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2006-02-10
■ [politics][government]公共事業反対派の論理
中村宗悦先生が山田和「瀑流」の書評の中で現代の公共事業について次のような指摘をなされています。
現今の長良川河口堰問題や有明海諌早湾干拓問題を見ても、そこにあるのはなし崩し的な既成事実の積み重ねとそれを擁護する官の論理だけである。「原始産業」と言われ、近代化のお荷物と言われた産業の悲劇をわれわれは今なお繰り返しているのではなかろうか。
「山田和『瀑流』(文藝春秋社,2002年1月)」(@historical amnesia2/8付)
長良川河口堰にしても諫早湾干拓にしても、根強い反対運動があるのは事実です。しかし、推進側のみが「なし崩し的な既成事実の積み重ねとそれを擁護する官の論理」と難じられ、一読すれば反対側がまったき正義であるかのように誘導することに問題はないのでしょうか。
例えば長良川河口堰については、建設省(当時)担当者と朝日新聞論説主幹との往復書簡を白眉とする国土交通省のまとめページがあります。また、諫早湾干拓については同様の推進派・反対派との間での直接のやりとりは見つけられませんでしたが、安井至先生のページにて三和さんによる両者の対立する意見の丁寧な対比が紹介されています。
これらを見てわかるのは、そのような善悪二元論に基づく単純な絵姿では現実はまったくないということです。両者に共通する洪水の防止は無論のこと、また諫早湾干拓による農地造成にしても、事業開始当初は無論のこと現在においても、別に土建屋を潤すために政府側が必要性をでっち上げているわけではなく、得られる便益とそれにより失われるものに対する評価の差というべきでしょう。
仮に成功した公共事業があり推進した者のみが誉めそやされているような場合、それに反対した者が自分の財産等に固執したエゴイストと断じられているとすれば、一方的な見方であるといわざるを得ないでしょう。それと同じように、反対する意見がメディアにおいて多数派である事業において推進側を官の論理と断ずるのはやはり一方的な見方でしょう。
当然ながら推進者がいわゆる官ないしそこから便宜を受けている者のみから構成されているはずもなく、現地の「民」においても推進する者はいらっしゃいます。そうした事情に目を配ることなく官の論理とラベリングするのは、小泉構造改革、ひいてはその源流ともいえる先生の研究対象の1つである戦前の清算主義にも相通じる部分、いわば官の論理と対置されるべき反対派の論理でしかないのではないでしょうか。
[http://www.bewaad.com/20060210.html#p01:title] 推進派ばかり悪者になるのはよくないとは思うが、公共事業の結果は自然破壊と継続的なコストを生み出すし、コストの議論は表に出ず、推進した人が責任を取らないのだから、抑止装置として推進派に若干不利な状況位がよい..
かつて公共事業にもっとも強く反対していたのがいわゆる左派「革新陣営」だったことをどうしても思い起こすんですよね。その論理を換骨奪胎して転用しているのが今の「改革派」というわけですね。メディアの改革シンパシーの淵源はそこらへんにあるかと。
>すなふきんさん
「かつて」といわずとも今だってというのは、両事業の弁護団の経歴などをみれば・・・。
追加
「弁護団」ってのは差止訴訟等の原告団の、ということです。
拙エントリーにTBありがとうございました。確かにご指摘の点,もっともです。山田和『瀑流』における推進派と反対派の対立の事例(小説ですし,その分も割り引かなければならないでしょうし)から,現代の事例をただちに想起させるような,そして一方を悪と決めつけるような書き方はまずかったですね。……ただ,開発を巡る問題について「得られる便益とそれにより失われるものに対する評価」が異なる時,それをどう判断するべきなのか……。それが現代の問題にもつながってくるようには思います。
bewaadさんの仰るのはそうだと思いますが、問題は計画と実際にあまりに時間差がありすぎ、昔そうだと思っても既にもう終わっている・・・ようなことが多すぎるのでは?
これを一概に反対派というのはどうかな?官が前任の策を変更できない、責任をだれもとらないのが問題の本質ではないですか?
