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2005-02-21
■ [law][economy]続・ 法学の考え方と経済学の考え方
2/14のエントリに対して、「「経済学」と「法学」への期待の相違:bewaadさんへのコメント」(@断片亭日乗2/15付)でいただいた指摘を踏まえていろいろ考えてみました。
まず、岩井克人氏のものとして紹介される言語と数学と貨幣には相似性があるが、構造的に一番単純なのが貨幣で、次に数学、最後に言語が来る
という発言ですが、これはある種の道具性、あるいは触媒的な効果に着目した切り口であるように思います。
これを前提にして、よこはまさんは構造の複雑さから(言語の延長線上にある)法の「権威」を論ずることは貨幣を語ることよりも難しいとの立論を導き出しています。しかし、これら三者を評価する基準は、そうした道具性のみが考えられるわけではありません。例えば普遍性基準を用いてみれば、普遍性がある方から数学、貨幣、言語の順に並べることができます。この切り口から見れば、法学と経済学の体系化の度合いは相当程度異なることになります。
つまり、もっとも広い意味で考えても管轄権単位でしか体系的ではあり得ない法(解釈)学と、少なくとも汎人類のレベルで体系的であろうとする経済学(さらに広く考える可能性もありますが、それを「経済学」と呼ぶかどうかには議論があるかもしれません)という違いがあると考えられるのではないでしょうか。例えば、民法典論争の類の学説対立は、経済学では起こり得ないように思います(だからこそ、某国中央銀行総裁の「アメリカから輸入した経済学」という発言は失笑を持って受け止められたわけですし)。
#経済学の学派対立においてもまったくローカル色がないわけではないようにも思いますが、各学派はそれが普遍的なものであると主張するという意味においては、やはり法学とは異なるのでしょう。
次に法学と経済学に対する社会的な期待についてですが、法学は、法が世の中のトラブルの全てを対象としているが故に、学問としてもおよそあらゆる問題が検討対象となり得、社会的にもあらゆるトラブルについてなにがしかの対策を提示することが期待されているわけですが、他方で経済学は、大まかにくくれば与えられた効用関数を前提とすれば効用の改善がどのようになされるかを検討する学問で(ああっ、異論がたくさん寄せられそうだ・・・)、社会的には金儲けの学問として期待されるところが大きいと思われます。
体系性に着目して言い換えれば、世の中の体系的ならざる側面を含むが故に体系的であることはそれほど期待されない法学と、お金にまつわるテーマに対象を限定しているからこそその中では体系的であることが強く要請される経済学、という整理が考えられるのではないでしょうか。わかりやすい例を示せば、三角関係のトラブルであっても、手を出さなければOK、手を出せば暴行罪だの損害賠償だのという話になる、等々の話につながる法学と、各人にとってそれぞれがどれほどの効用を持っているかは知ったことではない、と切り捨てる経済学といったところでしょうか(AさんよりもBさんにとってCさんが恋人である効用は大きいので、AさんはCさんをBさんに譲るべき、なんてことを述べたりはしませんし)。
■ [BOJ][misc]日本人はイグノーベル経済学賞をとれるか?
大爆笑。史学賞との同時受賞ならなおのこと素敵かもしれません(笑)。
#受賞理由は「通常史学では行い得ないとされていた実験を成功させ、歴史的事象の解明に貢献した」ということで。
イグノーベル賞とは縁のあるクルーグマンがプッシュしてくれないかなぁ・・・。