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2006-04-10
■ [economy]インタヴュー・ウィズ・クルーグマン@日経
余計な地の文などいらないので問答を全部載せてほしいのですが。
米プリンストン大学の記念行事で来日中の同大のポール・クルーグマン教授は8日、日本経済新聞社のインタビューで、名目成長率を政策目標として政府・日銀が共有する案について「中央銀行の使命は物価安定。金融政策は財政を助けるためにある訳ではない」と指摘。中銀の独立性の観点から問題があるとの考えを強調した。
クルーグマン教授は量的緩和解除後の日本の金融政策について「日本はデフレ脱却が見えつつあるが、早すぎる利上げでデフレの長期化に苦しんだ1930年代の米国の教訓もある。2%程度の物価上昇率の定着などを確認してから利上げすべきだ」と語った。その一方で、高い名目成長率を実現するために、日銀に超低金利の維持を求める声があることに対しては否定的な見方を示した。
答えだけでなく問いも載せてほしいのはどんな誘導尋問をしているか知れたものではないからですが(笑)、ここからクルーグマンの言いたかったであろうことを憶測すれば次のようなことでしょうか。
- 名目成長率目標に対して否定的なのは、FRBが失業率をも目的に組み込まれていたため利益相反になったり(インフレ率と失業率とがトレードオフにあるというフィリップスカーブが前提)、あるいは失業率を重視しすぎてスタグフレーションの基盤を作ってしまったヴォルカー以前の政策運営が念頭にあるのではないでしょうか。
- 財政を助けるためという言及は、それこそどういう質問に対するものなのかが知りたくありますが、インフレのおそれがあるときでも国債の利払いを抑制するために低金利政策を、という指摘に対するものではないでしょうか。逆に言えば、インタヴュアーが名目成長率目標について、相対的な高成長率・低金利をそのようなものとして紹介したのではないかと。
- 2%インフレの定着を確認してから利上げすべきだとの見解からは、今般の日銀の措置をwebmasterと同じくデフレターゲットと捉えているのではと察せられます(自意識過剰気味であることは率直に認めます)。ターゲットの設定として水準は二の次と考え評価する向きもあるわけですが、期待インフレ率への影響を考えると設定しないほうがましだったようにも(結果によっては杞憂に終わるかもしれませんが)。
ちなみに「早すぎる利上げでデフレの長期化に苦しんだ1930年代の米国の教訓」とは次のようなものです。ぜひとも同じ轍は踏まぬようにしていただきたいと思うのはwebmasterだけではないでしょう。似ている点が多すぎ・・・。
FRBは、(1)デフレ脱出後のインフレ率がほぼCPIベースでプラス2.5%程度で安定的に推移していること、(2)同時に、株価の上昇および鉱工業生産指数の上昇テンポが急激であること、から、金融政策を「平常」時に戻すことを意図し、ついに「出口政策」の実施に踏み切った。
当時のFRBによる「出口政策」は以下の三つの方法で実施された。
- 預金準備率の引上げ:FRBは、1938年8月15日、37年3月1日、37年5月1日の3回にわたって預金準備率を引き上げた。第一回目には50%、第二回目には16.6%、第三回目には14.3%の引上げが行われた。
- 国債売りオペ実施
- 金の不胎化政策
(略)
このような金融政策の「平時」への転換は、景気回復の一種の「慣性」からそれほど大きな影響を与えなかったが、半年から一年程度のラグを持って、株価や生産に悪影響を及ぼし始めた。アメリカ経済は再び、デフレ・スパイラルの危機に陥った。景気悪化に見舞われた1938年から39年にかけてのCPIの平均上昇率はマイナス1.7%の下落、鉱工業生産指数上昇率はプラス1.7%であった(鉱工業生産は1938年11月に底を打った。それまでは、年率換算で平均マイナス23%の下落を記録した)。すなわち、アメリカは事後的に見れば、「早過ぎた」政策転換によって、再び、デフレ・スパイラルの危機に陥ったのである(俗に「1937年恐慌」と言われる)。