山は、杉以外植えさせず、平地は総アスファルト、建物は総コンクリが、理想だと思う
>別に土建屋を潤すために政府側が必要性をでっち上げているわけではなく、得られる便益とそれにより失われるものに対する評価の差というべきでしょう。
諫早に関して、諫早湾外の漁民からの不安の声以外に
当初食糧増産を目的に干拓計画が立てられたが、減反に時代が変わった中での農地造成には疑問。
洪水対策なら干拓工事よりポンプ場の強化が安価。
という二点セットの批判がありましたが、これらの批判に基づいて国が事業をきちんと評価し直したかについてはかなり疑問です。
>現地の「民」においても推進する者はいらっしゃいます。
地元諫早の土木・建設関係者とかが賛成するのは当然としても、一方で農水省の中の人が地元民を名乗ってネットに書き込んだ、という事件もあったりしますが、どうしましょう。(^_^;)
>両事業の弁護団の経歴などをみれば・・・。
それがあるのでなおさら、ひねくれ者の私の目には、(少なくとも諫早干拓は)反対運動に反対するために委細構わず遮二無二推進、しているように見えてしまうわけです。
「反対側がまったき正義」などでは決してないことには異論はありませんが、そこから「得られる便益とそれにより失われるものに対する評価の差」というところまでの健全な問題に落とし込めるのかは甚だ疑問です。
例えば、建設省河川局と朝日の往復書簡は確かに面白いのですが、朝日のマヌーバーに対してついに建設省がキレたという点を斟酌する必要はあるものの、事業の当否をめぐる本質的な問題について建設省に議論する気があるようには見えません。「客観的な科学的知見」といえども調査方法や結果の解釈によってどうとでも言えるわけですから、「ウソ」と断言した朝日の極論っぷりは指摘できても、本当に河口堰が必要なのかどうかについてこうした議論は(少なくとも推進派、あるいは反-反対派から見て)あまり役に立たないと思うわけです。
ついでに言えば、「現地の『民』においても推進する者」がいたとしても、それは本当の「民」などではないというのが今の多数派の価値観だと思います。どんな「官」の活動にも何らかの形で「民」が当然関わっているわけですが、そこから甘い汁を吸っているような連中は官の仲間だけしからん、というわけですので、形式論理上の勝ち負けは別として、こうした形で反論を試みるのはかえって逆効果なように思われます。私自身はbewaadさんの意図するところはわからないではないのですが。
>中村先生
ぶしつけなエントリに対して丁寧な書き込みをいただきありがとうございます。
「瀑流」を読まずに申し上げるのもなんですが、総論としての民主政も紆余曲折あれど改良がなされ、公共事業に関する手続も環境アセスが典型ですが充実してきています。もちろんいつまでたっても完全なものにはならないと思いますが、だからこそ努力し続けなければということではないかと(ありがちなまとめで恐縮です)。
>ななしさん
「多すぎる」とのご指摘ですが、もちろんわずかずつでも少なくするための進歩は必要ですが、公共事業全体の比率でいえば深刻なトラブルを抱えるものはきわめて小さい比率でしかありませんし、ゼロになると考えるのはあまりに楽観的でしょう。
ちなみに政策変更の例はいくらでもありますし、責任とおっしゃられる心持はよくわかりますが法的に問題のない手続を経ている場合にそれを問うのは残念ながら法治国家には似つかわしくないといわざるを得ないでしょう。
>BUNTENさん
適任でもありませんしあまり個別問題に踏み込むのもなんですが(笑)。
>当初食糧増産を目的に干拓計画が立てられたが、減反に時代が変わった中での農地造成には疑問。
>洪水対策なら干拓工事よりポンプ場の強化が安価。
前者については、生産性の低い地域における無理な営農をやめさせる一方で安井先生のページにあるように生産性の高い農地を確保するのは矛盾ではありませんし、何より減反の対象は米作ですから他の作物については当てはまりません。
後者については、防災のみを目的とした事業であればそういう代替案もあるのでしょうけれど、農地造成もまた目的ですから。
