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2005-02-04
■ [politics]郵政民営化のフィージビリティと抵抗勢力への対応
日頃から、メディア等でよく見られる「常識」に対して優れたオルタナティブを提示しているかみぽこぽこ。において、「改革を成し遂げるには。。。」という興味深いエントリが公開されました。
その詳細は実際にご覧いただくとして、今回はどういうオルタナティブが出てきたかといいますと、
つまり、ここで今日のタイトルに対する結論なのだが、
困難な改革を成し遂げたければ、
「抵抗勢力を熟知せよ」
ということなのだ。
というものです。これに対する評価はまずは読者のみなさんに委ねるとして、この見解の延長線上の設問、
しかし、潜在的に与野党の大半の議員が改革に反対で、
国民の多くがその改革の重要性を認識できていない
郵政民営化という政治課題で、
小泉首相のトップダウンで、
しかも国民にほとんど説明らしい説明をしないという手法が
果たして通用するのだろうか。
という点について、霞が関の住人という立場から、議論の材料を提供してみたいと思います。
別にアンケートをしたわけではないのでwebmasterの憶測に過ぎないのですが、霞が関の住人で郵政民営化が実現しないリスクがそれなりにある、と考えている人間は少数派でしょう。つまり、
- 「潜在的に与野党の大半の議員が改革に反対」→あくまで潜在的なもので、表だって反対している議員は少ない。
- 「国民の多くがその改革の重要性を認識できていない」→反対運動が起こっているわけでもなく、多くは傍観している。
- 「国民にほとんど説明らしい説明をしない」→積極的に賛成してもらう必要はない。
ということが言えるので、高い確率で実現すると見込まれるからです。1番については、特に自民党内では下手に小泉降ろしを仕掛けると選挙で民主党に負けかねないので、小泉総理が選択肢を「郵政民営化・小泉政権継続」と「郵政民営化中止・小泉総理退陣」の2つのいずれかに限定した段階で、郵政民営化を中止させることのコストが多くの議員にとって割に合わない高いものとなってしまっています。
2番・3番については、国会での勝負は結局は国会議員の数で決まりますので、国民の賛成・反対は、それが各議員の議席を脅かす、要すれば次の選挙の当落を左右するほどのものでなければ、あまり影響はないというのが実態です(例えば昨年の年金制度改正も、世論調査を見れば反対が非常に多かったわけですが、にもかかわらず国会を通過しましたし)。で、最近は郵政民営化に限らず、積極的に「改革」を推進することは当選に必ずしもつながらないのですが、「改革」に反対する場合、「抵抗勢力」のレッテルを貼られてイメージダウンとなる可能性が高くなっています。「改革」を推進する側−すなわち小泉総理−としては、そうした地合いがあれば十分なのです(特に郵政民営化は、かみぽこさんのエントリで触れられている消費税とは異なり、実際に国民に負担を求める「改革」ではないので、よかれ悪しかれ多くの国民にとっては真剣に考えるインセンティブがないものですから)。
このような政治環境がどのように形成されてきたかを考えますと、陰謀論的な疑いさえ浮かんできます。例えば道路公団問題は、郵政民営化の予行演習として、「抵抗勢力」の強度を試すとともに、メディア等が「抵抗勢力」をきちんとたたかないと「改革」が頓挫してしまうという危機感を醸成するためのものだったという一面もあるのではないか、と。
■ [economy][pseudos]トンデモ#1:財政再建に関する意見のトンデモ度の測り方
もし友人から借金を申し込まれたら、返してもらえるかどうかは次のようなことを考えて判断するのではないでしょうか。
- 収入とのバランス
- 定職に就いていて毎月給料を受け取っていて、その額が借金の額よりも大きい人と、フリーターで借金の額よりも少ない収入しかなく、しかもその収入が継続的であるとも見込めないような人では、同じ額の借金でも、前者の方が返してもらえる可能性が高いでしょう。
- 資産とのバランス
- 定期預金をしていてそれを解約すればいつでも返せる人と、無一文で今後の収入でしか返すあてのない人では、前者の方が返してもらえる可能性が高いでしょう。
さらに、こうした私人ではなく、国(政府)という主体の借金については、次のようなこともまた考える必要があります。
- 収入は民間部門に依存
