archives of BI@K

CSS: default alternative
(要cookie)

toppage memoranda

(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|

2005-08-03

[economy][game]卓上のグローバル競争

#このエントリはいつも以上にぐだぐだです(笑)。本題にたどり着くまでに随分かかりますがおつきあいいただければ。

経済学の歴史を紐解きますと、何故自由貿易は保護貿易(究極的には鎖国)よりも望ましいのかについての根拠は、デイヴィッド・リカードによる比較生産費説(比較優位説)に行き着きます。ご存じの方々も多いと思いますが、念のためそのエッセンスを紹介しますと次のとおりです。

A国・B国の2国があり、それぞれ100人の労働者がいて、他方で両国の生産性には差があってA国では労働者1人あたりX財を4、Y財を3生産できますが、B国ではX財を3、Y財を1しか生産できないと仮定します。ここで、A国においてはX財の需要が160、Y財の需要が180、B国においてはX財の需要が120、Y財の需要が60だとすると、貿易を行わないときにはそれぞれの国において労働者をX財に40人、Y財に60人割り当てて需要をまかなうことになります。

貿易を導入しますと、A国の生産をY財に集中させて80人で両国の需要をまかななうことができ(3x80=240=180+60)、B国の生産をX財に集中させて94人で両国の需要をまかなうことができます(3x94=282>280=160+120)。つまり、貿易により2国での生産が全体として効率化され、26人少ない労働力で貿易がない場合と同じだけの(厳密にはこのケースではX財が2多い)生産が可能になるわけです。

ここで大切なのは、A国においてY財よりX財の方が効率的に生産可能だといってX財に特化してしまうと、確かにX財については70人で両国の需要をまかなうことができますが(4x70=280=160+120)、B国では100人をY財に投入しても100しか生産できず、A国で余った30人をY財に振り向けてもなお両国の需要を満たすことができない(1x100+3x30=190<240=180+60)ということです。

また、言うまでもありませんが、X財・Y財ともにA国が効率的に生産可能だからといって、A国でのみ生産をしてB国では生産しないという選択は合理的ではありません。A国でX財・Y財の生産にどのように労働者を割り当てても、必ず供給不足が生じます。

つまり、各国が絶対優位(国の比較であればA国、財の比較であれば(A国における)X財)ではなく、比較優位の度合いにおいて優れている財の生産に特化し(A国はB国に比べX財では1.33倍、Y財では3倍の生産力を有するのでY財(1.33<3)、同じことですがB国はA国に比べX財では0.75倍、Y財では0.33倍の生産力を有するのでX財(0.75>0.33)になります)、それを貿易により交換することで両国がともに貿易がない状態よりも状況が改善する、というのが比較生産費説です。

ここで脱線させていただきますと、以上からいわゆる国際競争力という概念の無意味さがわかります。全体の生産性が向上したとしても(もちろんこの向上それ自体には、国民を豊かにするという重要な意味があります)、貿易(輸出)すべき財は上記のとおりあくまで比較優位により定まるわけで、全ての財を輸出に回すべきということにはなり得ません。ある特定の財の生産性が向上し比較優位なものとなったとしても、その代わりに別の何らかの財が比較劣位とならざるを得ないわけですから、これもまた同じことです。

さらに脱線するなら、比較生産費説の対象は貿易財、つまり他国への移動が可能なものに限ります。そうでないもの、典型的には対人サービスは非貿易財であり、比較優位にあろうが比較劣位にあろうがある国で生産したものを他国に供給することはできません。例えばM国において床屋が比較劣位にあるとして、それが比較優位なN国でいくら床屋を増やしたところで、M国の人の散髪ができないのは当然です。マッキンゼーの国際競争力分析(マクロでは日本の低成長の理由は分析できずミクロ経済的観点で、と自称していますが、経営学的ではあってもミクロ経済学的(マイクロファウンディッド)ではありません)は、まったく需要面を見ていない点において噴飯もの(そりゃ輸出産業の方が不況の影響を受けない=売上げが維持できるのだから効率的なのは当然です)であるのと同じぐらい、こうした観点に欠けている点において噴飯ものです。

閑話休題。このように自由貿易は全体としてはプラスになるとしても、個々人にとって幸せであるとは限りません。例えば集落でただ一軒畜産を営む農家は、貿易により世界経済とつながった段階で、マスプロダクトと競争せざるを得ません。もちろん運搬コストその他の存在によりまったく同じ土俵で闘うわけではありませんし、その手前の段階で交通手段の発達等による国内競争にも晒されるわけですが、より存続が難しくなることは避けられず、競争に負ければ失業です。

また脱線ですが、発展途上国が先進国に搾取されると受け止めるのは、実際に騙されたり力ずくで奪われたりといった面が(特に過去において)ないわけではないものの、このような競争により伝統的産業が衰退する一方で、それによりあふれ出た余剰労働力を吸収するだけの別の産業(比較優位な貿易財の生産なり、十分な需要のある非貿易財の生産・提供なり)が存在しないことの合理的帰結である一面もあります。だからといって余剰労働力の輸出=移民にも何かと(特に政治的な)制約があり、なかなか解決が難しいのですが・・・。

#もちろん発展途上国側も、より安く財を購入できるというメリットを享受しているわけで、先進国側から言わせれば、自分で作るより安上がりになっているだろ、文句あるか、ということになるわけです。

