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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2006-03-26
■ [politics][economy]アメリカ人にとっての日本と中国
中国がネットにおいて政治的にフィルタリングを求め、それに応じているGoogle等に批判があるわけですが、これってBSEを巡る日本とアメリカの関係と同じ構造であるように思えてなりません。アメリカ的価値観が相手国の意向と食い違い、ビジネスの論理で相手国の意向を受け入れ(ようとす)る者が出て、そうした者に対してその価値観に基づき弱腰の迎合であるといった批判がなされているということではないでしょうか。
つまり、BSEに関して日本が全頭検査を求め、アメリカが概して頑なに拒否し、一部で全頭検査に応じようとするアメリカの業者がいるものの黙殺されることについて、日本では顧客の都合を聞くのが当然であるのに、といった批判があるわけですが、じゃあ中国のフィルタリングを受け入れることについてはどうよ、ということです。「それも商売なんだから仕方がないさ」と言える人であればともかく、Google等の対応に不満を感じつつ同時に全頭検査をしたいというアメリカの牛肉取扱い業者の対応を嘉するのであれば、上記の構造としては整合的でないのではないか、と顧みることに一定の意義があるのではないでしょうか。
#ご賢察いただけるとは思いますが、以上はアメリカ的価値観の是非とか中国(政府)の主張は最終消費者のそれを代表しているわけではないとか全頭検査の科学的妥当性といったことについて論じているものではありませんので。
■ [sports][media]イチローは変わった?
イチローがWBCを契機に変わったと最近のメディアでは相場形成がなされているわけですが、webmasterにはそうは思えません。もともと熱い人間だったからこそああいった(彼から見れば勉強不足に映る)メディアに対する姿勢になってしまった、すなわちメディアを通じたコミュニケーションにも期待していたのでしょうし、それが裏切られたと思うからこそ冷淡‐クールではなく‐になったのでしょう。
かといってメディアに何らかの狙いがあって世論を誘導しているわけでもなく、そのようにイチローを解釈したい読者・視聴者中のマジョリティの欲求に忠実(平たく言えば、そういう路線が一番部数なり視聴率なりを稼げる)だということに過ぎないでしょうけれども。
韓国戦に負けた日、韓国はメジャーがフル参戦したのに日本は2人だけだったから云々、という話が「前フリ」のように一部ニュースにコメントされていました。
おそらくあのまま予選敗退していたら、イチローの態度は「カラ回り」とか「いたずらに韓国を怒らせた」という文脈で解釈されていたでしょう。
まあ、それが良い悪いということではなく、マスコミとはそういうものだということだと思いますけど。
逆に言うと、イチローはそれだけのリスクを犯してでも優勝を狙うことに価値を見出したのでしょうか。それとも日本代表としての立場に本気で入れ込んだんでしょうか。
>一国民さん
最後の点、あまり分かった風な口を利くとイチローに冷笑されてしまいそうですが(笑)、やはり現在の所属チームの状況に満たされていないことが影響しているのではないかと思います。
価値観といえば価値観の問題ではあるのですが、片や言論の自由という民主主義の根幹の問題であり、しかもフィルタリングを要請しているのは中国の一般国民の意思を代表しているとは(建前はともかく)いえない中国政府、片や単なる食品の安全性と食肉業者のコスト負担との問題で、(世論誘導の可能性はともかく)世論の明確な支持を受けた日本政府とでは、異なった基準が適用されるべきではないでしょうか?二重の基準論ではありませんが。後者に迎合するのはアメリカの民主主義的な価値観に反するものでは全くありませんが、後者は民主主義の精神に対する裏切りになるかと。
訂正。
>後者は民主主義の精神に対する裏切りになるかと。
前者は、の間違いです。
>一般国民の意思を代表しているとはいえないA国政府
>世論の明確な支持を受けたB国政府
というふうに、他国の民主主義度、正統性に疑問があるとして、基準をかえることそのものが、「アメリカ風」ではないかと。
>というふうに、他国の民主主義度、正統性に疑問があるとして、基準をかえることそのものが、「アメリカ風」ではないかと。
今回はたまたま検索エンジンがアメリカ企業の商品であるためにアメリカ政府の問題となっていますが、これが日本企業の商品だとしたら日本政府、あるいはEU諸国の企業の商品であればまたEU諸国も自由民主主義国を標榜する以上、何らかの措置を迫られるかと思いますが。「アメリカ風」であるかを問わず。というか、このような規制を企業に要求した時点で、既にその国家の民主主義度には疑念を抱かざるをえないのですが。
>政治学者の卵さん
エントリの最後の注記に書いたとおり、その辺りの内容についての価値判断を離れて構造に着目すれば、というのが趣旨でして。
ただ民主政の観点で言うなら、だからこそ合理的妥協ができないケースがあるわけで、もちろん一般的傾向として妥当である可能性が高いにせよ、個別ケースにおいてある方針に世論の支持があることはその正しさを証明するものではないと思います。
>とおりすがりさん
ヨーロッパ諸国であってもそうした傾向はあるでしょう。アメリカにおいて典型であるのは間違いありませんが。