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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2005-04-08

[law]人権擁護法反対論批判 リジョインダー編(その13)

本日は、webmasterのリジョインダーに対して再度お示しいただいたご意見等について考えてみます。

「人権委員会の決議に保留が必要な理由」(@ニヤリ4/5付)

webmasterがピンとこないとしていた人権委員会での保留について、詳しい解説をいただきました。賛成票と反対票のほか、保留票という類型を設けて、その票数に応じて対応がなされるというものです。しかし、少なくとも原案においては、次の点において運用に難があるように思われます。

第1に、保留票が反対票よりも強い効果を有するという点です。和尚さんの案では、この票が出席者の2割を超えた場合には、勧告等が行い得ないとされています。では、次の例をご覧下さい。

 賛成票反対票保留票議案の成否
ケース1870成立
ケース21104不成立

いずれも和尚さんにより拡張された15人制で全員が出席した場合を想定していますが、ケース1では賛成が8人、反対が7人で通常ルールが適用され、賛成過半数で可決・成立となります。他方でケース2では、賛成が11人いて、残る4人も反対とまではいかずより弱い意思表明である保留にとどまっているにもかかわらず、2割を超える保留票の存在により不成立となります。これらの結果はやはり不整合と考えざるを得ないでしょう。

さらに申し上げますと、A案とB案との選択においていずれも一長一短という場合とは異なり、1つの案についての賛否においては、保留とは事実上反対と同じではないかとwebmasterは思います。例えば勧告をするかどうかという議決において、していいとは決めきれないのは、すなわち様子見ないし延期をすることに等しいわけですから、少なくともその議決のタイミングではしない、ということになるのではないでしょうか。

結局、例えば勧告が議題となった場合、賛成票が7票以下だった時点で、残る8票が反対であろうと保留であろうと勧告はなされません(すべて保留で積極的反対者がゼロであってもです)。つまり保留も反対に含まれることになりますし、それで問題はないと思います。

ですから、仮に慎重な手続を求めるのであれば、単純過半数ではなく2/3ないし3/4以上を求めるというのが代替案ではないかとwebmasterは考えます。

「bewaadさんへのさらなる疑問」(@ブログ鷹森4/5付)

疑問点をご提示いただきましたので、以下のとおり回答いたします。

国籍条項については、まず、リジョインダー編(その2)においてリンクを張り間違えたことをお詫びいたします。その上で事実関係としては、webmasterが引用したのは、鷹森さんがリンクを張った和尚さんのエントリでいいますと、その中で引用されている2ちゃんのレス番でいえば392の最初の行を引用した前提でであって、ご指摘の点、つまり「ただし」以前を意図的に欠落させたわけではない旨、申し上げます。

鷹森さんが引用する部分、つまり「各地の実情に応じて外国人も任命しろと言われて、こういう規定にした。外国人が公務員になるというような公権力行使の立場に就くことはできないが、相談に乗るという人権委員にはなってもいいと思う。ただし、立ち入り調査をする権限などは与えられない。」と、webmasterが引用した部分、つまり「外国人は中央の委員にはしない。一般調査と救済は分けてある。」との関係については、ご案内のとおり「中央の委員」とは人権委員のことですから、「人権委員にはなってもいい」と「中央の委員にはしない」は明らかに矛盾しています。

ソースである2ちゃんのスレ自体、どこまで正確に法務省の発言を文字にしたものかはわかりませんが、起こし間違いか発言者自身の言い間違いかはさておき、鷹森さん引用の部分中「人権委員」は「人権擁護委員」の誤りであると、以下の理由からwebmasterは判断しています。

  • 鷹森さんが引用した部分については、「人権委員」を「人権擁護委員」に置き換えても、その発言は法案及びいわゆる当然の法理と整合的です。
  • 逆に置き換えないとすれば、以下の点で法案と法務省発言(とされる文章)は食い違います。
    • 法案において「相談に乗る権限のみを有する人権委員」と「それ以外の権限も行使する人権委員」という区分は規定されていません。
    • 運用を考えても、たった5人しかいない人権委員の1人を相談に専念させるといった「無駄遣い」をするとは思えませんし、逆に、1人で相談を受け付けても処理効率は極めて悪いので、相談という業務の効率性を考えても非現実的です。
    • 「各地の実情に応じて」という部分は、人権擁護委員の選任手続(市町村長が推薦した者から選ばれる)には適合しても、人権委員のそれの表現としてはあまりに不適切です。

