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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2005-01-27

[law]mojimojiさんへのアドバイス

webmasterも出しゃばりで恐縮ですが、語り口の問題/立ち位置の問題での記述を見てどうしても一言申し上げておきたいと思いましたものですから・・・(そもそもこのエントリはwebmasterに対してではなく大屋先生に対するものであり、なおさら恐縮ですが)。

前回の本件関連のエントリにおいて、webmasterは従軍慰安婦問題が「悲劇」かどうかは確定していませんし、仮に「悲劇」であることが事実だったとしても、それに政府として対応することが「正義」であることが確定していないのは言うもさらなりではないですかと書いたのですが、この文で何を言いたかったのかが伝わらなかったのだなぁということを、先のmojimojiさんのエントリ中の僕が何にいらだつかといえば、それは表面的な口調の問題じゃなくて、おおやさんが自身と従軍慰安婦問題の間にそのような関係などないかのようなふるまっていることによります。つまり、徐京植さんが考えるような責任の論理を否定した態度をとっているわけですという文章を見たときでした。よって、ここではこの問題に限って、ちょっと詳しく書いてみたいと思います。

この「いらだち」が立場を超えて説得的であるためには、次の3つの要件を満たす必要があるとwebmasterは考えています。

  1. 従軍慰安婦問題に関する事実認識について、mojimojiさんたちのそれが正しいものであること。
  2. 1が満たされているとして、従軍慰安婦問題が他の問題に比べて我が国としてより責任を負うべきものであること。
  3. 2が満たされているとして、徐京植さんが考えるような責任の論理、すなわち我が国として負うべき責任はその主権者である国民一人一人が究極的には負っているという関係を踏まえて発言すべきというロジックを妥当なものとして認められること。

多分これだけでご理解いただけると思いますが、「詳しく書く」といった以上蛇足を承知で説明いたしますと、1は従軍慰安婦の方たちについての事実が責任を負うべきものであることが全ての前提となっているわけですから、その前提が成立していなければ、そもそも問題として論ずべきものでもない、ということになります。

次に2ですが、まさしくmojimojiさんご自身が支援を必要とする人の存在を知った以上、見殺しにすること自体が息苦しさを感じさせる原因と書かれていますが、世の中には数多くの支援を必要とする人が存在します。しかし、前回webmasterが触れたとおり支援に用いることができるリソースには制約がありますから、支援を必要とするの全てを支援することはできないわけです。ですから、いくら息苦しさを感じようとも、支援を必要とする人の中で誰を支援するかを決めなければ、裏返していえば見殺しにする対象を積極的に選択せざるを得ないのです。では、従軍慰安婦の方々を支援することとのトレードオフで見殺しにされる方々は、従軍慰安婦の方々よりも見殺しにふさわしいのでしょうか。

最後に3ですが、おおやさんはかなりの量の思考を重ねた上で、徐氏が言うような責任の論理など成立しない、あるいはさせてはならない、と確信しているみたいですから、文句があるなら、この点について理論的な反論を考えていくのが筋だということは分かっているつもりですとのことですので、webmasterがとやかく申し上げるまでもないと思います。

とまれ、かくのごとく限定的にしか成立しないと考えられるものであるにもかかわらず、おおやさんが自らの立ち位置の問題を認めない限り、こうしたスタンスの心情左翼は苛立ち続けるでしょうというのは、成立しているかどうか以前の問題として、限定的であるかもしれないという疑いすら持たず、アプリオリに普遍的であると考えているからではないでしょうか。通常、「問題を認めない限り」というワーディングは、問題があることを前提に、それを認めないことに対して用いられるものですから。

このエントリのタイトルで「アドバイス」などと偉そうに申し上げたのは、そのアプリオリな仮定が成立しない可能性がある−もちろん、成立する可能性があることは否定しません−と一度立ち止まっていただいて、いらだちを解いていただきたいと考えたからです。批判から逃げるつもりはさらさらありませんが、いらだちに起因する批判を巡る議論は双方にとって労多くして功少ないものだと思いますので。

いずれにしても、これまでのwebmasterのテキストで察していただいているとは思いますが、webmasterは絶対的な正しさのランキングなど不可能だと思っていますので、自身の見解にはそれなりの自信がありはしますが、最終的には見解の相違という結論になることは十分あり得ると思いますし、また、そうなったからといって議論が無益だったとも思いません。webmaster個人にとっての正しさについての認識が、他人に共有してもらえるというのは非常にありがたいことですが、それは同時に原義どおり成し遂げがたいことでもあることは承知していますから。ただ、その過程において、少しでもお互いにとって得られるものが多くなるよう望むだけです。

(備考1)
議論の混乱を避けるためここで述べますが、上記の3要件の2番目については、そんなえらそうなことを言っているお前本人はきちんと判断できているのか、という意見もあると思います。先に答えを言えばできていません、ということになりますが、まず人間の知識は有限ですから、見落としは不可避です。そして、その有限な知識の評価についても、主観的バイアスは絶対にかかってしまいます。具体的には、愛しい人や大切な人、親しい人の支援の必要性はポジティブに、嫌いな人や苦手な人のそれはネガティブに評価してしまうことは否定できません。その結果として、あのときああしていればこんな事態は避けられたのに、ということが起きるリスクは死ぬまでヘッジできないでしょう。webmasterが一人の人間として心がけたいと考えているのは、このリスクから目をそらさないことと、でも少しでも減らせることができるよう、見聞を広め考察を深め続けていくことの2つです。

(備考2)
今回の議論と若干の関連があるものとして、一般に受け入れてもらえない見解を受け入れさせた過程を描いた本でもある中西準子「環境リスク学−不安の海の羅針盤」は非常にお薦めです。既に山形浩生さんの書評などを通じご覧になった方も多いと思いますが、もし読者の中にまだお読みでない方がいらっしゃったらと思い、念のため紹介させていただきます。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]
isuzuki (2005-01-27 06:38)

http://bewaad.com/の更新がうまくいってないみたいです。 粘着気味ですいません。

bewaad (2005-01-28 04:43)

>isuzukiさん
どうしましょう? はてなのシステムはよくわからないのですが、管理者にメールでもすれば対応していただけるものなのでしょうか?

isuzuki (2005-01-28 04:49)

>管理者にメール
そうしてみまつ。 わざわざ ご返事ども。

bewaad (2005-01-29 07:20)

ご面倒をおかけしてすみませんが、よろしくお願いします。


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