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2005-10-13

[economy]大石英司さんへの再度のリジョインダー

先日大石さんからいただいたご指摘についてお答えさせていただきましたが、それに対して再度エントリをお起こしの上でご見解をお示しいただき、さらに"Happy News"の要約にもお目とおしいただいたとのことですので、それらでのご議論についてお答えさせていただきたいと存じます。

10/10付エントリについて

そのアイロニーの意味合いで言えば、都市部ではともかく、地方では経済活動の公共事業への依存度が極端に高い現象が続いている。まともな現金収入が得られる仕事と言えば、公務員と日雇いしか無い。納税に関しても、都会には遠く及ばない。わが国に於いては、公共投資によって貯蓄の再配分まで行われているわけですよね。都会から地方へと。これはやはり都会人にとって、ある種のアパシーの原因にもなっている。公共投資が社会福祉の意味合いを強く帯びている。果たしてこれは、正常と言えるのか? 税制が持っている富の再配分の一形態に過ぎないと言い切れるのか? という疑問が一つと、世界経済のボーダーレスな枠組みの中で競争を強いられているのに、わが国のリソースの配分が果たしてそれで良いのだろうかという疑問がある。

この点については、下記のエントリで論じましたが、日本が国内で通貨を統一しているため、各地方が自由な金融政策を用いることができないので、財政政策のみに負担が偏しているという背景があります。近年の例としては、東西ドイツの統一に当たり、東ドイツマルクと西ドイツマルクが等価とされたことがこの効果を分かりやすく示しています。

統一前は東ドイツマルクと西ドイツマルクの実効為替レートは2倍程度の開きがあった(つまり、2東ドイツマルク=1西ドイツマルク)にもかかわらず等価で通貨統合したので、旧東ドイツ地域では賃金などの生産資源単価が100%ほど割高となり、一気に生産が滞って不況になったわけです(で、旧西ドイツから大規模な財政移転が必要になりました)。実効レートで通貨統合していれば、旧東ドイツの労働者に対しては生産性に見合った賃金を支払えばよく、その分旧東ドイツでは民間ベースでの生産資源移動がスムースに進み、雇用確保も図られたことでしょう。それと同様の事態が生じているわけです。

郵貯にせよ、民間にしても、お金の行き所が無いから国債として国が有効に使っているという考えは、これは取りようによっては、国側の視点であり、バンカーとしての資質を備えなかった、無能な日本の銀行の言い訳ですよね。国が国債を売りつけてくれるから、せっせとそれを買うだけで銀行の仕事が勤まるという日本型資本主義の歪んだ構造がそこにある。

果たしてそれは、民間や個人に資産運用の才能やチャンスが無いから国が代わってやったことなのか? 私はそうじゃなく、富国強兵の名残で、国は敢えて民間や個人が、そういう資質を持つことを奨励しなかったことが、国債依存の現実を招いたのではと思います。つまり、お金は国が有効に使うから、民は余計なことを考えずに働いて貯蓄せよという時代の名残が今も残っている。

現在は少子高齢化が問題となっているわけですが、それに先行する時代においては、一般に貯蓄超過が生じやすい状態になります。というのも、所得=消費+貯蓄(経済学的には、貯蓄とは将来の消費なので、つまりは稼いだお金は今か将来かのいずれかで必ず消費する、ということを表します)ですが、日本で言えば第一次ベビーブーム以降子供の対総人口比率は下がってきているので、教育費等の子供のために使わざるを得ない消費が減少する一方、世代人口として相対的に多い第一次ベビーブーマーは老後に備えて貯蓄したいというインセンティブがあるので、消費に比べて貯蓄が(少子高齢化につながる人口動態がない場合に比べ相対的に)少なくなります。

他方で投資とは消費される財・サービスを生み出すために行われるものですが、このように消費が少ない以上、投資もまた低い水準にとどまらざるを得ません。こうした貯蓄を後押しし、投資を滞らせる方向に働く人口動態こそまさしく構造問題の最たるもので、日本の銀行が有能であれば貯蓄投資差額が生じなかったということにはなりません(十分に有能だったと申し上げるつもりもありませんが)。

傍証を挙げるなら、貯蓄投資差額が貯蓄超過であることの帰結は財政赤字and/or経常収支黒字ですが、いずれも昭和40年代にその傾向が現れ、これは第一次ベビーブーマーが成人となった時代に重なるわけです。その後においてなお、それ以前の貯蓄優遇施策(貯蓄投資差額が投資超過なので海外から借金する必要があり、その解消のため貯蓄を奨励していました)が生き残っていた面はありますので、ご指摘のような部分もあったかとは思いますが、その影響は相対的には軽微なものだったのです。

人口は減る。働き手も減れば、税収も減り、逆に社会保障費は増加するという中で、国債に依存し続けるとしたら、何処かで、これはもう駄目だという破綻のピークが来るでしょう。たぶんうちの息子が年金を貰う頃には、この国はもう全く借金で首が回らず、新たな借金も出来ないという事態に陥っていると思います。私はそうなる前に、一千万人単位での移民の受け入れと、消費税の大幅値上げをすべきだと主張しているのですが、これはどうも受けが良くない。

