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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2005-05-13
■ [economy][BOJ]「通貨発行益(シニョリッジ)をめぐる勘違い」の勘違い
「図解シニョリッジ」(@isologue5/11付)経由です。何が勘違いかと言えば、利益にせよ負債にせよ、本来、一般の企業の経済活動を統一的に把握・描写するためまとめられた概念ですが、あくまで経験則的にまとめられらものに過ぎないわけですから、それですべての経済活動を演繹的に説明しきれるはずもなく、まして通貨発行なんていう一般の企業が行うはずもない経済活動をそうした既往の会計概念の枠組みに押し込めて、そこから逆に通貨発行という経済活動の性質を理解しようとすることが、です。
#なお、このエントリの中身は、これまで当サイトにおいていろいろな形で触れたり擦ったりしてきたことの寄せ集めですので、以前からご覧の方々にとっては目新しいところがないであろうことを、最初にお断りさせていただきます。
うーんと遡って、そもそもバランスシートの右側をなぜ負債と資本に分けるのか、逆に言えば負債と資本の違いとは何かと考えてみましょう。乱暴に言えば、義務があるキャッシュアウトが負債、任意でよい(=支払わなくともよい)ものが資本です。だからちょっと古い言い方ですと負債を他人資本、(狭義の)資本を自己資本とも呼ぶわけで、人様から支払えと言われたら負債は支払わなければいけませんが、資本はそれを取崩す(配当等)かためておくか(準備金への繰入れ等)は自分で決められるわけです。
普通は、義務がある支払いといっても無い袖は振れませんから、どこかに振るための袖が必要です。それがバランスシートの左側、つまりは資産で、これはラフに言えば将来のキャッシュインを示しています。通常、債務超過となると倒産するのは、資産よりも負債(債務)が多ければ完全には支払義務を履行できないので、各債権者がどれだけ受け取れるのか仕切り直しましょう、となるからです。
#将来業績が回復することが確実に見込まれれば、債務超過であっても支払義務の履行が確保されるので、倒産させなくてもよいわけです(が、債権者の中で抜け駆けを図る人間が出てくると、倒産させないよう見守っていた側が一方的に損を被ることになってしまうので、なかなか悩みどころではあります)。
したがって、バランスシートの右側を負債と資本に分けるのは、負債と資産との対比を可能として、その経済主体が支払義務を履行できる状態にあるのか、それとも完全な履行は不可能な状態にあるのか、その判断をするためというのが最大の目的であるわけです。ひっくり返せば、資産の範囲内に負債をコントロールできなければ、義務が履行できない部分があるということと同義なので、債権者の申立によりいつ倒産してもおかしくない状態に陥ってしまいますから、そうならないよう経営陣に規律が働くわけです。
ところが、通貨発行権を持っていると話は全く違ってきます。通貨発行主体は、他の経済主体と同様に持っている資産を換金する以外に、もう一つ振ることのできる袖があり、つまり通貨を発行して支払いに充てることができるわけです。ですから、一般の企業とは異なり、通貨発行主体にとって負債と資本(⊃利益)の違いはまったくもってどうでもいいことなのです。輪転機を回せば(日銀ネットの端末から銀行の日銀当預口座への振込指示を出しても同じことですが)、どれだけ巨額の負債だって、資産の額とは無関係に絶対に支払えるのですから。
#シニョレッジ=通貨発行「益」という訳語に抵抗があるなら、通貨発行差金とか、どうやって訳したっていいのですけれども。とまれ、このような特質を有する通貨発行主体にとって、自己資本比率を気にすべき合理的理由は何もありません(後述のものを除きます)。
以上で本論は尽きているのですが、いくつか落ち穂拾いを。
まず、なぜそんな紙幣発行を会計としては負債に計上するのかですが、それは日銀には古い紙幣を持ち込まれればそれを新しい紙幣と引き換える義務があるからです(日本銀行法第48条)。先ほど申し上げたとおり、将来の義務づけられたキャッシュアウトが負債ですから、将来における新しい紙幣の引換え=キャッシュアウトを約束する行為である今の紙幣の発行は負債になります。
#万札で平均してだいたい3〜4年程度の将来に引き換えられるとのことです。
でもちょっと考えれば(あるいは考えなくても(笑))わかることですが、将来における新しい紙幣の引渡しといっても、その紙幣はボロかピンかといった物理的特性はともかく、経済的には全く同じものなわけです。紙幣とは経緯的に見れば当初は券面額に相当する金(gold)の引渡しについての無期限手形ですが(だから紙幣のことをbank note(noteとはこの場合手形の意)と英語で呼んだりします)、金本位制を放棄した現在では、一般の企業の手形とは異なり永遠にロールオーバー可能な融通手形のような存在になっているわけです。
