toppage memoranda
(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2006-02-24
■ [economy]中村正三郎さんの経済学観について
昨日の記述は間違っていて、スティグリッツ本の数式には問題はありません。詳しくは下記、及びコメント欄をご覧下さい。
藪下先生をはじめとする訳者の方々には大変なご無礼をしてしまい本当に申し訳ないです。心より陳謝いたします。また、昨日のうちにこのエントリを読まれた方々にも混乱を招きました。ごめんなさい。本来であれば全面的に書き換えるべきところですが、混ぜ込んで書いている部分もあり、もっとも問題だと思う部分のみ取り消すことといたしました。その余の部分については趣旨をお汲み取りいただければ幸いです。
#以上、2/25追記。
最近A.R.Nでの思わせぶり(笑)な記述(例:2/21のそれ)が気になってどこのことだろうと探していました。これまでの英-Ranさんの軌跡を考えれば早く気がつかなかったwebmasterはうかつだと今にして思うわけですが、中村正三郎のHOT CORNERでのことであるとようやく見つけることができました。コメント欄では当サイトまで出てきていることですし、取り上げてみたいと思います。
#当サイトがらみの話は議論の組み立て上最後に回すこととさせていただきます。
さて、中村正三郎さんによるご指摘は大きく分けて3つの部分からなるものとwebmasterは理解します。具体的には次のとおりです。
- スティグリッツ「入門経済学(第2版)」中の記述に関するもの
- 日本の「経済学コミュニティ」に関するもの
- 経済学一般に関するもの
それぞれについて切り分けて議論すべきかと存じますので、以下順に。
スティグリッツ「入門経済学(第2版)」中の記述について
中村正三郎さんのご指摘は次のとおりです。
まず、同書200ページ上から10行目あたり。以下のpcは、ほんとはpが小文字でさらにcが下付きなんだけど、テキストじゃ表現できないので、Pcと書く。Prも同様。句読点は、「,.」だが面倒なので「、。」のまま。
--- ここから ---
以上からわかるように、消費者価格をPc, 生産者価格をPr, そして従量税率をtで表せば、
Pc = Pr + t
という関係が成り立つことがわかる。
-- ここまで ---
この文章と数式は、理系の試験なら、大減点。おれの学生でも大減点。先生によっては0点。下手するとマイナス点。\(^O^)/
なぜなら、単位の次元がでたらめだから。価格と率という別の次元をもつ単位を一緒くたにするのは、理系なら考えられない。
100円 = 95円 + 5%
こんな式を平気で書く奴を、絶対に信用してはならない。
(略)
次は、201ページ下から2行目から202ページにかけて。以下でいう図とは、199ページにある図5-18 タバコ税の経済効果という図のこと。文中のPtrは小文字のpにtが上付き、rが下付き。
--- ここから ---
図からもわかるように、政府余剰の増分は民間部門の余剰減少分を△EcErEの額だけ下回る。これは、民間部門が負う実質的な税負担(=台形PtrPeEErの面積)が政府に納める税金を上回ってしまうために発生するという意味でしばしば税の超過負担と呼ばれる。
--- ここまで ---
文中、台形PtrPeEErの部分が間違い。五角形PtrPtcEcEErじゃないと、図やそれまでの本文の話と整合性がない。
以上2点、いずれも薮下史郎が書いた部分。もし、おれが間違っているなら、謝るので指摘してほしい。
「スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/16付)
これは事実関係としては中村正三郎さんのご指摘のとおりで、明らかな誤りです。この点については誰も異論がないと思います。議論があるとすれば「こんな式を平気で書く奴を、絶対に信用してはならない」の部分で、コメント欄でも単なる誤植ではないかという指摘がなされています。「この文章と数式は、理系の試験なら、大減点」云々は理系でなくても経済学であっても当然のことで、藪下先生が本気でこう書きたいと思って書いたなら誰も信用しないのは理系に限りません。
#以上、2/25に削除。
#当該部分の執筆者が藪下先生かどうかには疑義があるようですが、この文脈においては本質的な話ではないので紹介にとどめます。
ここから発展して次の問題に至るわけですが、書物においてある間違いを発見した際に著者本人がそう書こうと思ったのか誤植だろうと推測するのかはそもそもの著者に対する信頼性にもよるでしょう。例えば中村さんがよく知っていて信頼している人の本にそのような間違いがあれば、本気でそのように書こうとしたとは考えもせず、せいぜいが著者校正が甘いんじゃないのといった感想にとどまるでしょう。
