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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2005-05-24
■ [law]井上達夫先生の憲法論・再論
先日、「論座」6月号掲載の井上先生の憲法論を論じた際、ずうずうしいお願いになってしまうので明言は避けましたが、大屋先生のコメントをいただければという願いを行間に込めまくったところ、意を酌み取ってか丹念にご議論いただきました。本当にありがとうございます。
以下、少しなりとも議論を発展させられることを願いつつ、大屋先生のご議論に対するwebmasterの見解を述べていきたいと思います。なるべく井上先生の立論を大屋先生が代弁している部分と、大屋先生ご自身の立論の部分をきちんと区別しつつ進めていくつもりですが、混同がございましたらごめんなさい。
「押し付け」憲法論について
最初に、議論の構造をラフに示します(論点を明確化するため用語を変更している部分があり、それによるミスリードや原意のすり替わりはすべてwebmasterに責任があります)。
- 井上先生が、「押し付け」憲法論者は「押し付け」農地改革を許容しており、ダブルスタンダードではないか、と主張。
- webmasterが、憲法とそれ以外では「押し付け」の意味が違い得て、憲法=主権者のコミットメントという文脈においては、憲法のみが「押し付け」という事実のみで正統性が否定され得る(この場合、ダブルスタンダードとの批判は当たらない)、と指摘。
- 大屋先生が、農地改革は単なる土地政策ではなく実質的に統治機構の枠組みを定めたものであり、「憲法とそれ以外」という二項対立においては「憲法」の側のものとして捉えるべき(したがって、引き続きダブルスタンダードとの批判は妥当する)、というのが井上先生の主張ではないか、と指摘。
#なお、webmasterは「押し付け」憲法論者ではないので、以下はあくまで議論のための議論(このサイトのテキストはもともとそんなものばかりだろ、という点は見逃していただければ)とご了解下さい。
大屋先生のご指摘が正しく井上先生の立論を代弁しているとの前提で申し上げますと、「憲法とそれ以外」という二項対立を受け入れてしまうのであれば、相当程度ダブルスタンダード論による批判は力を失ってしまうのではないかと思います。まずなにより、「成文憲法」以外に「不文憲法」的部分をどこまで上記二項対立において「憲法」側に組み入れるべきかは拡散的な議論ですから、切れ味が鈍るのは不可避です。
さらにその拡散的な議論の内容としても、農地改革を「憲法」側に組み入れるべきとする立場には疑問があります。農地改革がどの程度統治機構の枠組みに影響があったかという観点からも論じられますが、ここでは影響の多寡にかかわらずそれが状況依存的ではないか、との指摘をしておきたいです。
例えば最近、構造改革の文脈において企業による農地経営を巡る議論があるように、農地改革が単なる土地政策にとどまらず統治機構の枠組みに影響を与えた(という前提自体の適切性はここでは問いません)のは、あくまで状況依存的なものであったとwebmasterは考えます。とすれば、井上先生の第9条の取り上げ方が、それが状況依存的であるが故に憲法の条項としては不適切であるというものであることに照らせば、農地改革は当時の影響の如何にかかわらず「それ以外」の側に組み入れるべきではないでしょうか。
考えられる反論として、あくまで第9条は硬性憲法たる成文憲法の条項には不適切であるとしても、そこで定められているような国家の戦争に対するスタンスは軟性憲法としての不文憲法の性質を有するとすれば、農地改革も同様に「成文憲法とそれ以外」という二項対立においては「それ以外」であることと、プリコミットメント論の文脈における「憲法とそれ以外」という二項対立においては「憲法」であることが矛盾なく成立するのかな、とは思いますが・・・。
