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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2005-12-18
■ [misc]野ブタ。はプロデュース可能か
掘北真希ならどうやったって・・・って昨日最終回のドラマではなく、野ブタ=不人気な意見を周囲との軋轢なく主張するにはということです。
問題は結局こういうことである。裁判自体の争点は手段の是非であるが、被告人および一部の報道関係者はこれを目的の是非が問われているかのようにすりかえようとしている。念のために言うと、目的の是非が問題に含まれていることを否定しようとは思わない。(略)しかし仮に目的の是非が問われているような文脈があったとして、それを声高に指摘することが得策なのかどうか。そもそも彼らがビラ配りに精を出さなければならなかったのは何故かといえば、彼らが政治的な少数者だからである。社会の大多数が共有できるような目的を掲げていないから、彼らは少数なのである。それが多数の前にのこのこ出ていって、「私たちの目的が弾圧されました、私たちの目的は正しいのだから、私たちは許されるべきです」と主張する愚かさというものに、誰も気付かないのだろうか。いや気付かないからいまこうなんだろうけども。
「どうなのか。」(@おおやにき12/13付)(webmaster注:強調は原文によります)
上記は立川反戦ビラ配付事件の東京高裁判決(12/9)についての大屋先生のテキストですが、ここで論じたいのは事件そのものではなく、社会の大多数が共有しない目的を掲げる少数派はいかに穏便に主張が可能かということです。当然念頭にあるのはリフレについて。
まず大屋先生のテキストを取り上げての稲葉先生の論考を引いてみます。
問題としたいのは「仮に目的の是非が問われているような文脈があったとして」以下のことなんですが。つまり今回のポイントは手段レベルであったということを認めた上で、ではこのレベルでの合法性をクリアした上で、どのような運動をすればいいんでしょうか左翼少数派の人たちは。
「声高に指摘すること」は間違っているのだろうか。いやもちろんそれはそれだけのことであれば不法ではありえないし、道徳的にも間違ってはいまい。しかしこれは「得策」であるとは、つまり賢い行いであるとは限らない。いやはっきりと愚かである。
(略)仮にこうした少数派の人びとが、手段レベルでも目的レベルでも正しいとしよう。となればこのような振る舞いは定義上正しいが、しかしやはり愚かである。それは成果を生まない。そのような振る舞いに及べば、正しくない大多数、邪悪な社会によって叩き潰されるか締め出されるか、とにかくよい結果は生まない。
(略)
ではかつての非合法時代の共産主義者のように秘密裏に潜伏して陰謀・破壊活動にいそしめということでしょうか。いやいやそんなはずはない。それは(非現実的ということはおいといて)やっぱり目的が仮に正しくとも手段に問題があるし。
「左翼少数派にこそ狡猾さが必要だ」と言ってしまえば簡単ですが具体的にはどうしたらよいのか。正しくかつ賢くあるためにはどうしたらよいのか。「堂々として公明正大であること」と「声高に指摘すること」とは違うといえば違うわけだが具体的にはどう違うのか、違うものとして組み上げていけるのか。
「どうなのかbyおおや先生」(@インタラクティヴ読書ノート別館の別館12/16付)
稲葉先生は判決に即して「左翼少数派」について論じられていますが、抽象化すればあらゆる少数派‐リフレ派を含む‐に当てはまる話です。検討に入る前に別のテキストも紹介しましょう。題材はCOOKPAD騒動です。
この記述には、著者の価値観がわかりやすい形で提示されている。現状には問題があって、問題を解決していくことが、よりよい未来への道なのだ、というわけだ。
ここで重要なことは、「果たしてそれは問題なのか?」という視点だろう。たしかに、問題視している人にとっては問題なのだろうね。ただ、例えば原子力発電所の廃止を求める活動にせよ、無防備都市宣言を目指す市民運動にせよ、当事者と話をしてみれば、彼らはその主張を常識的なもの、当然の発想とみなしている。たいていの事案は、圧倒的多数の無関心と、少数派の問題意識、という構図を持っている。もちろん、アンケートなどをとれば何らかの結果は出るのだろうが、その際、誰がどのようなレクチャーをするのかが重要だ。
(略)