つまりは「平気で書く奴」かどうかの判断は記述のみには依存しない点があり、そこが次の問題につながっていくわけです。
日本の「経済学コミュニティ」について
上記の誤りを前提に、中村正三郎さんは次のように話を進めていらっしゃいます。
おれが買ったこの本は、1999年4月15日第1刷、そして2002年3月18日第13刷というもの。</p><p>おれが驚くのは、これほど定評ある本の間違いが3年間も、そして13刷にもなっていながら、直ってないこと。これをおれは、学者、エコノミスト、学生、そして担当編集者、全部ひっくるめて、日本の経済学コミュニティのレベルの低さと受け取っている。</p><p>'}}だから、日本の経済学はだめなんだと。\(^O^)/
「スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/16付)
これもこの部分だけを取り上げるならおっしゃるとおりで、東洋経済新報社におかれてはきちんと訂正していただきたいとはっきり申し上げておきます。
#以上、2/25に削除。
ただ「この部分だけを取り上げるなら」と留保をつけたように、もう少し視野を広げるとご指摘が妥当かどうかについては即断できません。というのも次のようなご指摘があるからです。
化学の式が物理学の式と違って見えても何も不思議に思わなかったり、物理や数学の教科書に誤植があっても普段は軽く文句を言って素通りするのに、対象が経済学だというだけでここまで違う見方をするということは、単なる偏見かイデオロギーにすぎないわけだ(いや、もちろん数学だろうが物理学だろうが小説だろうが、あらゆる誤植は決して許さんという人がいるなら、それは謝る。おそらく、世のほとんどの本は読めないだろうが)。
たしか、けっこう有名な数学の教科書に正しくは「8」であるべき部分が「∞」になっていたとか、そういう話はいろいろありますよね。それから、K&RのThe C Programming Languageの日本語版(石田晴久訳、とくにANSI以前のやつ)。この本の翻訳も、けっこう長い間間違いが放置されていて問題にされてましたが、それをもって日本の計算機学会がダメダメだとは言わないでしょ?どの分野の本でも誤植はたくさんあります。
「Re: スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/17付)におけるkmoriさんのコメント(webmaster注:「K&RのThe C Programming Languageの日本語版(石田晴久訳、とくにANSI以前のやつ)」とはカーニハン、リッチー「プログラミング言語C」のことです(ただし、リンク先はANSI準拠版です))
ここでは、英-Ranさんやkmoriさんは中村正三郎さんが暗黙の前提としている点に問題を見出しています。引用部だけを見れば絶対基準で難じていますが、その前の「理系なら考えられない」等の記述とあわせ考えれば、日本の経済学コミュニティが日本の理系コミュニティに比べて劣っていると相対基準で難じていると理解する方が合理的でしょう。
であるなら、単に一例をもってその根拠とすることには問題があると言わざるを得ません。例外足り得るのは理系コミュニティにおいてそうした事例がゼロである場合ですが、そうでないのは英-Ranさんやkmoriさんがご指摘のとおりです。もしも「日本の経済学コミュニティのレベルの低さ」を引き続きご主張されるというのであれば、ある程度の客観性のあるデータにより、例えば経済学関連書籍における誤植の放置期間が理系のそれに比べて有意に長いことを示す必要があるでしょう。
経済学一般について
ここまでの議論は理屈で追いかけることができるわけですが、ここでの議論は若干推測や憶測が入ってくる世界となります。これは双方にありまして、英-Ranさんの側においては、中村正三郎さんが経済学に対してバイアスがあるため解釈の分かれる部分についてすべて悪い方を採用しているのではないかというものです。これにきちんとした根拠があるかといえばないわけですが、次に見るようにwebmasterは十分に状況証拠はあるのではないかと思います。いくつかあるので順に取り上げてみます。
おれは同時に、スティグリッツのマクロ経済学とミクロ経済学も買って3部作を揃えたんだけど、最後まで読み通したのは、入門経済学だけ。なんか、こういう経済学、おれ的にいえば経済文学の世界は、もういいと思ったんだね、当時。\(^O^)/
こういう経済学は科学じゃないもんね。経済学で曲りなりにも科学的なのは、ゲームの理論や金融工学、理財工学など数理経済学だけでしょ。それでも、物理学でいえば、やっとニュートン力学が登場したかどうかのレベル。\(^O^)/
経済文学なんて、所詮、錬金術。\(^O^)/ この錬金術って、金儲けの話と中世の科学以前の錬金術のシャレになってることはわかっていただける?
「スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/16付)
スティグリッツ経済学は学部レベルのテキストですが、経済学は高校までではほとんど教育がなされていないと言ってよいので、いきおいその説明はやさしいものにならざるを得ません。しかしそれと学問としての高低を同一視するのはナンセンスです。例えば多くの選手が小学校時代から競技に親しんでいる野球と体格・成長との関係上大学からでないと本格的に開始できないウェイトリフティングにおいて、大学の体育会の部で野球は最初から高度な練習をし、ウェイトリフティングはまずは姿勢や道具の使い方から学ぶ必要がありますが、それは2つの競技の優劣を示すものでは何らありません。ブランチャード、フィッシャー(マクロ)やディキシット(最適化)を読めばよもや「経済文学」とは言えますまい。
逆の例を持ち出すなら、E=mc^2以外の数式を掲載しなかった「ホーキング、宇宙を語る」の存在ゆえに宇宙物理学は「宇宙物理文学」と呼び、こういう物理学は科学ではないとすべきなのでしょうか。yesというならばそれはそれで1つの立場だと思いますが、noであるならダブルスタンダードのそしりは免れないでしょう。
最後に「曲がりなりにも科学的」とお認めいただいたゲーム理論その他ですが、「物理学でいえば、やっとニュートン力学が登場したかどうかのレベル」というのはどのような趣旨でしょうか? あれこれ下衆の勘繰りをしても仕方がないのですが、とりあえず使っている数学のレヴェルが微積分だというなら‐当然そういった数学はミクロ・マクロだって使っていて、経済学全般を「曲がりなりにも科学的」とお認めいただかないことにはならないのですが(笑)‐、それはオッカムの剃刀できちんと刈り込まれていることの証拠でしかないのですけれども。
テレビや雑誌にコメンテータで出てきたり、扇情的な単行本を出している経済学者やエコノミストがやってるのは、競馬の予想屋レベルの経済文学、それも出来の悪い文学。そういうのはもう要らない。断っておくが、競馬の予想屋の世界も奥が深いんだよ。
単位系や単位の次元の扱いは、基本中の基本として、理系なら厳しくいわれてきたはず。だって、単位系や単位の次元を間違うと、ビルは倒れるわ、飛行機は墜落するわ、原発は爆発するわで、大変なことになる。
経済学が科学じゃないことが、これだけでもよくわかるし、経済学者って雑な仕事をしているんだなと思った。こういう人が、早稲田のCOEセンター長なんだよ。大丈夫かと思わないほうが不思議でしょう?
「スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/16付)
ぼくは、経済学が意味がないとか、役立たずとは思ってないし、人類の役には立ってると思ってる。でも、科学などといわれると、冗談だろうと(一応、数理経済学は除外しておくけどね)。
生命のメカニズムやゲノムがわかってなくても、大昔から農業は品種改良なりの工夫で人類の役に立ってきたでしょ。そういう意味では役に立ってるとは思ってますよ。でも、経済学が科学だといわれると、自然や科学をなめているんじゃないかと。
一番ひどいのが、世間でテレビや雑誌のコメンテーターとして出てきたり、扇情的な単行本を出している経済学者、エコノミストなどという連中ね。競馬の予想屋のほうがよっぽど、馬に対して謙虚ですよ。\(^O^)/
「Re: スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/17付)
「扇情的な単行本を出している経済学者、エコノミスト」に対する怒りにおいてwebmasterは決して中村さんに劣るものでないと自負しておりますが、ここで中村さんは明らかに特称命題と全称命題を混同しているわけで、他人の批判をする前にまずはわが身を振り返ってはとついつい思ってしまいます。「ある経済学者やエコノミストが非科学的である」という命題が真であることは「全ての経済学者やエコノミストが非科学的である」という命題が真であることの裏づけにはならず、まして「経済学が科学じゃない」という命題についてはなおさらです。それがなぜかを説明する必要はないですよね?