というわけで、紙幣の発行を無理矢理会計基準の枠組みに押し込めるなら負債がもっともそれっぽいわけですが、だからといって(金本位制でない国での)紙幣の発行を一般の企業による手形や社債の発行と同じものだと考えてしまうのは筋違いといいますか、カモノハシが哺乳類に分類されると聞いて胎生だと演繹的に勘違いしてしまうようなものなのです。
次に、そうした通貨発行主体の資産内容は負債に制約されるか、エントリ表題で引いたbank.of.japanさんのエントリ中のテキストを引けば日銀のバランスシート(B/S)を大雑把にみると、負債側に銀行券、資産側に国債がある。日銀は銀行券の見合いで国債を保有しており、国債買いきりオペが銀行券見合いと位置付けられているのもそのため
というとらえ方が正しいかどうかですが、結論から言えば誤りです。紙幣(銀行券)見合いで国債を保有しなければならないとすれば、それは国債本位制、すなわち紙幣を持ち込まれたら国債を引き渡す義務があるという妙な制度においてのみです。
かつて金本位制だった時代においては、通貨発行主体には紙幣と金を引き換える義務がありましたから、紙幣を発行する際にはその見合いで必ず一定の金準備が必要でした。しかし今や金本位制ではなく金兌換義務は廃止され、既述のとおり紙幣が持ち込まれても、物理的に新しいだけの同じものと引き換えればそれで足りるわけです。ですから、通貨発行主体であることだけを考えるなら、資産は極端なことを言えば美術品だろうが不動産だろうが何だってかまいません。
そうはいっても多くの国においては、通常は通貨発行主体は同時に金融政策実施主体でもあり、たいていはその組織は中央銀行というものになっています。日本も同じで日本銀行がこの両機能を兼ねています。ですから、通貨発行主体としてはどんな資産であってもかまわないとしても、金融政策実施主体としてはそうではありません。美術品による売り/買いオペをしたいと考えた際に、オペ量もタイミングもサザビーズやクリスティーズ次第では困るわけです(笑)。
日銀の保有資産の多くが国債や買入手形であるのは、こうした金融政策実施主体としての制約に由来しています。その他、「最後の貸し手」として特融を実施した際には資産に貸付けが計上されるといったヴァリエーションもありますが、いずれにせよ通貨発行主体としてのもの以外の中央銀行の機能の都合上そうなっているわけです。
しかし、やはりマイダス王のgolden touchには呪いがつきもので、金などの見合い資産がいらないからといって好き勝手に通貨発行を行ってしまうと、インフレが起こって困ったことになってしまいます(だから現在のようなデフレの際には、インフレ防止のための通貨発行に対する制約をゆるめて、今後は通貨発行量が増えていくのだという期待を持たせろというのがいわゆるリフレ政策のもっとも乱暴な説明になります)。この点につき、Northwestern UniversityのMark Witte先生の講義資料にとてもわかりやすい説明がありましたので、最後にこれを訳して今回の締めとさせていただきます。
シニョレッジとインフレーション
アメリカの歴史の多くの場面において、激しいインフレとその後に続く激しいデフレという例を見つけることができます。1940年における物価水準は、1776年(webmaster注:アメリカ独立時)におけるそれのだいたい130%です。つまり、大幅な物価水準の上下動にもかかわらず、アメリカ史がはじまってからの150年以上の期間において、物価水準はたったの30%しか上昇しませんでした。その理由の一部は、金本位制に基づくマネタリーベースにとどまっていたことに帰することができます。1940年以降、一般論としては金本位制を捨て去り、長いインフレ時代へと変わりました。物価は大幅に上昇しました。現在の物価水準は1940年におけるそれのだいたい1200%になっています。こうなったのは、マネタリーベースの伸びが主たる理由です。
いくつかの国、とりわけ発展途上国においてインフレが非常に激しいのは何故でしょう。シニョレッジがその答えです。貧しい国々は一般的に多くのなすべきことがあり、政府はその収入に比べ、相対的に国民一人あたりで多くの支出をせざるを得ません(軍事、保健、インフラ整備、教育、腐敗した指導者による使い込み、などなど)。これだけの支出をまかなうため、政府には3つの財源があります。1つ目は税金ですが、貧しい国、とりわけ国民の所得を把握することすら難しいような国においては、それほど多くを期待できるものではありません。2つ目は借金ですが、多くの貧しい国は既に貸し手が金を出してもいいと思うめいっぱいまで借りていますから、これ以上借金で資金調達することは極めて困難です。最後に残るのが3つ目、通貨発行とシニョレッジです。これは何かといえば、自らに資金を提供するということで、政府が紙幣を印刷するということ! これに頼ると・・・悪性インフレ!