著者が書く「事実」をそのまま認めたとしても、COOKPADに入会していいだろうと私は思う。批判されていることについて、見過ごしてはならない問題との意見には疑問符をつけたい。mixiの事件の際にも思ったことだが、学校にせよ会社にせよ、「正しい」主張がコミュニティに資するとは限らない。無論、何をコミュニティの利益と考えるか、が問題なのだけれども、例えば高校生がクラスメートの喫煙を発見したとして、それを黙認することの是非、といった事例を考えてみるのもよいかもしれない。
COOKPADという私企業のサービスにおいて、当事者間で解決を見た問題をネタに延々と批判記事を書き続けるユーザを退会処分とすることは、絶対に認められないというものでもない。まるで独裁国家の様相を呈した完全な言論統制、弾圧が始まったのです。というが、批判する場は他にいくらでもある。朝日新聞の批判を朝日の紙面でやりたい人は大勢いるだろうが、それが認められなくても言論弾圧ではない。「正しい」主張は、無条件で最高の発表場所が与えられるべきだと考えるのはナイーブだろう。
(略)
冒頭に述べた通り、コミュニティを破壊する活動には感心しない。3万ユーザの大半は問題意識を共有していないのだろうが、それで何か不幸になっているのか。楽しくレシピを投稿して喜んでいる人が多いはずだ。仮にまとめサイトの活動が奏功して COOKPADが崩壊して、誰が幸せになるのか。トップページの最上段にでかでかと反省の辞を掲載させて、どんな利益があるのか。平和な社会と人々の幸福を破壊してまで、自らの信じる正義の執行を優先するなら、全て政府が邪悪なのがいけないと嘯くテロリストと何ら変わりがない。
「COOKPAD問題雑感」(@趣味のWebデザイン12/14付)
ここで示された徳保さんの立場への賛否はさておいても、観察としては正鵠を得ているのではないかと思います。相対所得仮説に似て人の見解は過去のそれにも周りのそれにも縛られるものなのでしょう。その意味で世界観の揺らぎは好まれません。
稲葉先生も「そのような振る舞いに及べば、正しくない大多数、邪悪な社会によって叩き潰されるか締め出されるか、とにかくよい結果は生まない」として認識はされています。ここでの正しい・正しくないとは何らかの客観的な検証によって判断されるべきものでしょう。しかし単に聞きなれない意見であること=正しくないという定義が多くの場合に妥当するなら、「堂々として公明正大であること」と「声高に指摘すること」とは同じになってしまいます。正しいとは異論を唱えないことであると。
となると有効な手段とはそもそも現状に不満を抱いている=世界観が揺らいでいる人に新たなそれを・・・ではカルトのオルグになってしまいますので(笑)、もう少しまっとうなものを。
- 小さな一致点からスタートし、徐々に拡大していく。
- 主張の前に人を出す。理屈で納得させるよりはむしろこの人の言うことなら信じられるという形で。
- こまめに結果を出す(途中段階のものでいいので)。
最後のものはマクロ経済の話には適用しづらいですが、まずはコミュニティの差を感じさせなくすることが大切なのではないでしょうか。といってwebmaster自身ができていないのですが、どのようにリフレ政策への理解を深めていったかに照らしても、いちごをはじめとする場所で少しずつ学び、先生方の姿勢に感銘をうけたことは事実です。
webmasterについてはまだまだ挫折・失敗も多いのですが、これだけ与党が理解を示す状況を見るに、大まかな方向性としては先生方の歩みで間違いはないのかな、と思います。当サイトではwebmasterの能力の限界ゆえそれほど専門的な知見を示すことはできませんが、ここを経由してという形でのサポートができればな、と思います。
ちなみに冒頭に紹介した判決について、話は思いっきり変わるのですが、朝日新聞の社説をひきつつbranchさんが次のようにお書きになっています。
ビラ配り有罪 表現の自由が心配だ(朝日社説12/10付)
3人が官舎に入ったのは、門扉のない出入り口からで、他の配達員も立ち入る共用部分だった。一審判決はそう認定して、「刑事罰に処するほどの違法性は認められない」と判断した。常識的な見方だろう。
そうとばかりはいえまい。被害者側の視点を無視して「常識的な見方」という言葉はあまりに乱暴だ。 朝日新聞は、被害者の声に謙虚に耳を傾けるべきではないか。
今回の有罪判決が表現の自由を閉ざす方向に働かないか、心配だ。
だが、心配のしすぎではないか。心ある国民は、住居の平穏を害してまで主張を押し付けることを是とすることを望んではいないはずだ。国民には、憲法の保障する権利を濫用せず、常に公共の福祉のために利用する責任があることを忘れてはならない。
どなたもツッコマない(って、branchさんのところはブログでないので不可能ですが)ので無粋ながら。
見事なパロディですね!