「単位系や単位の次元の扱いは、基本中の基本として、」経済学でも厳しく言われてきたはずです。だって、単位系や単位の次元を間違うと、GDPは算出できず、物価はわけがわからず、余剰計算も成立せずで大変なことになってしまいます。だから単位系や単位の次元の扱いに誤記があっても、それは誤植だろうとか、百歩譲ってもその人がトンデモだと考えるのが普通であって‐だって、理系でそういうことがあればそうお考えになるはずですよね、この文脈であれば‐、それを「経済学が科学じゃないといわれると、経済学をなめているんじゃないかと」。
わが身に照らしてお考えいただくため、嫌味なやり方だとwebmaster自身思いますが、あえてあてこすってみましょう。故糸川英夫博士を日本ロケット工学の父
、日本のロケット工学の偉人
と中村さんはおっしゃっています。他方、糸川先生は「トンデモ本の世界において、とある殺人事件の原因を冷夏による米不足のせいで人間の生存本能が刺激されたためとする主張をもってトンデモ認定されています。中村さんだって、トンデモ認定を持ち出してロケット工学の業績まで否定する主張に接したときには憤りを感ぜずにはいられないと思います。経済学に科学としての側面を見出している人間にとって、中村さんのおっしゃりようはそうした主張と同類のものとして受け止められているのです。
webmasterへのリクエストについて
それにしても疑問なのは、こういうところで初学者が引っかかる可能性を考えていなかったのかどうか(あるいは、経済学者はこの式の誤りや他の誤りを何ら問題と思っていなかったのかどうか)、ですね。経済学では、この式で何ら問題がない、と考えるとか、あるのか知らん?
素人の勝手な願望としては、このあたりbewaadさん
http://www.bewaad.com/
が解説してくれるとうれしいなあ。
「Re: スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/17付)における鈴木さんのコメント
というわけで以上からご賢察いただけると存じますが、経済学であってもあの式は大問題ですし、初学者が引っかかっても当然です。インサイダー情報を持っているわけではありませんので、誰か誤りを指摘する者がいたのかどうか、いたとして著者and/or出版社が受け入れなかったのかどうか等、なぜ刷を重ねても訂正されなかったのかは知りませんが、少なくとも経済学があれを是認するような学問ではないことは断言できます。
日本の経済学コミュニティのしがらみがあるかないか、あるとしてそれがどんなものかを知る立場にはありませんが、相互批判がまったく行われないほどのものではありません。学者や院生であればいろいろと面白い話もご紹介できるのでしょうけれど(笑)、そうでない身として入手が容易なものをご紹介するなら、野口旭「経済学を知らないエコノミストたち」、田中秀臣、野口旭、若田部昌澄「エコノミスト・ミシュラン」あたりをご覧いただければ、その片鱗はおわかりいただけるのではないかと思います。
巡回先の一つであるbewaadさんのブログで中村正三郎さんのスティグリッツ「入門経済学(第2版)」中の記述(但し日本語訳のもの)について指摘がなされています。詳細はbewaadさんの記述をお読み頂くとして、少し考えてみたいと思います。中村さんのご指摘についてはその..
何か、M&Aのケース・スタディの宿題で5時間ぶっ続けでミーティングをしたり、また日曜日にミーティングをしなきゃいけないわ、ゼミのグループ発表も準備しなくちゃいけないのに、何か今ひとつしっくりこないやら、ブログは何か書いても途中で筆がとまってしまうやら・..
経済学の弁護側に立って書いたつもりが、田中秀臣さんや銅鑼衣紋さんの指摘で自分も誤解していたことが判明。恥ずかしい。殺人事件担当の弁護士が、本人が無罪を訴えてるのを無視して情状酌量を狙ったみたいな感じ。 分野違いのことに口出すもんじゃないですね(というわ..
私はとっくの昔に日蓮の仏法を信じられなくなった退転者だが、だからといって日蓮の思
市場が語りかけているような気がします。「中国の躍進と、米国の衰退」というテーマを。米ドルは、アジアの通貨に対して全面安。円もこの流れに乗って、1USドル=117円を割り込むところまで買われています。N.Yの原油は、最高値をつけて71ドル。ゴールドも、625ドルに達..