政府の予算制約式:支出=税収+国債+通貨発行
現在、アメリカでは経済成長にあわせてマネタリーベースを拡大させ、経済成長は取引や資産としてより多くの貨幣を必要としますから、激しいインフレにはなっていません。しかしながら、いつでもそうだとは限りません。緊急事態(ほとんどは戦時)に政府が資金調達するような場合、アメリカ政府は活動を継続するためシニョレッジを使うでしょう。(金本位制下において、大規模な金鉱の発見によりマネタリーベースが急激に拡大するような場合にもまた、インフレとなるでしょう。)南北戦争時がその典型例で、Hugh RockoffがJournal of Political Economy誌の1990年8月号で発表した"The Wizard of Oz as a Monetary Allegory"において描写しています。
政府がシニョレッジに頼りインフレを引き起こすことの危険性は、非常に多くの国が(連邦準備制度のような)中央銀行に政治的独立性を認めてきた理由の1つです。だからレーガンは、カーターが任命した連邦準備制度理事会のポール・ボルカー議長を7年間にわたり留任させ、クリントンはグリーンスパンをお気に入りのアラン・ブラインダーにすげ替えることができず、基本的には4年ごとにグリーンスパンを再任せざるを得なかったのです。クリントンはグリーンスパンをお払い箱にして、ブラインダーをその座につかせたかったのですが、グリーンスパンは高度な政治的手腕の持ち主で、簡単に退任させられるようなタマではなかったのです。
敢えて副題をつけるなら、『「通貨発行益(シニョリッジ)をめぐる勘違い」の勘違い』
「貨幣とは何なのか?」 いや、こんな大それた問題、僕には手が出せません。数学で言えば素数のようなもので、簡単そうでいて、実は本質的なことは何も分かっていない、そんな存在である、というのが僕の認識。 何故こんな事書くのかってといえば、bewaadさんや馬車馬さん..
bewaadさんのblogのコメント欄での私とbewaadさんとの以下のやりとりの続きです。
私:
現金が完全に消滅しすべて電子マネーになった社会での金融政策はどうなるか?というのは面白い問
bewaadさん、TBありがとうございます。いつも興味深く拝見しております。ご指摘の通り、銀行券見合いの資産が国債でなければならない、という決まりはないですね。この点、日銀内でも資産構成がどうあるべきかではいろいろな主張が聞かれます。今後ともよろしくお願いします。
以前、あまりおおっぴらに扱われるのは本意ではないとおっしゃっていたのであまり触れないようにしていましたが、磯崎さんのところでご紹介があったのであれば遠慮はいらないと思い(笑)、早速本日(5/14)でも取り上げさせていただきました。
今後とも、外からは見えづらい貴重な情報発信よろしくお願いいたします。
またまたTBいただき恐縮です。鋭い突っ込み、覚悟しておりますので(笑)。よろしくお願い致します。
さっそく馬車馬さんから当方が鋭く突っ込まれていますが(笑)、お互いが高めあえればいいなあと青臭く思っております。
こんにちわはじめまして、貨幣って
多次元ベクトルによって構成された本能や欲求の充足度合いに関する距離値となる「価値」と「価値」の度合いが時間軸において保証されるという期待を伴った「信用」に基づいて決済時刻ごとに量子化された富(余剰益)…よって、将来の価値は確率的にしか予測できない。
というもんだと思ってたんですが、いかがなものでしょうか?
