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2005-05-10

[economy][history]朝鮮特需についての当時の評価

#このエントリにつきましては、併せて銅鑼衣紋さんのコメントをご覧下さいますようお願いいたします。(5/18追記)

wikipediaの朝鮮戦争の項目に次のような記載があるとのことです(via「「朝鮮特需」が「特需」でないのなら、日本は何で復興した?」)。

日本経済が朝鮮特需によって回復したというのが常識となったのは、日米安保条約締結による闘争やベトナム戦争などで、国民に反戦ムードが蔓延し、戦争によって経済的に潤う「死の商人」に対する嫌悪感が広がったことと、「日本は戦争によって経済回復した」と唱えることで、人々に現代社会を否定させ、変動を起こそうとした戦後の左派団体や反日団体の活動によるところが大きい。

では当時、朝鮮特需がどのように評価されていたのか見てみましょう。経済白書データベースで昭和20年代の白書中「朝鮮特需」で検索すると、昭和29年度版白書に含まれていることがわかります(cgi経由でないとデータにアクセスできないように仕組まれていますので、直リンクができません。ご面倒でもソースに当たる際には、上記手順を踏んで下さい)。

その中の、「各論」中「貿易」の「特需」においては、「経済に与えた影響」というまとめがなされています。1パラグラフなので全文転載します。

4年間に24億ドルの特需があったということが日本経済に重大な影響を与えたという点は総論の各所でふれている。ここでこの影響を一括しておこう。その第一はこれが日本の輸出入ギャップを補填したことである。外貨収入のうちの特需の割合は年々増加し、28年には実に4割近くに及んだ。(※参照※)この特需があったからこそ、26年にも27年にも輸出の6割も上回る輸入を続ける事ができた。第二の影響はもっと積極的である。特需は一方で有効需要をつくり出し、他方で輸入増大を可能にすることによってこの需要に見合う生産を増やしたという点がこれである。特需は直接にも需要を増やし、間接にも国内投資を引き起こすことにより需要を増やした。そうして一度需要が増えると、それは乗数的に需要を生みだしていって国内市場をひろめてきた。朝鮮事変後の生産、消費水準の上昇は特需のこの需要と供給の両面にわたる作用なしにはかく著しいものであり得なかったであろう。特需が経済に与えた第三の影響は物価面に現われている。朝鮮事変以来の日本の物価は世界の物価と比べて3割位多く騰っているが、国内物価がこのように世界物価を越えて著しく上昇した一つの原因は特需に支えられた急激な需要増大があったためである。だが他面特需はサービスや軍需品などで国際物価にあまり左右されないものが多く、物価が高くても特需という外貨獲得の道は狭まらなかった。そのため特需を別とすれば円の対外価値は下落したはずなのに27年迄は現在の為替レートの下でも外貨の供給は需要より大きく、360円レートが維持できたのである。特需はこのように円の対内価値と対外価値との開きをつくり出し又それを支える役割をしたが、それは貿易の面では輸出価格を高く輸入価格を安くして、輸出を困難に輸入を容易にすることにほかならなかった。

#引用部中の「※参照※」は次の表です。ちなみに「4年間で24億ドル」がどの程度のものかといいますと、昭和25年のGNPが110億ドルでしたから、現在の日本経済に単純計算でなぞらえると20兆円から30兆円の需要増加が4年間続いたことになります。

昭和25年昭和26年昭和27年昭和28年
14.726.436.838.2

もう1つ、「もはや「戦後」ではない」の名文句で知られる(したがってこのフレーズで検索して下さい)昭和31年度版白書を見ますと、「鉱工業生産・企業」中「数量景気の実際」においては、「外需の影響」として次のような記載がなされています。これまた短い文章なので全文転載します。

25年度における輸出(特需を含む)は約111千万ドルで、対前年度増加額は61千万ドルであり、これは当時の国民所得の6.5%に相当する。一方、30年における輸出の対前年度増加額は約38千万ドルで、国民所得に対して2.2%に当る。