- 先ほど「収入とのバランス」という話をしましたが、社会主義国で国営企業が自ら稼いでいる、というものでない限り、国(政府)の収入とは税収等に依存します。つまりは国(政府)へのキャッシュフローだけを見れば、国(政府)とは民間部門から寄生虫のようにお金を吸い取っている存在です。収入を増やすため吸い取る量を増やせば(例えば増税)、それにより国(政府)の収入は増えはしますが、それにより寄生している民間部門がやせ細ってしまうようでば、中長期的にはかえって吸い取る量が減ってしまいます。あくまで民間部門が元気であってこその国(政府)の収入ですから、民間部門の経済力と一体として考える必要があります。
- 全額返済は不要
- ヒトであればいつかは死んでしまいますし、子孫が借金を相続してくれるとは限りませんから、本人が返してくれることを前提にしか借金はできません。また、企業も倒産することがあり、倒産した場合にはだいたい全部の借金を返すだけの資産がないので奪い合いになってしまいますから、そうならないと説明ができないと借金はできません。しかし、国(政府)は、そうしたことを想定する必要がないので、借金の額をゼロとすることを目指す必要はありません。心配しなければいけないのは、無限に時間を延長しても返せないこと、つまり将来に向かって借金の額が増え続けていくことで、そうでなければ借金をし続けていてもかまわないことになります。
- 借金の必要性の有無
- 全額返済をしなくてよいといっても、もちろん借金をする必要がないのに無理に借りる必要はないのですが、実は日本では無理にでも国(政府)に借りてもらいたいという事情があります。国内の民間部門(企業や家計)が貯蓄超過である場合、それは国(政府)か海外しか貸し付ける先はないということです。海外にすべて貸し付けられればいいのですが、海外がなぜ全体としては借りることになるかといえば、日本に対して自前では財源が確保できない支払いがあるということで、乱暴に言えば輸出以上に輸入している国がその代金を借金して支払うような場合に貸し付けることができるということになります。結局、日本という国全体を見れば、輸出している分だけ貸し付けることができるということになりますが、輸出は相手のあることですし、好きなだけ貸し付けるというわけにはいきません(貿易摩擦といった政治的事情も考える必要があります)。となると、民間部門が自分で使い切れず、海外にも貸し付けられないあまりについては、国(政府)が借りないと誰も借りてくれないということになってしまいます。そうしたあまりがある状態を放置しておけば、経済全体として貯蓄ができなくなるまで民間部門の所得が下がるという調整が働きますから、国(政府)が借金をすることには、民間部門の所得を下支えするという一面があるのです。
以上を踏まえれば、財政再建を考えるときには、次の3原則を守ったものでなければ、到底まともなものとは言えないでしょう。つまり、この3原則は、トンデモ度を図る基準です。
- 民間部門の経済力(=国(政府)の収入の根源)と借金の増え方の関係を議論すること。つまり、国(政府)の収入だけを論じていたり、借金の額だけを論じていても意味がありません。民間部門の経済力がどれだけ伸びていくかを見た上で、他方で借金の見方として全部返せるかという点ではなくどのように増えているのか(基本的には金利分だけ毎年増えていきます)、それが発散(無限大の増加)につながる危険性はどれだけあるのかを見なければなりません(専門的にはドーマー条件(名目GDP成長率が長期金利を上回っていること)が満たされているかどうかを見ろ、ということになります)。
- グロスの負債額(借金の額だけを見るもの)ではなくネットの負債額(借金の額から資産の額を差し引いた額を見るもの)で議論すること。つまり、本当の意味で稼いで返さなければいけない額こそが正確な負担額=民間部門から政府があらためて徴収する必要のある額ですから、見合いの資産を無視して借金の額だけを議論するのは問題を過大評価していることになります(ちなみに、ネットで少なければグロスがいくら大きくても問題はない、ということではありません。市場経済を前提に政府が必要なことを行うのが本来の姿ですから、ネットを維持してグロスを増やす場合でも、そうした資産・負債両建てで政府部門の活動領域を増やす必要があるのか、という点は問われる必要があります)。
- 民間部門内での貯蓄と投資(=借金)のバランスや外国の購買力(=輸出可能量)を考えた上で、国(政府)の借金の要不要を議論すること。つまり、国(政府)が一時的に借金を減らしたとしても、必要な借金をしなかった結果であればかえって国民経済に害を与えますから、そうした背景やもたらし得る影響についても考えを及ぼす必要があります。