これをネタに3杯ぐらい飯食えそうな気がしてるんですが…妄想中w
>社怪人さん
奥行きのありそうなテーマだと思いつつも、絶対自分ではできないであろう分析であることもわかりますので(笑)、3杯といわずどんどん進めてその結果を(できればわかるぐらいに噛み砕いて(笑))ご教示いただければ幸いです。
深すぎて、どう進めて良いか困惑しています。(笑
基本となるのは、経済系、数学系、心理系の基礎部分なんですが、それぞれの専門家と話そうとすると、それぞれの専門外での混乱が生じ、議論にならず、ビミョーな状況になってしまいます。
将来研究するネタに、とっておいたほうがいいのかな…とも思っているところです。でも、論文にするにも、ネタの範囲が広すぎるので、なお困惑中です(笑
ちなみに、前述の理屈に基づいて貨幣が任意の国や地域で統一もしくは平均化された価値観の影響を受けると通貨になり、国外との価格差を生むと考えてますが、どうなんでしょう…
>社怪人さん
めざせ21世紀のgeneral theoryですね(笑)。文系理系の区別は乱暴な区分だとは思いますが、いわゆる文系の方が学際交流は質量ともに劣っているような気が勝手にしています。
最後の点については、労働価値説によってたてば、労働の財全般に対する加重平均値ということになるのでしょうけれど・・・。
通貨発行益のこと、解り過ぎるぐらい解りました。ただ、中央銀行発行通貨と政府発行通貨を一国の中で発行したとしても効果はほとんどないものと考えます、ただ国民を混乱させるだけにしか過ぎないのではないでしょうか。
通貨発行益を考えるとしたならば、現在の通貨をチャラにして新たな国の通貨として発行すれば100パーセントの益にはなるでしょう。
でもそんなことが出来るはずがありません。出来るとしたならば革命だけです。
現在資本論に替わるべき貨幣論を書くために勉強しています。
>楢篠賢司さん
政府通貨については、中央銀行が十分に機能しないという状況における一種の思考実験だと思います。もちろんご指摘のような混乱があり得るわけで、積極的にそうすべきというものではないと理解しています。
読ませて頂きましたが、面白い内容で多分に興味が沸きます。
ただ一点だけ抜けているような気がいたしますが。
それは例えばの話ですが江戸幕府が崩壊し、それまでの通貨から明治政府発行の現在の(円)という紙幣(最初期は貨幣)に替わってきたとき、明治政府は通貨発行益を得ていたのではないでしょうか。それがいつの間にか発行益どころか借金体質としての国債残高の膨らみとなり、利息支払いでどうしょうもない状態になったのが現時点だと考えます。
そのように考えると新たな通貨を別の形で発行したとしても、行き着く先は同じような繰り返しになると考えます。いやそれどころかもっと悪くなるのではないでしょうか。
それよりもなぜそうなるのか(通貨発行益どころか借金体質への変化)を考えなくてはならないと思います。
いかがでしょうか。
>楢篠賢司さん
同じく政府の負債だという面に着目した場合に国債と紙幣の何が違うかといえば、国債は増税等で返済を手当てする必要がありますが、紙幣(この場合、通貨発行益による財政ファイナンス)は刷り直せばよいという点になります。では後者ならよろずめでたしかといえば、インフレという副作用を引き受けなければなりません。
とりあえず当初は通貨発行益を吸い上げていたということを前提とした場合、紙幣による財政ファイナンスを国債(ないし租税)によるファイナンスに切り替えなければ高レベルのインフレは不可避となりますので、「同じような繰り返し」でなければ異なるバッドエンドとなります(以上は財政支出の内容等を問わず単にファイナンス形態のみに着目しての議論です)。
私の言いたかった事は、簡単に言えばなぜデフレになるのかということと、なぜインフレになるのかということになります。単なるインフレは通貨発行の増大ということではなく、もっと根底にあるもの、当然デフレはやはり同じく根底にあるもののことです。
貨幣経済であるからインフレとデフレは当たり前の事というものではなく、貨幣経済においても両者を発生させない方策は何かと言うことです。
それ等、インフレとデフレを封じこめれば本来の通貨発行益が全ての人が享受できるのではないでしょうか。
そのような社会が本来の人間の社会ではないかと考えますが。
ただもう一つ、現在進められている、電マネーは新しい通貨発行益を企業が国に替わって受け取る事になるという事で、国の権力が企業に取って変わられると考えますが。
私の根底にある考え方は、人間とは何かということを歴史を通して考えた時、其の時の経済を握ったものが人間を支配してきたというのが私の持論になりますが。
ただ、其の例外は狩猟。採集経済に於いては其の限りでは無かったということです。
電子マネーは二通りの方法があります。一つは手形的なものであり、他の一つは現行通貨を駆逐し、通貨発行益で得られる莫大な富を利用して世界を統一し、完璧なまでの人間支配を推し進めるものになるという事です。
まだまだ、勉強が足りませんが、年内には何か形に残したいと考えています。
本当に散発的な文章で申し訳ありません。一つ一つを詳しく説明すればよいのですが、それはこれからのことと考えています。
