的年金のデメリット編です。これについては、どのような方式で行うかにより変わってきますので、方式ごとにまとめてみます(この連載では方式としてどのようなものを想定しているかは、その0をご覧ください)。
積立方式の場合、一般に公務員が民間人よりも事業運営が上手ということはありませんので、非効率な運用になるということがあります。前回書いたように、国には信用力があり、その分国民一人一人の支払額は減るはずなのですが、あまりにも運用が下手であると、その損失を埋め合わせるための支払い(ないし受取年金額の現象)を強いられ、結果的に支払額は多かった(ないし受取額は少なかった)ということにもなりかねません。
賦課方式の場合、まさに今の日本が典型例ですが、急速に少子高齢化が進んだ場合に、原資を担う現役世代の負担が非常に重いものになってしまいます。もちろん、現役世代の負担に上限を設定して支払年金額を減らす調整は可能ですが、この場合、受け取る側から見れば債権放棄をさせられているようなものですから、国というひとつの法人格としては信用リスクがなくても、国本体から一種の倒産隔離を受けた形となる年金部分については信用リスクがあるということになり、国がやることのメリットがなくなってしまいます。
保険料方式の場合、最低でも払った額以上はもらえ、かつ、払えば払うほどたくさんもらえなければ、支払うインセンティブがわかなくなってしまいます。これ自体はミクロ的な問題ですが、このミクロ的問題は制度の維持可能性に直結しますので、放置しておくと年金自体が崩壊してしまいます(今の国民年金未納問題を念頭に浮かべてください)。払った額以下の受取となる場合でも保険料方式を維持しようとすると、強力な徴収制度を用意する必要がありますが、徴税機構と別立てでそんな制度を用意するのは無駄以外の何ものでもありません。
税方式の場合、増税に対する国民の合意をどうとりつけるのか、ということになります。一般に国民負担率は租税負担と社会保障負担を分子として計算しますが、既述のとおり社会保険料は一般に払えば払うほど見返りがあるものですから、国民負担率が同じであっても、その構成が租税に寄る場合には、一般には抵抗感が増すことになります。とすると、確保すべき原資の額が判明した場合、その額の構成要素としての租税の比率を増やせば増やすほど、当該額を徴収するとの国民的合意が形成されないリスクが増加します。
さて、前回および以上をご覧いただければおわかりいただけると思うのですが、これらのメリット・デメリットはそれぞれ顔を出す場面や重要度が異なります。というわけで、次回はなるべくメリットが出てデメリットが出てこない制度としてはどのようなものが考えられるか、考えてみたいと思います。
■ [economy][book]岩田規久男「日本経済を学ぶ」
さまざまなところで大絶賛の本書ですが、もちろんいい本であることに異論はないものの(読んでみてほしい人の顔がいろいろうかびます(笑))、webmasterとしては若干気になったところがありました。簡単に申し上げれば、公的介入をおとしめすぎているのではないかということです。
勝手に推測するに、岩田先生から見ればまだまだ日本には規制が多く、規制を廃止すれば確率論的にはマイナスよりプラスが多いはずという事実認識があって、だから規制等の公的介入は原則として悪いんだとしておく方が入門書としては無難だという判断があったのではないでしょうか。他方でwebmasterは公的部門に籍を置く身として、最近は外部性も情報の非対称性も何もかも無視してとにかく規制はやめろという議論が横行しているのではないかとの認識を持っていて、規制や特殊法人の適否は是々非々で判断すべきで必要なものもあり得るのだ、という議論が忘れ去られているのではないかと思っていますので、そうした点についてまとまった言及がない(環境税に関する議論など、パーツとしてあることはありますが)ことが引っかかったのです。以下、いくつか具体例を挙げておきます。