さて、ここでいよいよ木村剛さんの議論を見てみましょう(基本的には政府資料に依拠していてあまり独自の見解があるわけではありませんが、その知名度・影響力に鑑みてとりあげました)。1番目の原則でチェックしてみると、デフレという特殊な状況を前提として、構造改革という経済力への直接の影響も定かでないもののみをプラス要因とする一方で、それと金利との関係を一切見ていませんし、どういう条件の下で発散するのかどうかの検証もなされていません。一応対GDP比率ということで表面的な関係は見ていますが、それだけでにとどまっています。でもこれもまだましな方で、2番目の原則でチェックしてみると、ネットのネの字も出てきませんし、3番目についても全く触れられていません。つまり、トンデモであると言わざるを得ないでしょう。
といっても一方的に論難するだけでは不公平ですから、最後にwebmasterの財政再建についての考え方を簡単に紹介しておきます。まず、危機的状況かどうかといえば、それは間違いなくyesです。短期的には先に紹介したドーマー条件が満たされていませんから発散過程にありますし、中長期的には少子高齢化の進展に伴い民間部門の貯蓄超過額は減少していくでしょうから(例えばIMFは、あと10年と少しで民間部門は投資(=借金)超過になると試算しています)、それまでに固定的な歳出はできるだけ減らしておく必要があります。
そのために必要なのは何よりも金利の引き下げです。これによって消費・投資を増やし、ドーマー条件を満たせるようになると同時に金余り状態を解消することができます(金余りが解消すれば、あえて政府が借金をする必要がなくなりますから、大胆な歳出カットが可能となります)。具体的には、金利が下がれば貯蓄のうまみはなくなりますからその分消費を増やすでしょうし、そうなればGDPは増えます。また、借金をして投資をすることを考えても、金利が低い方が借金はしやすくなりますから投資は増えるでしょうし、これもまたGDPを増やします。つまり金利の引き下げ−当然長期金利は下がります−は、貯蓄・投資差額の減少と名目GDP成長率の上昇、長期金利の低下を同時に達成するための最も適切な対策です。これなくして歳出カットや増税を行おうものなら、まさに寄生虫が一時的に吸い取りすぎて、そのうちかえって栄養摂取ができなくなることになってしまいます。
しかし、金利はゼロを下回ることがありませんから、今のようなゼロ金利状態では金利の引き下げはできません。ではどうすればよいかと考えると、ゼロ金利が必要なのはデフレだから、つまり物価が継続的に下落し、それが続くと考えられているからこそです。物価が年2%下落するときのゼロ金利は、物価が横ばいの時の年2%金利、物価が年2%上昇するときの年4%金利と同等です。言い換えれば、物価が年2%上昇というマイルドインフレになれば、金利を年2%にしても今のゼロ金利よりは実質的に年2%ポイントの金利引き下げ、そうした状態になってもなおゼロ金利を継続すれば今よりも実質的に年4%ポイントの金利引き下げとなります。
ですからwebmasterは、こうしたマイルドインフレの達成を目標としたリフレ政策が重要だと考えているのです。
■ [economy]産業再生機構の新規案件への取組みの事実上の終了
「再生機構、支援決定41件で事実上終了・当初目標届かず」というリードの日経の報道によると、支援を決めた案件は41件で、当初目標としていた「100件以上」には届かなかった
であるとか、機構がこれまでに支援企業への出資や債権買い取りに費やしたのは合計6000億円程度で、今後ダイエー向け債権を買い取るなどしても1兆円規模にとどまる見込み。国が用意した保証枠(10兆円)の大半は活用されずに終わりそうだ
であるとか。思ったほど実績が出なかったというのはいいことだったのではないでしょうか。そもそも企業再生の分野に政府がしゃしゃり出ること自体が疑問だったのですから。
支援先の取引銀行は足利銀行やUFJ銀行など不良債権処理で出遅れた銀行が多く
ということは、結局、経営の自主性を奪われ政府の言うことを拒否できないような立場に追い込まれた銀行は使わざるを得なかったに過ぎなかったということなのでしょう。
カネボウやダイエーが典型的な例ですが、民間に任せても別の形で対応が図られたであろうケースが多々あり(仮に民間ベースで再生スキームが仕組めなくとも、一般の倒産法制で処理という選択肢もありますが、そもそも要管理先債権が買取対象の中心ですから、倒産寸前ということではないはずです)、本来政府の出番ではなかったはず。例えば銀行の破綻処理に政府が介入するのは、それに対する評価がポジティブかネガティブかはさておき、信用秩序の維持という外部性=市場の失敗を前提にしていますが、カネボウやダイエーの経営不振は、そうした政府の介入を正当化するほどの外部性の存在を前提としたものではないでしょうに。
