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2005-11-13
■ [law][book]長尾龍一「ケルゼン研究II」
lawカテゴリに入れたものの、それは長尾先生が法哲学者とされている以上の意味はなく雑文集に近く、そしてそれに3,600円という対価を支払うことを妥当と考える人があまり多いとも思えないのですが、webmasterにとってはそれらは対価に値しました。お亡くなりになったばかりのピーター・ドラッカーがケルゼンと親戚(ケルゼン夫人の甥がドラッカー)だなんて知りませんでしたし、その微妙な関係(第5章に詳しいです)を見てからドラッカーの著作に接すれば違った陰影が覗かれるような気もします。
量的にもっとも大部なのはマーク・トウェインの世紀末ウィーン(もちろん19世紀です。為念)のオーストリア議会見聞記ですが、その他ケルゼンの第一次大戦期のオーストリア・ハンガリー二重帝国官僚としての業績など、同帝国末期の政府部内のさまざまなエピソード(宰相の決闘なんてものもありますが)は興味のある人にとってはたまらなく面白いものです。この頃のウィーンと言えば文化芸術のみが注目されがちですが、政治も捨てたものではありません(結果としては捨てたものといわざるを得ないでしょうけれども)。
幕末の幕府に似て、というと乱暴な共通化なのでしょうが、一国の衰退期において案外まっとうな再建策が模索され、しかしそれが潰えていく様というのは、現代日本官僚としてのwebmasterもよく味わうべきなのでしょう(笑)。といいますか、そうした時代だからこその悲喜劇であり、後世から見ての面白さなのでしょうけれど。
そういえば、稲葉先生がカール・シュミットをしこしこ読むとのことですが、ケルゼンとモーゲンソーを中心にシュミットやレオ・シュトラウスらのつながりを描いた第4章は、現代アメリカ思想をそういう観点から見ようとしている方々にはたくさんのヒントが詰まっているものなのかもしれません。そっち方面には疎いwebmasterにとっては単にトリビア的に知識をもたらしてくれたに過ぎないのですが。
>その微妙な関係
そういえば、ドラッカーがどっかで、
"Ich konnte die Ultrarationalit?t meines Onkel Hans nicht ausstehen."
(叔父のハンスの超合理性にはまったく我慢がならなかった)
なんて言ってたのをどこかで読んだ記憶があります・・・
本書のあとがきに、そのせりふ(英語ですが)の載っている次のページが紹介されています。
http://www.peterdrucker.at/en/bio/bio_01.html
というわけでドイツ語版もあるだろうと探したら、そのままのテキストが次のページにありました。
http://www.peterdrucker.at/de/bio/bio_01.html
URLありがとうございます。しかし、確かに興味深いと言えば興味深いですね。
この本を読む限り、後に経営学に転ずるというのが不思議に思えるぐらいで、晩年の一般には脱線気味と受け止められている著作の方が彼本来の関心事項だったのでは、というようにも見えてきます。