経済学者が怪しからんとゆーんなら、件の永田議員はどうなるんでしょうか?東大の物理工学出身のようなんですが(大蔵なんぞに逝ったからああなったとゆーんでしょうか(w
よくわかったのはこの議論で、ほとんどの人が直接には第2版の訳書を参照していないか、したとしても適当にしか読んでいないで、藪下さんの誹謗中傷をしたり、それへの批判や説得を繰り広げていることですね。
私は理系なんですが、理系の論文は「誤植を直しながら読め」と言われるくらい、誤植は付き物なんですがね…
あと、中村氏は科学を自然科学の中の更に一部に限定した上で論を進めており、一般的な「科学」とはどうやら違った科学観を持っているようです。まずは「科学とは何か」について論じてもらいたいものです。彼の発言中の「科学」はどうも「ものつくり」を指してるように思えてなりません。
個人的にはマクロ経済は立派な自然科学だと思いますけどね。
>理系の論文は「誤植を直しながら読め」と言われるくらい、誤植は付き物
そうそう、僕も「数学の教科書は誤りに気付いて訂正しながら読み進めていくのが正しい勉強法」と教わりました。
大学生の頃、理系の線形代数の講義で教科書(初版初刷ではなかったはず)の数式に間違いがあったので、その教科書の著者でもある教授に「これ違いませんか?」と訊いたら「うん、違うんだよねぇ」という返事が返ってきてびっくりしたことを思い出しました。まあ、大学以上だと「教科書の(少々の?)誤りは教育的である」という考え方もあるようですが……
>そうそう、僕も「数学の教科書は誤りに気付いて訂正しながら読み進めていくのが正しい勉強法」と教わりました。
物理でも誤植は良くありますが、決定的な式が間違っていますが、私の能力上の問題か、「誤植なのか」「私の頭が間違ってるのか」で無駄に時間を使うことが結構あります(w
ところで、全く関係ないのですが今週荒川選手の感動以上の感動を与えてくれた出来事。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060223/hachu
訂正
決定的な式が間違っていますが→決定的な式が間違っていると
失礼しました。
文字/記号に対する感受性の問題じゃなかろうか。私がかつて小説家を目指していたときに、私の作品に含まれていた誤字を編集が自発的に訂正してくれたことがあった。文芸方面の人は、誤字脱字を厳格に校正する気風があるみたいだ。てなわけで、経済学の本は、数式の正誤に敏感な理系の出版社が出すべき、という結論が妥当かもしれませぬ(笑)。
あのう、韓リフせんせいが指摘してますが、別に間違ってないわけ
ですけど。彼のブログにあるように、従量税の税率ってのは、
税収=従量税率*販売量
ですから、企業の税引き後収入は
税引き後収入=販売価格*販売量−税収
=(販売価格ー従量税率)*販売量
なわけです。ですから、
企業にとっての税引き後価格=価格−従量税率
で正しいわけでして。従価税ですと、
税引き後収入=価格*販売量−従価税率*価格*販売数量
=(1−従価税率)*価格*販売数量
ですから、
税引き後販売価格=(1−従価税率)*価格
ですね。たぶん、これを従量税と勝手に解釈して息巻いてるお方が
若干一名(以下略
最後のについてはそもそも「科学とは何か」について双方の見解が一致しないと議論は始まりませんなあ。
中村先生の科学の定義はかなり感覚的になされているようなので議論は進みそうにない気が。
bewaad様:
不躾なリクエストにお応えいただき、どうもありがとうございます。
田中先生、銅鑼衣紋様:
その若干一名です。どうも申し訳ないです。
で、うまく言えないのですが、従量税率=販売量一単位当たりの税額のこと、という定義なので、間違っても”従量税”(金額)の”率”(あえて書けばパーセントとかパーミルとか)等と考えてはいけない、ってことでしょうか?
