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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2005-08-10

[politics]小泉総理の解散権行使に対するオブジェクション

一晩経って落ち着き、それなりに考えもまとまってきましたので、小泉総理の決断に対して批判を加えたいと思います。匿名でやっている以上、こういうことを書かなければ当サイトの存在価値(笑)がないと思いますので。なぜ批判されるべきか、歴史に類例を求めて論じてみたいと思います(もちろん、以下を踏まえてなお小泉総理を支持するかどうかは選択の問題ですが)。

マルキシズム

「抵抗勢力」側こそが社会主義的な政策を志向する集団だとされているわけですが、その世界観においてはむしろ小泉総理こそマルキスト的です。小泉総理が「改革勢力」と「抵抗勢力」という友敵関係を設定することは周知の事実ですが、なぜ抵抗勢力が敵となるのか改めて整理すれば、むしろ改革勢力側にマルキシズムの精神的嫡流としての側面があります。

マルキシズムと一言でいってもさまざまな要素が詰まっているわけですが、友敵関係の分析に用いるのですから、引き出してくるのはブルジョアジーとプロレタリアートの対立構造です。アジテートされた友敵関係は歴史上数多く見られますが、なぜマルキシズムの世界観こそが「改革勢力」のそれに類似していると言い得るのか。それは背景にある経済分析です。

マルキシズムの唱えるところとして有名なのは生産手段の私有の否認ですが、なぜにそれが否認されるのか。それは、生産手段を有する者が生産の成果を搾取するがゆえに、本来社会全体に十分に行き渡るだけの量があるはずの成果が偏在し、貧困に追い込まれている(と世界の仕組みを理解する)からです。計画経済はマルキシズムの本質でもなんでもなく、搾取がなければ計画など立てるまでもなく十分な量の財が世にあふれるはずで、プロレタリアートが望めば望むだけの消費ができるというのが共産主義社会です。

と書けば、構造改革原理主義がマルキシズムの精神的嫡流であることは明らかでしょう。「改革勢力」の世界観においては、資源を有効活用できない「抵抗勢力」が不当にも利得を横取りし、本来それを享受する資格のある、資源を有効活用するすべを有する「改革勢力」が割りを食っているからこそ、単に「改革勢力」が報われないのみならず、社会全体として生産性が低下して「失われた10年」に至ったということになっているわけです。

自称リフレ派入門生としてのこの見方へ反論するなら、この世界観が正しいとすると「抵抗勢力」が囲い込んでいる資源を必要とする「改革勢力」がいるのですから、賃金が上昇・失業率が下落したり(労働力の取り合いの結果)、貸出が増加・金利が上昇したり(資金の取り合い結果)しなければおかしいはずで、これまでの経緯を見ればそうでないことは明らかだということになりますが、とまれ、ここでの焦点は議論の是非自体ではありません。こうした世界観に基づき「改革勢力」の行動がいかなる方向に導かれるかが問題になります。

それが何かといえば、対立する者の絶滅志向ということになります。単に対立を自覚するのみであるなら共存や妥協も選択肢になり得ますが、「抵抗勢力」の存在自体が社会の足を引っ張っていると認識しているわけですから、共存共栄などたわごとに過ぎず、その絶滅によってのみ繁栄がもたらされるというのは世界観から導かれる必然的帰結です。世界各国で共産革命後に繰り広げられた資本家狩り、強制収容所における人間改造などがそれを示唆するでしょう。

しかし、一国の構成員である国民の一部の絶滅を望むことを政府全体のスローガンとすることがあるべき姿であるとはwebmasterには思えません。多様な存在を許容し、その共存を図っていくことこそが民主政というものの真価であると信じていますし、対立する者の存在自体を悪と認定するようでは、いくら制度として民主的であるとしても、その精神としてはこの上なく非民主的であるのではないでしょうか。

とまれ、これまで銀行やら「ゾンビ」企業、道路公団に郵政公社、そしてもちろん官僚も「抵抗勢力」に数えられてきたわけですが、今回の選挙においては、大きな政府というきわめてあいまいな「抵抗勢力」が設定されそうな雰囲気です。何をもって大きな政府と定義するかにはさまざまな議論があるわけですが、どうも小泉政権においては財政赤字がその表象として理解されているようです。それならデフレを放置して多大なる歳入欠陥を招いた小泉総理自身こそ最大の抵抗勢力だと思うのですが(笑)。

ボナパルティズム

以前から当サイトで指摘していたこととして、小泉政権の運営にはボナパルティズムに似た側面があるのではないかとりわけ郵政民営化を巡る議論についてはプレビシットのきらいがあるのではないか、というものがあるのですが、今回の解散はまさにこの指摘の妥当性を裏打ちするものであるように見えます。衆議院憲法調査会事務局が昨年3月に作成した「『直接民主制の諸制度』に関する基礎的資料」から、プレビシットの諸特性を引用すると次のとおりです。

