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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2005-07-09
■ [book][politics]柘植先生(notプリティ柘植先生)、ロンドンテロを予言す
2ちゃん軍板の「私ならこうする!by柘植久慶」シリーズをより楽しむために購入した柘植久慶「サバイバル・バイブル/全編改訂版」にこんな記述が。
ロンドンやパリ、はたまたニューヨークといった、歴史ある都市の地下鉄は、緊急事態への対処の仕方が優れている。しかしながらロンドンの地下鉄だけは、施設全体が古すぎるのが気になる。これまで何度か火事を出しそのたびに10人近くの死者を生じているので、駐在など長期滞在者を除いたらラッシュアワーは避けて利用したい。
またイギリスにはイスラム教徒過激派(原理主義者)が多数潜入しており、彼らが地下鉄を狙ってこない、という安全の保証などまったくないことも忘れてはならない。スペインのように爆発物を使用するか、オウム真理教のように化学物質を使用するか、はたまたもっと別の手段を用いてくるのか。テロリストたちは多くの死傷者を出し世の耳目を集めたいがため、朝の通勤時間帯というのはとにかく要注意と言える。
(pp67,68)
昔の版は今手元にないので、かねてからこのような記載があったかどうかは確認していませんが、今月に入って出版された本だということを考えると、そのタイミングには理屈を超えた何かをちょっとばかり感じてしまいます。
#あやかって<小心! 猛毒的印度産蛇們房内徘徊中>と書いた立て札(p177)を玄関に置かねば(笑)。
なお、これによってゆるやかなインフレーションが始まれば、日本経済にとっても福音となる
(p226)との認識をお示しで、なんとマイルドインフレ肯定派だったとの衝撃の事実が! 「これによって」とあるように、この部分の前には、柘植先生の見立てではリフレ策に分類される、ちょっと前に実施された政府の施策が書かれているのですが、それが何かは是非本書をお読み下さい。
#ちなみに、インタゲ+マネタリーベース増加ですとか、財政支出の増加ではありません(笑)。
■ [economy][politics]パネルディスカッション「都市対地方‐財政、公共事業、一極集中の是非をめぐって」@岩本康志・橘木俊詔・二神孝一・松井彰彦(編)「現代経済学の潮流2005」
昨日ぐたぐたwebmasterが書いたことを小西砂千夫先生が次のように簡潔かつ明瞭にお話しされています。
(略)機能的にこの国をどうしたらいいかということはありましたが、日本国というもののアイデンティティと、日本国というものの求心力を現実に政治的に働かせる上で、どのように豊かな地域とそうでない地域のバランスをとるかというのが、1つの国家統治の問題であって、この点が近年の改革論では一番欠落しているのではないかと思います。
我々は統治に混乱している国に住んでいるわけではないので、国家分散の危機というものをあまり感じることはない。沖縄や北海道へ行けば独立論もなくはないわけですが、けっして大きな流れではない。そういう意味では国家統治という議論をもって国と地方、あるいは豊かな地域とそうでない地域のバランスを考えるというところがどうも欠落しているのではないか。
(略)
日本の地方財政を考えるときに、「3割自治」という言い方がされます。やるべき仕事に対して財源が3割しかないという意味ですが、本当は「3倍自治」と考えた方がいいかもしれない。つまり、自前の財源の3倍もの仕事をさせている、と考える方が、本来は普通かもしれない。そうすると、本来国がやるべき仕事までをも地方に振っているのではないかということになる。私は、3倍自治という観点で考えたほうがいいのではないかという気がしています。
(pp214-216)
あえて付け加えるなら、沖縄や北海道は金勘定でいえば独立が割に合うわけもないのですが、東京などは独立が割に合うわけで、地方分権もそのようなアングルを考えると、イタリアの北部同盟などと比較してみると違ったものが見えてくるかもしれません。
ちなみにエントリに対してお寄せいただいた鍋象さんのご意見を理論的にサポートするものとして、フロアからの質問の時間に林正義先生が次のようなご意見を出していらっしゃいました。
しばしば、「受益と負担の乖離」が非難され、「受益と負担の一致」がもてはやされていますが、政府歳出の大部分を占める再分配政策においては、受益と負担が乖離することは当然のことです。問題は、その乖離の度合いと効率性とのバランスをどうするかということであって、単に乖離してはいけないというのは論点がずれていると思います。
(略)