われわれが今為すべきことは、国債への依存は今後とも避けられないだろうけれど、われわれがこの問題にコミットして、このまま放置するつもりは無い。解決策を持っているということを、国民や世界に意思表示し続けることだと思うわけです。そうしないと、予期しない段階、例えば10年20年という極めて近未来の時点、まだ日本人がそこそこの貯蓄を持っている段階で、急激に日本の国債が信用を失い、誰も買ってくれないという日が来るかもしれない。

そういう危機感をもって、国債の信用にいかに維持するか? が重要になるだろうと思います。それを考えた時に、景気回復も重要なれど、国債依存度を下げるといのは、一番明快な解決策に思えるのでしょうが、いかがでしょう。

まず少子高齢化の経済成長率への影響ですが、下記のエントリで紹介したように、少子高齢化時代においてなお、2%台前半の経済成長が可能(実質ベース)であるというのが経済学者のコンセンサスとなっています。税収(社会保険料なども含む)が名目GDPに国民負担率を乗じたものだとするなら、名目GDPが成長し続ける以上、税収も絶対値の傾向としては減ることにはなりません。

国とはしょせんは民間経済の寄生虫であるに過ぎず、ただ寄生主にとって有用だから存在意義があるのだとwebmasterは思うのですが、寄生虫が寄生主からたっぷり養分をもらいたいなら、あくまで寄生主がより元気になって(=十分な経済成長を確保して)吸収可能なおこぼれが多くなるという姿でなければ共存共栄は不可能です。寄生主の体調がすぐれないにもかかわらず、もらえる養分が少なくなったからといって吸収量を増やしていくなら、その先にあるのは共倒れでしかありません。十分な経済成長を確保した場合には国債発行は維持可能であることは、下記のエントリで簡単な試算をお示ししたとおりです。

そうは言っても今でも経済成長は達成されているではないか、というご指摘もあろうかと存じますが、下記のエントリ(上のもの)で論じたように、近年の輸出増あってのことで、自立的なものとは到底いえません。といいますか、靖国やら常任理事国やら東シナ海開発やらで中国に対して強硬的な姿勢を示す現政権ですが、その割には経済成長についてはどんどん中国への依存度を高めているわけで、真に中国に対して強硬でありたいならこの状況を何とかすべきではと申し上げたい(笑)ところです。

最近になってようやく設備投資も上向き、その限りで自立的な内需主導の成長の兆しが見られますが、それとて下記のエントリ(下のもの)で論じたように、ストックの増加量としてみれば相変わらずの低調で、つまりはこれまであまりにも投資が行われず老朽化が進みすぎたが故に過ぎません。ストックの増加量が回復するに至ればどれほどのGDPの成長につながるかを考えれば、この程度で満足するのは早すぎると言わざるを得ないでしょう。

10/11付エントリについて

昨日の国債のネタですが、意外に反応が鈍いですね。たちまちコメントが溢れるかと思ったのに、退屈な話でしたでしょうか。昨日の bewaad 氏の新しいエントリーを読んで思ったのですが(本当に面白いですね。まさに目から鱗が落ちるような切り口。私らもっぱらマスゴミで、赤字国債は駄目だ駄目だと聞かされ続けて来たせいで、すっかり国債への信用を失っているけれど、全然オッケーだよ、という話も新鮮で面白い)。ポイントは、人口の増減をどう予測して、どう捉えるのか? で意見がだいぶ違ってくるのかな、と思いました。最近も、エコノミストが何処かが、日本の少子化ダイジョウビだよというテキストを書いたんですよね。

確かにメディアの報道はいかがかという点は数限りなく(笑)あるのですが、大本営発表で財政は危機的状況だと騒ぎまくっている財務省に誑かされたのだと思えば、真犯人は財務省ということになります。しかしさらに別に黒幕がいるというのが下記のエントリで論じた仮説で、小泉総理と経済財政諮問会議がそれだとwebmasterは考えています。既述のように国の収入はGDP×国民負担率となるので、国の収入を上げようと考える場合、国民負担率を上げる以外にGDPをきちんと成長軌道に乗せるという選択肢があり、そのいずれが望ましいかの検討が必要です。

しかし、叩かれた財務省がそれへの順応として自らの役割をより小さなものに限定し、GDPは責任外だと思うようになったが故、GDPがどうなろうと国民負担率を上げる(ことと、歳出を削る)ことが合理的行動となってしまったので、他の誰かがGDPに責任を持たなければ、選択肢は1つに限定されてしまいます。それが結果として正しいのであればともかく、考えれば考えるほど間違った選択であるとしか思えないのですから、存在するはずのもう一つの選択肢がなくなっていることの重要性は無視できません。

先の例を使いまわすなら、吸い取る養分が少なくなったからもっと寄生主から搾り取ってやれ、と財務省が主張するなら、まずは寄生主を元気にすることが優先で、そうすればおのずと吸い取る養分が多くなるとブレーキをかける役割を担う部署が必要で、それは橋本行革後の現在では総理大臣、そして経済政策においてそれを支える経済財政諮問会議でしかあり得ません。にもかかわらず、総理も諮問会議も財務省の尻馬に乗って財政危機を煽り立てているのですから、この構造こそ改革すべきなのです。

・・・メディアの役割が権力監視だとメディア自身が主張するのであれば、まさしくこの構造を問題視しなければならないはずで、となるとやっぱりメディアの罪は極めて重いですね。大石さんのご指摘のとおり。


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