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2005-09-22
■ [politics]民意を問うことの意義について(後編)
一昨昨日から(昨日を除き)ここまで2日間かけて民主政(多数決・選挙)というものが導いた結論の正当性という観点から見れば如何に当てにならないかを論じてきたわけですが、であるなら何ゆえにこれほど民主政というものが広まってきているのでしょうか。その手がかりとして、一昨日ミームという言葉を持ち出しました。ミームとは「利己的な遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンスが同書において提唱した概念で、リチャード・ブロディの定義を用いるなら、ミームとは心の中の情報単位であり、その複製が他の心の中にも作られるようにさまざまなできごとに影響を及ぼしてゆく。
というもので、コミュニケーションを媒介して広まっていく中で突然変異したり淘汰されたりすることになります。
これといった先行研究があるわけではないのであくまで主観的観測(別名思いつき(笑))ですが、ある政治制度ミームが淘汰されないために重要なこととして、当該制度と現実の政治の結果との関係が弱いことが考えられます。一例として現存する世界最長の君主制である天皇制が生き延びてきたのは、そのほとんどの時代において天皇に実権がなく、現状の政治責任を負うべき存在が別にあったことの役割が大きいのではないでしょうか。現状が悪いのは蘇我氏/摂関家/幕府の責任であり、それらに反抗が向かうので天皇家は局外において安寧を確保できるということになります。
逆にこの関係が強い場合、現状への不満が制度への不信に直結する度合いが大きくなります。典型的には親政下の君主制で、現在の政策への反対が容易に反政府・反体制へと転化し、その極北には革命があります。名君が暗君にとってかわる代替わりや君側の奸の排除といったバッファがないわけではありませんが、制度自体に内在するものではなく、偶然に左右されざるを得ません。つまり、環境変化に直面した際に淘汰されやすい性質を持ったミームであるといえます。
#ミームのビークルたるヒトにとって生存が多くの場合においてもっとも価値があるがゆえ、淘汰をもたらす環境変化とは生存が脅かされる事態(敗戦、破滅的な経済状況、圧政など)であるケースがほとんどでしょう。
民主政ミームの強さはそうしたバッファ、つまり政権交代を制度=ミーム自身に取り込んだことにあります。これにより、現状への不満は政権への不満でとどまることが多くなる一方で、制度への不満に及ぶことはきわめて稀となり、ミームが淘汰される可能性は小さくなったがゆえ、というのが冒頭の問い、何ゆえにこれほど民主政が広まってきているのか、というものへのwebmasterが考える答えとなります。であるからこそ、民意が正しい選択をするかどうかは二次的な問題に過ぎず、間違っていても一向にかまわないということになるわけです。
#ちなみに、一昨日紹介した長谷部恭男「憲法と平和を問いなおす」では対立関係にあるとされた民主政と立憲主義は、ミームという切り口から見るならば、実は相補的な関係にあるといえます。憲法における人権保障や統治機構の規定は、こうしたバッファを制度的に確保するとともに、表現の自由などによるガス抜きや社会権による生活水準の底上げを通じてそもそもの不満の量を抑制し、ミームをより生き延びやすくしているわけですから。
一例として細川政権の発足を見てみます。金権政治への批判など自民党が下野した理由は多々語られますが、この観点から重要なのは1993年8月という時期と経世会支配です。政権交代の約1年前、1992年8月に日経平均株価が当時のバブル後最安値を記録するなど、現状への不満が高まる一方で、経世会支配の確立により自民党内部での実質的な政権交代が望めない状況にありました。一昨昨日に取り上げた大屋先生のエントリにおいていわゆる55年体制でも実質的な政権交代はあったとの言及がありましたが、それが機能しなかったわけです。
だからこそ細川政権はその発足、つまりは政権交代を実現したことが当然であったのみならず、その政策において選挙制度改革=現行の小選挙区比例代表並立制の導入を行ったことも、ミームの観点からは当然であったといえます。「利己的」なミームがその生存のために求めたわけですから。
同様に今回の選挙を見るなら、「A層」と「B層」がともに小泉政権を支持したという現象をどう説明するかにも違ったロジックが浮かんできます。つまりは改革のダブルミーニングが景気回復の二極化という現状にこれ以上なく適合したということで、寡占企業、とりわけ輸出産業におけるそれ(典型はトップ自ら支援を公言したトヨタ)に代表される「A層」は改革の継続=現状の維持と受け止めて現政権を支持し、他方で本来は改革重視・景気軽視の現政権の路線によって現状に不満を持っているはずの「B層」は改革の継続=現状の変革と受け止めて「抵抗勢力」から「改革派」への政権交代を支持したということになるわけです。
