toppage memoranda
(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2005-12-13
■ [economy][politics]ある親リフレ心情の淵源
最近あれこれとリフレ政策をめぐる議論のあり方について書いています。今日はその足元を検証する意味で、なぜwebmasterは親リフレなのかを考え直してみました。といっても時系列に沿った経緯は既にあります。ここではwebmasterが親リフレであることの背後の思想のようなものを取り上げたいと思います。
リフレ政策とはデフレへの処方箋として考えられた方策の1つです。とりあえずデフレのままでいいんだという立場を忘れると、デフレを何とかしようと思い立ったときにリフレ政策に傾斜するか否かはデフレの原因をどう認識しているかに依存するでしょう。広義のリフレ派の内ゲバを引き起こすのは本意ではないので(笑)、シンプルな二項対立で示すなら次のとおりでしょう。
- 何らかの社会経済構造に問題がある
- ここ20年ほどのマクロ経済政策に問題がある
リフレ政策は後者の認識に立ち、誤ったマクロ経済政策運営が原因なのだからそれを正すべきというものです。乱暴に言えば緊縮で引き締めすぎたのだから補って余りあるだけの緩和をせよと。他方で前者は、概ね次のような歴史認識を持っているとwebmasterの目からは見えます。
- 60年代まで
- 欧米諸国を目標に追いつこうとしていた時代で、その目的に適合した社会経済構造であったので高度成長が達成できた。
- 70年代・80年代
- 欧米諸国に追いついてしまったので、それまでの社会経済構造をキャッチアップ型から変えなければならなかったにもかかわらず、小手先の手直しで済ませてしまった。その行き着いた先がバブル。
- 90年代
- バブル崩壊により社会経済構造の遅れがあらわになったにもかかわらず痛みを恐れて改革を先送りし、ますます事態は深刻になった。
- 2000年代
- 小泉政権発足によりようやく改革が進みだし、その結果日本経済はようやく復活しつつある。
こうした歴史認識にはwebmasterは非常に違和感があります。事実関係に大いに疑問はありますが、それは本稿の目的から外れるので目をつぶります。ここで先日まとめた稲葉先生の言葉を引きます(というか、後で引きやすいようにまとめたというのが舞台裏だったりします(笑))。
社会革命は、それが語の定義上「奇跡」であるのなら、不可能事にほかならず、その結果訪れるのはよくてカストロのキューバ的状況、そして蓋然的にはレーニン後のソヴェト=ロシアや人民中国を襲った運命であろう。
なぜ社会革命が語の定義上「奇跡」なのでしょうか。webmasterの理解では次のように整理できます。
- 第1のハードル
- 仮に現在が何らかの対策が必要な状況であるとして、それが「アンシャンレジーム」のせいなのかそうでないのかをどう判別する必要があります。
- 第2のハードル
- 仮に「アンシャンレジーム」のせいだったとして、そのうちどの部分が革命により打倒されるべきなのかを見出す必要があります。
- 第3のハードル
- 仮に打倒されるべき部分を見出したとして、その替わりにいかなる制度・構造を造り上げれば革命前の問題が解消されるのかを編み出す必要があります。
- 第4のハードル
- 仮に新制度・構造を編み出したとして、その副作用が小さいものである(仮に大きければ、それへの適切な対処がなされる)必要があります。
これら全てをクリアして初めて社会革命は成功です。どこか1つでも躓いてしまえば革命などしなければよかったということになってしまいます。しかし、1つであってもクリアするのは容易ではありません。簡単な算数ですが、1つのハードルをクリアできる確率が1/2だったとしてもすべてをクリアできる確率は1/16(6.25%)、1/10なら1/10000(0.01%)です。
そのような難事を果たすに成功率を上げようとするなら、歴史を見て似通った事例から少しでも参考になりそうなものを集めてくるしかありません。実は最初に二項対立として提示したうちの「ここ20年ほどのマクロ経済政策に問題がある」とは、そうした参考を集積してマニュアル化された革命とも言えます。これまで歴史上数多く存した社会経済問題について、手探りしながら適用された諸対応策から成功例・失敗例それぞれに共通する要素を抜き出しまとめたものです。