従って、25年度当時の輸出の増加が、当時の経済規模に与えた影響は、30年に比し、その大きさは約3倍であったことになる。しかもこの輸出増加が動乱時においては約9ヵ月の間に達成されたのだから、増加速度においても動乱時は30年より速く、25年度当時の輸出増大の産業界に与えた衝撃は結局30年のほぼ4倍ということになり、いかにその衝撃が大きかったかがわかる。

そもそも、このwikipediaの項目の朝鮮特需の説明は、経済学的に怪しい記述だらけです。例えば当時輸入超過であったことについて、次のような説明がなされています。

確かに朝鮮戦争によって日本は4億3000万ドルの貿易外受け取り超過を得た(1951年度)。しかし所詮は一時的なものに過ぎず、特需を除くと貿易外経常取引は2億ドルの支払超過、貿易を含めた経常取引で4億8000万ドルの支払超過になっていた。なぜにそれほどの莫大な赤字を抱えたかと言えば、戦前戦中において日本の生命線と宣伝された朝鮮、満州などの資源地帯からの輸入がGHQによる対中貿易禁止令で閉塞されたために「アメリカから資源を買い、アメリカのために生産し、アメリカの言い値で売る」状況に陥っていたからである。

違いますってば。戦後直後には国内生産力は軍需の消滅や生産設備の被災で戦前の2、3割まで落ち込んだ一方で、終戦直前の人口7,000万人強の1割近くにのぼる700万人弱が海外から引き揚げてきて国内需要を押し上げた上、第1次ベビーブームなど需要増加要因は他にもあり、要すれば国内の需要を満たせるだけの生産力(=その原資となる国内貯蓄)がなかったのが輸入超過の原因です。

ちなみに貿易品目ですが、昭和24年版の通商白書を見ますと、次のような記述があります。まずアメリカからの輸入。

戦前に於いては綿花、鉄鋼、屑鉄、石油類、自動車及び部品、木材、パルプ等が主要輸入品であった。

この中対米国総輸入額の過半を占める綿花は、紡績原料として日本経済に極めて重要な意義を持っていたことはいうまでもない。戦後は綿花等の外に食糧が重要な輸入品として登場した。戦後の対米国輸入の大部分が援助物資であることは前述したがこれを資金別に示せば第七表の通りである。

他方、対支那貿易については次のとおりです。

戦後中国に対しては、枕木、機関車、貨車、各種通信機械、人絹糸等が輸出され、これに対して塩、鉄、大豆、大豆粕、革、桐油、等が輸入された。昨年の対中国輸出は総額の一・六%、輸入は総額の三・六%であったが、その金額は戦前に比べて激減している。

昭和24年においてはすでに国共内戦が峠を越えているわけですから、政治的要請から貿易額が激減したのはそのとおりですが、ご覧いただきたいのは輸入品目。戦後直後の支那は中華民国ですから貿易に支障はなかったわけですが、上記のアメリカからの輸入品目と重なるのは鉄ぐらいなもので、それ以外の品目については支那(中華人民共和国)から輸入できなくなった分だけアメリカから無理やりかわされたという指摘はあたらないわけです。念のため、同じ通商白書から同趣旨のテキストを引用しておきます。

右の如く東亜及び其他地域のわが国経済及び貿易に対する比重は戦後量的にも、質的にもこれ以外の地域に比べて著しい変化を示している。

ここでこの地域との貿易に関連して、わが国の製鉄原料が顧みられなくてはならない。日本の製鉄業はその鉄鉱石の大部分を海外に依存するものであるが、その輸入先は、戦前に於ては南方鉱石が六〇%、中国三〇%、朝鮮一〇%等であり、大部分がこの地域に依存していた。しかし海南島、中国、マレー鉱石等は戦後の生産減退のため戦前に比べれば入荷量は微々たるものであり、北鮮は全く期待することが出来ず、米国及び印度の如き遠距離鉱石を使用する結果となっている。銑鉄については戦前において同じく満州朝鮮等から相当量の輸入をしていたが戦後においては殆んど見るべきものがなく、二十三年において約一万トンの輸入を見たに過ぎない。