他方、今回の選挙結果のミームからみた問題点を挙げるなら、選挙直後に書いたように政権を担当する可能性のある自民・民主双方が同じ構造改革路線に純化してしまったことです。既述のとおり民主政ミームの他の政治制度ミームに比べての強みは政権交代というバッファの制度化なのですが、政権交代があっても現状が改善されなければ、結局は政治制度そのものへ不満が集まってしまうことになります。
言い換えれば、先に民意による選択が「間違っていても一向にかまわない」と書きましたが、間違い続けることには民主政ミームにとって大いに問題があります。歴史に見る民主政ミームの淘汰は小党分立等により身動きが取れなくなって間違い続けたことに起因し、より身動きがとれる政治制度ミームがその座を奪ったわけですが、同じ方向への純度を競って政権交代が行われ方向転換が行われないことに起因する淘汰においては、勝ち残る新たな政治制度ミームがどのようなものなのでしょうか。違う方向を示す野党の出現、というのが民主政ミームが前提とする生き残り策なのですが・・・。
bewaad さんの政治ミーム理論が新しい考え方で面白かったので試しに突っ込みを入れてみます。 (1)君主制下で政治の結果が悪かった場合は、その君主個人に不満が向かうかまたは征服されて(政治の結果が悪い=隣国に負ける)別の君主に変わるので、君主制も政権交代スキー..
>違う方向を示す野党の出現
これは難しいと思います。いまだに日本ではレーガノミックスやサッチャリズムのプラスイメージが強く、冷戦崩壊もあって政府の積極的関与を伴う政策は十把ひとからげに「社会主義的」として切り捨てられる傾向は強まりこそすれ、そんな考えに異議を唱える向きはご存知のように袋叩き状態ですね。そうした中では国民やマスコミの多くが構造改革的・小さな政府的政策をアプリオリなものとして受け入れているので、どうしても「同じ土俵」での勝ち負けを「競う」しかない。ところがややこしいのは、日本人のホンネの部分では出来れば政府や国家に頼りたい(年金や社会保障への強い不安が証拠)という願望が強いというところです。改革推進の当事者はその不安を突いて、安定した社会保障のためには構造改革・小さな政府が必要という言い回しをするわけで。例えば民主党がうちはヨーロッパ型目指しますと言った所で、それでは改革の後退だとか、社民党や共産党と一緒になれとかいう罵声が飛んでくるだけではwww
歴史的には、国民国家というのは戦争に強いから生き残ったのかと。
ミームのような人々の考えがまずあって、そういう人々が集まって
国ができるというような社会契約論的なのはどうもねえ。
現在民主主義国家があるのも、共産党独裁国家よりも戦争(冷戦含む)に
強かったのが端的な理由では。
今回の郵政民営化は、ただ単にこれが実現できるか否かに小泉の政治生命がかかってただけです。
小泉は、郵政民営化を実現できなかった時の自分へのマスコミの風
当たりを想像し、さぞ、ぞっとしたでしょうね(笑
>違う方向を示す野党の出現、というのが民主政ミームが前提とする生き残り策
小選挙区制は中位投票者なんたらのせいで違う方向をしめしにくくなる上に、並立制で多数党による票の二重取りが可能でおまけに比例がブロック制で少数党に不利というおまけまで付いていますからその傾向に拍車をかけます。
これ、当時も警告する人はいたんですが…。
ある意味、例の政治改革が成った時点で民主政の死亡(まだ死んでないってば)は約束されていたのかもです。orz
>すなふきんさん
ご指摘にはうなづくところもあるのですが、結局は体現する人があっての思想であって、そうした人が出てきさえすれば、変わることも期待できるのではないかと思います。もちろん現路線を体現する小泉総理の後継者次第では、現路線への傾斜は継続することも十分考えられますが。
>やすゆきさん
社会契約的な考えというよりは、人々の中で受容される制度の変遷の捉え方とご理解いただければと思います。
>竹永さん
なんとなくですが、実現できないというシナリオは小泉総理の頭の中には全くなかったような気がします。
>BUNTENさん
第三党がいれば例の定理は妥当しないわけで、本来は公明党がもっと独自性を主張してくれれば相当程度状況は変わってくるはずなんですけれども、今は期待薄ですね・・・。
公明党の場合、第一党と第二党の中取って半分(ただし野党でいる場合は多少野党寄り、与党の場合は多少与党寄り。なお、これは「中道」の本来の意味とは無関係。)、みたいな政策を出すのを常にしていますので、今のように本当の第三極が必要になる場合はあまり当てにできないかと。m(_@_;)m
