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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2005-12-15

[government]プロジェクトK・その後

以前取り上げた平成9年組官僚による霞が関改革の取組みの続きが出ているとbranchさんが書かれていました。改革することが自己目的化しているさまにはbranchさんがツッこんでいらっしゃるので、その余の点を。

#根源は同じところに帰着しますが、切り口を変えて。

本を出版し、マスコミにも紹介されると、応援してくれる激励の声と共に、批判の声も上がります。

「内容が三流の評論家並みだ。」

「その前に税金の無駄遣いをやめろ。」

「○○という改革案は××という問題点・リスクがあり、全然駄目。」

等々。それぞれについて、議論は可能なのかもしれないけど、「改革を実行する」ことを目的とする僕らにとっては、あまり響かない議論なのかなと感じています。

(略)

出版した本の中で、将来の国家像として「協創国家」を挙げています。これは、官民問わず建設的かつ自由な議論を行いよりよい社会を創っていく国家を意味しますが、今後、霞ヶ関に限らず、色んな人が協力し合い「アウフヘーベン」していくことが益々重要になっていくと思います。

自分たちの意に沿わない意見は「あまり響かない議論」とし、賛成意見ないし補強・発展させる議論のみを建設的であるとする姿勢からどうして「建設的かつ自由な議論」が生まれるのでしょうか。なにやら次のアネクドートを思い出させます。

アメリカ人とソ連人が自国における言論の自由について議論していた。

アメリカ人「アメリカじゃホワイトハウスの前でケネディの悪口を言ったって逮捕される奴なんかいやしないぜ」

ソ連人「ソ連でもクレムリンの前でケネディの悪口を言ったって逮捕なんかされないぜ」

さらに類例を挙げるなら、信仰の自由とは国教以外の宗教・宗派の信仰を認めるものであって、国教の枠組みの中での教義解釈の自由を指すものではありません。異教徒の言に聞く耳を持たぬ身が信仰の自由を説いたところで冗談以外の何物でもないでしょう。「建設的かつ自由な議論」を標榜するプロジェクトKが批判を無視して意にかなう意見を求める様は同様に喜劇的です。

#国教がない国ももちろんありますが、文脈上この形で書きました。

こうした姿を見れば、前回webmasterが引いた「『改革』の好きな人は仕事ができません」という言葉に彼(女)らが該当しているであろうことは残念ながら事実であろうと思わざるを得ません。彼(女)らに反対する意見を「あまり響かない議論」と受け付けず(どうせ内心「抵抗勢力」だと思っているのでしょう)、その意見の正しさをゆるぎなく確信して妥協を拒むような仕事のやり方がうまくいくはずもないからです。

さらに恐るべきなのは、彼(女)らは官僚、すなわち公権力の行使に携わる身だということです。憲法の私人間適用についてはいろいろと議論はあるにせよ、権力側に表現の自由を侵害させるべきでないというのは歴史的にほぼ正しさが疑いのない形で示されています。彼(女)らがどれだけ異なる意見に聞く耳を持たなくとも、それが私人であるなら基本的にはそれも自由の一形態と言えます。しかし不寛容の精神・排除の論理が彼(女)らの業務においても発揮されているとするなら、それは公務員として失格です。

同業者のよしみとしてもう一度だけtrackbackを送ります。まあプロジェクトKとしての活動には目をつぶりましょう。しかし公務において同様に聞く耳を持っていないなら、すぐにでも改めて欲しいと思います。カウンターパートの主張が自らのそれと真正面から対立し妥協の余地などないように思えても、粘り強く折衝を続ければ必ずプライオリティは見えてきます。自らの主張についてもきちんとプライオリティを見定め、それぞれ譲れるところは譲り合って部分的にでも実現を図ってこその主張です。

#(追記)と思ったらエラーがでて送れませんでした。リンク元の解析はしているでしょうから、そこからたどってくるでしょう。

いくら筋を通して全く妥協しませんでしたといっても、それがために何も実現できなければ単なるマスターベーションでしょう。そうした地道な努力を厭い(branchさんがご紹介東京新聞記事によれば)「首相にトップダウン的に実現してもらうのが一つの方法だ」として、首相の指導力に期待などと上位の権威による恩恵にすがるのはみっともないことだと自覚していただきたいと思います。

#ま、個人の力ではどうにもできない「構造」を観念するからこそ、「神」である小泉総理を改革という「奇跡」の源として必要としているのでしょうけれど。さしずめ彼(女)らはエヴァンジェリストということで。

ついでにもう一つ。長谷部先生の「比較不能な価値の迷路」を読んだ方がいいと思いますよ。本当に。

本日のツッコミ(全15件) [ツッコミを入れる]
ドラめもん (2005-12-15 06:36)

>自分たちの意に沿わない意見は「あまり響かない議論」とし、賛成意見ないし補強・発展させる議論のみを建設的であるとする姿勢
キムタケの「ポジティブ・コミニュケーション」を思い出しました(笑)

いなば (2005-12-15 12:12)

やっぱり『憲法と平和を問いなおす』だけじゃだめ? 
なんだかお値段的に割高感が……。
『憲法(第3版)』は買ったのよ。

BontaMk3 (2005-12-15 20:22)