その他、八田先生からは、人口移動と地方分権にかかわるお話しもあったかと思います。人口が自由に移動できる中で分権化が進むと、人口が非効率的に分布するという、財政外部性の議論があります。この場合、外部性を内部化する手段として考えられるのが地域間取得移転です。これは公平性ではなく効率性のために地域間移転を行えという議論ですが、それは同時に、分権化と税源移譲を進めるのであれば地域間所得移転を削減してよいという単純な議論ではなく、その場合こそ、地域間財政移転の仕組みを適切にデザインしなければいけないという主張につながることに留意すべきと思います。
(pp225,226)
#なお、このパネルディスカッションの司会は井堀利宏先生、パネリストは既に紹介の小西先生のほか、八田達夫先生、藤田昌久先生、土居丈朗先生、岡本全勝さんです(2004年9月25日開催)。
■ [economy][politics]人口動態と政治的動向との関係についての一考察
これまた昨日のエントリによせられたコメント関連ですが、とおりすがり@透明とブルーは矛盾しない派さんから、non-DID人口は既に少数派ではないかとのご指摘をいただきましたので、数字をご紹介いたします。
まずDID(Densely Inhabited District)とは何かですが、人口集中地区という意味で、国勢調査上の概念です。詳しい説明は総務省統計局のページにありますが、簡単に言えば市街地ということです。non-DIDとはその逆ですから、農山村のような部分を指します。
数字の実際ですが、国勢調査結果からこの部分の統計を抜き出しますと、次のとおりです。
| 年 | DID人口(万人) | 比率(%) | non-DID人口(万人) | 比率(%) |
| 1960 | 4,083.0 | 43.7 | 5,258.9 | 56.3 |
| 1965 | 4,726.1 | 48.1 | 5,101.4 | 51.9 |
| 1970 | 5,599.7 | 53.5 | 4,866.8 | 46.5 |
| 1975 | 6,382.3 | 57.0 | 4,811.7 | 43.0 |
| 1980 | 6,993.5 | 59.7 | 4,712.6 | 40.3 |
| 1985 | 7,334.4 | 60.6 | 4,770.5 | 39.4 |
| 1990 | 7,815.2 | 63.2 | 4,545.9 | 36.8 |
| 1995 | 8,125.5 | 64.7 | 4,431.6 | 35.3 |
| 2000 | 8,281.0 | 65.2 | 4,411.6 | 34.8 |
#1960年、1965年は沖縄を除くベースです。
で、その割に地方を非難する声が上がり始めたのは最近であることについてのwebmasterの考えですが、都市部に出てきた第一世代には地方に対しての郷愁や、自分たちが豊かになったほどには出身地が豊かになっていないことへの罪悪感があるとすれば、地方への資源配分への抵抗感は第二世代以降よりは少ないとしても不自然ではありません。
どのぐらいの人口がDIDからnon-DIDに移動してきたかですが、全体の人口伸び率を前期のDID人口に乗じた数字と当期のDID人口との差をとると次のとおりです。
| 年等 | 差(万人) |
| 1965 | 430.1 |
| 1970 | 613.6 |
| 1975 | 390.6 |
| 1980 | 317.6 |
| 1985 | 103.1 |
| 1990 | 326.8 |
| 1995 | 185.2 |
| 2000 | 66.1 |
| 合計 | 2,433.9 |
DIDは全国よりも少子高齢化が遅行していますので、この差分のうち幾分かは自然増のはずですが、それを差し引いてもおそらく2000万人程度は第一世代でしょうけれど、先の2000年のDID人口とnon-DID人口について2000万人を調整すれば、non-DID出身人口は今なお過半数という見方も可能です。もちろん第一世代で既に死亡された方々もいらっしゃるでしょうが(1965年の移動人口が平均年齢20歳だとすれば、現在平均年齢60歳になります)、他方で統計対象年前に移動され今なおお元気な方々もいらっしゃるでしょうから、それほど大きくは外していないと思います。
となると、人口分布を見れば1970年にDID人口が過半数となっていたにもかかわらずDID重視の政策が最近になって叫ばれるようになった要因として、人口移動の「山」から相当程度の時間が経過したという点に着目すれば次のようなものが考えられると思います。
- 出身人口ベースでもDIDの比率が過半数程度となってきたこと。
- DIDを重視するものの見方・考え方に転換してきたこと。
- 「第一世代」が第一線から退きつつあり、社会的影響力が少なくなってきたこと。
#他に、最近のマクロ経済の低迷で貧すれば鈍したという要素も大きいと思いますが。
■ [government][politics][economy]特集「経済財政諮問会議/5年目の通信簿」@論座2005年8月号
全部で次の6本からなる特集ですが、通信簿といいながら、決定内容についての評価が1つ(後で触れます)を除いて存在せず、後はどれもこれも透明性が増したというものに代表される決定過程についてのみなのはどういうことでしょう(分析としては、牧原論文があれば事足りると思います)。
