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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2006-01-07
■ [WWW]リンクとtrackbackに関するスタンス
絵文録ことのはでの次のエントリからなる「ウェブ文化圏シリーズ」がはてなブックマークで人気を集めています。
- 「ウェブの二つの文化圏の衝突【前編】無断リンク禁止問題にみるリンクする側・される側の論理」
- 「ウェブの二つの文化圏の衝突【後編】ネガティブリンクと批判する側・される側の論理」
- 「トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか」
これらはそれぞれ無断リンク、ネガティブリンク、trackbackに対する考え方について次のような分類を行っています。
- 無断リンクの是非について
- リンクフリー文化圏
- 相互リンク/リンク許可文化圏
- ネガティブリンクの是非について
- ブロゴスフィア議論文化圏
- 知らぬが仏文化圏
- trackbackについて
- 言及リンク文化圏
- 関連仲間文化圏
- ごあいさつ文化圏
- spam文化圏
それぞれどのような定義かは直接上記エントリをご覧いただきたいと思いますが、webmasterがどの文化圏に属するかと言えば、無断リンクについてはリンクフリー文化圏(「リンクフリー」という言葉は英語としておかしいので呼称には抵抗がありますが)、ネガティブリンクについてはブロゴスフィア議論文化圏、trackbackについては言及リンク文化圏になります。
こうした自らへの当てはめを試してみて思ったことが2つあります。1つはこれらはウェブ等にかかわる他の事項と共通の傾向を示すのではないかということです。HTMLドキュメントを作成する際strict(さらにはXHTMLドキュメント化)しがちとか、フリーウェアを好んで使うとか、(動作が)重いページに抵抗があるとか。これらはみなwebmasterの好みなのですが、かつて理念として尊重されたものに共感を示すかどうかと抽象化できるでしょう。
もう1つは能動と受動とで違いが生じ得るのではないかということです。無断リンクの是非に関しては、webmasterは能動も受動もリンクフリー文化圏に属する者としての行動だなぁと思うのですが、残る2つについては、文化圏の特性は能動にのみ当てはまります。ネガティブリンクであれば、webmasterが何らかの批判をするならリンクないしtrackbackする一方、批判される場合には批判者がやりたいようにやればよいと思います。trackbackであれば、webmasterがするのは言及した場合のみですが(だからバトンのときはtrackbackしませんでした)、されて抵抗があるのはspamのみです。
これら文化圏に属する者であっても、webmasterのようなタイプは決して少なくないのではと思うのですが、皆様はどうお考えでしょうか?
■ [economy]repeat after Prof. Mankiw?
年頭に当たってのマンキュー謹製の政治家が守るべき新年7つの誓い(WSJ掲載)をplateauxさんが抄訳されています。彼の国にとどまらずこの国においても拳拳服膺していただければと思うのですが、うち2つはそのままでは問題かな、と。
1. 今年、私は財政の混乱状況に対し率直に向き合います。私は連邦政府の財政が持続不可能なコースにあることを知っています(。)
「マンキュー先生の新年7つの誓い」(@ECONOMICS, TECHNOLOGY & MEDIA1/6付)
アメリカの問題が双子の赤字と呼ばれるように、財政赤字と経常赤字が同時に起きているからこそ深刻という面があります。経常赤字=資本黒字=海外からの借入超過ですから、民間部門だけでも海外から借金しなければならないところ、それに加えて政府部門までが借金しているのがアメリカの現状です。アメリカの場合海外からの借金といってもドル建てですから最後は輪転機を回せばよいのですが(=アルゼンチン型の破綻リスクは小さい)、それにはインフレ(とりわけドル下落に伴う輸入インフレ)という副作用がつきまといます。
かたや日本においては、財政赤字と経常黒字の組合せですから政府が民間の超過貯蓄を吸収しなければ今以上の輸出拡大、ひいては貿易摩擦を引き起こしかねない状態ですし、インフレを懸念するどころかそうなって欲しい状況にあります。マンキューによればアメリカですら持続不可能、まして日本は・・・といった誤解が広まらぬよう祈るばかりです。
5. 今年、私は連銀叩きに走ることを控えます。バーナンキはグリーンスパンの威光を継承しないため、連銀叩きの誘惑に駆られるかもしれませんが、その誘惑と戦います。米国の中央銀行の独立性には合理性があると私は知っています(。)
「マンキュー先生の新年7つの誓い」(@ECONOMICS, TECHNOLOGY & MEDIA1/6付)
マンキューもここではバーナンキについてグリーンスパンでないからという理由でバイアスがかって見ることはしないという趣旨で書いているのでしょうから(仮にバーナンキが経済学的に正当化できない金融政策をしようとした場合、独立性を損なうからという理由でマンキューが批判を控えるとは思えませんよね?)、その趣旨に沿っている限りにおいて日本に直接適用しても問題はありません。しかし、中央銀行の独立性は確率論的な合理性があるとの理解ではなく絶対的な合理性があるとの理解をしている人が権威付けに引用するにこれほど危険なフレーズもありません。
というか、某総裁なりそのシンパが得たりと引用しそうな気がするのはwebmasterだけでしょうか(笑)。
■ [economy][science]日本経済学会でも「ニセ科学」シンポジウムを開催しよう!