国民新党とか共産党・社民党あたりの、現二大政党とはひと味違う政策を持つ勢力が適度に伸長すれば民主制の延命に一役買うと思われますが、ここらへんの政党(+郵政反対無所属)が現行選挙制度その他によって最も打撃を受けている結果、数的に頼りないと思われるに至っているわけで…。orz
多数決が正しい選択をするかどうかという点は、
数学や科学の命題としては興味深いと思います。
しかし、民意を問う意義を社会的問題として捉えるなら、
行動を選択する者の責任という観点の方が重要ではないかと思います。
国政の成否の結果には国民が責任を負うのだから、
国民が選択するのは当然の権利である。
逆に言えば、自分で選択したことなのだから、
結果に責任を負うのは当然の義務である。
・・・というように。
(正しい選択をした少数派も連帯責任となる理不尽さはさておき)
>(正しい選択をした少数派も連帯責任となる理不尽さはさておき)
そん時は、少数派は
大多数を説得し切れなかった責任を負う
ということになるんじゃないすかね。
>BUNTENさん
公明党の支持者、つまりはその大部分を占める創価学会員は都市部の相対的貧困層が中心ですから、本来宮台先生が主張するような都市リベラル的な政策をもっと主張してもおかしくありませんし、現にかつてはそうした路線だったわけです。末端の信者が中央からの指示と自分たちの生活実感との不整合をどのように整理しているのかは興味深くはありますが。
>ryonさん、Scottさん
その理屈を突き詰めていけば権力分立は不要ですし(典型には「すべての権力をソヴィエトへ!」byレーニン)、とりわけ違憲立法審査権は不要ということになってしまうように思うのですが、いかがでしょうか。
長谷部先生のご主張を借りるなら多数派の合意をもってしてもやってはいけないことがあるというのが立憲主義で、これ自身は憲法も硬性ではあっても改正は可能なので多数派が動き出したら憲法でもとめられず、あくまでフィクションに過ぎないとは思っていますが、であってもなるべくそうした事態が生じにくいようにすることには十分意義があると思います。
事情によりここでは一点だけ書きます。
>末端の信者が中央からの指示と自分たちの生活実感との不整合をどのように整理しているのか
今回貧困若者層が自民支持に動いたと言われることを考え合わせれば、客観的に見て望まれる政策と自分が支持する政策が違っている(不整合)と意識されるとは限らないだろうと考えられます。で、不整合と思えなければ、食い違いを整理しようなどとは夢にも思いますまい。
>結局は体現する人があっての思想であって、そうした人が出てきさえすれば
そうですね。結局現在は新自由主義的政策が先祖がえりとしてではなく、まったく新しいトレンドとして一般には解釈されているんだと思います。しかも内容自体あまり良く理解していない。そこには経済学的知識の基礎すらないという大多数の国民に共通する問題もからんでいるのでしょう。こうなるとほとんど偶然による為政者のレジーム転換のようなものしか期待できるものはないでしょうね。「賢明な市民」幻想を持つ民主主義原理が自動調整作用を果たす可能性にはどうしても懐疑的です。
力なき因果にて万一廃ることありとも、道絶えずば又天下の時に逢うことあり(『花伝書』)。
>BUNTENさん
無党派層と違って、学会信者は従来一定の方向性ある政策パッケージを支持してきたわけで、白地が色に染まりやすいのとは異なり、すでにある色に染まっているものが別の色に染まるのは難しいのかな、と思うのですがどうでしょう。
>すなふきんさん
民主政が大失敗をしでかす確率は他に比べて低いと思われるだけで、ゼロでないことは否定できないと思います。国民の判断に文句をつけるのか、といったような意見も一部に見られますが、アメリカ南部にでも移住して創造説の教科書で勉強させられてもなおそう言うのであればあっぱれですよね(笑)。
>韓流好きなリフレ派さん
皆死んでしまってからではケインズに顔向けできないという説も(笑)。
いや、通説に反して、意外と早い処世の成果を目指すのが花伝書の奥義でして 笑
30年前と現在の公明党の政策を比べれば天地の開きがあるように見えるのは事実ですが、私が「与党と野党の中取って半分」と形容したその政策の変化は、全体としてみれば与党と野党が少しずつ変わってきたようにゆっくりしたものであり、与党に対する対応の変化(+自民党の側の公明党に対する対応の変化)が急であったのに比べ、政策という"色"の変化は思いのほかゆっくりしたものだったので、「別の色」に染まり直す余裕は十分あったように思います。
>韓流好きなリフレ派さん
やはり芸事はお任せすべきようですね(笑)。
>BUNTENさん
でも、今回の選挙にいたってずいぶんと急に舵を切ったということはありませんでしょうか?
