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2005-09-30
■ [science]噂の創造説記事
9月26日付の産経新聞「「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く」ですが、その反進化論部分は既に多くの論考が見られるものの(例:Apemanさんによる「産經新聞に科学部はないのか?」)、結論部分のトンデモなさについてはあまり議論を見ない(寡聞であるなら恐縮ですが)ので、そこを取り上げてみたいと思います。
「人間の祖先はサルだという教育は、生物の授業の仮説ならともかく歴史教育や道徳教育にはマイナスだ」「進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ」という議論は日本でも多くの識者から主張されてきた。
マルクス主義の影響を最も強く受けているとされる日本書籍の中学歴史教科書は平成十三年度使用版まで、見開き二ページを使ってダーウィンの進化論と旧約聖書の創世記、戦前の歴史教科書の日本神話を対比させて聖書や神話を否定的に受け止めるよう誘導していた。
このような教育に対し、日本神話の再評価を訴えている作家・日本画家の出雲井晶さんは「道徳の上では人間は人間、獣は獣。人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている。誰が日本人を作ったのかというロマンを教えるべきだ」と話す。
中川八洋筑波大教授は著書『正統の哲学 異端の思想』でダーウィンを批判。創造論、進化論の双方が非科学的だとしても「文明の政治社会の人間の祖先として『神の創造した人間』という非科学的な神話は人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与えるが、『サルの子孫』という非科学的な神話(神学)は、人間の人間としての自己否定を促しその退行や動物化を正当化する」と論じている。
- ヒトが神の被造物であることに人間の尊厳の根拠を求めるというのは、ヒトがヒトであることからではそれを導き出せないということになりますが、それって本当のところはずいぶんと人間の尊厳を貶めていると思うのはwebmasterだけでしょうか。
- ひょっとしてこの人たちがやたらと市場をあがめるのは、「神の見えざる手」ってのを比喩でなく本気で信じているということ(笑)? マルクス経済学は近代経済学の「異端」ではあっても「異教」じゃないんですけどねぇ。
- 聖書を肯定的に受け止めたら(日本)神話は否定的に受け止めざるを得ないんですが。
- 「日本神話の再評価を訴えている」人が「人間を獣の次元に落とす」って、どういう「日本神話」をご信奉なのかおうかがいしたもので。八百万の神々って言葉は出雲さん(ペンネームでしょうけれど、国津神ゆかりの地を名乗る割には・・・)の辞書には掲載されていないとか?
- で、キリスト教の説くところが正しければサルも神の被造物です。「神の創造した人間」ならよくて「(神の創造した)サルの子孫である人間」なら駄目なんですか、中川先生?
- 創造説を論じるのに安易に「神」という言葉を使うのはまずいんですけどねぇ。一神教と多神教では同じ「神」と書き表してもまったく別物なんですけど。
- 最後にこれを書いた渡辺浩記者に申し上げるなら、引用部に至るまで
米国の記者もよく「何で早く神と言わないのだ」と質問しますが、ID理論家はあくまで科学的実証から出発するわけで、彼らは、自然的要因からは生じえない「デザイン」の事実が厳密に実証できるのだから、従ってデザインの主体、デザイナーの存在が推論できるのだと言っているのです。神から出発するのではないのです。キリスト教右派だとか宗教勢力の画策などというのは、そういうふうに見たがる人の言うことです。
と一生懸命論じている渡辺久義先生に失礼じゃないですか、人間は神により創造されたなんて意見をその後に続けたら。それじゃまるで渡辺先生が小手先のレトリックを操っているように見えてしまいますよ(笑)。
Judge Rejects Teaching Intelligent Design (New York Times (subscription required)) A federal judge ruled on Tuesday that it was unconstitutional for a Pennsylvania school district to present intellig...
http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/to.html
>●ある分野で地位を築いた人のトンデモ●
>専門外のことについてとんちんかんなことを自信を持って書き散らす例。
>得た地位のプライドが、評価された専門以外のことでは自分は素人レベルである、という事実を忘れさせるらしい。
・・・というのがあるのですが、
「京大名誉教授」って如何にもそれらしい肩書きに見えて実は「専攻は英米文学」(笑)
科学のことを素人に聞く新聞も凄い。
専門家は誰も記者の望むことを言ってくれなかったのだと推論できます。
素人しか望む答えを与えてくれないことが「支持する科学者は一人もいない」と理解するための「思考訓練」ですね。
で、この名誉教授、自分が素人だと忘れてるのかと思えば、「私は素人です」ってハッキリ断言してますね。
京大名誉教授にもなった人が、英米文学に対して見当違いのことを言う素人を見たことがないのでしょうか?