日本物理学会で「ニセ科学」シンポジウムを開催するとのこと。日本経済学会でもぜひと思います。
リフレ政策ぐらいだとまともな経済学者間で完全にコンセンサスが成立しているとは残念ながら言えないでしょうから、次のような題材はいかがでしょう?
- デフレはいいことだ
- デフレ下での量的緩和政策(ゼロ金利政策)によって預金者は損している
- 日本の潜在実質GDP成長率は1%台半ば
物理学会でのそれとは違って、政府ないし政府機関が片棒担いでいる(た)ものばかりなのがorz
■ [economy]東京の公共投資
小泉総理が日本橋の首都高をとっぱらってしまえと号令をかけたことに関して、night_in_tunisiaさんが次のように書かれています。
既に以前に費用の算出もされているらしく、3案あって3000億円から6500億円らしい。もっともお役人の仕事だから、最終的に膨れあがること請け合いだけど、江戸城再建という次の目標もある僕としては1兆円くらいならオッケーだ(意味不明)。たまには東京で公共事業やってくれよ。そりゃ地方の人は「東京ばっかり」と思っているかもしれないけど、こればっかりは譲れないよ。
「コレばっかりは121%小泉首相に賛成」(@つれ数1/6付)
日本橋にはこれといった思い入れのないwebmasterとしては日本橋の首都高について語るべき言葉もないのですが、「たまには東京で公共事業やってくれよ」という部分にひっかかりました。「そりゃ地方の人は『東京ばっかり』と思っている」とはこの文脈では公共投資でなく商業施設も含むものでしょうから、前提は東京では公共投資はそれほど行われていないというものだとwebmasterは理解しました。果たしてこれは本当でしょうか。
総務省がまとめた平成14年度行政投資実績から行政投資についての東京都の計数を抜き出すと次のとおりです。
| 総額 | 可住地1平方キロメートル当たり | 1人当たり | |
| 東京都 (a) | 2.97兆円 (都道府県別1位) | 21.3億円 (同1位) | 24.3万円 (同42位) |
| 都道府県平均 (b) | 0.76兆円 | 2.9億円 | 28.2万円 |
| a/b | 388.8% | 735.9% | 86.3% |
#a/bは原計数(=四捨五入前)から計算しているので、表中のaをbで除した数字とは突合しません。
人口当たりは確かに低いですがそれでも平均に比べて14%ほど少ないだけですし、総額・面積当たりではダントツの1位です(総額は2位北海道が2.58兆円、3位大阪府が1.69兆円。面積当たりは2位大阪府が12.9億円、3位神奈川が10.1億円)。人口当たりにしても、東京よりも愛知県、大阪府、千葉県、神奈川県、埼玉県(都道府県別降順)よりはましです。
効率的な資源配分としてこうした順位が正当化できるかどうかは議論があるでしょうけれど(直感的には経済学の観点からは難しいでしょう)、東京で公共投資が行われていないかのような認識は当たらないのではないかと思う次第です。
http://nanitozo.com/log/MQ/の中の人と http://nanitozo.com/log/ken/の中の人に誘われてそうだ京都逝こう なんか新快速が遅れて運行していたのも 大阪逝きサンダーバードが遅れまくって折り返しのも20分以上おくれていたのも季節の風物詩である ていうかドクターイエロ..