- 牧原出「”戦後政治の総決算”が間もなく終わる‐歴史からみた経済財政諮問会議とその将来像‐」(pp53-62)
- 岡野貞彦「『骨太の方針』からわかること」(pp63-71)
- インタビュー「民間議員の本間正明氏に聞く『日本は、総理と党の関係があいまいです』」(pp74-79)
- 岸本周平「変わりつつある霞が関のDNA」(pp80-85)
- 古川貞二郎「大きなうねりは元へは戻らない」(pp86-89)
- 堀江隆「陰の主役『特命チーム』のゆくえ」(pp90,91)
そもそも決定過程についても、確かに透明性があることは認めますが、それを評価する一方でまだまだ各省庁や族議員の抵抗に妥協する面がありそこが問題だ、といった評価ばかりで、議論される内容のレベルがどうかといったものはありませんし、議論の進め方が公平なものか(結局は都合の悪い意見は無視しているのではないか)といったものもありません。議事録や資料が公開されていることを高く評価するのは結構ですが、同時にそれを読んでその内容についても評価すべきでしょう。
そうした中で、ある程度バランスのとれた議論をしているとwebmasterが思うのは古川論文です。各省庁が省益優先で経済諮問会議にたてついているとの批判が渦巻く特集中、例えば年金についての厚生労働省(古川前官房副長官の出身省です)の、経済効率性ばかりを重視することへの「抵抗」について、次のような見方を紹介します。
なぜかというと、社会保障というのはもともと相互扶助、社会的弱者に手を差し伸べるところに基本がある。それを、制度の維持や経済効率性ばかりを追求してしまうと、本質的なところ、つまり、本当に手を差し伸べなければいけない人たちに手を差し伸べられないんじゃないかという危機感を持つ。こだわるのは、自分たちの権限が侵されるから、というだけではないのです。
(p88)
小泉政権を支えてきた身としては批判的なことを書けないと邪推し、この話や中枢機能の強化のあまり各省庁の士気が衰えるようだと、システムとしては、かえって非効率になります
(p89)といったあたりは、遠回しに否定的評価をしているのではないかと思うwebmasterは多分腹黒いのでしょう(笑)。
で、唯一諮問会議の成果を論じているのが岸本論文ですが、最近官僚からスピンアウトした人間(岸本さんは2004年、財務省国庫課長を最後に退官し、トヨタ自動車に入社
だそうで)にありがちな構造改革教の信者の評価ですから、結局のところ小泉政権においてはろくなマクロ経済政策がとられてこなかったことなど無視して、情報調達システムの改善などを成功事例としてあげています。それに意味がないとはいいませんが、そのコストカットによる財政状況の改善と、きちんとプラスの名目成長に復帰できていた場合の税収の改善とどちらが大きいかを考えれば、「経済財政」を名に冠する会議がどちらを優先すべきかは自ずと明らかです。
#「構造改革教の信者」という呼称に疑問を持たれる方々もいらっしゃるかもしれませんが、一般に審議官・局長以上の幹部は「そうは言っても自分の代で省利省益が侵されるのは困るし、組織や権限が縮小するのは嫌だ」との傾向に陥りやすい。むろん、局長クラスでも一途な改革派はいるし、30代の課長補佐でもビックリするような保守派もいるから、一般論は危険である
(p83)って、構造改革はすべて良きことで、それへの反対はおしなべて省利省益中心主義や組織・権限縮小への抵抗だと決めつける「一般論は危険である」ことに盲目な人間はそう評するしかないでしょう。
構造改革がそれなりに世の中に受け入れられているのは、最近の経済状況が「改革なくして成長なし」の実現であるように思われているからでしょうけれど、どこまでが改革の成果でどこまでが循環的回復なのかあやしいものです。おっと、官僚ごときが総理の方針に批判的な意見をいうなら更迭だといわれかねませんから、以下省略ということで(もう手遅れだったりして。笑)。
■ [politics]瀬戸利春「日本の終戦工作」@歴史群像2005.8号(pp178-190)
非常にお薦めです。webmasterにとってはアメリカ国内の次のような話については不案内でしたから特にありがたかったですが、当然日本国内の話により多くページが割かれており、当時の政治情勢についてよくまとまったガイドになっていると思います。
沖縄戦が終わっても、いまだ米国は日本をいかに降伏させるか決めかねていた。戦争の最終段階になって米国はいかに戦争を終わらせるか、実は明確な行動指針がなかったのである。
「もうすこし終戦が早ければ」という意見があるが、米国の事情を考えた時、これは意外に難しいことがわかる。
(p187)
[http://bewaad.com/20050709.html#p03:title=bewaadさんの地方居住者/地方と関連する中央居住者/中央居住者の3者の選択が異なるという事を前提に、人口動態をからめて現在の政治状況を読み解いてみる]って問題提起で考えてみた事です。 勉強不足と簡単ではないのは承..