逆に、革命による社会経済問題の解決とは、過去の事例を切り捨てて現在の知恵に賭けることに他なりません。考え方の枠組みからして古きを捨て去って新しきに替えるのですから、そうした姿勢も当然です。
乱暴ではないかとのご指摘があるでしょうから、実際にリフレ政策と構造改革を例にとって見てみましょう。リフレ政策が参考にする歴史上の事例としては次のようなものがあります。
- 江戸時代の貨幣改鋳
- 19世紀後半のヴィクトリアン・デフレの脱却プロセス
- 大恐慌時の脱却プロセス
これら古今東西の事例は、いずれもマネタリーベース不足で停滞していた経済がマネタリーベースの大胆な増加を企図した政策遂行により反転したことを示しています。とりわけ大恐慌研究においては、そうした政策転換にためらった国ほどいつまでも停滞を引きずったことが明らかにされています。
#ついでに付け加えるなら、よくある「デフレ無理やりインフレにしたら歯止めが利かなくなる」という指摘について、そのような事例はありません。デフレでもないのにマネタイズ(貨幣を発行して政府の支払に充てること)をしてインフレになった事例はありますが。
他方で構造改革を語る際に引合いに出される歴史上の事例は次のようなものです。
- 織田信長
- 明治維新
- 戦後改革
- サッチャリズム・レーガノミックス
前三者は気分を物語る以上のものではあり得ません。というか共通するのはそれぐらいなもので(笑)、それぞれが直面していた状況も違えばどのような対応を図ったのかも違っています。もし何か前三者の具体的な「改革」が前提条件等を含め今の日本に適用可能だという根拠があればぜひともご教示いただきたいもので。
となれば残るはサッチャリズム・レーガノミックスしかないのですが、これらは高インフレ・供給過少である状況への対応としてなされたものです。デフレ・供給過剰である今の日本に適用することはまずは誤りであると疑ってかかるべきです。また、それらの副作用がどのようなものか、例えば「ハードワーク」を読んで対応を検討すべきでしょう。
話を本題に戻しましょう。webmasterの親リフレ心情の根っこにあるのは、自分の能力など高が知れているという認識です。だからこそ先人の知恵を尊重すべきだと思うのです‐もちろん権威主義に陥る危険性は付きまとっていますが‐。その延長線上には、市場のことは基本的には市場がうまくやるだろう(少なくともwebmasterがない知恵を絞った解決策よりは)という信頼もあります。
ところが構造改革主義は逆に、改革を推進する自らへの絶対と言ってよい信頼があるように見えてなりません。だからこそ過去の事例を切り捨てることができるのでしょうし、市場にも積極的に介入しようとします。先人も「抵抗勢力」も自らに勝るものではないという無謬性の確信をwebmasterはともにすることができないのです。
その意味で、当サイトではよく小泉政権の政策運営を批判していますが、それに限らずあらゆる革命的指向にはついていけません。小泉改革では改革が不足しているという者にも、小泉改革とは違う方向の改革が真に求められているという者にも。
■ [economy]バーナンキの背理法の真意がやっとわかった、かな?
金利がゼロであっても、国債等を購入し続けることによりデフレから確実に脱却できる方法としてよく挙げられるものに、「バーナンキの背理法」というものがあります。「エコノミストミシュラン」(ASIN:4872337956)115ページより引用すると、「バーナンキの背理法」とは(読みにくいので改行入れてます);
「中央銀行が国債を含む資産を買ってもインフレが起きない」と仮定しよう。この場合、すべての市中国債を買い取っても、さらには政府が発行する新発国債をすべて引き受けても、さらにはあらゆる資産を購入してもインフレにならないとなるため、たとえば財政支出をすべて中央銀行による国債購入代金でまかない無税での国家運営が可能となる。
しかし、この結論は誤り。従って「中央銀行がどれだけ国債や資産を買ってもインフレが起きない」というそもそもの仮定が間違っていることになり、中央銀行が市中の国債流通高をネットで減少させる規模で国債購入を継続する限り必ずインフレが発生することが証明される。
これは、バーナンキがゼロ金利のもとでも金融政策がリフレ政策として有効であることの説明で用いた。ただ、この説明を「バーナンキの背理法(reductio ad absurdum)」と名づけ、流通させたのは、日本のネット社会である。
