toppage memoranda
(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2006-02-03
■ [politics]小泉総理支持者のアングル
sava95さん経由で「馬脚を顕した小泉支持者」というエントリを知りました。
私は1/5に「小泉支持者は何処に?姿の見えないサイレントマジョリティー」でブログ界で小泉首相を支持するエントリーが消えてしまった不思議について書いた。皮肉なことに耐震偽装問題、ライブドア事件、アメリカ産牛肉危険部位混入問題、防衛施設庁官製談合問題と、小泉政権を揺るがす問題が相次いで発覚して以降、実は眠っていた小泉支持者がまた声を上げ始めたのである。
それは民主党批判、マスコミ批判、検察批判をしているエントリーを探せばわかる。彼らは直接的には小泉首相を賛美する声を並べてはいないものも多いが、これらのブロガーの昨年の8月から9月のエントリーを遡ると、ほとんどがエントリーで小泉自民党を支持する言葉を含んでいる。紛れもなく潜在的小泉支持者の声である。
(略)
小泉支持エントリーを探す最もいいキーワードが実は「民主党」である。55年体制の時代は社会党の根本的主義主張を批判する意見はあっても、自民党の不祥事を追求する社会党を批判する声は出なかった。しかし現在では民主党を批判するエントリーが多いのである。
(略)
仮に今の自民党が新しい自民党に生まれ変わった認めたとしよう。それでもそれを支持する若い人たちの政治態度は、かつて自民党を支持してきた農村保守基盤と何ら変わらないのである。共通するのは支持政党への「甘さ」「ゆるさ」である。
かつての農村保守層の政治への甘さがどれだけ日本の政治をダメにしてきたか。支持政党には支持しているが故に必要に応じて苦言を呈す。これが有権者に求められる政治への距離感ではないか?
「馬脚を顕した小泉支持者」(@2/2付)
#引用文で言及の「小泉支持者は何処に?姿の見えないサイレントマジョリティー」では、小泉総理を支持するblogを検索で見つけようとしても見つけられないことをもって「姿の見えない」とされていましたが、「小泉GJ」あたりで検索すればいくらでも見つかるわけですけれども。
頷くところが多いなぁと思いつつも小泉総理支持者の分析において違和感が残ります。というのも、「甘さ」「ゆるさ」は彼(女)らに対しては響くところがないとwebmasterは考えるからです。手がかりとしてkechackさんがおっしゃるところの「甘さ」「ゆるさ」が何に由来するのかを考えてみましょう。端的にそれを表現しているのが、かんべえさんの2/1付の次のテキストです。
〇いやー、BLT疑惑に談合が加わっちゃったんじゃ、野党の皆さんはお腹いっぱいでしょうが、変な食べ方しちゃダメですよ。効果的な市場監視策を考える前に、ライブドアショックを小泉さんのせいにするとか、マンション強度偽装の被害者救済を考える前に、ヒューザーと安倍さんの関係を追及するとか。そんなの「自民党クラシック」を喜ばせるだけじゃないですか。「BLT+D」の四点セットは、あくまでも敵失であって、野党が自分で用意した材料じゃないですからね。
かんべえの不規則発言2/2付(webmaster注:BLT疑惑とはBSE、Livedoor、耐震(Taishin)強度偽装のアクロニムです)
この「自民党クラシック」という分類そのものは、(かんべえさんの整理によれば)小泉総理が他の誰よりも熱心と思われる皇室典範改正について疑問符付きとはいえその指向に含まれていることに典型的に見られるように、ご自身にとっての合う合わないで選り分けたきらいがぬぐえません。しかしここで重要なのはそうした個別の是非ではなく、(以前書いたことの繰り返しで恐縮ですが)小泉総理を同志と見る枠組みです。
「自民党クラシック」でも中国や南北朝鮮でも抵抗勢力でも官僚でもゾンビ企業でもメディアでも仮想敵は人それぞれですが、とにかく何らかの強大な敵を想定し、その危険性がなかなか世に理解されない中、小泉総理はそれを汲み取って果敢に立ち向かう同志であるという枠組みがあるわけです。その戦いの重要性に比べれば「BLT疑惑」なんてものは取るに足らない瑣事に過ぎず、「支持しているが故に必要に応じて苦言を呈す」という姿勢は、善意にとっても事の軽重をわきまえない粗忽さの表れであり、悪意にとれば利敵行為以外の何物でもないということになります。