続いていわゆる当然の法理ですが、最高裁判決の原文を以下引用します(強調はwebmasterによります)。

理由
(略)
1〜3 (略)
4 しかしながら、前記事実関係等の下で被上告人の慰謝料請求を認容すべきものとした原審の判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 略
(2) 地方公務員のうち、住民の権利義務を直接形成し、その範囲を確定するなどの公権力の行使に当たる行為を行い、若しくは普通地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い、又はこれらに参画することを職務とするもの(以下「公権力行使等地方公務員」という。)については、次のように解するのが相当である。すなわち、公権力行使等地方公務員の職務の遂行は、住民の権利義務や法的地位の内容を定め、あるいはこれらに事実上大きな影響を及ぼすなど、住民の生活に直接間接に重大なかかわりを有するものである。それゆえ、国民主権の原理に基づき、国及び普通地方公共団体による統治の在り方については日本国の統治者としての国民が最終的な責任を負うべきものであること(憲法1条、15条1項参照)に照らし、原則として日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべきであり、我が国以外の国家に帰属し、その国家との間でその国民としての権利義務を有する外国人が公権力行使等地方公務員に就任することは、本来我が国の法体系の想定するところではないものというべきである。
 そして、普通地方公共団体が、公務員制度を構築するに当たって、公権力行使等地方公務員の職とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ることも、その判断により行うことができるものというべきである。そうすると、普通地方公共団体が上記のような管理職の任用制度を構築した上で、日本国民である職員に限って管理職に昇任することができることとする措置を執ることは、合理的な理由に基づいて日本国民である職員と在留外国人である職員とを区別するものであり、上記の措置は、労働基準法3条にも、憲法14条1項にも違反するものではないと解するのが相当である。そして、この理は、前記の特別永住者についても異なるものではない。
(3) 略
5 (略)

つまり、鷹森さんがおっしゃる「地方公共団体に関しては完全に地方裁量権」であって最高裁は可否そのものを論じていないというのは、正確には、いわゆる当然の法理の対象となる公務員(判例中の「公権力行使等地方公務員」)とそれ以外の公務員について、一括して外国人の就任を禁止することは地方公共団体の裁量であると最高裁は論じています。

言い換えますと、いわゆる当然の法理の対象となる公務員について外国人任用を禁止することを当然であるとした上で、それ以外の公務員については、いわゆる当然の法理の対象とならないわけですから外国人任用は認めていいわけですが、これは認めてもよいというだけで、(一定の条件下では)認めなくても地方公共団体の裁量の範囲内であって憲法違反ではないとしたものです。

最後に情報公開についてですが、鷹森さんご指摘の人権擁護側は「可能な限り公表したい」という姿勢が見受けられます。なぜなら、加害者の情報公開こそ人権擁護法案が持つ一番効果的な手段(目的性、別の言葉で言えばダメージ性)だと思われるからですとの点につきましては、「情報公開」が人権擁護法案第61条第1項(第64条第2項において準用する場合を含む)の規定による勧告の公表についてはまさにおっしゃるとおりかと存じますが、ここで問題となっているのは第62条の規定による資料の閲覧等ですから、そもそも違う制度の話です。

制度が違っても運用する組織が違うから同じ運用とは限らないとのご指摘もあり得るでしょうし、その可能性がゼロとはもうしませんが、公表があり得る勧告は他省庁所管法令にも数多くあり、それら省庁は勧告は制度趣旨に従って公表し、その他の情報は情報公開法やその他法令の趣旨に従ってあるものは公表・公開し、あるものは(例えば守秘義務や情報公開法の適用除外規定(同法第5条各号)に基づき)秘匿しているわけです。人権委員会とその事務局のみが、それら省庁とは違うとお考えの理由は何でしょうか?

議論の噛み合わせの悪さ

リジョインダー編(その6)の最後で上記の「一定のルール」に基づくコミュニケーションを例外的であると考える理由について述べたいと言っておきながらここまで放置してしまったテーマなのですが、稲葉先生の「ご期待にお応えして大人げなくいきます。」(@インタラクティヴ読書ノート別館の別館4/6付)を拝見してこれだと思い、さらにはそれを先生自身が言い換えた「ブログでの議論はどこまでアカデミックか」(@イマージュ茶話4/6付)でのコメントで紹介されているcontractioさんのテキスト(「20日のコメント欄が炎上→鎮火している件について」(@日曜社会学>出不ろぐ de√Blog3/24付)より)にあまりにも頷いてしまったので、転載させていただきます(注はカットしました。固有名詞等もあえて説明は省略します。転載部分以外も非常に考えさせられますので、是非とも原エントリをご覧下さい)。