>地元諫早の土木・建設関係者とかが賛成するのは当然としても、一方で農水省の中の人が地元民を名乗ってネットに書き込んだ、という事件もあったりしますが、どうしましょう。(^_^;)
一人不行き届きがいたら政府全体が悪者なのでしょうか(笑)。というか建設関係のみが「民」というわけでなく、防災機能に期待している人もいれば干拓地の農地に入植しようという人もいます。訴訟の原告団を見ても、多くは福岡、佐賀、熊本県民であって長崎県民はほとんどいませんし。
>それがあるのでなおさら、ひねくれ者の私の目には、(少なくとも諫早干拓は)反対運動に反対するために委細構わず遮二無二推進、しているように見えてしまうわけです。
公害等調整委員会の裁定・最高裁の判断いずれも工事を中止せよというものではなかったわけですが・・・。
>アルベルトさん
当サイトの読者ならわかっていただけるだろうという甘えがあるのは事実です(笑)。
以前障害者自立支援法案を取り上げたときにしみじみ思ったのですが、あの法案への反対者の多くが公共事業を敵対視していて、無駄な公共事業をやる余裕があるなら、というようなおっしゃりようが少なからず見られました。そういったことを言い出すとじゃあ無駄な生活保護をやめろとか、そういう話もこれありで分断統治に進んで協力することになってしまうわけです。
メディアリテラシーとは最近よくいわれますが、自らの関心分野においてメディアの言説に懐疑的な人であっても、得てしてそうでない分野においてはメディアの言説にとらわれてしまっています。公共事業については特に昨今援護する論陣が見られないものですから、ぜひそこを相対化していただきたいと思ってのことでした(ご賢察いただいていると思いますが)。
企業が投資する時は売り上げ増でなく、利益の増大が問題なんですが、公共事業だと売り上げ表示ですよね。
産業投資については期待される消費税収増あたりを指標にするといいのかもしれないなぁ。
◆ bewaad (2006-02-11 09:13)さん
http://bewaad.com/20060210.html#c11
反論は山ほどありますが、ここで諫早問題その他の各論を煮詰めるのは場違いなので控えさせていただきます。で、一点。
>最高裁の判断
法的にはお説の通りでしょう。
ところで、いわゆる市民運動側から最高裁がどのような場所に見えているかということがわかる例として、小泉靖国参拝反対訴訟のいっこで、敗訴(賠償が取れなかった)にかかわらず上告(だっけ?(^_^;))しないであえて(参拝イクナイという内容の)高裁判決を確定させた例があったということを指摘しておきます。
これはやはり一つの不幸というか日本国内の分裂ないし相互不信の根は深いというか、そのように私は感じるわけです。ここはやはり国政選挙を比例制にして妥協…(。_・☆\(^_^;)
>BUNTENさん
いろいろな問題点はあるんでしょうけど、
現職県知事が圧勝している現実を見ると、地元民の同意は
得られていると考えるのが妥当な気がします。
>kumakuma1967さん
「売上」も相当程度仮定計算によらざるを得ず、なかなか難しいのでしょうね。理想はLCA的な考えなのでしょうけれど、その普及に努められている安井先生もああいった具合ですし・・・。
>BUNTENさん
cocologも拝読いたしました。あくまで本エントリの目的はアルベルトさんへのコメントで書いたとおりなのでご提案どおりといたしましょう。
でも、福岡・佐賀・熊本県民の主張が通って事業が中止になった場合、それを長崎県民(とりわけ諫早市民)がやすやすと受け入れることも想像しがたいですよね(笑)?
>777さん
BUNTENさんの問題意識は、諫早湾干拓の影響が長崎県外にも及ぶにもかかわらず、長崎県のみが当事者となり当該影響を被る人々が阻害されていることについてのものですから、ご指摘の点には異論はお持ちではないと考えます。
脇からの口出しで失礼いたしました。
「当然ながら推進者がいわゆる官ないしそこから便宜を受けている者のみから構成されているはずもなく、現地の「民」においても推進する者はいらっしゃいます。そうした事情に目を配ることなく官の論理とラベリングするのは、」といいたいが為に例として諌早湾干拓事業が利用されただけのようです。はたしてその例にあてはまるのでしょうか?
