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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2005-03-11
■ [economy]ライブドア、(webmasterの言うようには)死亡せず
昨日のエントリには47thさん、磯崎さんからコメントをいただきまして、webmasterの懸念は当たらないという結論に至りました。誤りをお詫びするとともに、以下のとおり訂正させていただきます。
webmasterの推測は次の仮定に基づくものでした。
この当たり、企業会計実務がよくわかっていないので間違いの可能性が大いにありますが、上場廃止になれば市場での株価はないので上記の実質価額を用いて、しかもあくまで株式は単体会社が発行しているので単体ベースでその実質価額を算定することとして、しかもニッポン放送のBSはほぼ時価ベースでそれほど含み益はない、という3つの仮定をおきますと、実質価額(昨年9月期のBPS(1,737円)で仮置き)の対取得原価(先の磯崎さんの推計値を使います)比率は30%を下回りますから、減損処理ということになります。
しかしコメントにあるとおり、ニッポン放送が保有する子会社・関連会社株式には約1,300億円(昨年9月期決算値)の含み益がありますので、それを考慮に入れない計算は不適当ということになります(つまり3つの仮定の3番目が外れていたということです)。
なお、この含み益を考慮に入れた実質BPSを計算しますと、5,700円を上回ります。
■ [government]信じられるか、バカモノ
「若手官僚座談会 それでも文部科学省を信じてほしい」(中央公論2005.4号、pp70-81)読了。司会者がやたらと出しゃばっていて、そちらにもツッコミどころが多いのですが、同業者として標的は文部科学省官僚のみに絞ってコメントします。
先生の能力の問題もあります。専門性を高めてもらう、もっと将来の社会を見通したうえで子供を教えるという発想も必要だと思う。(中略)詰め込みでガンガン教えるほうが先生は楽です。ただ、それではもうやっていけません。
(p74、杉浦企画官の発言)
将来の社会を見通すなんて無理を押しつけてどうしようというのでしょう。あなた方は将来の社会を見通せているのだなんていう自信があるのですか(webmasterはとてもじゃありませんがそんな自信は持てません)? 高い専門性と豊かな人間性を持った教師、そりゃ理想ですけど、そんな教師を何人そろえることができるのでしょう? ガンガン教えるのが楽だというなら、それをきちんとやらせてほしいものです。
今回の学力テストで、下位層が増えているのは、大変な問題です。日本の場合、みんな読みも書きもそろばんもしっかりできるということが最大の強みなのです。それが壊れるのではないか、といった不安が出ていることは良くないので、これからしっかり対策を練らなくてはいけないと思う。
(p75、杉浦企画官の発言)
先の発言と矛盾してません? ゆとり教育なんていう夢物語はまさに下位層にしわ寄せがいっているのだという認識にどうして至らないのでしょうか。
学ぶことは厳しいけれど「面白い」ということを、小学校あるいは幼少のときにしっかり教え伝えていかなければいけない、と思います。
(ibid)
その、学ぶことは誰にとってもおもしろいことだという認識がそもそも間違っているとwebmasterは思います。誰にだって得手不得手、好き嫌いはあるというのに、勉強が不得手で嫌いな子供にも勉強を好きになれというのは、勉強を楽しんでやっていた自分たち学歴エリートの価値観の押しつけ以外の何物でもありません。そんな子供でもそれが人生において致命的な問題にならないよう、最低限の読み書きそろばんをたたき込まなければいけないはずです。
先が見えないという意味では、経済社会全体でもなかなか先が見えないという状況こそが問題です。
(p76、杉浦企画官の発言)
責任転嫁するな。
生涯学習社会といえば、いつでもどこでも学べる楽しい社会というイメージがありますが、本来は学び続けて自分の知識を常に新しくし深めてこそ、社会の中で自分なりの役割を果たせるという厳しくもやりがいのある社会なのだと思います。
(p77、合田補佐の発言)
「厳しくもやりがいのある社会」なんてもののメリットを享受できるのは一部の人間しかいないのですよ。
ゆとり教育をはじめ、われわれがいままでやってきた、いまやろうとしていることが現場や国民にきちんと伝わっていない原因の一つはコミュニケーション不足です。説明もしないで、「私たちは間違っていない」と言っているだけでは、もう役所としての存在価値がなくなると思います。(中略)社会が大きく変わってしまったのに、過去の成功体験に答えを求めようとするところに、いまの教育をめぐる議論の一番の無理があります。
(p81、塩見室長の発言)
わかった上で批判しているのをコミュニケーション不足に帰せられるのは納得がいかないですなぁ(笑)。社会が変わったから云々とはこの座談会を通じて何度も繰り返される議論なのですが、それが何なのかは明らかにされません(どうせ大量生産・高度成長の時代から多様化・低成長の時代へといった通俗的・皮相的な理解なのでしょうけれど)。
今の教育をめぐる議論の一番の無理は、教育を受ける側と施す側、つまり子供と教師・学校に対する過度の楽観です。勉強が好きな子供ばかりではなく、うまくやれば効果が出ると考えられる高度な教育手法をきちんと実践できる教師・学校ばかりでもないというところから議論を始めなければ、取り残されるのは勉強嫌いな子供と、低レベルな教師に教わったり低レベルな学校に通ったりする子供だというのに。
■ [politics]本間先生 その3
昨日紹介した反論についての後追い報道ですが、「改革「今やらねば」 大阪市諮問会議座長ら会見」という朝日新聞記事がもっとも詳細であるようです(その他にも朝日新聞は、「解散「受け入れられぬ」 大阪市諮問会議の本間座長」、「本間教授外しで大平助役が官邸に根回し」といった記事があり、一番熱心にフォローしているように思います(Google Newsでの検索結果ベース))。
にしても配布した文書なるものの全貌はわからないのですが、例の出向問題について国だ地方だと言っている時代ではない
というのでしたら、経済財政諮問会議での「地方にできることは地方に」という議論に対しても、同じご発言をいただきたいなぁ(笑)。
あと、大平助役の「根回し」ですが、報道を見る限りでは、本間先生の発言の裏を取ったと解するのが適当ではないかと思います。
なお、先日のエントリでは、履歴を見る限りそれほどの業績があるとは素人目には見えない
とwebmasterは書きましたが、いちご経済板で下記のような指摘がなされておりますので、素人のメガネ違いであったということをご報告させていただきます。
280: 267 2005/03/10(Thu) 23:53
>>274
THX.
