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2005-12-14
■ [politics]読むも不快な士道不覚悟
昨日の毎日社説に非常に腹が立ったので。
「自分党」などと自慢していた自民党が、曲がりなりにも政策の一致をめざす党になったという点で、今も私は夏の郵政解散を評価する。しかし、勝手なものだ。首相が登壇するたび、小泉チルドレンから熱狂的な拍手が起きる状況を見ていると、「こんなはずでは」と感じるのも事実なのだ。
毎日「視点05=郵政造反組 論説委員・与良正男(12/13付社説)」
醜悪さが凝縮されているのが上記のパラグラフですが、具体的に書くなら、
- 「曲がりなりにも政策の一致をめざす党になった」ことと「首相が登壇するたび、小泉チルドレンから熱狂的な拍手が起きる」ことが同じ種から萌えた芽だということすらわからず、
- 引用部の前で解散はないと読み誤った亀井静香議員をお人よしとくさしていますが、そのすぐ後で「『こんなはずでは』と感じる」と書くとは天に唾するに他ならず、
- 「勝手なものだ」と書いておきながら本当に勝手だとは思っているようには全く見えず、
とまあ端的に表現するなら見たいものしか見ない姿勢、自己弁護・他罰主義に無自覚なヌルさです。こういう手合いが得てしてコストを考えずトレードオフなど知りもせず忠告も無視してやりたいことをやり、結果が出なければ「狙いはよかった」「こんはなずではなかった」などと言い訳するに決まっています(って後者は本当に言ってますが)。皆様にはご案内のとおりwebmasterは構造改革主義には批判的ですが、その筋金入りの信奉者の方が「痛みを伴う」と引き受けるだけ100倍ましです。
まったくもって与良論説委員は、オルテガの描く大衆そのままだと言ってよいでしょう。
オルテガは「自分以外のいかなる権威にもみずから訴えかける習慣をもたず」、「ありのままで満足している」ことを「大衆」の条件とした。オルテガ的「大衆」は、自分が「知的に完全である」と思い上がり、「自分の外にあるものの必要性を感じない」ままに深い満足のうちに自己閉塞している。
「階層化=大衆社会の到来」(@内田樹の研究室3/30付)
いやーこれはまさに「大阪毎日」の遺伝子でしょう。
中村さんの「経済失政はなぜ繰り返すのか」によれば、昭和恐慌時の構造改革主義者たちがおしすすめていたのは規制緩和・競争強化ではなく、清算と合併による供給減、そして社会主義的な計画経済だということです。
大毎は、個々の企業がひどい状況でなんとか生き残ろうと合理化努力をすると、「自らの利益のみを追及しようとする」と批判したそうです。これってまさに論説委員氏の態度と一緒ではないでしょうか。
大衆の気分を代弁するマスコミの使命wを考えるに、そうした物言いになるのは自然かと。
>見たいものしか見ない姿勢、自己弁護・他罰主義に無自覚なヌルさ
甘い言い方すれば、これは平均的人間(ってなんだ?)の避けがたい特性であって、自分も含めてほとんどが多かれ少なかれ当てはまることだとは思います。マスコミはそのことを承知の上で、「我々はあなたたちと同じ目線でモノを見ています」ということで媚を売る。それだけのことじゃないですか。そうしないと読んでくれなくなるんでしょうね。
噛めば噛むほど味が出るならぬ読めば読むほど不快になる毎日の社説ですね。しかしメディアに「学習能力」と言うのは無いのだろうか?
>何より負け組の痛みを一番知っているのはあなたたちだ。
ここが一番の笑いどころ?というか、「私たちだ」の書き間違い(爆
>cloudyさん
みずほ証券の誤発注に乗じて設けた証券会社への批判的な雰囲気もそれと共通するものがあると思います。法に触れるわけじゃなし、なんであれが望ましくないやり口であるかのように語られなければならないのか、さっぱりわかりません。
>すなふきんさん
もちろんおっしゃるとおりなのですが、それに甘んじるからこそオルテガの言に当てはまるわけで。社会の木鐸を気取るならそこは見栄を張るべきで、かといって自分のそうした面に向き合う勇気もなく東スポや日刊ゲンダイのように地に足を付けることもできず、覚悟のないスノッブさが我慢ならないのです。
>estevanさん
基本的に何事も反省していないのですから学習の効果もおのずと、というように理解しています。
>銅鑼さま
いや、痛みは知らないでしょうからやっぱり書き間違いではないでしょう(笑)。
「横槍」という名前で二回ほど書き込んだものです(引き続き拝読してます)
誤発注問題については、もちろん一義的には誤発注をした側に責任がありますが、正常でない取引であると(プロであればあるほど)認識していながら大量の買い注文を出すことは、落ちてる金を拾って届けない、もしくはサッカーでケガして倒れている選手がいるのにボールを蹴り出さない、に近いものがあります。
倫理だけでなく経済的な観点からも、それが「誤」発注である以上、正常な価格形成が行われていないわけですから、効率的な取引とはなり得ないはずです。みずほからUBSに100億の利益が移転するに足るだけの生産性の違いがあるはずはないと思われます。
したがって、「こんなことで儲けてけしからん」的な言説に違和感を感じられるのは何となくわかりますが、金融業界内であっても同様に考える人は少なからずいますし、証券業協会等の介入も正当化されうるケースかと私は思います。
※毎日の論説に関しては全く同感です
>アルベルトさん
16日のエントリにもコメントいただいていますので、そちらで。