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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2005-01-23
■ [notice]trackback、多分できるようになりました
この日記同士では送ることができることを確認しましたので、動くことは動くはずです。ただし、unicode処理は行っていないので、movable typeや各種のポータルサイト提供のblogのように、xml処理を行っているものは文字化けするかもしれません。もしそうならまた要対応なのですが、とりあえずご報告まで。
■ [media][politics]NHK問題再々論−政治家に会いに行くことは検閲を誘発するのか
#くどいようですが、本件については、事実関係が完全に明らかになっていない段階ですので、事件そのものに対する評価は避けております。ネットでの議論等を見て、事件の論じ方・考え方についてのアイデアを書いているものとご理解ください。
ちょうど昨日書いたことと対応するように、天漢日乗さんのところで「NHK ETV2001改変問題 (その13)どうして「事前検閲」に類する行為を誰も指摘しないのか@職員」エントリにて関連する2ちゃんのスレが紹介され、NHK幹部と政治家との接触についての意見が紹介されています。
また、NHK職員ではありませんが、ジャーナリスト坂本衛さんが、本件に関するページにおいて、次のような見解を表明されています。
しつこく繰り返すが、「どのような経緯で放送局幹部と接触したか」「『〜すべきではないか』の〜部分が実際にどんな言葉であったか」は、放送番組に対する干渉の構成要件ではない。言い換えれば、先方から突然かかってきた電話に答えたとしも、あるいは道でバッタリあって話したとしても、(放送前の特定の番組について政府高官が放送局の行動を示唆すれば)干渉は干渉である。「公平にすべきではないか」「おもしろくすべきではないか」「オシャレにすべきではないか」「わかりやすくすべきではないか」と、どのように口にしたとしても、干渉は干渉である。
言論の自由の形成過程を考えれば、こういった態度にも十分合理的な理由があるとは思うのですが、現実論としては、あまり形式的に考えるのはいかがなものかと思います。
当サイトではじめてこの話題を取り上げたときにも例として用いたとおり、業界には放送コードというものがあります。いわゆる放送禁止用語がこれにより定められているわけですが、たとえばその手の言葉がふんだんに用いられる番組が放送される、という情報を入手した政治家は、そうした言葉を使うべきではないのではないか、とメディア側に伝えることは禁じられるのでしょうか。
放送コードは自主規制の問題ですので若干ずれるかもしれないので別の例を挙げますと、権力とメディアの関係というのであれば、誘拐報道協定があります。これは明らかに当局がメディアに対して個別番組の放送内容について干渉するものですが、先ほどの坂本さんの意見に従えば、これも放送法違反・憲法違反ということになってしまうのでしょうか。
webmasterも仕事において時折取材を受けることはありますが、その際にも、以前取材に応じたときに不正確な報道をされていれば、「今度はきちんと書いてくれるんでしょうね。反対のご意見でもかまいませんが、事実関係と意見はきちんと分けた上で、事実関係の部分で読者を誘導するような書き方をしないでくださいよ」ぐらいのことは言います。そんな官僚の都合など知るか、といわれるとそれまでだが、これも検閲だ、圧力だと言われると、正直言ってつらいです。
事実関係が当事者間で食い違っている今だからこそ、どういった政治家・当局の言動が禁じられるべき検閲・干渉であり、どういったものであれば許容されるのかを整理しておくべきではないでしょうか。将来、事実関係が明らかになった際に、そうした事前に準備した基準に当てはめて当不当を判断することとしておけば、内容に対する評価とは独立してこうした問題を論じることができると思うのです。
本件について政治圧力があったとする側もなかったとする側も、その主張はどうしても番組内容に対する評価に引きづられる面があり、かつ、人間である以上そうしたバイアスを完全に頭の中から除去することもできないでしょうから、こうした試みには相当の意義があると思います。
■ [economy][media]もう首がまわりません 日本の借金苦ここまできてます!! 財政破たんシナリオ@報道ステーション(1/20)
番組を見ていないので内容の論評はできませんが、政府の言い分を垂れ流しでいいのか、メディアよ・・・もしや、財務省の圧力があったのではないだろうか(笑)?