同様に、自分が進化論に対して素人だから見当違いのことを言ってると思いもしないのでしょうか?
・・・ということが「思考訓練」から分からないようでは
科学的思考力以前の論理的思考力が足りないと言わざるを得ないでしょう。
そのような人の言うことは、専門内のことであろうと専門外のことであろうと信じるに値しないかと思います。
>人間の祖先はサルだという教育は〜歴史教育や道徳教育にはマイナスだ
これって、人間は高潔で猿は下等という差別的思想の賜でしょうね。
このような思想こそ、歴史教育や道徳教育にマイナスと思われます。
>それじゃまるで渡辺先生が小手先のレトリックを操っているように見えてしまいますよ(笑)。
というか、私には渡辺先生が小手先のレトリックを操っているとしか思えないのですが・・・
だって、渡辺先生「科学的実証から出発する」と言いながら、
その出発点を実証してくれてないですよね。(記者が省略しただけ?)
「思考訓練として教えるべき」と渡辺先生が仰ってる内容から見ても、
記者が歪曲したと言うより渡辺先生の主張そのものに見えます。
これでは、道徳教育上の都合から科学をねじ曲げるべきと言ってるように聞こえます。
>この宇宙自然界の成り立ちを目的も計画もない機械的な力だけで説明しようという無理」
>自然的要因からは生じえない「デザイン」の事実が厳密に実証できる
>進化論には疑いようのない化石による証拠とか実験での証明は何もないのです
>前身となる生物の化石なしに多くの生物が(地質学的に言って)「一夜にして」出現したといわれる「カンブリア爆発」
これが出発点なら、素人による見当違いの誤解に過ぎないのだけど・・・
逆に、ID論の方にこそ、疑いようのない化石による証拠とか実験での証明は何もない。
だから、「支持する科学者は一人もいない」(笑)
「トンデモ本の世界」を見るに、理系の博士号を持っている人間でも賛同者は見つかりそうな気はするのですが(笑)。
偏見上等で申し上げるなら、アメリカでは聖書から演繹的に選好されている一方で、日本では道徳的な信条に合うものとして帰納的に選好されているような気がします。
進化論がマルクス主義だってのもなんだかなぁという感じで、保守とは伝統=歴史の淘汰の結果生き残ったものにはそれなりの合理性があるという考えなのですから、進化論に共鳴した方が論理的に整合的なのではとも。先に正当化したい道徳があって、というのであればそちらの方がよほどマルクス主義的ではと思います。
とまれ、デザイン云々というなら、下記ぐらい面白いことを言って欲しいものだと思います(笑)。
「火星人のプログラミングスキルを推定せよ−人間の遺伝子プログラムの似非科学」
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/8931/index10.html
「土星人のプログラミングスキルは?−遺伝子コンパイラの似非科学」
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/8931/index12.html
ちなみに渡辺先生云々は、当然皮肉です(笑)。
日本でID論を唱えるのなら、古事記や日本書紀の記述から生物がどのように創造されたか論じて欲しいですな。
明らかに一神教の論理から誕生したID論に無節操に与するなど、皇国史観の視点から見ても情けない限りかと。w
初めまして。私はsunandsunと言います。勝手にアンテナ登録しておりますが、御容赦下さい。
それで、専門外ではあるのですが、進化論とマルクス経済学が共鳴していたのは(あるいは、今もしがちなのでしょうか)、マルクス経済学の「単線形」の歴史観ゆえではないのでしょうか? この場合だと、「淘汰の過程」をどう捉えているかによって見解が分かれてしまう事はBaatarismさんの指摘通りだと思います。
それからカーライルの、いわゆる陰鬱な科学から立場からすれば、文学が社会あるいは宗教、思想にコメントする事でき得ると思います。というのも、例えば、ロイ・ハロッドは、「イギリス社会の事を知りたければイギリスの文芸作品を読めば良い」との旨の発言をしています。これの意味する処は、社会の雰囲気や状況、人間の在り方を射程に入れてしまう文学と、思想や宗教とは、共鳴しやすいということだと思います。それは、例えば、日本でも「プロレタリア文学」という分野がかつて存在したように。
それで、少しBaatarismさんに伺ってみたいのですが、『マルクス経済学は近代経済学の「異端」ではあっても「異教」じゃないんです』、とはどういう意味か、少し分からない。これは当然に私の不勉強もあるのですが(苦笑)、Baatarismさんが「マルクス経済学」をどう捉えられているかにもよると思います。