さて、僕は東京が嫌いなわけだけれども、東京にムカツく気持ちの中心は「とにかく狭くて混雑してて暑苦しい」というところに集約される。 そこから派生した、東京人に対して感情的にひっかかる点というのがいくつか。(以前のエントリ) ・東京以外を均一に「地方」と呼ん..
bewaadさんのコメント欄のTuneさんの意見を見落としていたので若干補足的に考えてみました。 都市計画制度(特にいわゆる「調整区域」)によって実効性が確保されてきました 面的制限をかけつつ、人口を誘導する訳ですが、人為的にかけた制限により消滅する集落?が、果た..
人口の構成と財政についてもう少し「政治が解決する知恵」が蓄積されていてもよかったなぁ、という感想の補強でして、何か反論したいとか、そういう訳ではなかったのですが、期待以上の反応ありがとうございます。
人口について2点補足します。
1.教育を終えてDIDに移動するフローとDIDからnon-DIDに帰還するフローが相殺しますので、DID第一世代はもっと多い可能性があります。(つまり、DIDで働きながら将来non-DIDでの消費生活を夢見る人はもっと多いかもしれないってことですね。)
2.1970年くらいまでは「1940年代に都市/外地から地方に移動した人口が都市に回帰する動き」がある程度あったと考えた方がいいかもしれません。
DIDの面的な拡大についてきちんと追いかけていないのでけっこうあいまいな意見しか持てていない事を白状しておきます。
#3回目ですので、さすがに矛盾するだろうと思い、とおりすがり@透明とブルーは矛盾しない派から改めました。
ロンドンのイスラム過激派について警告していた本といえば、これなども。
まあ、イスラム地区の本屋に過激なビラが並んでたよ程度のことしか書いてありませんが、
アラビア語が読めて、自分の足で情報を取っているという点を評価して。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4105429019/qid=1120882257/sr=1-5/ref=sr_1_10_5/250-2273675-7008265
>kumakuma1967さん
地域間格差の問題は、小泉スローガンである田中角栄的政策の否定という文脈で語られすぎていて、最近ホットな所得格差以上にイメージ先行であるように思います。どこかにいい本がないかとは思っているのですが。
その手始めということで、上記パネルディスカッションも時間があればお目通しいただければ、楽しんでいただけるのではないでしょうか。
>mansteinさん
面白そうな本のご紹介、ありがとうございます。霞が関って、オウムのときもそうでしたが、この手のテロが東京で起こるとすれば真っ先に標的になりそうなので、あまり他人事に思えないのです・・・。
私自身は東京第二世代なんですが、田中角栄的政策の成果として私のように「日本のチベット」と呼ばれる場所(大学入学手続きの書類を見た事務官に言われたのですが)に本籍を置いていても、東京郊外から日帰り墓参ができる状態になってます(朝6時に家を出て午後11時半に帰ってきました)。あと年間1万円負担を増やしてこれを朝7時ー午後10時となるようにしたいかどうか、と言われるとかなり微妙ですし、その程度の負担でどのぐらいの地域がカバーできるでしょうか。
東京駅から2時間/4時間で行ける範囲の面積%or人口%を縦軸に、横軸に費用をとってグラフを書くと面白そうですね。
ちょっと追加で考えたんですけど、墓参をより短時間の移動で住まそうとした時に一番効果が上がりそうな投資は東京近郊の改良って気もしてきました。
> kumakuma1967さん
それが簡単にできれば苦労は無いんですけどね。
小田急線複々線化とか東京外郭環状道路の状況を考えると、その辺が日本の効率向上の一番の障害だったりして。w
>kumakuma1967さん、Baatarismさん
大深度地下開発は、ご指摘のような問題意識への回答の一つだとは思うのですが、今の技術ではそれほどのコストダウンにならず(土地買収費用が不要な一方で工事費用が増加)、たいした進展は見えてこないようです。