地元長崎県や諫早市では民主党から総評まで共産党以外の政治勢力は強硬な事業推進派となっています。菅直人も長崎民主党をどうにもできず「反対を言う前に地元の支部が賛成派なのはどうしてなのでしょう」とことあるごとに小泉首相に言われていましたし、あの反対運動が盛り上がった時期に長崎入りした土井たか子もついに「事業反対」の一言が言えずに帰京しています。ご紹介の「安井至先生のページ」で評価されていた諫早市在住の反対派のリーダー故山下弘文氏は反対したために村八分状態にあったと聞きます。「反対しているのはよそ者ばかりだ」というのが前県知事らの発言です。あなたの言い分とちがって、「現地の民は推進派ばかり」というのが現状です。
巨額の国家予算が投入されるのですからそこから便宜を受けている人が推進派となるのは当然のことです。その便宜が国家事業として費用に見合っているかという点が問題になるのであって、便宜を受けているからダメだという反対派は誰もいません。
長崎県の自民党は干拓事業を受注した複数の大手ゼネコンから巨額の政治献金を受けていたことが発覚しています。その額は他県の自民党より突出しており、また九州農政局や本省の構造改善局長らが大量にその大手ゼネコンに天下っている事も分かっています。官にとっても実利があります。この便益についても問題があります。ないと言う人はいないと思いますが。
費用対効果は消滅した干潟の価値を計算するかいないかという点にあります。農水省の計算でも1を割っています。
防災効果については調整池はダム湖なので洪水防災効果はありません。ダムを造ってその上流に洪水防災効果があるなどというインチキは幼稚園児で分かる話です。当初は地形的にダムをつくれないからと言っていたのに、現在本明川ダム計画が進んでいます。嘘つきですね。高潮防災効果については反対派も認めています。ただし、既存堤防の修復によって可能で複式干拓調整池方式をとる必要はありません。佐賀でも熊本でもそれでやっています。堪水防止効果についてはかんたんには言えませんが、他県は排水ポンプでやっていますから、それが巨額事業の効果というのなら費用対効果で言えばお話しになりません。排水ポンプではだめだといっていたのが、いまこれを増強しています。ここでも2重投資の嘘事業です。
事業の歴史に触れます。それなりの必要があったが、状況が変わっても計画に固執した結果が現在の姿です。なぜ「地元が推進派ばかり」なのかも歴史を見れば分かります。地元反対派を根こそぎ取り払うのには長い年月がかかっています。だからそれが無になる中止は先達にもうしわけなくて行政にはできない。
最初は有明海大干拓構想。オランダの干拓を手本にして有明海を閉め切って諫早湾は全部干拓し、有明海も順次干拓するというものでした。戦争に負けたあとの食糧難の時代にお米の大増産をめざしたものでした。それが減反政策によって米余りとなり稲作ができなくなったところで事業は中止するべきだったのです。干拓地から塩分が抜ける迄は稲作しか適しません。八郎潟干拓地でみればあきらかで、減反で勧められた作物は失敗した結果、減反無視の農民が出て来たのです。農水省は盛り土をし排水設備を強化し多くの肥料を投入して野菜の試験栽培が成功したと言っていますが、民間がやったらはたして野菜と牛でペイするかどうか疑問視されています。それで農地の買い手がつかないと見て、長崎県が買い上げてリースする方式にすると決めています。県が農地を保有するのは違法なんですが、公社が保有するような形にすればいいというのもまた脱法行為です。どっちみち資金は県が出すのですから。
減反で大干拓構想が頓挫したあと、事業目的は農地から水に変えます、現在より大きく閉め切って諫早湖をつくり、この水を長崎市の都市用水として利用するというのです。なぜそうなったかというと、諫早湾の漁業生産性は干拓地農業をするよりも生産額が高いということを地元漁協が計算して示したこともあり農地造成はおまけで、主要目的は飲料水だとしたのです。農業生産は漁業生産に負けるが、漁業と水とどっちが重要だというわけです。干拓事業は諫早湾内漁協の解散廃業に追い込む訳ですから、いかに漁協の反対を押さえるかが焦点でした。湾内漁民を押さえ込むのに長崎県は大変な時間と労力を費やしています。当初は全部の組合が反対で強硬な反対運動があって逮捕など事件が多く起きていました。