まんきゅう先生のマクロ経済学には科学としてのマクロ経済学という章がありまして。
#手元にあるのはブックオフで捕獲したものなので版が古いですが。
>皆様
エントリの訂正のとおりでして、韓流好きなリフレ派さん、銅鑼さまのご指摘、その他追加情報の提供などありがとうございました。何か中身のあることを書くのも気恥ずかしい只今ですので(笑)、まとめての御礼でお返しさせていただきます。
唯一例外をば。
>学生さん
昨日はあちゅうさんのものを見て思ったのですが、例えば内藤先生がニートの価値を見出せば見出すほど、気分的なアンチ左(ま、今は多数派でしょう)はそのことのみをもって胡散臭く思うのではないのかな、と思いました。障害者自立支援法問題における障碍者に対する目線とか、この前の大阪のホームレスとか、「左」臭を感じなければひょっとしたら目線が暖かくなるのかな、と。単なる憶測で根拠はないのですが。
定義ですからどうしようもないです>鈴木さん
まあ、率は%だというのが科学だと「定義」するなら、経済学は
科学ではないということになるんでしょうが。
賃金率って言いますが、これも賃金額/人数で、金額ですけど率と
書きますなぁ。こういう「率」の使い方は英語でも同じであり、
日本の経済学者だけ非科学的というわけではない。スティグリッツ
も書くんです。
普通、しらない分野の文献読むときには、まずはあるレベル以上の
専門家の言い分を一応は鵜呑みにして、見晴らしが利くところまで
でてから、さてそいつの説明は正しいのかな?と点検しますよね。
でも、「こいつらはバカに違いない」と先入観を持って突撃する人
は、違うんでしょうね。で、独創的解釈を始めるわけです。
いくらスティグリッツが高名だっつっても、入門レベルの教科書読んだだけでこりゃないですよね。例えば「初めてのPerl」みたいな本(この本は名訳で名高いですけど)に誤訳があったり簡単な例しか載ってなかったからといって、Computer Scienceは所詮「文学」でダメダメ、なんて言いますかねえ。言ってみりゃ子供向けの絵本を見て、ここで使われている言語は高度な論理体系の記述に向いてない、って判断するようなもんです罠。だいたい「文学」の世界が嫌なんだったらスティグリッツの論文を読んでみりゃいいのにね。
TB頂きありがとうございます。遠い昔のことですが、銅鑼衣紋さんの仰るように賃金率といった話についても誤解してた時があったなぁ・・と感じます。
>「こいつらはバカに違いない」と先入観を持って・・
自分も専門外のことについて論じるときには気をつけなくてはなぁと改めて感じました。
もうそろそろZガンダム第3弾の映画が封切られますね。楽しみ('∇')
銅鑼衣紋様:
>定義ですからどうしようもないです>鈴木さん
どうもありがとうございます。
大阪税関の税関用語集の”税率”の項に従量税率の説明があったのですが、
http://www.osaka-customs.go.jp/html/about/qa_sl.html
「課税標準に対して適用される税額を計算する率をいい、……数量を標準として課せられる税率を従量税率」とありますね。
要するに、「従量税率」で定義がしっかり存在していて(「賃金率」も同じ)、断じて「”従量”+”税率”」とか、「”従量税”+”率”」じゃない、ということですね?
手元の広辞苑第3版で確認しましたが、”従量税”は「重量・尺度・容積・化学的成分(例えばアルコール含有量)・個数などを標準として税率を決定する租税。」とあり、”率”は「わりあい。ぶあい。」とあります。で、「”従量税”+”率”」という解釈をしていたのが(たぶん)敗因、と。
ということで、本件、薮下先生はじめ、関係の皆様に心よりお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。
で、恥かきついでに質問なのですが、
「民間部門が負う実質的な税負担(=台形PtrPeEErの面積)」
というのも、このままで正しい(五角形PtrPtcEcEErじゃなく、台形のままでよい)、ってことになるのでしょうか?
第2版のp.201には、消費者余剰と生産者余剰の説明があり、「これら損失の合計額が,民間部門がタバコ税により直接被る損失額である.」とあって、ず〜っと読んでいくと、「図からもわかるように,政府余剰の増分は民間部門の余剰減少分を△EcErEの額だけ下回る.」と続くので、正直なところ、記載が正しいとしてではどういうことなのか、考え込んでしまっているのですが。
“率の単位は%”ってのが、そもそも単なる思い込みではないかと。
物理量でも、熱伝導率や電気抵抗率の単位は%ではないです。
“台形”も、読む人が何処をさしているかわかれば別にOKかと。
そもそも価格は離散量なので、厳密には5角形ですらないわけですし(w
むしろ、「価格」に誤読の種があったような。(従量)単価と書いてあれば間違わないかも。個人的には右辺を見ないと左辺の次元が読めないのは気持ち悪い事は気持ち悪い。どこまで親切に書くかってことだけど。
> 別に間違ってないわけですけど。
ありゃりゃ。私がアホでしたね。藪下先生他皆様には平に詫びる次第。
最初に入門経済学を読んだときから、この式は誤植だと思っていたので、ずいぶん長いこと勘違いしていたわけですね。そういう意味では中村氏には感謝せねば。
>kumakuma1967さん
単価ってのはそれはそれで「価格」と違う意味がありまして(汗
貿易統計で、自動車の輸出「単価」ってのは、自動車輸出総額を
台数で除したものですが、これレクサスも途上国向け軽自動車(な
んてものがあればですがw)も「一台は一台」として計算したもの
なんですね。ですから、単価ってのは品質調整とかしてないマナの
数字なんですが、価格ってのはRAMなら1Gbyteは512Mbyte
の二個分として計算した値段なんですなぁ。
つまり、なにが言いたいかというと、経済学以外でもそうだとは
思いますが、専門用語には専門用語としての用法・意味があり、
未定義の日常言語からの類推は原則的に不可ということです。
この手のものの代表は、みなさんご存じの「モラルハザード」とか
「単なる物価の下落をデフレと呼ぶ欺瞞」とかいう毎○新聞あたり
の批判とか、「現実を美化する均衡概念」というような○関係者の
批判とか、いくらでもあります。
>銅鑼衣紋様
価格と単価は意味が違うというのは理解できる気がしますし、自分が経済学に明るくない事も認めますが....