石炭についても戦前の輸入先は中国及び朝鮮等に限られたが、戦後は米国、カナダ及び印度の如き遠距離ものが大部分を占め、この点に石炭輸送条件の悪化がみられる。

また、wikipediaには次のような記述もあります。

日本が「不況」を脱したとされるのは1955年11月の神武景気からで、朝鮮戦争は日本の復興に必ずしもプラスであったとは言えず、日本の発展には地域の安定が不可欠であることを考え合わせるならばむしろ阻害要因でさえあった。

まず簡単な事実誤認を指摘しておきますと、そもそも不況といっても、朝鮮特需前の不況と神武景気前の不況は違います(朝鮮特需は戦後景気循環でいえば第一循環ですし、神武景気は第三循環です)。

で、朝鮮特需を受けてインフレという副作用は確かに生じましたが、先に引用のとおりそうしたディマンドプルインフレ(需要超過による物価上昇)を受け、所得水準の向上にあわせて投資が増え、つまりは生産能力の強化につながったわけですから、スタグフレーションのような危機的状況にあったとは到底いえません。副作用は十分に対処可能でしたし、現に対処がなされたわけです。

おそらくは朝鮮特需なくしても戦後高度経済成長は可能だったでしょう。しかしそれをもってして、朝鮮特需がそのスタートを助けた効果(クルーグマン流にいうなら「呼び水」(pump-priming)効果)を否定するのは間違っているとwebmasterは考えます。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
銅鑼衣紋 (2005-05-10 13:59)

お久しぶりです。

確かに呼び水効果はあったでしょう。しかし、高度成長が終焉するまでの日本経済は、ケインズ的状況にはなかったというのが妥当な解釈ではないでしょうか?お書きになっているように慢性的な超過需要を抱えた、開発途上国型の経済であり、特需の効果は大きかったとは思えません。

もちろん、資本自由化前ですから、固定相場制の下では国際収支制約(ドル不足)が存在していたのは事実であり、特需がその制約を一時的に緩めたことは間違いありませんが、それこそ「貯蓄投資ギャップ」に由来する恒常的な制約を解消することはできません。

一次大戦の「大戦景気」が、戦後恐慌に転化したのを見ればわかるように、いかに規模が大きくても一時的な需要増加では持続的な経済発展を引き起こすことはできないのです。

しかし、言い出しっぺの僕が言うのも変だけど(笑)、経済史の経済学的解釈は、昭和恐慌から春秋戦国まで、トレンドですなぁ

bewaad (2005-05-11 07:12)

ようこそお越しくださいました。お迎えできて緊張してしまいます(笑)。

ご指摘ありがとうございます。確かに読み返してみますと、我ながら詰めが甘かったなぁと思います(外貨流動性供給は書きかけてうまくまとまらなくて切ってしまいました・・・)。

ところで、もしよろしければご見解をいただきたいのですが、特需の「有効」需要としての側面は評価できるものなのでしょうか。つまり、当時の国内セクターが潜在的需要があるとしても購買力に欠けていた面があるとすれば、外需が内需をクラウドアウトした度合いには限度があるのかなぁという気もします。

ひっくり返せば、特需がないからといって、その分すべてが内需で吸収できたわけでなく、所得がある程度は下がらざるを得なかったと思うのですが、それはネグリジブルな程度なのかどうか、ということです。

今後も、落胆しないレベルとお認めいただけるなら、ご指導いただければ本当にうれしく思います。よろしくお願いします。

一言 (2005-05-11 08:05)

言い出しっぺの僕が言うのも変だけど(笑)、経済史の経済学的解釈>

さすがにこういうのは誤解を招くのでやめれ。


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