【プレビシットの指標】
着目点プレビシットと判断される指標
目的・機能
  • ひとりの人間への信任の表明とこの人物の行為についての承認という二重の決定(信任の対象は必ずしも一個人に限定されないとする論者もある。)
  • 特定の個人を権力の座に導くこと又はクーデター等によりすでに遂行された行為を有効と認めることの要求
  • 主権をひとりの人間に委任し、その上時として、この人物に憲法の制定を委託する行為
案件が議会の議決を経たものか否か
  • ひとりの人間又は限定された一つの集団から発する法案を対象とし、その法案を選挙された議会による公開の討論に付するのではなく、むしろ一般に、巧妙な条件の下で直接人民に付す結果、これを拒否することが極めて困難なレフェレンダム
対象
  • 見かけ上は、明確な一つの質問について組織化されたレフェレンダムであるが、事実上は、絶対的権力を要求するひとりの人間について組織化されたレフェレンダム
非合法性
  • 普通ならレフェレンダムに付すことのできなかった正文、ことにクーデターに続いて非合法的に制定された憲法を対象としなければならないこと
  • 法的根拠をもたないレフェレンダム、つまり憲法の規定のないところで行われるレフェレンダム
発案権の所在
  • 発案権の所在が議会ではなく首長にあること、これにより、首長は、投票者の上にほとんど抗し難い圧力を加える一連の心理的・法的要素を置く
  • 人民の発案によらない人民投票は…プレビシット、つまり制度の目的からの逸脱に容易に到達しうる。
諮問の様式
  • 諮問の様式が、修正を加えることもできない分割不可能なひとかたまりの状態で、人民に賛成か反対かによる投票を要求すること
人民の政治意識
  • 人民投票は、選挙の場合よりも高度な市民教育を受けた人民を要求する。人民投票が十分に準備されていない人民とともに開始されることは危険である。
  • 首長が一方的にプレビシットの手続を押しつけるのだと考えてはならない。事実、民主主義的諸制度のもたらした期待はずれにうんざりしたとき、この手続を要求するのは人民である。

今回の選挙は(「も」のような気もしますが)これらの指標の多くに当てはめることが可能で、きわめてプレビシット選挙の色彩が濃いものと言えるでしょう。といいますか、ぐぐってこの資料を見つけたときには、webmaster自身見たくないものを見てしまった気分でした。

これまでも小泉総理は国政選挙・総裁選挙をともに信任投票的に活用し(郵政民営化が嫌だったら代えてくれ、という総裁選での言がその典型でしょう)、自らを選んだ以上はその統治を全面的に受け入れて当然だとしてきました。しかし本来、公約は政策パッケージにならざるを得ず、選挙の勝利はあくまで平均点としてパッケージがよいという以上の意味を有さないはずで、だからこそ公約を実際の政策とする際には別途プロセスを踏む必要があるのが自然です。

古代ギリシアの時代より、このような民衆の信認を背景に、自らに反対することをその立論ではなくその行為をもって民衆に仇なすものと位置づける政治手法は僭主政として警戒されてきました。そうは言ってもボナパルティズムにファシズム、ナチズムと歴史はその失敗を繰り返してきたわけですが、このような手法を用いる政治家は、その主張がどのようなものであれ、それを理由に批判されてしかるべきではないかとwebmasterは思います。そうした思考の材料とすることに、歴史を学ぶことの少なからぬ意義があるのではないのでしょうか。

本日のツッコミ(全10件) [ツッコミを入れる]
neetさん (2005-08-10 11:39)

政策パッケージといいつつもその個々に軽重はあるわけで、総理が郵政民営化に異常なほどの重点を置いていたことが読めてなかったんですかね。>>反対派の皆さん
ま、さすがに今回の解散で痛感したと思いますけど。

とにかく踊れ (2005-08-10 13:19)

今回のテキストにはちょっとひっかかる所がありまして。
現代における改革勢力の世界観がマルキシズムのそれに類似している、というのはちょっと。。。
マルキシズムの基本にはやっぱ疎外論というものがあって、だからこそ、今までおおぜいの人々を引きつけてきたのではないかと。プロ対ブルと図式化して悪いブルを一掃すればいい、なんてのは、マルクス以前の社会主義思想であって。

疎外論というのを極めて単純化してしまうと、「人間性>お金(効率や生産性)でしょ、やっぱ」というもので、現在の改革勢力というのが、失われた10年を嘆くように効率性重視だとすれば、マルキシズムの世界観とはやはり全く相容れない気がするんですよね。
たしかに過去に大躍進みたいに、共産主義のほうが生産性においてもイケテルぜ、というのもありましたが、全体的な傾向としてみればマルキシズムは、「人間>金」「福祉>自由」というメンタリティの人々の世界観により合致し、受容されてきたように思えます。

あと蛇足ですが、現在の改革勢力に「対立する者の絶滅志向」が見られるかどうかについては、生産性とか効率を重視するならば対立者も貴重な人的資源であるんだくらいの認識は彼らも持ってるだろうと、少し楽観してる部分はあります。
小泉氏みたいな例外もいたりしますが。
かつての同志にも変人と言われるくらいだから、きっと例外なんでしょう、きっと。。。

