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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2005-09-19

[politics]民意を問うことの意義について(前編)

総選挙から一週間が経過し、いつまでもこの話題ばかりとなるのも本意ではないので、総括としてそもそも選挙により民意を問うとはどういうことかを考えてみたいと思います。

じゃあお前どう考えるんだと問われると、イギリスのように非常に強いリーダーシップを形成することには少数者の権利保障の面で不安があり、井上達夫の「批判的民主主義」構想のようにそれを司法府に期待することにも諸手を挙げては賛成しにくい。しかし従来のような「少数派の支配」もまったく支持できないのであって、結論的には極端に進まないように注意しつつ小泉政権的なリーダーシップ形成に賛成するということになる。この点、「イギリス的方向に進むこと」と「イギリス型まで進むこと」は別なのであって、前者を後者に行くまでに止められるかどうかはまさに我々の民主政の強さにかかっているわけだが、いわゆる改革を批判する人々に限ってこの点をごっちゃにしたり、「アリの一穴」論という要するに人民の判断能力をまったく信用してないんですね?という議論に依存したりするのは大変にいかがなものかと考える次第である。

「選挙戦続く」(@おおやにき9/8付)(webmaster注:強調は原文によります)

総選挙前のエントリですが、「いわゆる改革を批判する人々」の一員であるwebmasterとしてはずっと心に引っかかっていたもので、時間を置いてなんですが議論の枠組みとして取り上げさせていただきます。民主政への信頼という論点を選挙に矮小化するのは気が引けるのですが、そこはパンドラの箱に最後に残ったものという理解で、選挙に議論を絞りたいと思います。

#本論を外れて、いわゆる55年体制においてどこまで「少数派の支配」という状況が存在したのかとか、戦前の総理大臣権限で問題なのは罷免権がなかったことではなく任命権が制約されていたこと(軍部大臣現役武官制はその制約の典型例ですし、軍部大臣、すなわち陸軍大臣と海軍大臣が対象であったのに陸軍においてより弊害が大きかったのは三長官会議(陸軍大臣、参謀総長、教育総監)決定事項となっていたことの影響があるわけで)ではないか、という気もします。

民主政の中心として多数決原理を引く場合において、これは必ずしも結果の正しさとはイコールではないことが長谷部恭男「憲法と平和を問いなおす」において論じられていますが、そのトート号航海日誌での書評に当該部分についての優れたまとめがありますので、以下引用させていただきます。

多数決の正当化根拠としては以下の四つが考えられる。(1)自己決定の最大化、(2)功利主義、(3)公平な手続、(4)コンドルセの定理(参加人数が多いほど正しい選択肢を選ぶ確率が増す)。

これらの考えは民主主義の正当化にも応用可能だ。民主主義の正当化根拠としては、次の三つが考えられる。

(A)客観的に正しい答えがあり、民主主義・多数決はその「正解」を発見するための手段である。(上述1、3)
(B)客観的な正解は存在しない。自分たちの答えとして納得できるのは民主主義・多数決である。(上述2、4)
(C)参加することに意義がある。(ハンナ・アーレント)

民主主義が果たしているのは、人々の意見が対立する問題、しかも社会全体として統一した決定が要求される問題について結論を出すという役割である。しかし、民主主義には、社会の根幹にかかわるような問題を解決することができないという限界がある。その限界を示し、警備するのが立憲主義である。

しかし引用中の(A)(の背後にある(1))について述べるなら、囚人のジレンマ状態のように各人にとっての最適選択が全体にとっての最適選択とはならないケースがあり得ます。関連してコンドルセの定理について述べるなら、「参加人数が多いほど正しい選択肢を選ぶ確率が増す」のは各人が1/2以上の確率で正しい選択肢が何かを判定可能であることが前提で、確率が1/2未満の場合においては参加人数が多いほど誤った選択肢を選ぶ確率が増します。

これらの前提が満たされ各人が正しく判断可能だとしても、その判断が材料として与えられる情報の質に依存することはよく知られています。典型例は設問によって世論調査の結果が大きく左右され得ることですが、どのように質問されるかにより答えが変わるのですから、質問自体がきちんとした問題提示をしていない場合、その設問への答えとしては妥当であっても、設問の背景にある社会問題への答えとしては妥当でない可能性は否定できません(webmasterが今回の総選挙をプレビシット型であると批判する理由の主なものはこの点に関係しています)。

では選挙はまったく当てにならないのか、ということを明日引き続いて論じたいと思います。ご関心の向きは「コンドルセのパラドックス」「アローの一般不可能性定理」あたりを事前にぐぐっておいていただければ。

[WWW][joke]自らの未熟と先入観に気づいたとき

「◆最初で最後のカレー記事」(@カレーとご飯の神隠し9/18付)

素で引っかかってしまいました(笑)。驚いたのなんのって、あわててコメントしなかっただけまし?

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選挙と民主制ということで、一切勉強したことがありません。 このコンドルセの定理もしっかりと勉強したわけではないので、何ともいえないのですが、 コンドルセの定理(多数決で参加人数が多いほど正しい選択肢を選ぶ確率が増す) と調べる限りはこんなところです....

調味料バトンを答えてみました。


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