ほっとしてこれで事業が実現すると長崎県知事が思ったところ、湾外の他県の漁民が有明海への影響を言って反対に立ち上がり海上デモとなります。日本の歴史で最大の漁船デモだったと言われています。ノリ不作のときの海上デモをやったのは当時の漁民の子供の世代です。佐賀県は県議会が前期一致で反対決議を行ない、県知事は上京して農相と「佐賀県の同意なく事業は行わない」という確約をとりつけます。「そんなに長崎市の水が必要なら大村湾も閉め切ればいい」と彼は発言したと言います。これによって長崎県は一転して窮地に追い込まれます。ときの農相が現在の長崎県知事の父君の金子農相でした。彼は政治的に強行は無理と判断し、突然事業撤回を決定します。これによって、彼は農水省官僚から完全無視され、地元でも多くの批判にさらされます。しかし彼は策を考えていました。農地が減反でダメ、飲料水がダメ、それを超えるものと言ったらなにかと言えば「命」しかありません。そこで本明川が決壊して多数の死者を出した諫早大水害から諫早市街、諫早市民を守ると「防災干拓」としたのです。農民の利益ではなく、諫早市民と命と取り替えなのにそれに反対するのか!ということになります。ところが干拓事業に河川洪水防災はありません。せいぜい農地を洪水から守るだけで人を洪水から守るとなると河川管理を所管する建設省の河川法の範囲になります。干拓事業の法律である土地改良法ではできません。法の目的に反する違法事業です。それを指摘されて、今は政府は「防災干拓」は言いませんが、地元推進派はいまでも「命を守る防災干拓」を掲げています。
「 農地→水→命」と事業目的をまったく変えながら干拓に固執してきて、もうこの上はありませんから背水の陣でした。これで他県の反対派漁民をも鎮圧し、晴れの締め切りセレモニーが事態を一変させるとは露も思っていなかった。ギロチン映像が放送されると全国から非難が殺到することになります。国民が事態を知ることとなった時点で、地元反対派は誰一人いないと言っていい状況だったのです。
言われるように地元推進派と反対派との公開討論のような議論は閉め切り以降、一度もありません。民主主義は議論と採決によって決まります。事業の決着は科学論争や裁判で決まるのではありません。政治的な決着によります。まず双方が同じテーブルについて議論をするということから始めないと、日本の民主主義は育ちません。党内に推進派がいる民主党を接点にして双方が公開討論をすることは可能なのですが、誰もやらないのは残念なことです。
>のんきさん
諫早問題の各論について、私はおそらくのんきさんに太刀打ちできるほど材料を持っていないので、それぞれの反論は差し控えたいと思いますが、おっしゃることを受け入れても、賛成派・反対派それぞれの経緯や立場もあり、賛成派のすべてが官の論理により動いている、とする反対派の決め付けは必ずしも成り立たない、というエントリの趣旨は損なわれないと思います。
なお、諫早(と長良川)は中村先生のエントリに具体的に掲げられていたので触れたのであって、こちらから何か含むところがあったわけではありません。
bewaadさん。
各論で議論するという趣旨の投稿ではない事は理解しています。
ただ、反対派に対する印象がそんなに悪いのかなとちょっとがっかりしています。
官の論理は事業目的の変遷からみてもとっくに破綻しています。それに従う賛成派の「民」はそれほどいないのではないでしょうか。「官」は「地元からは感謝されている」と常にいいます。地元の感謝とは賛成派「民」の論理です。賛成派の中核は森山町(最近、諫早市に合併)農民です。ここはかっての国営干拓事業の入植地です。干拓は埋立とちがって零メートル地帯として排水不良がついてまわります。今日のような大雨がふる梅雨どきは、田んぼが冠水して水がなかなか引きません。これを堪水と言います。長く稲が水につかると収穫は期待できないくなります。また干拓地ですから海岸堤防に接していて、台風の高潮の被害を受ける最前線でもあります。大規模国営事業が計画されるところはどこでもそうですが、事業実施を前提にして2重投資となるものは抑制されます。ここでも閉め切り後は湖畔となる海岸堤防の補修が行なわれずに縦に割れてしまった堤防の割れ目から海が見えるという状況にあれば、はやくギロチンをやってもらいたいと願う気持ちは分かります。
ギロチンで排水不良が改善されて堪水時間が短くなった(全部が閉め切りによるものではありません。排水ポンプも増強されていますし、河川の拡幅や掘削などもあります)、台風が来ても7mの潮受け堤防が機能してくれるから安心していられると感謝するのが推進派「民」の論理で、「官の論理」でなんか動いちゃいませんよ。
「賛成派のすべてが官の論理により動いている、とする反対派の決め付け」っていったいどこにあるんでしょうか?