そうじゃなくて、荒谷さんが、上の野望路線を今後も突き進もうとするなら──そうしてほしいけど──必要なことは、たとえば「普通に経済学の専門家をやっている中のひと(複数)」と友達にな(って、一方では自分の言葉がちゃんと伝わるものかどうかを、他方で 相手の領域の議論を単純に誤解してないかどうかなどなどを、日々チェック&微修正しつづけ)る、というようなことじゃないでしょうか。これが一番手軽で効果の大きいやりかた。です。私の経験からすると。
そうしないと、いつまでも、荒谷さんの「批判」は経済学の人には「門前払い」(だけでなく、おそらくは「人文電波」規定)の対象にとどまり続けるだけでしょう。(だからこそ、その「外」で「一方的かつ圧倒的な勝利」をおさめることができるだろう、と予想してみることはできますが。‥‥でもそういう学問人生は あまり面白くなさそうな気が....。)

さらに類似例を集めれば、ダイオキシン(環境ホルモン)問題ですとか、米国産牛肉の全頭検査問題ですとか。

いずれにしても、専門家の見立てとそうでない人の見立てが対立し、当然専門家なんてのは少数派ですから、「外」=世間的には「一方的かつ圧倒的な勝利」・・・。

#当サイトが「専門家」としてのクオリティを自称しても無意味ですので、第三者的な評価としては、2ちゃん法学板の人権擁護法スレをご覧下さいと申し上げておきます。

計画中の企画

実は今、faqを作っているのですが、plummetさんが既にお作りになってしまい、このままではやる気がなくなりそうなので、あえて公言して自らを突き上げる材料にしておきます。

#ちなみに、plummetさんのサイトの4/64/7のエントリのコメント欄においては、共同謀議(笑)が行われており、一読の価値があると思います。

#このエントリは、以下の一連のエントリの続編です。

本編
前編(3/13)後編上(3/14)後編下(3/15)趣旨説明編(3/29)
リジョインダー編
1(3/17)2(3/18)3(3/19)4(3/20)5(3/21)6(3/22)7(3/27)8(3/30)9(3/31)10(4/2)11(4/4)12(4/5)
法案分析編
1(3/24)2(3/26)3(4/1)
正誤訂正編
1(3/25)2(4/6)

[notice]firefox1.1とホイールスクロール

昨日からの続きですが、当サイトのページ内スクロールは"overflow: auto"により実現されています。実は、この方式による場合においてホイールスクロールが効かないというのはバグとして認知されていまして、version 1.1ではフィックスされるとのことです。webmasterの環境では、firefox 1.0でもホイールスクロール可能だったので、OSとの組み合わせを含む個体差のあるバグだったのではないかと思うのですが、現在この問題でお悩みの方々がいらっしゃれば、リリース(6月予定)後にお試しいただければと思います。

[WWW]セマンティック・ウェブとblog

上記エントリの関連なのですが、昨日お名前を出させていただいたtockriさんからtrackbackいただきまして、さっそく拝見させていただいたところ・・・webmasterって「マニヤ」じゃないですか!

・・・ショックを受けつつも(笑)何とかその先を考えますと、webmasterを含めstrictへのこだわりというものがいかほどの意味があるのかについては、確かに問い直しが必要なのかもしれません。しかし、そうしたこだわり、そしてそこから曲がりなりにも広まってきたCSSによるレイアウト指向には、やはりそれなりに意味があったのではないかと思います(といっても、後述のとおりblogのおかげなのですが)。

strictなマークアップとCSSによるレイアウトというのは、究極的にはセマンティック・ウェブを目指したものだとwebmasterは思います。しかしながら、しょせんは構造しか記述できないhtmlはどれだけstrictであってもセマンティック・ウェブに至るには難点が多いわけで、その最たるものはclassの自由度になります。p要素にある意味づけをしてそれをclass指定したとしても、同様の意味づけをした人が違うclass指定をするのであれば、グラマティック・ウェブと称すべきなのかストラクチュアル・ウェブと称すべきなのかはわかりませんが、とにかくclass部分のメタ情報はブラックボックスの中ですからセマンティックには連携し得ません。

理想を言えばここはxmlの出番で、namespaceとしてURIを活用することから勝手に妄想するなら、namespace URIで指定されるページにおいては、スキーマ言語によりセマンティック情報も記述し、xml文書においてどのような要素名が付されていようとも、同様の意味づけがなされている要素を共通項でくくり出すことによりセマンティック・ウェブが可能となります(スキーマ言語においてセマンティック情報についての記法が定義されていない現在においては、できあいのスキーマに対してセマンティック・リンクを張るといった工夫がなされています)。