要するに無税国家というのはあり得ないので、中央銀行が国債等を買い続けていればいずれは必ずインフレになるということが確実に言えるよ、と言うことです。
ところがここでは「あり得ないこと」の例として無税国家を想定しているので、その実現には財政政策が絡む必要があります(減税や税の廃止も財政政策なので)。そのため、「バーナンキの背理法」によれば中央銀行は単独ではインフレは起こすことはできない、という見解があります。
「「バーナンキの背理法」のweak form、あるいはプライマリーバランスが赤字の国においては中央銀行が単独でインフレーションを起こすことが確実に可能である件について」(@svnseeds’ ghoti!12/11付)
実はwebmasterも「『バーナンキの背理法』によれば中央銀行は単独ではインフレは起こすことはできない」という見解だったのですが、このsvnseedsさんのエントリを機に考え直してみたところ、ひどい間違いをしていたように思い至りました。
svnseedsさんの解は直接ご覧いただくとして、webmasterの別解は次のとおりです。
「『バーナンキの背理法』においては『無税国家が可能』であるのが矛盾なので、現に無税国家とするかどうか=減税を行うかどうかはどうでもいい。言い換えれば、『可能』であることを示せばそれで足りる」
これも間違っているようでしたら、ぜひともお導き下さい>読者諸賢
■ [economy]リカードの等価定理の含意
もう1つsvnseedsさんのところから。
おまけ。上の『「バーナンキの背理法」のweak form』を考えていたときに、リカードの等価命題が合理的期待を前提としても成立しないことを示せることに気付いた。要するに、人々が、今回の減税はいずれ(増税ではなく)貨幣創造でファイナンスされると考えていれば、その減税分は貯蓄ではなく消費に回るのが合理的な行動となるわけだ。
「リカードの等価命題について」(@svnseeds’ ghoti!12/11付)
そのインプリケーションこそがFTPLではないでしょうか? 「今回の減税はいずれ(増税ではなく)貨幣創造でファイナンスされる」というのは、Non-Ricardian型財政政策ということですよね?
FTPLの枠組みにおいてNon-Ricardian型財政政策がインフレを引き起こすというのはバーナンキの背理法の帰結の一部、つまり前エントリでいう「可能」であるだけでなく実際に無税国家への道を進むことでインフレにいたるというものでしょう。帰結の残る部分はRicardian型財政政策、つまり現在の財政赤字は将来の増税によりファイナンスされる場合であっても中央銀行の無制限国債買い入れはインフレを引き起こすというものになるはずです。
FTPLにおいてはRicardian型財政政策は物価に中立であるので中央銀行こそが物価変動を握る、そういう理解が間違っているなら、これまたぜひともお導き下さい>読者諸賢
■ [economy][WWW]リフレをめぐる議論における自らの失敗を振り返ってみる
ryozo18さんのリフレ政策説得失敗パターンのまとめがあまりにも当てはまっているので笑うしかない気分。
いや、なかなか。ryozo18さんのまとめは見事に議論がこじれるパターンwをあらわしてますね。最後にリソース不足で文献に丸投げってあたり、これやっちゃうと相手はしびれ切らしちゃう。
>親リフレ心情・・・市場のことは基本的には市場がうまくやるだろう
>ところが構造改革主義は・・・市場にも積極的に介入しようとします
ここは世間一般では発想が逆(リフレ=政府介入、構造改革=市場重視と考えられている)でして、そこからして理解されてない現状があるような。だからトンチンカンなことになりがちw。以前も言及しましたが、政府介入の意味が異なるというのもあるかもしれませんが。
どうもですー。
おっしゃる通り、FTPLの枠組みに非常に近い(もしかして同じ?)と思い、そのESRIのペーパーは(あのエントリを書く前に)読んでみました。金融政策と財政政策がシニョリッジを通じて繋がっている、ってイメージは(考えたら当たり前なんですが、僕にとっては)刺激的です。でもなんか物価を決定するのに金融政策は関係ない、って考え方もあるみたいでクラクラしてますが。リフレ政策を否定するのにFTPLを使う人もいますしね!