- カリフォルニアの電力自由化に伴う電気料金の高騰・停電は自由化の方法を誤り、小売料金の設定を固定化していたから発生したとの説明がなされていますが(pp166-167)、停電はともかく料金高騰は小売料金設定を自由化していても発生したのではないでしょうか。大規模発電所の建設は相当程度の時間とコストを要し、その結果必然的にハイリスク投資にならざるを得ない(建設開始時の需要見込みが外れる可能性が高いので)のですが、自由化前は超過利潤をしてそのリスクバッファーに充てさせて発電所の建設を促進していたと考えられます。自由化後はこのような超過利潤がなくなった結果、本書にもあるとおり設備投資は大幅に削減されています(p166)ので、いつの日か仮称供給により電気料金が高騰するリスクは明らかに自由化前よりも高くなっています。もちろん、そうしたリスクよりも電気料金の引き下げの方が効用が高ければ自由化はやってよかったことになりますが、少なくともそうした比較考量が必要だということには触れるべきではないでしょうか。
- 財投機関債による資金調達が徹底されていないため特殊法人の経営効率化が進まないとの指摘がなされていますが(pp180-181)、投資家が気にするのはあくまで債券のリスク・リターンバランスですから、仮に財投機関債による資金調達が徹底されたところで、簡単な例を挙げればA法人よりB法人が効率的に業務運営をしていたとしても、A法人がB法人よりも非効率なコスト増を上回る補助金を受け取っていれば、投資家はB法人の債券よりもA法人の債券を評価することになりますので、経営効率化は進みません。これだけが問題なら補助金を一切認めなければいいのですが、アメリカの例を見ると、補助金を受け取っていないGSEs(Government Sponsored Enterprises)についても、政府の関与があることを理由として「暗黙の政府保証」があるとされています。結局、そうした暗黙の政府保証すらなくとも事業が運営していけるのであれば、それはそれこそ民営化してもやっていけるわけですから、とりあえず公企業体による事業運営を認めるのであれば、それに公募債券を発行させて投資家に評価させるのはナンセンスで、別のガバナンスの仕組みを考えるべきだと思います(以上について、さらに高度な議論は岩本康志先生の「財投債と財投機関債」をご覧ください)。
- 道路公団の民営化に関して、あれでは無駄な道路建設が止まらないという指摘がなされており、その理由は政府保証の付与があるからとされていますが(pp182-183)、他方で社会資本の整備は財政政策の役割と整理しています(p247)。後者が正しいなら(そしてwebmasterは正しいと思いますが)、政府が政府保証(財政政策の手法の一つです)を付与して道路建設=社会資本整備を進めるのは当然ではないでしょうか。上記2にも関係しますが、社会資本整備として必要かどうかではなく景気刺激の観点から過剰な道路建設が進められていることが問題であるとすれば、民営化は処方箋として適切ではないと思います。
- 郵貯や政府系金融機関の活動について、郵貯の金が大量に政府系金融機関等の財投機関に流れ込み、政府系金融機関はその流れ込んだ金の消化を優先するので民業を圧迫するとのロジックを紹介していますが(p193)、財投の統計を見ると、平成11年度以来平成15年度まで5年連続で、計画の対前年比マイナスと実績の対当初計画比マイナスが続いています。つまり、流れ込む額も減っていれば、その減った額ですら消化せずに余らせているというのが現状です。もちろん、景気が回復した場合にはどうなるとか、本来もっと減ってしかるべきだったとかそういった観点からの検討は必要ですが、実際のデータに反する(かに見える)主張を行う場合には、もう少し慎重に理論構成を行ってほしかったと思います(で、このような現状認識に基づく「兵糧攻め」論については、田中秀臣先生の考え方にwebmasterは賛成です)。
ただ本書は新書の入門書ですから、あまり話を膨らませてしまっては最大の目的(=日ごろは経済の話に無案内な読者に気軽に手にとってもらう)が達成できなくなってしまいますので、その先は自ら渉猟すべきなのでしょう。というわけで、財投関係の「リフレ派的構造改革論」の出版(posted at 2004/12/23 14:07のコメントに書かれています)をとっても期待して待ちたいと思います>田中先生、高橋(洋)先生。
トラックバックがうまく行かないのでこっちに書きます。
http://d.hatena.ne.jp/arn/20050116にて多少気になった点についてコメントを入れさせていただきました。
僕はこれを読んだ上でも、年金は基本的には税方式が良いんじゃないかなと思ってますが、官僚であるbewaadさんがどのような点を重視するかにはとても興味があります。