絶対的平和主義について
まず確認ですが、あらゆる暴力的抵抗を否定するという意味での絶対的平和主義が、御都合主義的な平和主義=他人の暴力に依存しての自らの暴力放棄の享受への批判たり得るためには、絶対的平和主義は「正義」なのであらゆる犠牲を払ってでも実現すべきとするか、それとも絶対的平和主義の有効性を示すかのいずれかのロジックとなり、前者は妥当しないのであり得るとすれば後者だという点においては、井上先生、大屋先生及びwebmasterの間に見解の相違はないと考えています。webmasterはその先として、絶対的平和主義の有効性に疑義を提示しました。
前回のwebmasterのように確かにチベットという一例を挙げたのみでは、絶対的平和主義の有効性についての十分な批判たり得ないのは大屋先生ご指摘のとおりです。しかし逆に問い返すなら、本当に今まで有効な絶対的平和主義運動は存在したのでしょうか。
井上先生、大屋先生ともにマハトマ・ガンディーを例として挙げますが、有効性を議論するのであれば、単に独立に成功したという結果だけではなく、武装蜂起による独立路線が仮に行われていた場合よりもそれが早くand/or犠牲が少なく達成された蓋然性がなければならないはずです。
#その思想的影響力を軽視するものでは全くありませんが、そちらからの議論では先に否定した「正義」に依存したものになってしまいます。
そこを捨象するとしても、他の例としては、井上先生はマーティン・ルーサー・キングを挙げます(正確には例示というより関連性を指摘しています)があれは国内の政治運動ですし、大屋先生はヴェトナム戦争期の平和運動を挙げますがべ平連などの先進国におけるそれはやはり国内の政治運動ですし、だいたいヴェトナムではヴェトコンが現に戦争をしていたわけですし(笑)。
結局、甘めに見てもインド独立運動がおそらくは唯一の例で、他方で武力による抵抗の成功事例は歴史上いくらでもあるわけですから、絶対的平和主義が有効性については、それがどの程度かというところを抜きにして、定性的に有効である可能性がゼロでないというのみでは説得力に欠けるのではないでしょうか。
■ [economy]祝! 田中秀臣の「ノーガード経済論戦」(田中先生の新blog)スタート
告知があったのは23日付なのですが、先日付ではじまっているじゃないですか!
というわけで取り急ぎ、既にこの前の日銀の政策決定会合や(「盟友」は明らかに力量不足なのですが)、森嶋通夫先生の「構造改革論」が取り上げられていますが、皆様ふるってご覧いただきますよう、お薦めする次第です。
#hot wired japanということで、人権擁護法関係で当サイトにお越しの方々にとっては今はなき某blogを連想させるものがあるかもしれませんが(笑)、まずはご覧になっていただければ。
ところで田中先生、あちらはそのうち、"Koreans Lovers Live"か何かに改名されるご予定などございませんか?(笑)
睡眠3時間 + 講義4コマ + 会議2時間 = ⊂⌒~⊃。Д。)⊃ (挨拶)。さて珍しく師匠を擁護したわけだが、いただいた反応のうちまとめて応答した方がわかり良い話題があると思うのでこちらで書く。というのは絶対的平和主義が実効的であり得るのかという問題。bewaad氏からは..
井上達夫 1954- † 井上達夫 1954- 『共生の作法 会話としての正義』 『岩波新・哲学講義 7/自由・権力・ユートピア』 『他者への自由 公共性の哲学としてのリベラリズム』 『普遍の再生』 『法という企て』 はてな 著作・論文リスト 書評的省...