■ [politics][pension]国会議員の互助年金等に関する調査会答申
20日に出た答申ですが、これって衆議院・参議院ともに公開しておりませんで、原文が確認できません。マスメディア各社が報道しているということは、記者発表は行ったのでしょうし、その場でコピーも配布されたと思うのですが、ネット・紙双方とも答申本文の転載はなし。何だかなぁ・・・。
それはさておき、だいたいどこでもけなされまくりの答申ですが、金をけちってもいい人材は集まらないので、給料もそうですが、国会議員の待遇をあまり下げることに熱心になるのはいかがなものかと。「でもしか議員」ばかりが集まる国会なんぞ、どう考えても国のためになるとは思えません。
■ [economy][politics]竹中大臣の経済演説
21日に行われたものであるにもかかわらず、これもネットでは入手不可能ですが(さすがにこちらは来週には入手可能になるでしょうけれど。ちなみに現時点で入手可能なのは総理の施政方針演説と財務大臣の財政演説。外交演説は、なぜか英語版は入手可能ですが日本語版はまだ(笑))、報道を見る限り、「もはやバブル後ではない」と言ったとか。ふむふむ、本歌として使われた都留重人後藤誉之助(2006/8/18訂正)の文−「もはや戦後ではない」−が実際どんなものであったか見てみましょう。
戦後日本経済の回復の速かさには誠に万人の意表外にでるものがあった。それは日本国民の勤勉な努力によって培われ、世界情勢の好都合な発展によって育まれた。しかし、敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものがその谷からはい上るスピードを速からしめたという事実も忘れることはできない。経済の浮揚力には事欠かなかった。経済政策としては、ただ浮き揚る過程で国際収支の悪化やインフレの壁に突き当るのを避けることに努めれば良かった。消費者は常にもっと多くの物を買おうと心掛け、企業者は常にもっと多く投資しようと待ち構えていた。いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽された。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々にくらべれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期にくらべれば、その欲望の熾烈さは明かに減少した。もはや「戦後」ではない。われわれはいまや異った事態に直面しようとしている。回復を通じての成長は終った。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速かにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となる。
(中略)
このような世界の動向に照らしてみるならば、幸運のめぐり合せによる数量景気の成果に酔うことなく、世界技術革新の波に乗って、日本の新しい国造りに出発することが当面喫緊の必要時ではないだろうか。
(原本を持っているわけではないので、香川大学経済学部・安井修二先生のサイト中の「現代資本主義」の講義資料から拝借しました。感謝いたします。なお、強調はwebmasterによります。)
ええっと、竹中大臣、バブル崩壊から今までの間のどのタイミングで、リバウンド的な回復があったのでしょうか(笑)?
ものすごくどうでもいいことなのでチュウが、RSS Reader に引っかかったので、ついつい書き込んでいますが、都留重人ではなくて、後藤誉之助では?
原文は経済白書データベースで全文表示できるようです。
http://wp.cao.go.jp/cgi/WpMain.cgi?CHK_FILE=WP_NML_SEARCH.htm
がんばって直リンしてみました。
http://wp.cao.go.jp/cgi/SearchCore.cgi?IS_UTAG=&IS_GTAG=&IS_MARK_BGN=%3Cfont%20color=red%3E&font=&IS_MARK_END=%3C/font%3E&DEF_HTML=&SUM_KIND=&META_KIND=FRAME&META_RESCH=WP_NML_SEARCH.htm&IS_KIND=WP:DETAIL&IS_SCH=WP&IS_START=1&IS_PSET=OFF&IS_HIT=OFF&IS_TAG_S1=InfoC&IS_CND_S1=SUB&IS_FLG_S1=NML&IS_NUMBER=20&IS_KEY_S1=%82%E0%82%CD%82%E2%81u%90%ED%8C%E3%81v%82%C5%82%CD%82%C8%82%A2&IS_TAG_S2=InfoTerm&IS_CND_S2=SUB&ISFLG_S2=AND&IS_RNG_BGN_S2=&IS_RNG_END_S2=&SUM_NUMBER=20
>ねずみ王様
ご指摘のとおりです。訂正いたします。ありがとうございました。
#なんでRSSに、と思ったら、spam処理の影響ですね。
>rnaさん
わざわざ労をいただきありがとうございました。