人権擁護法騒ぎのあたりから見させていただいていたのですけれども、
皆様のレベルが高くて書き込みに躊躇してました。

>「改革を実行する」ことを目的とする僕らにとっては
この辺りが既に改革そのものが目的化しているような・・・。
改革したとしてもそれが必ずしも改善を示すわけではないことは歴史が証明していると思いますし、
「改革」という正義に酔っているようにすら思えます。
今一度「大義」そのものを見直すことをお勧めしたいです。

関係ないですけど最近経済学を学ぼうと思っているのですが、
本がありすぎてどれに手を出せば良いやら・・・。
お勧めの「経済学を本格的に学ぼうと思っている人」向けの本がありましたら、ご教授願います。>bewaad氏

別な種類の官僚 (2005-12-16 05:58)

>「『改革』の好きな人は仕事ができません」
昔勤めていた官僚組織で、
「この組織には月給泥棒がたくさんいる。」と騒いでいた「改革派」は、実際本格的な機構改革が行われた際に真っ先にクビにされた例を思い出しました。公的な役割を担っているならやらなきゃいかん仕事は「改革」の呪文をとなえることじゃなかろうが。。。

bewaad (2005-12-16 08:59)

>皆様
ちょっと今時間がなく、明日お答えさせていただきます(ここに書くのもなんですが、他の日のエントリについてのコメントも同様にさせていただきます)。申し訳ありませんがお許しいただければ幸いです。

miyau (2005-12-17 02:34)

bewaadさんこんばんわ。bewaadさんの文章はいろんなことについて考えるきっかけをいただけるような感じがします。
表現の自由と他者に対する不寛容について、考えていた矢先にこのエントリを読んで感じたことは、「見解の相違」なり「考えの違い」なりに不寛容な人というのは、大きな不安感から誰かに守ってもらわなければ気がすまないという傾向があるのかなということです。
全く別の問題ではあるのですが、他者に不寛容な原理主義者たちは「お母ちゃん(神?)僕の考えと違う人がいるから刑務所にぶち込んでよ!」という「依頼心」「不安感」からくる弱さが垣間見えるのが不思議というか興味深いと。

bewaad (2005-12-17 07:02)

>ドラめもんさん
久しぶりに木村さんの名前を見たような(笑)。振興銀の検査結果によってはまたお目にかかりそうですが(笑)。

bewaad (2005-12-17 07:02)

>稲葉先生
いや、彼(女)らには「比較不能な価値」と抽象化しないと、平和主義や人権問題のことだと矮小化されそうな気がしまして・・・。

しかし「憲法」をお買い求めとは。卒業以来(法律の)基本書を買っていない身としてはこれ以上申し上げるべき立場にございません。

bewaad (2005-12-17 07:03)

>BontaMk3さん
議論を拒む時点で、なにがしかの後ろめたさはあると思いたいのですが(笑)>プロジェクトKメンバー

経済学関連の本としては、本格的にということであればやはり教科書に取り組まれるのがお薦めかと存じます。定評のあるものとしては、スティグリッツやマンキューのものではないでしょうか。

もし教科書をパラパラとめくられてもう少し手前からということでしたら、飯田先生の「経済学思考の技術」がいいと思います。

bewaad (2005-12-17 07:03)

>別な種類の官僚さん
当人にとっては真の改革が実現せずゆがめられた結果なのでしょうね(笑)。

bewaad (2005-12-17 07:04)

>miyauさん
プロジェクトKメンバーは自由な議論を標榜しながら反対意見を黙殺するというわかりやすい矛盾でしたが、表現の自由を重んじるのであれば表現の自由を認めない意見には不寛容にならざるを得ません。今のところ「表現の自由を認めない意見」の表現は自由であると折合いをつけているわけですが、にしてもその手段には一定の制約が課されているというのが現実です。

そのあたり、明日(18日)のエントリで取り上げようと思いますので、もしよろしければそちらにもご意見いただければと思います。

miyau (2005-12-18 01:35)

どうもこんばんわ
言葉が足りなかったようですね。感情的な部分も含む文章なので頭のいい人にお見せするのは恥ずかしいのですが、他所のコメント欄で長文で説明するのも失礼なので、ここにTB送っておきます。
表現の自由に反対する言論を認めるかというレベルではなくて、「表現の自由自体認めない人々の心理状態はどこからくるのか」という問題意識だったのです。
18日のエントリ楽しみにしております。

bewaad (2005-12-18 04:45)

>miyauさん
ごめんなさい、うまく関係付けられませんでした。そこでリンクを張った稲葉先生のエントリの最後のパラグラフあたりがご参考になるかと存じます。

trackback元拝見いたしました。個人的には、国家への依存というよりは自らが信奉する価値観に国家も服するべし、という形ではないかなと思うのですがどうでしょう。つまり依存があるとすればそうした価値観そのものに対してではないかと。

いなば (2005-12-18 10:33)

昨日神保町の明倫館で『迷路』ゲットしますた。

bewaad (2005-12-19 07:42)

>稲葉先生
私ごときの言を真正面から受け止めていただき恐縮です。でも読んで損はしないものだと思いますので、お楽しみいただければと(「問い直す」にエッセンスはきちんと入っていますが、それに尽きるものではないということです)。

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取り急ぎ。

立川ビラ配り控訴審判決批判の投書を嗤う というところからTBを頂いて、感じたこと

今日、少し前の週刊東洋経済新聞(3/18号)を見ていたら、「新しい霞ヶ関を創る若


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