東京の公共投資の量についてですが、金額ベースではなく件数や道路なり線路なりの総延長で考えたほうが一般人の感覚には近いのではないでしょうか。
地方には(無駄な)道路がバンバン出来てるのに、東京には外環道ひとつまともに出来ない、というようなのが典型的な認識のひとつだと思いますが、同じだけ道路なり鉄道なりを作るにしても東京では田舎とは比較にならないほど金も時間もかかりますから。
客観的に量を比較するなら金額ベースのほうが比較しやすいですが、一般人が気にするのは公共投資の量ではなくそれによって受ける恩恵の量ですから、このケースで金額ベースで比較しても一般的な認識を覆すことは出来ないのではないかと。
経済活動の密度という点では、単純な面積比はあまり意味はないので
はないでしょうか。それから人口比ですが、これも社会資本を利用す
る人口は、居住者数よりも昼間人口の方が妥当かと思います。千代田
区に道路作ると、居住者一人あたりだと凄い数字になるでしょう。
つ【バブル絶好調 http://www.higashi-nagasaki.com/D00_03.html
県民経済計算(平成14年度)の都道府県別GDPとの比を求めてみました。これでみると東京は全国平均の半分ですね。平均の倍喰っている北海道とくらべると1/4しかありません。
(たぶんずれると思いますがご容赦を)
行政投資 GDP
(A) (B) (A/B)%
全国 35.9 493.1 7.3
東京 2.97 81.84 3.6
北海道 2.58 19.63 13.1
大阪 1.68 38.29 4.3
愛知 1.58 33.96 4.6
神奈川 1.46 30.11 4.8
兵庫 1.37 18.53 7.4
福岡 1.29 17.36 7.4
埼玉 1.17 19.94 5.8
静岡 1.12 15.75 7.1
千葉 1.06 18.79 5.6
用地買収費を除いた真水(?)で、1人当たりとか面積当たりとか出すのも面白いかもです。
bewaadさん、突っ込みサンクスです。そしてそれにコメントされている諸兄にも多謝。面白いです。正直、僕はあんまり深く考えてなかったので勉強になります。
生活投資も産業投資も国土保全も一緒にして可住地面積あたりとか、人口あたりとかしていると、「政府は使い道も考えずに国民に金をばらまいているだけ」という印象をもってしまいそうですね。そうおもわせたいのかな。
次の物言いが正当がどうか分かりませんが、リンクと文化圏については Web に文書を書いたりリンクを張る目的を個人の文化圏やら価値観とを同一視している時点で、どうなんでしょと言いたくなる気分に襲われます。文化圏の違いと目的の違いに相関があるであろう事までは否定しませんが、そもそも批判を想定していない文章に批判を投げつけられたら吃驚してしまうのはそれほど不自然な反応かと言われると疑問です。
批判を想定していない文章を公表するという感覚が、今日マヌケそのものという気もするんですが。
>東京の公共投資
エントリで「効率的な資源配分としてこうした順位が正当化できるかどうかは議論があるでしょうけれど(直感的には経済学の観点からは難しいでしょう)」と書いたように、東京での公共投資について多すぎるとか増やすべきでないというようなことを考えているわけではありません。もっと東京でのものを増やした方がよいでしょう。ただ、東京だけが損しているかのような考えはどうかなということです。
例えば下水道にしても、東京(ないし都市部)での普及率と地方でのそれには差があります。
http://www.jswa.jp/05_arekore/07_fukyu/
もちろん人口密度が下がれば下水道よりも合併浄化槽の方が望ましい下水処理法となりますし、農村部では堆肥還元といった別循環もあるのでそうした要素も考える必要がありますが、にしても都市部において先行整備された公共投資もあるということです。
東京においても、以前AERAの記事であったと思うのですが、千代田・港・中央といった都心区部と世田谷・練馬・北といった住宅地区部とでは公共事業に対する温度差があり、後者ではごみ処理施設や学校等の整備のためもっと金を使うべきだという意見がある一方、前者では都の支出を減らして税金を安くしろという意見があるとのことです。これも結局は前者から後者への都内での資源配分を是とするか非とするかということですが、東京にしても他人事ではないといえばないはずです。
あとroomerさんのご意見への補足となりますが、公共事業を実施する側からすると、都市部は意見調整等において自ら拒んでいるようなものだ、という考えはあります。地方の方が意見調整をきちんと進めて準備万端ですと待っているのを差し置いて、意見調整がいつ終わるとも知れない都市部にはなかなかお金を使いづらいという傾向は否定できません。