> インフレとデフレは当たり前の事というものではなく、
> 貨幣経済においても両者を発生させない方策
それが中央銀行の適切な金融政策でしょう。ただしインフレ率0はまずい。
> 通貨発行益が全ての人が享受できる
お金自体には実質的価値はありません。政府が通貨発行益を得るということは、国民から見れば税金をとられているのと同じです。トータルすればゼロですので、全員が益を得るということはありえません(もちろん、それにより景気をよくするという効果はあります)。
> 電マネーは新しい通貨発行益を企業が国に替わって受け取る事になる
通貨発行益とは違いますよ。ただのプリペイドカードですから。
100円の通貨を発行したら100円分ふところにはいるというのが通貨発行益。後で100円返せといわれることはありません。
一方、100円の電子マネーを発行したとき発行会社には100円の現金が入りますが、それは後に電子マネーが決済に使われた時点で支払わなきゃいけません。
もちろん、その決済に使われるまでの間の金利分ぐらいは得しますが、その程度の益は昔からデパートの商品券とか電車の定期券とかでもありました。世界を統一するとかそんなに大したものではありません。
ただ、現金が完全に消滅しすべて電子マネーになった社会での金融政策はどうなるか?というのは面白い問題だと思います。ちょっとした論文になるのでは。いやすでにあるかな。
通貨発行益によるファイナンスを続けていればインフレが発生してしまいます。インフレを生じさせないようにするためには政府紙幣の発行を小額に抑えなければならない。ジレンマですね。ひたすらに通貨発行益を求めて政府紙幣を発行していけばインフレが加速しハイパーインフレに。もはや誰も貨幣に見向きもしてくれなくなるでしょう。支払い手段として通用しなくなった貨幣はもはや貨幣ではありません。うまい話というものはなかなか存在しないものです。
>現金が完全に消滅しすべて電子マネーになった社会での金融政策はどうなるか?
電子マネーオンリーの世界を想定して、というわけではないですが、例えばこちらなどはいかがでしょう(ご存知であれば余計なお節介でした)>cloudyさん。
伊藤元重他、“MMFと電子マネー”
http://www.imes.boj.or.jp/jdps99/99-J-21.pdf
伊藤 隆敏他、“クレジットカードと電子マネー”
http://www.imes.boj.or.jp/jdps99/99-J-16.pdf
岩村充、“電子マネーと経済社会”
http://www.mof.go.jp/f-review/fr51.htm#08_iwamura
いろいろとありがとうございます。
ある掲示板にここのやり取りを少し手を加えてありますが、載せさせてもらいました。以下はそのアドレスです。
http://www.asyura.com/0510/idletalk16/msg/812.htmlb
また、下記のアドレスは、私の信念の表明みたいのものです。よろしかったら開けてください。
http://www.asyura.com/0510/idletalk16/msg/813.html
日銀の見解は読んでおります。そこから感じられることは通貨発行益については本当のことは書いてないのではないでしょうか。
私はあるところで貨幣論を書くということを宣言しております。
以下はそのアドレスです。
もしよろしかったら開けてください。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E6%A5%A2%E7%AF%A0%E8%B3%A2%E5%8F%B8&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
これからも突っ込みを入れさせていただきます。
>ある掲示板にここのやり取りを少し手を加えてありますが、載せさせてもらいました。以下はそのアドレスです。
この部分のアドレスが間違えていました。申し訳ありませんでした。
http://www.asyura.com/0510/idletalk16/msg/812.html
>楢篠賢司さん
あまり細切れでもなんでしょうから、ご検討中の論文がまとまるまではこれ以上のコメントは遠慮させていただきます。
>cloudyさん、hicksianさん
一言でいえばno free lunchってことですね。
ところで電子マネーですが、cloudyさんの念頭にあるようなプリペイドタイプであればどうってことないでしょうし、そうでないタイプを考えれば貨幣のペーパーレス化、つまり日銀はすべての流動性供給を当預残高の調整のみで行い、銀行口座を経由してクレジットカードなりデビットカードなりで末端までペーパーレス化される場合、金融政策には本質的な影響が生じるとは思えません。
もし多大な影響が及ぶとすれば、政府以外に信用で電子マネーを発行できる者が存在した場合ですが、この場合電子マネーが問題なのではなくそのような信用が政府以外の者に存して中央銀行のコントロール範囲外で活動することによるものであって、ペーパーの有無は本質的な問題ではないように思います。