超遅レスだけど・・・
>そん時は、少数派は
>大多数を説得し切れなかった責任を負う
>ということになるんじゃないすかね。
・・・ということにしておきますか。
>その理屈を突き詰めていけば権力分立は不要ですし
民意が正しさを求めれば権力分立の必要性は否定されないかと思います。
民主主義において権力分立が当たり前となったのは
権力の暴走を民意が恐れているからでは?
(日本は例外)
とはいっても、日本で最近手本としてよく取り上げられるイギリスでは、権力分立は制度を見ればとても原始的で(違憲立法審査権はないし、最高裁は貴族院だし、などなど)、「民意」が強く反映されてしまってもおかしくない枠組みになっています。だからこそそうした制度の運用において暗黙の制約がどうなっているのか、というのが最近のconventionへの関心の源泉になっています。
アメリカは、そうしたイギリス体制がダメだとしたからこそ徹底した権力分立を打ち立てたわけですし、フランスであれば司法府(高等法院)が王権に逆らったりした実績や、フランス革命政府があまりに無茶をやったことを踏まえて強い司法府に意義を見出しているのだと思います。
>だからこそそうした制度の運用において暗黙の制約がどうなっているのか、
>というのが最近のconventionへの関心の源泉になっています。
権力分立の制度に合わせて選挙制度を考えるというのも本末転倒のような気が・・・
権力の暴走(本件では民意の暴走?)をどのように防止するかという観点から
権力分立のあり方を考えるのが本筋かと思います。
>日本で最近手本としてよく取り上げられるイギリスでは、
>権力分立は制度を見ればとても原始的で(違憲立法審査権はないし、最高裁は貴族院だし、などなど)、
>「民意」が強く反映されてしまってもおかしくない枠組みになっています。
>アメリカは、そうしたイギリス体制がダメだとしたからこそ徹底した権力分立を打ち立てたわけですし、
>フランスであれば司法府(高等法院)が王権に逆らったりした実績や、
>フランス革命政府があまりに無茶をやったことを踏まえて強い司法府に意義を見出しているのだと思います。
イギリスもアメリカもフランスも歴史的背景が制度に反映されているのだから、その国の人達が望んだ形ってことで、
ようするに、権力の暴走をどのように恐れ、それが権力分立にどう反映されたかって事ですよね。
ちなみに、「民意」の定義がちょっと変ですね。
権力分立は政治に民意を反映させない制度ではないのだから、
権力分立が防ごうとしている物を指すなら「暴走」が正しいでしょう。
ナチス・ドイツの例を見ても民意の暴走も怖いことです。
結局、重要なことは、国民がそれを防止する制度を望むかどうかってことでは?