しかしながら、
金融再生という意味での一定の成果はあったと言えそうだ
(日経)再生機構は、政府保証で資金を調達し、公的立場で金融機関の調整を進めることで、「過剰債務で経営不振に陥った企業から、不採算事業と借金を切り離して本業に特化する」という再生モデルを提示した
(毎日)
といった産業再生機構に対する評価を見ると、日経や毎日の方々は政府が民間に介入して行う「構造改革」が大好きなんですねぇ・・・(他のメディアは、とりあえず現時点では、産業再生機構の活動についての総括をしていません(評価を加えず単に事実上活動が終了したことのみを報道しているメディアとしては、読売と朝日、産経(共同通信配信)、ロイターなどがあります))。
これだけ再生ファンドが増えた中、RCCはともかく産業再生機構なんて、はじめからその存在意義は???ってもんではありますよね。
ただ、公的管理下の銀行にとっては、経済合理性をそれほど意識せず意思決定が出来る(笑)という点で意味はあったかもしれません。特に有名銘柄についてちゃんとコンペしてゆくのは、いろんな風評リスクもあるし、デューデリなどのコストもかかるものですから、スピード重視という意味において「お上」ブランドは思考停止のいいわけにもなって便利ではあるのでしょう。
また、債権放棄を求められることが多い一般の金融機関にとっても、産業再生機構(またこれが言うことが強硬なんですよ)が主導ということのほうが社内稟議もとりやすいし、国税に対しても言い訳しやすいですし。
とはいえ、やっぱりこういうところにお上が出てこられると、マーケットには良くないですよねぇ。ダイエーにしてもカネボウにしても、市場原理を歪めたことにしかならなかったと思うし、その他の先についても(価格はどうあれ)ちゃんと引受け先はあったと思われますから。。
リフレ政策について「抵抗勢力を熟知せよ」を適用するとどうなるんでしょうね?
日銀、財務省、政府、与党、野党、財界、エコノミスト、マスコミなどを見ても、どこにもリフレ政策への賛成派と反対派、日和見派がいて、抵抗勢力の姿が分かりにくいように思います。
リフレ政策への抵抗勢力がどんな人たちで、彼らの利害はどこにあるのか、霞ヶ関の内部から見て何か材料はないでしょうか?
あと、債務者区分の引き上げも検査のときに説明しやすいとか>鰻谷さん。百歩譲って作ることは認めるにしても、ご指摘の国税の話も含め、その活動をサポートするためにあれこれお土産を付けるやり方は変ですよね。
>Baatarismさん、リフレ政策は、ことその金融政策の側面に限って言えば、日銀の政策決定会合のみで実施可能なので、それはやはり日銀をどうするかという話で、霞が関であれ本石町であれ、官僚風組織はなんだかんだいってトップには従うので、やはり中原さんとかを総裁にしておけば、ということかと思います。
政府の介入が負け組(なんか既に懐かしい響きですがw)企業を延命し、経済の効率性を下げている。。。みたいは話は正直好きではないのですが、再生機構に限っていえば、その存在が(支援企業を延命することよりも)金融機関内での経済的に非合理的な意思決定ロジックを温存してしまったことに問題があったかと思っています。
>鰻谷さん、でも結局は破綻銀行や破綻させられそうになった銀行(笑)以外はそれほど積極的に使わなかったというのは、民間銀行の矜持を見る思いがします、というのは銀行をほめすぎかな?
爾粐持」ではなくて単なる経済合理性の問題。
再建が計画通り進捗している取引先に対し
無理やり巨額の債権放棄を強制するような機構なんて、
脅迫でもされなければ使う訳がない。
なぜか、文字化けしちゃったけど最初は「矜持」ね。
確かにそう評価すべきなのかもしれませんね>蚊取犬さん。
はじめまして。
東京から離れて時間ができたので、気になっていた記事や論文をまとめて読ませていただきました。極めて納得的かつ丁寧に論理展開されているので脱帽しました。
この頁に書かれているように、「GDP上昇率>利子率」であれば、国債残高の問題は管理可能です。財務省のこの数年の動きはこれを目指したものでしょう。そして、このことは財政学の基本教科書にも書かれているのではないでしょうか。にもかかわず、国債残高の重みキャンペーンが張り続けられことに不思議さを感じています。政府=財務省は現在の富裕者(あるいはエスタブリッシュメント)に有利なデフレを継続したいという意思の下にこうしたことを行っているのでしょうか?彼らの意図をどうお考えかお聞かせいただけませんか?