J.of Economic Theory x 1
J.of Public Economics x2
Regional Science and Urban Economics x 2
一流かどうかはともかく、JETとJ.Pub.Eで3本は立派ですな。
Reg.Science of Urban E. てのは聞いたことないけど。
JERは、、、昔は評価高かったんだっけ?
#このエントリは、以下の一連のエントリの続編です。
塩見室長のコメントを見ても思いますが,文部官僚(というか日本の教育関係者一般についてもいえますが),教育政策を立てる際の社会科学的な発想の欠如が本当に気になります.政策の倫理的,道徳的といった耳あたりの良い側面にばかり関心を持ち,実行した場合の帰結に対して無責任であったり(自分は善意でやったという逃げをうったり),或いは教師や親の無理解に責任を帰したりと.そこまで考えてやるのが政策官僚の役割ではないでしょうか.
(続)ある意味彼らは1970年代以降の日本の階層流動性低下の結果生まれた存在なのかもしれません(これ自体が論争の的ですが).文部(に限らず)官僚の多くは名門私立中高一貫校や国立高校出身者が大半を占めるわけで,一般家庭の子女が通う(私も通った(笑))普通の公立中高がどのような状況にあるのかに対する感覚が欠如しているのかも.他の省庁であれば業界の人との接触により”現実”への感覚を身に付けられるのかもしれませんが,教育業界の場合は似たような”理想主義者”が跋扈する世界ですしね.
RSUEは都市経済の有名な雑誌じゃないですか。地方財政も都市経済学の一分野だし(←財政学の一部としか見てないひとも多いけど)。英文雑誌での業績もともかく、財政学に各種のシミュレーション分析を持ち込み、関西に「本間スクール」を形成した教育面の業績も大きいと思うんですけどね。直間比率のシミュレーションとか、クロヨンの実証とか、政策に近い研究の先駆けでは?
学部も違っていたんですが、本間さんは副学長で、そうとうエネルギッシュな感じでしたね。ああいう先生は慶応なんかに抜けていったりするイメージなんですが、本学出身ということで副学長にまでなったんだろうなぁ。
文部省の話いつも気になるのは、文部官僚が現場をほとんど知らないということ。教育委員会にいても、学校の現場はわからない。せめて、学校で、校長でも教頭でも教師でもやってみると大分違うのではないかと思います。
現場を知らずに企画・立案させられる(する)のは、視点を変えれば「文民統制」の変形に過ぎない気がします。現場を「戦場」に置き換えれば自明です。昔の建設官僚のように、自らも現場で工事に携わっていても、さんざん叩かれる役所もあります。
文部科学省の場合は、問題意識の高い人の割合が多くない(と私は勝手に思っています)のが問題ではないかと思います。少なくとも、彼らは大学教員としての出向は時々ありますが、大学の現場を理解しているのかどうかは不明(肯定できない)と思いますし。
>政治学者の卵さん
某軍板でのご活躍、いつも楽しみに拝見させていただいております。
今回は文部科学省をやり玉(笑)にあげましたが、彼(女)らも官界一般、そしてそれ以外の世界においても支持者の多い、構造改革強迫観念症な人々の一部なのだと思います。出してくる手札の上手下手の違いはあるのでしょうけれども。
>通りすがりさん、もと阪大生さん
政府部内にいるとどうしても本間先生の研究者、教育者としての面が見えにくいもので、貴重なコメントありがとうございました。お話をお伺いするによき研究者でありよき先生なんだろうなぁと思うのですが、皆様から見て、例えば経済財政諮問会議における本間先生の議論はどうでしょうか? 個人的には、良くも悪くも通俗エコノミストのそれを大きく超えるものには思えないのが正直な感想で、そうした自分の印象と、皆様のコメントがうまく自分の中で一致しないなぁ、と思います。
>現場主義さん、roi_dantonさん
現場にいると現場の論理に取り込まれる面はあるというリスクを自覚した上で、どこまで間合いを詰められるのか、ということではないかと思いました。あと、内向きの論理で自己完結せずに、限度は当然あるのですが客観的に眺めてみるとか。
話は変わりますが、お城めぐり、うらやましく思いながら拝見しております>roiさん。地方への赴任でもあれば、休日はその周辺の城跡など歩き回ってみたいと思うような人間ですので(笑)。