>のんきさん
反対派に対する印象が悪いというより、職業がら、公共事業は土建屋を潤すために行われ、そのキックバックを政治家がもらい、官僚はその両者を取り持つことで権力を手にする、なんていう批判をよく見ているので、事業推進の理屈はそんなものではない(少なくともそんなものばかりではない)ということを言いたかったのです。そのような立場ゆえに被害者意識が強く出てしまったのかもしれません。反対派の方々を貶めるようなニュアンスが出ていたとすれば、たいへん失礼致しました。
なお、
>「賛成派のすべてが官の論理により動いている、とする反対派の決め付け」っていったいどこにあるんでしょうか?
は、エントリで引用した中村先生のテキストを念頭に置いておりました。
いずれにせよ、賛成派・反対派にはそれぞれの言い分があり、いずれであってもそれを悪として聞く耳を持たぬようなことがあってはならない、というのがエントリの趣旨でございます。
bewaad さん
「エントリで引用した中村先生のテキストを念頭に置いておりました」ということですが、この書評の「現今の長良川河口堰問題や有明海諌早湾干拓問題を見ても、そこにあるのはなし崩し的な既成事実の積み重ねとそれを擁護する官の論理だけである。」の部分は、すぐあとに「原始産業と言われ、近代化のお荷物と言われた産業の悲劇をわれわれは今なお繰り返しているのではなかろうか。」とあるように、「木材を木呂と呼ばれる昔ながらの形で搬出する一大流通路」であった庄川で「地元の人々が営々と営んできた生業を奪っていった。」ことを批判しているのではないでしょうか。そうであるなら「原始産業の側の論理」がなく「官の論理」だけであると。この「民」の声が反映されていないという批判であってあなたの言われるような「推進派のすべてが官の論理により動いている」という主張にはなりません。反対派の「民」と推進派の「官」を比べているのです。もう一度読んでください。あなたのようには読めないから、あなたの見解が「反対派の方々を貶める」ように私に受け取れたのかもしれません。事情は分かりましたし、私の誤解はもう解けました。
諌早湾干拓事業とは一言で言えば農業(農水省)が漁業(水産庁)を潰す事業です。推進派の民は農民。反対派の民は漁民。諫早湾内8漁協が解散し漁民は廃業しています。他の4漁協は漁業権を一部放棄して存続したものの閉め切り以後不漁が続き漁で生活することができなくなっています。「漁民の声はこの事業にはまったく取り入れられず、そこにあるのは既成事実のつみかさねと官の論理だけです。」という書き方なら私でもします。
ところで「職業がら」とはどういうことですか。
検索で飛んできたので、どういうHPかいまだに分かっていません。
わからないままに乱入して失礼かなと気になっています。topを見ても良くわかりません。教えてください。
>のんきさん
私は霞が関で働いている、いわゆる官僚です(ので、サイト名にもkasumigasekiと入れております)。ああ、なるほど、と受け止めていただけるのではないでしょうか(笑)。
そうでしたか。農水省には4〜5回行きました。審議会傍聴で環境省にも行った事がありますが、くらべると農水省は牧歌的でなにかほっとします。古い建物の廊下を夏はボデコン(古い言い方ですが)のお姉さんが歩いていたりして、ついふりかえってしまいました。
昔の建設省河川局にも行った事があります。書類が積まれた机の前で、椅子を出してもらって話を伺ったときの様子は、まるで小中学校の職員室で話しているようでした。狭く雑然としていてうずもれてしまって話している事が他の方には分からないような雰囲気でした。
霞ヶ関めぐりをするなら、農水省ははずせないですね。食堂が複数あってどちらもうらびれていて?、ほんとに落ち着きます。
>のんきさん
環境省に比べると、総務省などはもっと建物が新しくなり、牧歌的な雰囲気はますます失われています(笑)。農水省は財務省と並んで建物が古い部類ですから、選りすぐりではあります。
他方で「狭く雑然としてうずもれてしまって」いるのは、新しい建物に入っている役所でも、あまり変わらないような気がします。良くも悪くもそれが霞が関の風土なんだろうなぁ、と。