まさにタイトルで言われているとおり、少数意見の主張方法は「プロデュース」に近そうですね。
モー娘。みたいに、「身近さ」「困難の克服」「一緒に育てて応援する一体感」「流行りモノを早く見つけた優越感の提供」のようなしくみが必要なのかも。
冒険・友情・勝利というジャンプの法則に従うならば「トーナメントの採用」もいい手かもしれません。
ぼけてみても ひとり(c) 状態だったので実はさびしかったのでした…。
起案したときに思ったのですが、朝日新聞テンプレ(?)って強力ですね。かなり応用の幅が広そうです。多用すると鼻につきますが、議論を強引にねじ曲げるにはもってこいな言葉の数々であることを改めて認識しました。
>一国民さん
その意味では、あの事件の被告人はダメダメなんですけどね。無理やりという部分がその最たるものではあるのですが、いまどきビラというメディアの有効性に疑問を持たない段階でどうよ、と。
結局はどのようなメディアでどのようなコミュニケーションを図るかということなのでしょうけれど、そしてそれは大きな課題で試行錯誤の中にあるのですが、少なくとも問題意識は忘れてはならないのだと思います。
>branchさん
中身がだいたいアレなのでなんですが、要は主観と客観をいかに曖昧にするかという技術の集積(笑)だと思ってます、あのテンプレ。
民主主義において少数派はいかにしてカルト的自己完結にも走らず、エリート主義的傲慢にも至らず、ニヒリズムにも陥ることなく、「自分の考えが多数派のそれよりも正しい/ベターである」ということを有効に主張しうるのか。これ、総選挙以来ずっと考え続けてました。戦後60年、今さらこんな基本的な疑問に至るなんて自分はよほどアホなのかしらんと思っていたのですが、bewaadさんも同様の問題意識をお持ちだと知って、なんかホッとしました。
民主主義最大の欠点である衆愚化はもちろん完全には避けられそうもありませんが、それが「正常」な範囲なのかそうでない「異常」なものかは、株価のバブル現象と同じで後からしかわからないものかも知れません。もちろんこれはバブルだと警告していた人も少数ながらいたことはいましたが、それが実証されるのはいつも崩壊してから。だいたい少数派が説得力持った時点で少数派ではなくなるのですから、すでに矛盾を含んでるような気がするのですがどうでしょうか。
戦術論だけに口を出すのもどうかと思うのですが、リフレ派の皆さんが、多くの国民が持つインフレへの恐怖感を過小評価されているような気がします。
特に年金生活を送っている皆さんにとってはインフレは悪夢そのものです。
そういう方々は、「リフレ政策を採っても、ハイパーインフレは起こるはずがない」と言われたって、「万一起こったらどうするんだ。」という心配は消えません。せめて「起こりそうになったらこういう対策をとるから心配ない。」位は言わなければ説得はできません。(入っても信用してもらえないというおそれは多分にありますが。)
「入っても」→「言っても」です。失礼しました。
>アルベルトさん
そのあたりはいろいろ逡巡していたりもします。正直に告白するなら、人権擁護法をめぐる議論ではそれなりの結果がでたとうぬぼれていまして、それで浮ついていたことは否めません。陳腐極まりないのですが、勝って驕らず負けて腐らずとは難しいものです。
>すなふきんさん
リフレ政策にしても、ex anteでは替わるものはないと考えていますが、ex postで正しいとされる保証はありません。カッサンドラは当たったからこそ悲劇の予言者ですが、外していたなら無名の変人に過ぎません。