The Banking Act of 1935(1935年銀行法)で、金融政策に対し、独立的にコミットできる権限を獲得したFRBは、実質的な金融政策の権限を奪回することを意図していたと考えられる。デフレを克服し、経済成長率も高まった1935年以降のFOMCでは、
- 超過準備の積み上がりは将来のインフレリスクにつながりかねない
- 1929年のバブル崩壊の教訓を鑑みると、1935年に入ってからの株価の急騰は、早めに抑制しなければ、将来に深刻な禍根を残しかねない
という議論が高まり、「出口」を模索する動きが強まった。そこへ、イギリス、フランスへの配慮からこれ以上のドル安政策は採れなくなりつつあったこともあり、FRBに半ば説得される形で、ルーズベルト大統領が、株価上昇の悪影響を懸念するスタンスに転換したころを見計らって、FRBはついに「出口政策」を実行に移した。
じつは当時のアメリカでも、同様の議論がなされた。つまり、「超過準備は経済にどのような影響を与えているのか」そして「超過準備の引下げは経済にマイナスの影響を与えるのか」という点である。結論としては、FRBは、超過準備の積み上がりの影響を軽視したためにアメリカ経済は、1937年から38年にかけて再びデフレに陥ってしまった。
当時のFOMC内での議論では、超過準備は「無駄金」ではなく、むしろ、デフレ予想が完全に払拭された場合には他資産へシフトすることによって、「過剰流動性」を生み出し、将来のインフレ要因になると考えていたようである。当時、超過準備はその額の11〜12倍程度のマネーになりうるとの推計がなされた(つまり、超過準備の信用乗数は11〜12倍)。
一方、早期の出口政策に対して慎重な見方をするエコノミストは、中央銀行による貸出残高との比率に注目していた。(略)この考えに立てば、超過準備は金融危機リスク、すなわち、デフレリスクが完全に払拭されれば、自然と減少に転じるものであり、超過準備の削減は、超過準備が他資産へシフトするという現象によることが確認されて初めて実施すればよいという解釈になる。
どちらの考えが正しかったかは、結果を見れば一目瞭然であった。所要準備率の引上げによって超過準備が吸収されて約半年後から株価は急落(付随して追加的な緩和も実施されなかったことからマネタリーベース残高の伸び率も急減)、そして、その半年後から、景気は急激に悪化し、再びデフレ圧力が高まった。すなわち、インフレ率、経済成長率とも一見、正常化したように見えたが、実際にはデフレ圧力は完全には払拭されていなかったのである。
安達誠司「デフレは終わるのか」、pp88-96
狸(局長)と狸(補佐)ですか、どっちが相手を化かしきれることになるのやら。 簡単に言えば、 一応、増税を阻止するために歳出を削減するというのが今回の編で、 そのためにふっかけられたのが、対中ODA削減、ということだったと思うのですが、 この風呂敷の広げ具合..
無責任な推測。
・インタビューアは単に「growth rate」と言ったのでクルーグマンは実質成長率と解釈した。記事ではコソーリ「名目」を前につけた。
・日銀は独立性を大事にしたいならちゃんとやれ、という発言をインタビューアが「日銀の独立性は大事だ」と聞き間違えた。
・クルーグマンだと思っていた相手は実はヴォルカーだった(同じイベントで来日中)。
まあ、前科からして、もう日経のインタビュー記事(特に、後で読ん
で反論される恐れのない外人の場合)の信憑性はゼロですな。なんと
もはや・・・
>cloudyさん
さすがに最後のものはないでしょう(笑。というかあとの2つの可能性を否定できないのがorz)。
>銅鑼さま
誰かが教えたりすれば、審議委員は一人を除いてジャンクだbyバーナンキに続き、メディアは太平洋の両岸でジャンクだbyクルーグマン、なんて発言が出るかもしれないですね(笑)。
あーもちろんネタです(笑
ただ「インフレ率4%を目標にしろ」と言っていた人が、政府の「名目成長率4%目標」に目くじらを立てるというのは変だと思います。
>cloudyさん
いやいや、嘘から出た誠かもしれませんよ(笑)。
ちなみに名目成長率ですが、失業率の話のほか、4%インフレを求める立場としてはイコール実質ゼロ成長だということもあるかもしれません。インタヴュアーが名目「4%」目標ときちんと説明していないと思うので、このようには言っていないでしょうけれど、もし説明していたとすれば、ということで。