せっかくなのでもう少しFTPLについて調べてみようと思っております。例によってhicksianさんが先行しているみたいなので楽できそうですw。(あとで見つけたんですが、hicksianさんのこのエントリ(http://econ.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2005/08/ftpl.html)もすごく面白いので是非どうぞ)。
bewaadさんのおっしゃるとおりだと思います。詳しくはsvnseedsさんのところのコメントに書きましたが、ここでまとめだけ書かせていただくと、バーナンキの背理法において(1)「政府が大量の国債を発行」は証明された命題「日銀が国債を買いつづければインフレになる」の必要条件ではない。(2)必要条件だと思った方は、バーナンキの背理法が「具体的な解を示す」タイプの証明だと誤解していると思われる。
しかし、非自然科学で「教科書嫁」がどれほど驚くべき状態か理解
されていないのが悲しいですな。経済学者の間に深刻な対立があっ
てもうハチャメチャと、当の経済学者を含めてみんな思いこんでい
るがそれでもどの教科書でもだいたい同じ内容なのがスゴイんだけ
ど。もちろん、人によっては「ユニーク」過ぎる見解を教科書に書
く人もいるけど、まあ大抵は読み飛ばしても構わないような部分に
すぎないし、本質的なら「革命の書」か、あるいは駄本(自分の
大学の学生以外は誰も読まない)と言い切ってよいわけで。
これが多くの非自然科学系では、教科書なんか最初からない、あっ
ても「ユニーク」な内容を除くと=共通理解の部分はわずかな量し
かなかったり、単なる常識にすぎなかったりするわけで。
親リフレ心情=市場重視と言うことを理解してもらうためにも、ミクロ介入の可否を軸にしたReflation Compassがやはり必要のようですね。
先日のまとめへのリンクが間違っているようです。
http://bewaad.com/20051207.html#p01ですよね。2が抜けてます。
>銅鑼衣紋さん
駄本大杉栄と駄本被害者の会会員としては思わざるを得ません。
スティグリッツ・ Web 版スタディガイド http://www.toyokeizai.co.jp/pub/stiglitz/ が紹介されなくてもじれる日本の私w
とふざけて書いてみます。
・政府はデフレを促進したいという悪意を持っている
・政府はいくら増税しても倒れることはない(有権者はいくら増税されても小泉支持)
という非現実的(?)な仮定を置くと、中央銀行単独ではインフレを起こせない可能性はあります。中銀がバンバン増やしたマネーを政府がすべて増税で吸収し、それを支出せずに黒字を貯めこんでしまえばいいのです。
もちろん現実にはこんな政府はすぐに倒れてしまうのでかなりムリメな反論ですが。
そのryozo18さんのエントリーをみてはじめは面白かったけれども、リフレ政策の「規範」というところでひっかかった。リフレ政策が前提にしている「規範」は効率性の重視というたぶんすごくゆるい「規範」。経済学の規範の典型であって、それ以外の「規範」としてリフレ政策は何を前提にしているかよくわからなかった。リフレ政策を主張する人間の典型的キャラを「規範」としたいならわかる気もするけれども、それは別にリフレ政策の性格とは関係ないのでは? 規範とか価値判断とかを持ち出して、本当は実証的な問題なのにいつの間にか特定の政策を主張する人間のキャラや説得の論法の欠陥と理論の欠陥の議論がすりかわっていることが起こらないか心配。
と書いたけどこれをここで議論しても出口のない説法みたいなもんで教科書嫁話と同じで、なんで問題になるんだ、程度の話かもしれない。
>韓流好きなリフレ派様
「規範的」という言葉遣いの危うさは確かに意識的に無視しているきらいはありますが、「流動性の罠」とか「インタゲ」といったような話はそうとうに規範的な立場に立たないと言い出せない(学者のかたは言えるはずだとかそういうつっこみはあるかもしれませんが)話だと思います。学問的に認められている「規範」の使い方とは異なるんだろうなとも思いましたが、ほかにいい言い方も思い浮かばなかったもので。
ただ先のエントリーで、リフレ政策賛同派を「規範」的といったのは、リフレ政策賛同派の方々は、なぜかリフレ政策の本来の議論のポイント以外(例えば構造改革の弊害を説明するとか、デフレの原因は中国であるとかといった誤解)をいちいち説明しなければいけないことが多く、その説明をする際に実証的な立場に立つよりは、規範的な立場からの物言いが多いかなと思ったからです。
ただ、リフレ政策の前提となる「規範」が「効率性の重視」となるというところはよく分かりません。デフレギャップを埋めるための方策として「構造改革」etc.よりはリフレ政策のほうが効率的という理解でいいのでしょうか?