その意味でかつての自民党支持層と今の自民党支持層の姿勢に共通点を見出すkechackさんの指摘は正しく、自民党がいくらだらしなくたって社会主義政権よりはましだという考えは上述の仮想敵に重なるわけです。しかし次のように言うことでもまた相通じるのでしょう。「それがどうした」と。
■ [economy]議長交代にまつわるエトセトラ・追補
昨日の続きです。
- 「ロバート・シラー先生の「Is Bernanke Ready?」」(@Economics, Technology & Media2/2付)
- バーナンキが自身の研究成果に拘泥して金融政策を過つ危険性への警鐘ですが、その根拠は次のようなものです。
バーナンキ自身は1937年の準備率引上げなかりせば、と応対するのでしょうけれど、にしてもかようなやりとりが行われ得る彼の国のうらやましきことといったら・・・。大恐慌に対するバーナンキ氏の優れた研究は、彼が次の景気後退、あるいは不況を阻止できるということを意味しない。なぜなら、デフレを止めても全ての問題を解決することはできないからだ。結局のところ米国は1933年に金本位制を離脱し、1934年には金利を1.5%に下げ(ちょっとしたエピソードを除いては)デフレを終結させたが、失業率が安定して15%を下回るには1941年、第2次世界大戦の勃発を待たねばならなかった。
- 「ロバート・バロー、緑爺さんを語る(ついでに日銀についても少し)。」(@梶ピエールのカリフォルニア日記。2/2付)
- kaikajiさんご自身で昨日言及のあったバローによるグリーンスパン評のご紹介です。グリーンスパンはテイラールールに基づく政策運営を行いそれほど裁量的にふるまっていなかった、バーナンキはそれを発展的に継承してインフレターゲティングを導入せよという趣旨とwebmaseterは理解しました。
- 「ルーカス対バーナンキ(若いバージョン)」(@Economics Lovers Live2/2付)
- こちらもバローによる若き日のバーナンキとルーカスのエピソードを田中先生が発掘されています。セミナーの最中にルーカスに退席されながら最後まで平然とやり遂げた上で、「ボブはどうかしたの?」(webmaster注:ボブはロバート(=ルーカスのギヴンネイム)の愛称)とこともなげに言うバーナンキが素敵です(笑)。
#これらは昨日のエントリにも追加いたします。
まだまだ尾を引くメール問題。 メールの紙切れ1枚でここまでの大騒動になることも珍しい。世の中の人間の頭の中に『メールなんて証拠になるもんか。如何様にも偽造できるし、他人に成りすまして送ることだってたやすいんだぞ』って考えがあるからこそ批難する人間が多い..
彼らは「小泉」支持者なんでしょうか、「小泉自民党」支持者なんでしょうか。いずれにしても、かつての農村保守層は「自民党」あるいは「地元の○○先生」が自分達の利益を守ってくれるという意味において支持していたと思いますが、そうした党という組織や代議士ではなく、いきなり総理が出てくるというのが現在の「小泉支持層」との大きな違いであるように思います。
たまにしか見ることがない地元の候補者よりも、テレビで毎日見る小泉総理を支持したくなるのでしょう。
強いて言えば「小泉」支持層は旧革新からの転向組+新保守・グロスタ派、「小泉自民党」支持層は農村・中小企業的旧保守の色合いが濃いんじゃないでしょうか?これら異質な要素を同時に抱え込んでるというのが実態という感じ。ほりえもんへの対応でのゴタゴタ見てもわかるように。
結局、小泉支持者も目先の問題よりも「根本的な問題」を重要視する根本病患者だということなんでしょうか。
ただ、小泉批判者もあらゆる問題を小泉批判に繋げてしまうことを考えると、やはり根本病患者なのでしょうね。
>アルベルトさん
>彼らは「小泉」支持者なんでしょうか、「小泉自民党」支持者なんで>しょうか。
2年前の再訪朝時に家族会に大量の抗議電話が殺到して困惑したという話がありましたがまるで冬ソナの4様に熱狂する中年オバサンや例のES細胞捏造教授のファン連中と紙一重のような気がします。
なんというか小泉純一郎ファンクラブ的な色彩が濃い気がしますし。
>支持政党には支持しているが故に必要に応じて苦言を呈す。
>これが有権者に求められる政治への距離感ではないか?