例えば、マルクスに階級論があるように、伊東光晴さんが指摘されたようにケインズにも階級論がある。その意味で、マルクス経済学も「近代経済学」なのか。
他には、元マルキシストの青木昌彦さんのように私有財産、いわゆる「所有権」に着目して経済を分析をしているからなのか。
それとも、歴史的にまだマルクス経済学が存在するから、「近代経済学」なのか。
最近、マルクスなどを読む意欲が出てきたのですが、マルクス経済学そのものは全く分からないので、もしよろしければ御教授お願いします
あの、すみません。うっかりしていて、BaatarismさんとBewaadさんを混同しています。
本当にすみません。謹んでお詫び申し上げます。
>偏見上等で申し上げるなら、アメリカでは聖書から演繹的に選好されている一方で、
>日本では道徳的な信条に合うものとして帰納的に選好されているような気がします。
欧米でのキリスト教がどういう物か日本人が分かってないからID論を真に受けるのでしょうね。
>進化論がマルクス主義だってのもなんだかなぁという感じで、
>保守とは伝統=歴史の淘汰の結果生き残ったものにはそれなりの合理性があるという考えなのですから、
>進化論に共鳴した方が論理的に整合的なのではとも。
それは、彼らが進化論を正しく理解してないからですよ。
何しろ、進化論と正反対の理論に反論して進化論は間違ってると言う人達ですから。
>とまれ、デザイン云々というなら、下記ぐらい面白いことを言って欲しいものだと思います(笑)。
こりゃ、面白い。FM-7とか、懐かしい。
>ちなみに渡辺先生云々は、当然皮肉です(笑)。
と、思ってましたけど、突っ込まずに入られないのです。
>Baatarismさん
動物どころか、神々だってまぐわって生まれたのですから、性風俗の乱れを嘆くことができなくなってしまいますので、そこは見てみぬふりではないかと(笑)。
>sunandsunさん
文学だからどうこうというより、必要な情報収集をどこまでやってのことかと思います。わかりやすいのはSFですが、科学考証がめちゃくちゃなものもある一方、学術論文とコラボレーションするものまであるわけですから。
マルクス主義については、マルクスはケネーやスミスの延長線上で理論を構築し将来を描こうとしたのであって、それら先行業績を無視したものでは決してないということです。
>ryonさん
先日のジェンダーフリーについての西尾先生や八代先生ではありませんが、批判対象のことをよく調べもせずに批判するのはまったくもっていただけません。いちおう保守を自認しているので、保守の名を汚すでないと(笑)。Baatarismさんではありませんが、そこまでいうなら一神教を批判してみろと(笑)。
ところで「魅惑の似非科学」気に入っていただいたようで何よりです。更新が滞っていますが、再開を信じて待っているところです。
>先日のジェンダーフリーについての西尾先生や八代先生ではありませんが、
>批判対象のことをよく調べもせずに批判するのはまったくもっていただけません。
全然関係ないけど、つい先日・・・
量子力学って変じゃないかって批判しようとして量子力学を調べてみたら、
変なのは量子力学ではなく、量子力学を間違って解説しているサイトや本だった。
・・・ということを経験しました。
>Baatarismさんではありませんが、そこまでいうなら一神教を批判してみろと(笑)。
欧米人は宗教=キリスト教と思っているからなのか、
キリスト色を薄めたからID論は宗教ではなく科学だと主張しているようで、
そんな日本人に通じない詭弁に?される日本人も情けない。
ID論支持者は、超越者が誰か特定していないと言うけれど、
それなら「超越者とはアラーのことだ」と言う輩が出てきそう。
それでも、彼らはID論を支持するのだろうか?
彼らは、科学と対決するために他宗教に塩を送ってるわけですね。
>ところで「魅惑の似非科学」気に入っていただいたようで何よりです。
「火星人」が人間を作った「土星人」がツールを用意した・・・という前提をサラリと流して
じゃあ、彼らの性格を分析してみようという遊び心が旺盛で、かつ、結論が面白い。
ってところが秀逸かと。
>動物どころか、神々だってまぐわって生まれたのですから、
>性風俗の乱れを嘆くことができなくなってしまいますので、そこは見てみぬふりではないかと(笑)。
キリスト教徒でなければ何も問題はないかと思います。
そもそも、性を忌み嫌うのはキリストの教えでないはずなのに、
(「一度も罪を犯したことのない者だけが石を投げろ」でしたっけ?)