とりとめないものとなってしまいましたが、以上のようなことを考えながらエントリを書いた次第です。
>小僧さん、一本釣りさん
SNSの急速な普及は、相互リンクや関連仲間等といった頭でウェブにコミットしていた者にとって、現在のウェブの(彼(女)らが思う)問題点が解決されているからという理由が大きいのではないでしょうか。ウェブはパスワード認証等を伴わない限り閲覧者を問わないというスタート時点の理念があり、テクノロジーもそれに沿った形で組み立てられているわけですから、ウチとソトに線引きをするにはなじまないのは否めません。
とするなら、SNSとそれ以外のウェブとで棲み分けが進んでいくのではないのでしょうか。小僧さんのいう批判を想定していないというのは、意見等を公表することと共存は不可能であるように思います。公表する以上批判は甘受すべきでしょうし(もちろん反論したっていいのですが)、批判がいやなら公表すべきでないだろうと。
かつての先行集中投資が今日の東京の繁栄に寄与している。東京都の社会資本ストックは面積が広大な北海道と同等、それ以外の府県を大きく凌ぐ規模。
http://www.nilim.go.jp/lab/pcg/tokyo/chapter_1.pdf
東京在住者は日本の中心、情報文化の集積地としてのメリットを享受している。応分の負担は受け入れるべき。
こんなところでしょうか。
>うしさん
かつての先行集中投資については、その際各地で「まずは東京から、そのうち地方に回ってくるから」という説明がなされているわけで、それが地方の番となったら無駄だとはだまされた感が禁じえないように思います。方針を変えるなら変えるでそうした点についてきちんと説明があってしかるべきだと思います。
結局批判を想定していないで Web で何かを書いている人は Web という media の使いかたを間違っているお○○なだけの事です。
#検索されない○○の落描きとは違うし、自らの声の大きさを知れという話もありますが。
内輪の話がしたいのならばネット上でも SNS やら Mailing list やら外の方法があるでしょうし、検索エンジン経由で link されたくないのならば Google 避けの方法をしておけば、少しは平安をもたらされるでしょう。また、blog やらはてなはそもそも見つかりやすいのですが、しかしながらそれを分かってないで使こうてる方それなりにいるでしょう。ですから、そう言う media の特質と使用する目的の齟齬をすっとばしていきなり文化圏の話に持ち込むのはなんだかなぁ、という事です。
#TPO って言葉はこのごろあまり聞きませんし。
補足:
「話すことと、文章として書くことの間にはかなりの距離がある」(橋本治、行雲流水録 No. 48、 一冊の本 2005/6、朝日新聞社。から引用) と同様に「話すことと、ネットで書くことの間にはかなりの距離があるにもかかわらず、それがあまり認識されていないので...」という事かもしれません。
#それを踏まえた書き方を私自身できてはいませんが。
>小僧さん
あくまで感覚でしかないのですが、よく知らないという点では共通の人であっても、批判を受けるという事態に直面した際の対応は異なってくるのかなと思います。そういう意味で、ご指摘のようなmediaの特質に関する知識に加えて、もともとの価値観が影響していることも否定できないのではないでしょうか。もちろん知識のなさがそうしたmediaをめぐる齟齬を拡大しているのは間違いないと思いますが。
否定は出来ないとは思います。しかしながら、(比較不能な迷路やら相性問題が絡む)価値観に帰着させる前に目的やら仕組みやら使いかたで解決できる部分を<strong>あらかじめ腑分けしたほうがお得</strong>じゃないかと。若田部先生の言を拝借すると【複合的な問題は適切に切り分けて処理する】、飯田先生の言を拝借すると【複雑な問題ほど、分割し! 整理し! 判断する!】ほうがお徳なのではないかと。また、さらに大風呂敷を広げさせていただくと、文化圏で表現すると「リンクフリーでやっていけたのは、比較優位の交易が成立したので、インセンティブが互いに存在した為であり、やっていけないのはインセンティブが得られていないからかもしれない」という観点は見えにくくなるような気がします。
あぁくどいなぁ... > 俺
>小僧さん
言われてみるとおっしゃるとおりですねぇ・・・。ウェブ文化とかノウアスフィアとかそういった言葉にとらわれていたようです。