再び閑話休題。ようやくタイトルにつながるわけですが、このようなことをつらつら書いてきたのは、「ネットによっていきなり世界統一ランキングに放り込まれると努力するモチベーションを持ちにくくなる」(@ARTIFACT―人工事実―7/31付)に描かれたゲームプレイヤーというのは、こうした貿易によりグローバルな競争に巻き込まれた伝統産業に相通じるように思えたからです。そういう意味では、言語の壁というのは、世界統一ランキングを成立させないためのものになっているのかもという加野瀬さんのご指摘など、非関税障壁により貿易が阻害されている状態に非常に似ています。

ゲームの場合、単純にグローバル市場の成立により、世界中で最も比較優位な者から財を購入できるのでめでたしめでたし、とはなりません。プレイをして楽しむという面に着目すると、自ら生産する者のみが消費する特殊な市場にたとえることができ、最も比較優位な者(ないしそれになる可能性のある少数の者)のみが生産するようになると、消費者も減少して市場自体が極めて小さなものになってしまいます。

そうした現象への対策として、もちろん加野瀬さんのように市場を分割して各市場に「最も比較優位な者+それになり得る者」がいるようにし、全体としてのパイを大きくするというのものがあるわけですが(Scottさんご提案の段位分けも、こうしたセグメント化の一種と考えられるでしょう)、それ以外にアイデアはないものでしょうか。

ごく少数の者が市場を支配するという点に着目しますと、独禁法の世界、つまり監督者の介入による競争の回復が使えそうです。規模の利益が大いに働く市場において寡占状態が成立し、よほどの初期投資が可能な者(ゲームで言えばもともと上手いプレイヤー)でなければ新規参入が不可能な状態が世界ランキングに似ているように思えます。

加野瀬さんのエントリを見るに、世界ランキングのつまらなさは、勝てない上にランクが上がらないので楽しみがないということではないかと考えられます。ここで、ランクを上げることの難しさはそのままだとしても、勝つ喜びをもっと味わえるようにするなら、寡占状態が崩れて新規参入が活発になるでしょう。端的にはハンディキャップをつける、というものになります。よりランクが上がるほどハンディがついて勝ちづらくなり、他方で新人プレイヤーにはハンディがつくので勝ちやすい一方、ハンディで下駄を履いている状態ではランクが上がりづらく、ランクアップを狙うなら腕を磨いてより少ないハンディで勝たなければならないようにするわけです。

実体経済に置き換えると新規参入者に補助金を出すようなもので、政府の資源配分としての適正性が疑われる施策ではありますが、ゲームの世界においては実体経済における資源の希少性に相当するものが存在しないわけですから、その意味での問題は生じません。問題があるとすればハンディキャップによるディスインセンティブ効果、つまり上手くなればなるほどハンディが課せられ勝ちづらくなるので、上手くなる気が起こらない=ゲームをする気がなくなる、というものでしょう。

勝つことによるキャラクタの成長がゲームシステムに組み込まれているもの、つまりはRPG的要素のあるゲームでは、そもそもシステムの本質と矛盾するわけですから、このハンディキャップの導入では世界ランキング問題は解決されないでしょうと。しかし、プレイヤーの腕自体が試されるものであれば、例えばゴルフがそうであるように、うまく共存できるのではないかとwebmasterは思うのですが、いかがでしょうか?

#不適切なハンディキャップ設定による「政府の失敗」の可能性は当然ありますが、ゲームはある意味すべてが「政府」の被造物ですから、この可能性だけを心配しても仕方がないわけで。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]
Scott (2005-08-03 17:33)

「バスケットボールのゴールは適当な高さにあるからみんなシュートの練習をするんだぜ。あれが百メートル上空にあってみろ。誰もボールを投げようともしねぇ。」

こんなセリフが「カイジ」という漫画にありまして、この話を実に上手く例えたものだと思ったものです。


で、問題は「一度100メートル上空のゴールを見せられた人に、どうやってやる気を呼び戻すか」という事なわけですが、「ハンデ有りで上級者に勝つ」と「ハンデ無しでやや上、もしくは同格の人に勝つ」では私は後者の方がベターな気がするんですよ。私が負けず嫌いなせいか、ハンデ有りで勝っても勝った気がしないというか、結局自分の中でハンデを割り引いて「やっぱ負けてんなぁ」と判断してしまうので。
思うに、「勝敗」というのは「自己の上達のバロメーター」でしかないわけで、逆に言えば何らかの形で「自己の上達の提示」さえできれば勝たせる必要すら無いのではないかと。

しかし、結局ネックになるのは評価システムの公平性ですね。ハンディキャップ設定にしても、段位認定にしても。
ここをクリアできる(評価システムを必要としない)方法があれば、それが一番画期的なように思います。

りゅか (2005-08-03 22:46)

上を目指す事を目的にするのであれば激薬もありかと...
ゲーム→RMT(禁止事項になっている場合が多いけど)
経済活動→M&A
PS.はじめまして 最近拝察させて頂いている民間人です^^; 

bewaad (2005-08-04 07:50)

>Scottさん
どちらが正しいとかそういうことではなく、こんな考え方もあるのでは、と議論の種をまいた気分でして、お付き合いいただきありがとうございます。

スタンドアローンのゲームでも、結局評価の高いゲームはゲームバランスが秀でているわけで、「評価システム」もバランスを如何に決めるかというものだと考えると、各ゲームによってそれぞれ向き不向きがあるというか、オールマイティなものはないんだろうなと思います。

bewaad (2005-08-04 07:59)

>りゅかさん
こちらこそよろしくお願いいたします。

RMTはトラブルのもとですから・・・XANADUシナリオIIの「交易」や信長の野望の米相場のようにゲーム内での成金作戦にとどめておいた方が平和ですよね(笑。でもそれで負けたら腹立つでしょうねぇ)。


トップ «前の日記(2005-08-02) 最新 次の日記(2005-08-04)» 編集