性を忌み嫌うキリスト教徒って理解できません。
仮にキリストが本物の神だったとして、
仮にキリストの教えが絶対に正しい物だったとして、
彼らは、それが、長い歴史の中、人の手でねじ曲げられた可能性は全く考えないようです。
彼らには、免罪符なんて物は実在しないフィクションなのでしょうね。
局外者から見れば、キリスト・ファンダメンタリストによるイスラム・ファンダメンタリスト批判というのは同じ穴の狢にほかならないわけですよね。
性道徳は、日本の伝統でいえばマジョリティは厳格でなどなかったのにそれを言挙げする人々をさしてのことで、それで(日本での)保守派というのはちょっと考えたほうがいいのでは、ということでした。
>局外者から見れば、キリスト・ファンダメンタリストによるイスラム・ファンダメンタリスト批判というのは同じ穴の狢にほかならないわけですよね。
でも、日本人の多くはキリスト・ファンダメンタリストの実態を知らないから、「同じ穴の狢」だとは知らない。
>性道徳は、日本の伝統でいえばマジョリティは厳格でなどなかったのにそれを言挙げする人々をさしてのことで、
>それで(日本での)保守派というのはちょっと考えたほうがいいのでは、ということでした。
その辺の原因は明治維新にあるのでしょうね。
当時の警察の資料なんかを見ると、とっても面白いですよ。
必死に欧米の真似事をしたのでしょうけど、
混浴だとか子宝の偶像だとか日本古来の風習を一蹴できなかったから、
日本人の性意識はとても中途半端に・・・
どちらが良いかと言う以前に中途半端が一番タチが悪いわけで、
日本流セクハラとか世界に例を見ない性的に妙な国になってます。
>ryonさん
日本での性道徳はかなりややこしいところがあって、たとえば売春など日本では建前で禁止でも事実上野放し状態ですが、西欧諸国ではどうなんでしょうね。そのへん意識の差とかあるんでしょうか。
>ryonさん、すなふきんさん
明治維新による性道徳の変化というのはご指摘のとおりかと思うのですが、それは基本的に武家の規範が一般に流布されたというものと理解していまして、となると疑問なのは同性愛がタブーとなったことです。同性愛は武家においてもタブーでなかったのになぜかな、と昔から思ってました。
>bewaadさん
江戸時代になってからは,同性愛はタブーではなかったかも知れませんが,必ずしも推奨すべきこととは見なされていなかったようだと読んだことがあります。最も,これは時代により,藩により事情は様々であったろうと思いますが。
時代が下るにつれて,陰間茶屋も次第に衰退していったようですし,同性愛の捉え方については,キリスト教や西洋文化の摂取が始まる前から変化はしていたようです。理由はよくわかりませんが。
(たしか柴山肇の『江戸男色考』で読んだ話だと思うんですが,うろ覚えです)
あと,これは言うまでもないかも知れませんが,江戸時代の人々が考えていた「男性同性愛」と,現代のそれとは同列には語れないだろうと思います。当時の資料には成人男性同士の同性愛についてはほとんど言及がないらしく(もちろん当時も成年同士で愛情を結びたいと考える同性愛者はいたはずです),むしろ「少年愛」と表現すべきものではなかったかと。
若衆歌舞伎の禁止を考えれば、確かに対象は少年で、しかも推奨すべきこととはされていなかったように思います。考えが浅かったようです。反省。
>bewaadさん
>先日のジェンダーフリーについての西尾先生や八代先生ではありませんが、批判対象のことをよく調べもせずに批判するのはまったくもっていただけません。
細かいツッコミですが、八代先生ではなく八木先生ではないかと・・・
それと関係が無い話ですが、ブックオフで買った「新・国民の油断」がアマゾンで1000円で売れました。最初は4000円以上の最低出品価格だったので、bewaadさんのところの批評が効いたのかな?って一瞬思ったのですが、ただ単に、アマゾンに新品が入荷されたからのようです(笑)
それでも1000円で売れましたから、現在は、この手のプチ保守的な本は人気があるようです。
ああ、コメントだとつい記憶頼りで・・・。八木先生、大変失礼なことをしてしまい、申し訳ありませんでした。
のびたさんもご指摘いただきありがとうございました。
ところで中古本の鞘抜きシリーズ、なかなか面白い傾向が出てくるかもしれませんね。ぜひblogで連載していただければ、と思います。
>ところで中古本の鞘抜きシリーズ、なかなか面白い傾向が出てくるかもしれませんね。ぜひblogで連載していただければ、と思います。
せどりを経済学で考えるのは面白そうなので、少し経ったら、「せどりの経済学」というエントリーを立ててみようと思います。その際は、つっこみ宜しくお願いします。
楽しみにしてお待ちしております。