あまり触れられていないことを、一つ。よく、「国債による資金調達は孫に借金をのこすこと」(政治家)や「借金は将来の増税を不可避とするので財政中立」(学者)という言葉をききます。
これは外債なら適合する時差徴税という古典的国債理解だと思います。しかし、国内債の場合は全く異なるのではないでしょうか。基本的に国内債は償還がなされていないのではないでしょうか。法的には一つの国債の償還がなされても、新発債の資金でそれは賄われています。近代国家(ヨーロッパで過去180年程度)の歴史を見て、財政健全化キャンペーンと引き締め政策(償還基金の設立など)は何度もありますが、常に失敗しています。
償還しないわけですから、時差徴税にはなりません。富者(国債購入者)が消費をあきらめ、国債購入でその資金を政府に回し、政府が政府支出に使い、その分徴税額は減る。したがって、これは、富裕者から非富裕者への所得移転に過ぎない、とういのが筆者の考えです。
さらに敷衍すると、そもそも租税とは、国民の多くが労働による所得によるである消費力(「所得―貯蓄」)の一部を政府に移転するものあり、その意味で、国債購入者が消費を諦めて国債を購入する行動も国債購入者から政府に所得移転に過ぎないのではないでしょうか。非富裕者が郵便貯金をするのは、税金を払ったうえに、ロールオーバーを約束した短期国債を買って(有名な定額貯金は6ヶ月満期の短期国債の購入+ロールオーバー)、二重に政府に貢献しているのですね(笑)
また、国債累積残高やよく問題になりますが、この裏側には国民の国債保有者がいるわけで、日本政府のようにほとんど外国で資金調達していない場合、国民の資産総額が増加しているという甚だ慶賀すべき事態が出来しているように思えます。利子支払いは租税負担者(非富裕者)から富裕者(国債保有者)への所得移転ですから所得分配の問題など社会的な問題が出てくるでしょう(国債が相続されることなど)が、それはそれで考えるべきでしょう。
時期はずれに、長文を投稿して、失礼しました。いつか、ご意見を伺わせていただければ幸いです。
財務省の意図については、1つには当サイトで示しているような名目5%成長ですら高望みだという悲観的予測、2つにはブキャナン・ワグナー説として知られる減税・財政拡大と増税・財政縮小の政治的困難さの非対称性、3つには当サイトで出納係などと揶揄している(笑)あくまで財務省の所掌は財政制度の運営であってマクロ経済ではないという縦割り意識ではないかと思います。
将来の国債償還負担については、聞きかじりレベルできちんと説明できるほどではないのですが、ご指摘のような世代を超えての中立性を確保するものをリカーディアン、そうでないものをノン・リカーディアンとして区別する議論がFTPL(Fiscal Theory of Price Level)との関係で出てきているようです。
早速、コメントを頂きありがとうございます。
霞ヶ関の住人の方に、財務省の「財政再建第一主義」の人々の出自的・イデオロギー的背景の薄さを言って頂くとチョット安心しました。政治コストの問題やマクロ経済政策目的の優先度の低さの問題なども納得的ではあります。
難しい理論はおいおい勉強します。経済理論を学んだのは数十年昔です。最近のさまざまなモデルを使う議論には着いていけません。80年代だったか、フェデラル・デフィシットが問題になりはじめたころの、アイスナーなんかの研究でも、さまざまなモデルをつかっても、結論は「恣意的になる」というものではなかったかと思います。素人の私は、そうした時代から進歩していません。
リカーディアン云々の話.。政府の国債が国内で発行・応募されるかぎり、政府債務は世代間の問題ではなく、所得移転の問題であるというJ.F.Melonの指摘(1724年!)を1世紀後にDavid Ricardoが引用したのですよね。まだ、ノン・リカーディアンという批判派が力をもっているのでしょうか。
また、いろいろお教えください。
ノン・リカーディアンは批判派というより、財政政策のカテゴリ分けです。将来の租税で償還されるという前提がリカーディアンで、租税では償還されない前提がノン・リカーディアンということになり、後者は差分をインフレ税で償還する(=租税で償還できない分だけインフレで実質目減りする)、というのがFTPLの素人理解です。