一つ目のエントリの前半、農地改革の「憲法性」に疑念を呈するbewaadさんの話について、井上の議論を擁護するなら、第一に、農地改革は(その政治経済体制への影響はともかくも)土地所有・分配のドラスティックな転換であるため、少なくとも通常の立法過程および司法過程では賄いえないという意味で、「憲法的」であるとは言いえるのではないか。第二に、井上が安全保障政策の「状況依存」性と言った場合、そこでは単に影響関係の予測不可能性のみが考えられているのではなく、主権国家内部と主権国家の外部とでは権力の答責性を確保する原理がかなり根本的に違うことを背景に置いているのではないかと思います。後者においては、安保政策上考慮せねばならないアクターはそれほど多くなく、行動をコントロールする上ではむしろ共同体(主義)的規制、つまり村八分によるサンクションが極めて有効に機能することを、井上はしばしば指摘します。そのような問題領域で、正義原理を実現する方途および責任は、基本的に政府が法の制定・執行の権限をかなりの程度独占する国内の場合とは別様に考えられる必要があるでしょう。
インド独立運動に於けるガンジーの平和主義(非暴力不服従運動)を、成功事例若しくは実効性を持ったケースとしていることに疑義があります。
現実的にインド独立に影響を与えた事象は、例示すれば以下の3点が挙げられます。
1.イギリス政府による、日本の参戦を受けてのクリップス提案(1942)と、大戦後、アトリーによる九月声明(1945)によって最低でも自治権を得ることは確定的になったこと。大戦によるイギリスの譲歩。
2.第2次世界大戦で疲弊したイギリスが、大英帝国を解体したこと。(コモンウェルスの再編)
3.1946年には民衆運動の騒乱やストライキが多発、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の抗争が激化し、収拾不能に陥ったこと。
実効性ならば、ムスリム連盟ラホール決議(1940)・デリー決議(1946)等の分離独立運動、英印軍内の反乱などがその大半を負っているでしょう。
webmaster様は"甘め"とされていますが、やや甘すぎではないでしょうか。また、「本当に今まで有効な絶対的平和主義運動は存在したのでしょうか。 」という問に対して、私は存在してないと回答します。インド独立運動自体が総体として決して平和的(この場合は絶対的平和主義的)な運動ではなかったことが、その傍証です。
勿論ガンジーがインド独立に与えた影響に就いてはその一切を否定はしませんが、思想的には、ネルーやジンナーに敗北したのではないかと愚考します。
駄文失礼いたしました。
平和的抵抗運動の成功例ですか?
ポーランド・チェコスロバキア・東ドイツ・バルト三国はそれに当たると思いますが。
bewaadさん、どうもご紹介ありがとうございます。年なんであんまりはりきらないように適度に抑制したいんですが、今度は韓流だめ!と正しく(笑)指導がはいってますのでいけるとこまでと(^^;)
>井上先生関連
コメントいただきありがとうございます。大矢先生に再度取り上げていただいたので、それとあわせて別途取り上げることとさせていただきます。
>韓流好きなリフレ派さん
ファンとしては、「適度に抑制」しないことを切に望むものではありますが(笑)、とまれ、ますますのご活躍を祈念するとともに、わずかばかりでも議論の向上のお役に立てるよう努めていきたいと思います。
>うし
君の上げた例は間違っています。ポーランド・・・ワルシャワ蜂起の事を“成功例”とでも?あれは武装蜂起であって平和的抵抗運動じゃないし。そもそもドイツ軍に2ヶ月で鎮圧されてしまったでしょう。ソ連軍はワルシャワ直前で進軍を停止し、蜂起した市民を見殺しにした。戦後統治を考えたらレジスタンスなど邪魔でしたからね。
平和的抵抗運動の成功例を挙げるのでしたら、最近の身近な例のほうが適切でしょう。旧ソ連圏のグルジア・ウクライナ・キルギスで民主革命が起こったばかりではないですか。
裏でアメリカが支援していましたけどね。
いや、列挙した国の順からも、東欧民主化のことを言ってるんだと思われ。
東欧革命の事だとすると、ハンガリーやルーマニアが抜けてるんですよね。ルーマニアは流血の事態でしたが。
ハンガリーは政権が自発的に、ルーマニアはクーデター見たいなものでしたから平和的抵抗運動の成功例とは言い難いですねえ。中国の民主化運動は武力で潰されましたし平和的抵抗も成功させるのは困難ですが、武力闘争は近年ではテロリスト扱いされてしまう恐れがあり成功はもっと困難でしょう。
ハンガリー民主フォーラム(Fidesz-MDF)の功績を無視する市民運動系の人も珍しいな・・・
ところでうしはウクライナの民主化革命は平和的抵抗運動の成果ではないと考えているのですか?
>平和的抵抗も成功させるのは困難ですが
グルジア、ウクライナ、キルギスと連続して成功しているようですが。ウズベキスタンの場合は最初から武力を用いていた抵抗運動なので平和的抵抗ではないですね。監獄襲撃の直前に武器庫襲撃もやってますし。
>皆様
回答が遅れておりまして恐縮です。
>JSFさん
中央アジア関係は、佐藤優氏もその重要性を指摘しているにもかかわらず、フォローができずにおりまして、ご示唆いただきありがたく思います。そのような状態ですので、回答において生兵法で触れるのはやめておきたいと考えていますが、少し勉強してみたいです。