でも、少なくともwebmasterにとっては、そんな面倒は願い下げです。例えば、途中で放置状態になっていて極めて恥ずかしくはあるのですが、当サイトで企画した「法令XML文書化計画」で、現状求められるスキーマを書くだけで四苦八苦したというのに、これにセマンティック情報をどう付与するかなど考えたくもありません(笑)。

まして、strictなマークアップは結局市民権を得ていないのですから、多くの人にとって、strictなマークアップ以上に面倒なxml文書において用いる要素の定義など顧みられもしないであろうことは想像に難くありません。というか、html文書よりも楽に作成できることがblog普及の一因であることにかんがみれば、定義云々以前に、html文書以上に作成が面倒なxml文書(少なくとも現在それほど努力せずに入手可能なアプリケーションを前提とすれば)自体、webページ作成手段として広まるはずもありません。

しかしながら、blogの普及という思わぬ現象から、セマンティック・ウェブの理念は一部実現しているのではないか、というのがwebmasterの仮説です。何もblogがセマンティック・ウェブを指向していたわけではありません。1にレイアウトの自由度の拡大、2にレイアウトのポータビリティの確保という2つの要請が、CSSによるレイアウトと、その前提となるclassのポータビリティをもたらしたからです。

blogにおいてレイアウトはスキン等とも称されますが、その指定をCSSで分離してはじめてレイアウトの自由度が確保されます(CSSでなく各要素の属性として指定していれば、アーカイヴ部分についてレイアウト変更ごとに書き換えが求められます)。class指定を定型化してはじめてポータビリティが確保され、人が作ったスキン等を流用することができます。この段階で、例えばp要素であっても、それがどのようなものか(エントリの本文ですとか、ナヴィゲーションですとか)についての付加的な情報を伴うことがメタレベルで確保されます。

最近では、異なるblog(movabletypeのような自力設置型であっても、ポータルサイト提供型であっても)間でもスキンのポータビリティ確保を可能とする試みが進んでいます。あるblogエンジンにおけるclass指定を異なるblogエンジンの同種のclass指定と機械的に置き換えているだけでしょうけれども、逆に言えば機械的に置き換えられるほど、メタ的な構造については共通のプラットフォーム化が進んでいるわけです。

これに、ほとんどのblogが備えているカテゴリ指定を組み合わせれば、セマンティック・ウェブの構築まで後一歩です。既述のとおり、bloggerは打ち込むテキスト等のデータとレイアウトが最大の関心事項でしょうけれども、裏を返せばバックグラウンドでの処理系の変更にも抵抗がないでしょうから、bloggerが入力したデータをxml文書として保存し、主たる目的としてのwebページ作成はxsltを通してxhtml化することにより行い、他方で自動的にセマンティック・リンクを形成するようにすることは(bloggerとの関係では)たやすいでしょう。

自力設置型ではインセンティブに乏しいかもしれませんが、ポータルサイト提供型であれば、セマンティック・リンクのbloggerにとっての魅力的な活用方法が提示でき、それにより競争上有為を確保できるのであれば、このような改良を行うインセンティブは十分にあるはずです。つまり、何か一つ新たなアイデアがあれば、バーナース・リーが思い描いたのとはまったく別の径路からセマンティック・ウェブが実現するのではないでしょうか。

問題があるとすれば、サーチエンジン(要はGoogle)との競争に勝てるかどうか。サーチエンジン自身の改良と同時に、ユーザ側においても効率的な検索のためのキーワード設定等のノウハウが蓄積されていますから、これまた対極的なアプローチにより、セマンティック・ウェブのねらいが代替的に実現されつつあるとも言えるとwebmasterは思います。サーチエンジンでは得られない魅力的なアウトプットにどのようなものがあるか、それを思いつけるかどうかは、なかなかおもしろいビジネスチャンスなのではないでしょうか。

最後に脱線しますと、blogの普及の最大の理由は、適度な不自由さではないかとwebmasterは考えています。一般のウェブサイト構築は自由度が高すぎてあれこれ決めねばならず、オーサリングツール(Homepage Builderとか)を使ってもなお面倒なわけです。ましてテキストエディタでなどなおさら。