小僧 (2005-08-11 02:23)

plebiscite と referendum については、シリーズ憲法の論点2「直接民主制の論点」 http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/document/2004/200402.pdf でも触れられています。

bewaad (2005-08-11 06:06)

>neetさん
その点、小泉総理に比べて決定的に反対派が脇が甘いところですね。2001年総裁選で相談すると言われて信じた亀井議員らも、野中元議員に毒まんじゅうと釘を刺されていながら小泉支持に回った堀内議員らも。野中元議員が敗北した段階で、小泉総理と互角に戦い得るだけの政局における強さを持つ存在はいなくなったということなのでしょう。

bewaad (2005-08-11 06:29)

>とにかく踊れさん
疎外論は理解しているかどうか怪しかったので逃げてしまったのですが、やはりそこから逃げてはご指摘を受けても言い訳のしようもありません。下手な踊り子(笑)ながらロードス島に赴くこととしますので、問題点をご指摘いただければ幸いです。

手がかりとして、小泉総理が「構造」という言葉を選択する理由を考えてみますと、もちろん経済学の文脈から単語は拾ってきているわけですが、個々の人間の動き以上に、日本の政策決定過程にフェティッシュを見出しているのではないでしょうか。

他方で、その関係者を抹殺しようとするのはロジカルにはつながらないのですが、とまれ「抵抗勢力」が「政策決定手段」を私有していて、本来自己実現・決定であるはずの選挙等への参加において疎外が生じ、各種圧力団体の硬直した意向に沿った頭数の歯車となってしまうと認識しているなら、それをマルキシズムの亜流と称してもそれほど的外れではないのかな(というか的外れでないといいな)、と思います。

bewaad (2005-08-11 06:35)

>小僧さん
いつもありがとうございます。ゆっくり読んでみたいと思います。

とにかく踊れ (2005-08-11 11:09)

コメントへのコメントどーもです。で、早速ですが。
「特定の集団が生産手段、政策決定手段を不当に占有している」という世界観をもってマルキシズムの亜流と言ってしまうのならば、分配的正義を求める運動のほとんど、例えばフランス革命も自由民権運動もガンジーの対英闘争もマルキシズムの亜流と言えてしまうような気がするんです。
つまりは、そこまで大きく括れてしまい意義の希薄な類似点よりも遥かに対立しているとやっぱり結論したいんですね。
「自由・活力」対「福祉・共生」これを現代政治の最もベースにある対立と捉えるならば、なのですが。何しろ、その最も基本的な所で対立しているのですから、「改革勢力の世界観」と「マルキシズム」は。小泉氏はどう見ても自由にバイアス、マルキシズムは福祉にバイアスなわけですから。。。

まその、コメント欄で議論っぽいのもアレなので、最初にコメントした動機のことで終わるならば、やはりbewaadさんほど博識で精力的にやってる方が、「抵抗勢力」が社会主義と揶揄されたからといって「改革勢力」をマルキストと表現するのは、う〜ん。。。だったのです。
相手の指摘をそのまま返すという皮肉的な面白さよりも、昔の「お前はトロツキスト」「お前の方がトロツキスト」っていう果てしないレッテル張りの悲しさを感じてしまって。「マルキシズム」と言えば、今や右翼少年のみならず世間の多くの人が脊髄で反対してしまうくらい否定ワードに成り下がってしまってるだけに、なおさら悲しかったという。
時流にのらず、「社会主義のどこが悪いねん!」っていうのもなかなか格好良いと思うんですけどね。。。

とおりすがり (2005-08-11 13:44)

コメントに反応するのはずるい気もしますが、「改革」云々には興味をしめさず、「野党のどこが悪いねん」という方々はいます。

bewaad (2005-08-12 04:01)

>とにかく踊れさん
小泉総理が「自由」にバイアスという点において、彼の理解が異なっている部分があると思います。産業再生機構のようなミクロ介入や人間力のような人生観・思想への介入などがその例であると考えています。

他方で共産主義が福祉の充実として受容された面があるのはご指摘のとおりですが、マルクス自身にはあまりそのような志向はなかったのではないでしょうか。ただ、このあたりはいい加減な知識かもしれず、今から思えば無謀なエントリだったような気が・・・。

ちなみに社会主義だと規定されることへの反発は、本心からありません。自分のことを社会主義者だとは思っていませんが、ケインジアンであるとは思っていて、それが社会主義者と呼ばれがちなことには自覚的ですので(笑)。まあ不十分な知識で発見をした気になってしまったというのがあたらずも遠からずかな、というのが自己分析です。

あとこれも言わずもがなかもしれませんが、マルクシズムにも当然功罪があり、今のような全否定は誤りであると考えています。

bewaad (2005-08-12 04:02)

>とおりすがりさん
野党の何が悪いというより、真の(唯一の)野党であると誇っている政党もありますよね、民主党は自民党と一緒だといって(笑)。

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もちろん、このような政治体制のシフトが歓迎すべきことかどうかについてはさまざまな意見があるだろう。例えばbewaad氏は今回の選挙のプレビッシト的性格(小泉総理の解散権行使に対するオブジェクション)や、その背景で活用されたイメージ戦略について批判的であるし(ヒ..


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