それはそうなんですが、有権者の多くがそのような、行動様式を持つって言うのは非現実的でしょう。有権者の政治意識(関心ときちんとした意見を持っているか)は大変低いというのが、実証研究でよく見られる知見です。
政治的な事件が有権者の態度に与える影響の実際のプロセスは、どちらかというと、現政権に問題があるときに、オピニオン・リーダーのような存在(マスコミなど)が、それを探知して有権者に知らせて政治意識を変えていく、というものだろうと思います。
つまり、働きかけは行っているが政治意識を変えられない、という問題なのではないかと考えられるわけです。だとするなら、オピニオンリーダの動員が機能しなくなった要因を考えるほうが有意義だと思います。
>アルベルトさん
そのあたりは中選挙区と小選挙区の違いといった要素の影響や、抵抗勢力等を叩くことのカタルシスのような従来とは違う「利益」ですとか、そういったものも考える必要があるのかな、と思います。
ただ中曽根総理時代の大勝利等を見ても、そうした選挙制度改革前であっても総理のキャラで大勝ということはあったと思いますが。
>synonymousさん
毎日見ていればということであれば辻立ちする先生方だって落ちっこないわけですし、例えば福島党首が毎日テレビに出たら彼女が総理になれるとお考えになります?
>すなふきんさん
なんとなくそのあたりネオコン(といまどき言う人も少ないですが)と従来型共和党支持者の温度差にも共通する一面がありそうですね。あちらは宗教の話もあるのでもちろん違うところもあるわけですが。
>Baatarismさん
身近な問題について飽き足らず小泉総理(ないし反小泉総理)に傾斜するのはかまわないと思うのですが、そこに構造問題といったマクロな部分を混ぜ始めると根本病の第一歩、といったところではないでしょうか。
>estevanさん
そうした何らかの有名人への自己投影そのものはヒトとして避けがたいのではないかと思います。だからこそいろいろな制度的制約が設けられている中、それを無効化しようとする動きこそが棄権なのかな、というのが管見です。
>akiraさん
例えば昔から朝日のトーンは変わっていないわけで、にもかかわらず朝日的価値観がマジョリティになることはなかったわけです。その意味で動員が機能しなくなったのかと言えば、もともと機能していなかった(逆に申し上げるなら、いにしえを機能していたとするなら、その程度には現在も機能している)ということかなと思います。
◆ bewaad (2006-02-04 03:18)さん
http://bewaad.com/20060203.html#c07
>中曽根総理時代の大勝利等を見ても、そうした選挙制度改革前であっても総理のキャラで大勝ということはあったと思いますが。
キャラで勝ったかどうかには疑問を呈しておきます。
この顔がウソをつくかと嘘をいい、作戦で、嘘を読んでいた一般消費税賛成派と嘘を信じた反対派の両方の支持を得た中曽根氏と、どちらかというと政策にかかわらず自民党系の候補者が支持される田舎での強固な地盤+既得権打破という看板による都市部の浮動票獲得、という小泉氏の共通点をあえてあげるならば、、公言する政策に関わりなく寄せられる支持と、公言する政策に寄せられた支持の合わせ技で勝利した、ということではないかと考えます。
日本位デカい国になると国民の意志が一本にまとまること自体がかなり困難になる(つか、一億を超える人間の考えが金太郎飴という状況になったらそれはかなりキモチワルイ。)ので、比例制を軸にした選挙制度(それでも個人票重視で行くならたとえば小選挙区制と併用しているドイツ型という選択もあります。)にあっさり乗り換えて、各勢力の妥協ないし合従連衡の結果としての安定を目指す、という割り切りが必要な気が最近しています。国民世論を一本化できる、ないし一本化しなければならない、という条件での安定的"勝利"の内実は、上で見たようにかなり怪しげと言わざるを得ないように思いますので。
>BUNTENさん
中曽根総理時代の300議席はそれまでの自民党にはなかった大勝利で、やはり彼が小泉総理同様に風を捉えて時の人になったことが大きいのではないでしょうか。
「公言する政策に関わりなく寄せられる支持と、公言する政策に寄せられた支持の合わせ技で勝利した」というあたりは、かみぽこさんがご紹介のブレアの選挙戦術を想起させます。あちらでもセイフティ・シートと呼ばれる鉄板の支持基盤があり、労働党的な政策はわざわざアピールしなくてもセイフティ・シートが保守党に行くことは考えられないので、公言する政策は実際に実施するそれよりも保守党よりになるとのことでした。
比例代表云々は昨年末に書きましたが、国内対立の深刻さの程度によるものだと思います。より深刻であれば比例代表、大したものでなければ小選挙区というのが世界的な傾向であるようです。