毛利 透 (京大法教授) , 「マニフェスト選挙」なんてものはない, 世界 11 月号, 岩波書店
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2005/11/112.html
取り急ぎ紹介まで。(結論の一つはドイツと同様に公認された政党の top の選出過程には法の縛りをかけよとのことですが)
>ryonさん
最初にあやまります。コメントを見落としていて対応が遅くなり申し訳ありませんでした。小僧さんのコメントを期にごらんいただければと願うばかりです。
民意が暴走かどうかは事後的にしかわからないわけで、事前に暴走を防止しようとすれば、ある程度「民意を反映させない」ことが不可欠だと思います。そのあり方としてどのようなものがあるかは、ご指摘のように各制度でさまざまですけれども。
>小僧さん
「世界」はいつもは読んでいないので、機会を作って書店でめくってみたいと思います。
公認された政党の top では無くて選挙の候補者選びには党内の自治だけではなく、法の縛りが必要ではないかに修正します。その理由としてあげられているのは、政党の候補者となるかならないかで国家からの利益(政見放送の扱いの差やらたくさん)を受けられるかが決まるにもかかわらず、その選出過程には国家からの制約を受けないことが書かれています。他にもマニフェストを主権者との約束として擬することへの疑問などが述べられています。
立ち読みしました。政党の位置づけは、逆に特典を少なくしてあくまで私的自治に任せる方がよいのではという気もしますが、それにしても会社その他の私的法人同様、「政党法」でも定めて一定のガバナンスの枠組みやディスクロージャーの整備があるべきだろうと思います。
マニフェストについては、毛利先生が指弾するような誤解はやはりウェストミンスターモデルの一方的評価に由来するのではないでしょうか。
お偉い地位についている一部の老人が新自由主義を声だかに叫ぶのは自己保身が目的なんだろうということで分からないではないんですが、中小企業の経営者や従業員。若年層で高い教育を受けたはずものまでが支持するというのは、我が国の公民教育・歴史教育が失敗しているってことなんでしょうねぇ。
あと、日本で言われている英国モデルは現地の実態とかけ離れていると思います。誰も確かめないか、確かめても確信犯で間違ったイメージを振り回している。日本中がイドラに覆われた感じです。トホホ。
民衆が英雄や独裁者や貴種を好むのは、古代から知られている事実ですね。
小泉現象もその現代版と考えれば良いかと。
そう考えると、次の首相は麻生かなという気もするのですが。
雪斎さんによると、なかなかとんでもない家系らしいし。
sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_daca.html
URLの頭が切れてました。すいません。
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_daca.html
>我が国の公民教育・歴史教育が失敗しているってことなんでしょうねぇ。
教育の果たす役割については私はわりと懐疑的なんですよ。日本では昔から実社会で体で覚えたものがホンモノだという観念が格別強いですから、本気で勉強なんかしないんですよね。ここに来てる人みたいに問題意識が旺盛な人だったら自分で調べあげてますけど、普通はそうじゃない。それにマスコミも中途半端な知識垂れ流すし。新自由主義的な自己責任とか自助努力とか競争とか、個々の主張をとりだせばそれなりに筋が通ってますから、そこへ少しでも水をさすと「甘え」と切り捨てられるのがオチ。それとかならず出てくるのは新自由主義でなければ社会主義だという極端な二元論。
>http://bewaad.com/20050922.html#c31近辺
その公認候補と無所属候補の差という"規制"の存在を理由に政党への規制を敷くべきというのはどうかと。当初の選挙法では無所属と公認の扱いの差はほとんどなかったし(公認と称することができるかどうかの差くらいしか記憶にない)得票率や国会議員数による足切り条項ももちろんありませんでした。
それで不具合が生じたかというと、そうでもなかったように感じます。
規制は可能な限り少ない方がいい、とする私の立場からすると、小僧さんご紹介の毛利氏の立場は、規制を自己増殖させようとしているように見えたりします。(^_^;)
小選挙区制以前の政党に関して問題があったとすれば、事実上の寄り合い所帯である自民党が、政治あるいは自民党への関心の薄い層からは一つの政党として認識されてしまう結果、公約が軽視されているように見えてしまって"派閥は良くない"という批判に繋がったことなどが挙げられるだろうと思います。(これは派閥込みで報道されることでいくらか改善されています。)
例えば公職選挙法では
「同一の政党その他の政治団体に属する者は、1の投票区において、2人以上を投票立会人に選任することができない。」
としていて、立会人に指名されると所属政党を申告する義務がありますが、現状では複数の政党に所属していることになっていたり、自分が党員名簿に載っている事すら知らない人だっているわけで....