この辺の話はもっとお聞きしたいのですが、明日から数日ネットを離れるので、議論を追いかけることが出来ないのが残念です。日曜日以降にキャッチアップしたいと思っています。
ryozo18さんの笑えるネタを批判しているわけではなく、あくまで最近考えてることに関連して書きましたので、きつい物言いに思われたらすみませんです。
<リフレ政策の前提となる「規範」が「効率性の重視」となるというところはよく分かりません>
これは生産可能性曲線を描いてほしいのですが、この生産可能性曲線の曲線上ではなく内部の点にいま経済があるとしたらそれは資源が未利用な状態ですね。内部におちている理由としては1)政府の規制なんかでおちている、2)総需要不足でおちている、とありますが、資源が未利用な点では同じです。ですのでこの状態がまずい=非効率なのがまずい=効率的にやる、ということが緩い規範としてリフレ政策でも構造改革でも採用されていることだと理解しています。
それと中国デフレや構造改革の弊害(これはよくわからないのですが、とりあえず構造改革自体は効率性を促すという点で必要な政策手法だと思います。たぶん政策割り当ての問題で?)を規範的ではなく、実証的に分析しているのではないですか?
>すなふきんさん
>ryozo18さんのまとめ
まったくもって見事な描写で、なんとなく感じていたことをクリアにしていただきました。本日(12/14)のエントリではありませんが、見たくないものも見るべしとの立場からはありがたいことで。
>市場の見方
以前、小林慶一郎さんにはハイエクの言を引いて「設計主義」とか言われましたが、どっちがそうか考えてみろと(笑)。
>svnseedsさん
FTPLによればNRならインフレ、Rなら物価中立ということで、後者なら結局金融政策に跳ね返ってくるということだと単純に理解してます。
金融政策・財政政策の一体論は以前いちごで歌舞さんが強く主張されていましたが、最近はどうされているのでしょうねぇ・・・。
>lukeさん
実はsvnseedsさんのところのコメントは拝見していたのですが、紹介だけで済ますほどの理解に至らず、あれこれ考えた結果です。同じことを申し上げているという自信もなく、ああいった形にさせていただきました。考えるきっかけをいただき感謝しています。
>銅鑼さま
自然科学でもご案内のとおり、物理学者は相対性理論の誤解を嘆き、生物学者は進化論の誤解を嘆き、といった状態ですが、どちらが幸せかは微妙であるような(笑)。
あ、ちなみに法学でも「教科書嫁」はあり得ます(実際に書くかどうかはさておき)。春から夏にかけての人権擁護法関係はおおむねそのラインです。
>fhvbwxさん
ミクロ介入への積極/消極をX軸、マクロ介入へのそれをY軸(+が積極、−が消極)にとると、
第一象限(積極,積極):高度経済成長期の政府
第二象限(消極,積極):オーソドックスな経済学(リフレ派)
第三象限(消極,消極):アナルコキャピタリズム
第一象限(積極,消極):サプライサイド経済学(構造改革派)
といったところでしょうか。reflation compassというよりeconomics compassですが。
ミスのご指摘ありがとうございました。早速訂正いたしました。
>小僧さん
スタディガイドだけを読むよう薦めるのは皆はばかったのではないでしょうか(笑)。
>cloudyさん
現実を見ると「非現実的な仮定」でなさそうなのが怖いですよね(ということでクェスチョンマークをお付けになったのだと察します)。
>韓流好きなリフレ派さん、ryozo18さん
「規範的」の言葉を端的には次の部分のように「体系性のある」とか「論理的整合性を重んじる」と解してもあのエントリは意味が通じますし、そういった意味だと思っていました。
>で、こういったやり取りがループする理由は、つまるところリフレ政策という考え方が寄って立っている前提が、相当程度規範的であるというところに起因するからだと思われ。
リフレ政策を(ある程度)理解するためには、マクロ経済学の知識は必須だし、さらにそれを誰かに説明するためには、世間一般に流布されている構造改革幻想とかの弊害を論破するための経済学的な知識も必要となる(当然説明を受けるほうにも)。でも、この説明を受けるほうに経済学的素養がない場合、こっちのいってることを理解してもらうことはできない。
ここでお書きいただいたように文字通りの意味で規範的というなら、「構造改革」を「抵抗勢力への懲罰」という文脈で用いたり、宿命としてデフレを捉えるような反リフレ派の方が規範的であるように見えるのですが、いかがでしょう。
bewaadさんのように読み替えた方がわかりやすいですね。
『宿命としてのデフレ』って本があったら手にとりそうですね(^^;)
>韓流好きなリフレ派さん
「宿命としてのバブル」「宿命としてのデフレ」「宿命に立ち向かう構造改革」の三部作でいかがでしょう(笑)。
>物理学者は相対性理論の誤解を嘆き
いあ最近は量子論。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1133067503
>BUNTENさん
ご紹介のページの「素人」さんって、ひょっとしてBUNTENさんご自身ではありませんか?