HDD税という課税があったとしてHDD一台あたり従量税率か、GBあたり従量税率かで式の次元が変わるわけですね。で、一般論をしてるときに単価と言うべきか、価格というべきかが変わったりしては困るので、ここでは(課税と同じ単位あたりの)従量単価というのが間違いにくい気がします。
>kumakuma1967さん
いや、これは別に知性がどうとかいう問題じゃなく、慣例的な用法
の問題ですから、「明るい」とか「暗い」とかいうふうに考えない
でください。誤解させたなら謝ります。
で、課税単位が、商品の個数とは限らないのは、先ほどの自動車の
例でもそうです。排気量で税金かわりますよね。
さきほどスティグリッツ三版を買ってきたのですが、該当箇所は重量税「額」に変更されてました。よほど勘違いする人が多かったものと思われ。
ヴァリアンの入門ミクロは重量税の文脈で「消費にtの率の課税」という言い方で書いていました……って持ってるんだから違う教科書でも確認すればよかったorz
過去にろくな予備知識もなく手伝わされて大変でしたので、かなり懲りてます。お気遣い無用。その時に、いろんな単語が不親切な慣例的な用法だな、と思ったので書いたまでです。疑問形で書けばよかった。
一般的には、たとえ親切にわざわざ造語して用語を定義しても、それが広まって広辞苑に載った時点で慎重に使わざるをえなくなります。難しい問題ですよね。
>英−Ran氏
でもねぇ、それじゃ従量制で国庫に入ってくるお金の総額はなんて
呼べば良いんだろうねぇ?従量税総額とか?マンドクセ(AA
>kumakuma1967氏
まあ、こういうマギレをなくせるから数式で書くのが作法なわけで
す。つまり、経済学の文献は、数式眺めてから本文読んで、そこで
の用語法を理解するのは普通のことなんですね。中村さんも、そう
してくれれば良かったんですがねぇ。でも、誤植もあるから、ここ
らは難しい(笑)添え字が普通の文字になってたりする数式を眺め
ながら、訳若芽の翻訳読むなんて、暗号解読の一種で精神衛生には
最悪だが、暇つぶしにはなります(大笑)だから原書嫁ということ
になるわけですが。
>銅鑼さん
ん? 別に異論はないですよ。まぁ、誤解を生まなければそれに越したことはないとは思いますが(精神分裂症の例もありますし)。
>銅鑼さまをはじめ皆様
非常に勉強になります。ありがとうございます。
>鈴木さん(http://bewaad.com/20060224.html#c21)
25日のエントリにtrackbackいただいた次の記事(韓流好きなリフレ派さんこと田中秀臣先生によるものです)によると、その図示は誤植ということで第3版では訂正されているとのことです。
http://reflation.bblog.jp/entry/276640/
bewaad様、田中先生、英-Ran様
どうもありがとうございました。まとめを下記にフィードバックしておきました。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/02/17/257215#c268923
編集途中で送信してしまいました、すみません。
皆様へ。
いろいろと勉強になります。また、お騒がせして申し訳ございませんでした。
>鈴木さん
こちらこそいい勉強になりました。お騒がせなどとんでもない、これからもよろしくお願いいたします。
お騒がせといえば、中村さんのところの方がよほど・・・。再度コメントすべきかどうか迷ってますが・・・。