選挙公示前に離党届を出した人を選挙後に除名とか、選挙後の離党勧告とか、選挙後に支部解散とかってのもどうなんでしょうねぇ...。
選挙というものをまともにやる気があるのならば政党が「一定のガバナンスの枠組みやディスクロージャーの整備」なしにここまで来たのはなんとも理解しにくい気もします。
そもそも法学についてまったくもって不案内な事を棚にあげつつ書き込みをしているのは、いいのかなと思いつつ。それはさておき、引用が足りなかったかもしれないので。具体的には、候補者選定の際に幹部の意向だけでなく、投票というチェックシステムを(大抵はドイツと同様にそのまま承認されるだろうが)組み込むべきだと毛利先生は仰っていたと思います。それを規定する具体的な法文はわからないのですが、ドイツ基本法の 21 条では
(1) 政党は、国民の政治的意思形成に協力する。その設立は自由である。政党の内部秩序は、民主主義の諸原則に適合していなければならない。政党は、その資金の出所および使途について、ならびにその財産について、公的に報告しなけれはならない。
(2) 政党で、その目的または党員の行動が自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危くすることを目指すものは、違憲である。違憲の問題については、連邦憲法裁判所が決定する。
(3) 詳細は、連邦法で定める。
と (http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/ から引用) なっています。ドイツの政党法制に関しては http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010815520021114001.htm に高田先生の説明があるようです。(当文書の「政党法制の意義」で検索してください)
>すなふきんさん
なるほど。耳が痛いですが、自戒します。
Baatarismさん
>次の首相は麻生かなという気もするのですが。
やっぱり麻生さんなんでしょうねぇ。戦後の総理大臣って皇室と直接・間接のご親戚が優先だそうですけど、なんか次もそうなりそう。摂関政治だなぁ。はは。
>vodkaさん
成功者ほど、なぜ成功できないのかがわからない(失敗者に冷たい)という傾向はあるでしょう。頑張ればできるはずなのにできないのは頑張らないからだと。
>Baatarismさん
ある意味麻生大臣以上の家系ブランドを持つのは鳩山兄弟ですが、それであの体たらくだったりしますから(笑)。
>すなふきんさん
個人的な話で恐縮ですが、高校時代に左がかった教師(社会化担当)が授業中にその手の話をしていて、しかし生徒側は先生に何か言われれば反発するお年頃で、かえって右傾化させていた(笑)なんてこともありました。冗談はさておき、しかし頭のやわらかい時代に一定の知識を詰め込めば長く残りますから、「自分で調べる」力をつける教育は必要だろうなと思います。
>BUNTENさん
中選挙区制については、同じ政党だから政策の違いで争えず、地域への利益誘導に走るという批判が学者の間では人気だったように思います。小選挙区制であっても二大政党なら、政策の違いが出てこないというのは一緒なんですけどね(笑)。
>kumakuma1967さん
いちおう政党側を弁護しておくと、戦前の政党弾圧の反省から、政党についてはなるべく私的自治にゆだね、国家の介入を少なくすることがよしという価値観があってのことです。
>小僧さん
(西)ドイツの政党制度においては、ワイマール期に小党乱立による弱体政権がナチスの台頭の苗床になったという反省から、意図的に大政党有利・小政党不利なものにしてあるという固有の事情があります。引用の第2項は実質的にはネオナチ政党の禁止ですが、それも同じ反省から結社の自由を制限したものです。
◆ bewaad (2005-11-04 03:13)さん
http://bewaad.com/20050922.html#c44
あー、そーゆー話はありましたねー。
地域ではなく全国民への利益誘導なら問題ないことを考えると、どうしてもその問題を解決したい場合の策は比例代表制への移行だったはずなのになぜ小選挙区制にするのか。比例制のみでは無所属に過重な負担がかかるという批判はありうるのでドイツ的な併用制もアリなんですが、日本のは並立制。orz
やっぱりウェストミンスターモデルを理想化したからではないでしょうか。アメリカも小選挙区制&二大政党制といわれますが、あちらはクロスボーティング(相手党への賛同)ありまくりで、マニフェストを掲げあって云々という「二大政党制」ではありませんし。