それに経験則を重視する立場からは、民主政は極端に大はずしはしないだろうともいえるのですが、あくまで確率論的に言えばではあるわけです。その確率と自分が間違っている確率といずれが大きいのかという不安は忘れるべきではないのでしょう。
>平家さん
これまでの議論を振り返ってみると、インフレへの恐怖感といったものを念頭においての議論が活発だった時期もあります。その際には、そもそもインフレでもデフレでもない状態がベストだとの意見に対して、インフレとデフレの非対称性やアカロフらによるマイルドインフレの効用などを引いて、そもそもゼロインフレよりマイルドインフレがベターなのだという説明もしていました。
たまたま今はそうした観点からの反対論が少ないので表だって議論されることはないのですが、私のようなお気楽な立場ならともかく、岩田(規)先生らの活動においてはインフレフォビアへの配慮は十分にされていると思います。
具体的には、インフレターゲットの設定においては4%ターゲットプラスマイナス1%レンジあたりが妥当なところでしょうし、物価水準ターゲットを採用するなら一時的には10%近くのインフレもあり得るところ、もっぱら2%ターゲットプラスマイナス1%レンジといったあたりを主張されています。
上記の諸要素やボスキンバイアスを考えれば低すぎというのが理屈だと思いますが、そこは世間的な受容を考えてのご主張です。
bewaadさん、ご説明ありがとうございました。
ただ、こういうご説明だと、「リフレ派の奴らは、2%ターゲットプラスマイナス1%を主張しているが、本心では4%ターゲットプラスマイナス1%あたりが妥当なところだと考えているのだぞ。世間の愚か者達ををごまかそうとして、うそを言っているのだ。一時的には10%近くのインフレもあり得ると考えているとんでもない奴らなのだぞ。」と言われてしまいませんか。
「世間の愚か者達」→「我々、「世間の愚か者達」」でした。いつも修正ばかりですいません。
ついでですが、理論の問題よりも、プレゼンテーションに問題があるのではと思っての、よけいな口出しです。
>>アルベルトさん
はじめまして、
頭の回る少数派の意見を反映させる事について、
考えていたのですが、ひとつ結論でました。
2chで始めた民主党の中の人になろうという活動です。
http://www.nakanohito.org
2大政党の内のひとつの民主党が党員三万人しかいないので、
中に入って変えちまおうというのが趣旨です。
保守系の労働者や弱者に優しい政党を作ります。
ネットユーザ対象なので、
衆院選で国民全体に自分の意見を過半数に広めるよりは楽です。
それでも理解の幅に限界はあるので、
知識のある人達のわかりやすく説明する能力が問題になりますね。
民主党変えてしまえば、あとは衆院選での宣伝力の問題になります。
>平家さん
多分そのように具体的な疑問の形を持っているほうがまだ議論になるだけ(相対的に)いいと思うのです。大多数の無関心な方々が、聞いた瞬間になんとなくうさんくさげに感じることが問題なのかな、というように思ってます。根拠はないのですが。
インフレへの拒否感というのもその構成要素でしょうし、経済学への不信感というのもあるのだろうなぁと。だからどうすれば、ということは模索中ですが・・・。
>ミギーさん
新しい試みだと思います。今後を拝見させていただきたいと存じます。