先のtockriさんのエントリにおいては現在のWebの使われ方にベストマッチなタグ言語が標準になればみんな幸せになれるのに。W3Cはいくつかのしょーもない標準規格よりその方向でガンバレとのご提案があります。webmasterは「ベストマッチなタグ言語」は(少なくともそれに一番近いのは現時点においては)wikiだと思うのですが、環境を含めてメタ性があってつきあいきれない人が多いのではないかと思うのです(using_pleasureさんのお言葉を借りれば、ITスキル以前の問題として、「まとめwiki」に関わる人たちが(老若問わず)、そもそもwikiという概念自体をきちんと理解してくれるかどうかが怪しいということです)。

そんな小難しいことから離れて、テキストエリアにデータを放り込めばページができて、レイアウトもお手軽にいじることができる(一方で、そのお仕着せの範囲外に踏み出そうとするといきなりハードルが高くなる)、それがblogの魅力ではないかと。偉大な先人の言葉を著しく安直に借りるなら、やはり自由は多くの人にとって刑罰であって、そこからの逃走は自然な反応であるようにwebmasterには思えます。

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]
若隠居 (2005-04-08 05:18)

共同謀議の一味である若隠居ですw。某所では間違ったことまで書くほどに、bewaadさんを頼りにしています。申し訳ありません。

最近思うのは、bewaadさんのところが源になってくださればいいなと。少々いい加減でも分かりやすく語るのは、わたしたちがやりますから。

わたしは、人権擁護法案には賛成ではありません。だけど、もしも可決されれば立派に運用してほしいと願っています。現在心配されているようなことがないようにと、願っています(まあ、そんなことはなかろうと思ってますが)。一国民としては、それ以上のことは言えません。

声なき声が支持しているっていったのは、誰でしたっけ?いつの時代でしたっけ?いまのネットにおけるハンタイ運動は、60年安保と同じじゃないかという説をわたしは立てています。なんだかよく似ていませんか?(根拠も何もありゃしませんがね)

さ、最後に。

お役人 こきつかうだけ こきつかい

これからも、bewaadさんをこきつかいまっせw。あはは。

若隠居 (2005-04-08 05:32)

あ、今読むと誤読を招きかねない。

>(まあ、そんなことはなかろうと思ってますが)
そんなことはなかろうというのは、妙な運用をされることはなかろうということです。失礼しました。

和尚@qyen.org (2005-04-08 10:16)

こんにちわ。共同謀議ウォッチャの和尚です(笑)

詳細な考察どうもありがとうございます。
> 第1に、保留票が反対票よりも強い効果を有するという点です。
確かにその通りです。
ここは完全に失念しておりました。
自分の論理的整合性の無さをここで嘆いておきます。トホホ。

> 1つの案についての賛否においては、保留とは事実上反対と同じではないかとwebmasterは思います。

ここについては、あくまでも運用の想定でしかありませんが、先に行われた決議は、後の類似案件の決議に「前例」として影響を及ぼすものと思いますので、賛否の間に保留を設けて、保留とされた事案の賛否は継続して審議するようにしたいなぁと思うわけです。

ただ、そうすると類似する先の事案と後の事案で、処分に差ができてしまうのも考え物だとは思いますが。

この部分に関してはもっと練りこんでみようと思います。

常夏 (2005-04-08 14:37)

 ところで、「専門家」の専門性に対する敬意だとか、信頼というものがなくなり、一般ピープルは一般であるがゆえ〜専門性がないがゆえにエライという類の確信(笑)はいつ頃から形成されたのでしょうかね。
 私は、戦後日本社会においては、いわゆる「プロ市民」のレトリックからそれが発展してきたような気がしますが、その論理をネット系の論客を自認する人たちが自明のものとして使っているのには、結構な違和感を感じてたりします。

plummet (2005-04-08 16:16)

キャッチー(?)な入門編はやっときましたんで、より専門性の高いFAQきぼんw。
できれば後年のケーススタディとしても残るようなやつがいいなぁ、とおねだりしてみる。しょせんこっちも一般人的理解にすぎないんで、あれにはまだ不安が残ります、正直な話。

共同謀議?w

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あるブログのある人たちは、反対派を、
「感情的拒絶派」「論理的反対派」「客観的分析派」の3つの種類に分けて、「反対運動の分断化と沈静化を図っているかのように」反対派の人間を色分けし「レッテル貼り」をしています。

 彼らは自らを「客観的分析派である」と定

bewaadさんからトラックバックをいただいたので、CSSとHTMLとBLOGと表現欲とセマンティックWebのことについて(詰め込みすぎ)、得意技周辺で僕の思うことを書いてみる。 CSSとHTMLのこと(bewaadさんの話とは若干ずれます) W3Cアクセシビリティガイドライン(日本語訳)..


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