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2006-04-11

[economy]2026年の日本‐another nightmare‐

#本エントリは「2026年の日本」(@分裂勘違い君劇場4/9付)に多大なるインスパイアを受け書かれ、意図的に多くの部分をコピペしています。本エントリをお楽しみいただくために、まずはそちらを先にご覧いただきますようお願い申し上げます。

西暦2026年。

PC上のテレビ会議の品質は、直接会って話をするのとさほど変わらないほどに向上した。回線容量やモニタサイズ&解像度の劇的な増大の必然的帰結だ。相手の表情や息づかいのわずかな変化すら感じ取れるほどだ。マイクやWebカメラの性能向上も寄与しているだろう。

これにより、会社によっては、取引先の会社を訪問する回数が激減した。出張の回数も激減した。在宅勤務が激増し、そもそも会社のオフィスに通勤すること自体が大幅に減った。会社によっては、出社は、ほとんど儀礼的な意味しか持たなくなった。オフィスを次々に縮小したり、閉鎖する会社があいつぎ、オフィス自体を持たない会社すら登場した。

そして、この膨大な回線容量を通じて、海の向こうから、安価で品質のよいサービスが津波のように押し寄せた。インドやフィリピンをはじめとする、発展途上国の膨大な人口は、ついに貧困から抜け出す突破口を見つけた‐ように見えた。それは、ネット経由の知識労働提供という突破口だった。何十億という、すさまじい人口が、豊かさを求め、地響きをあげて、突進を開始した。

もはや、ネットを経由して海の向こうから提供される知識労働力は、ソフトウェアプログラムやWebサイトの開発、保守、運用だけではない。また、家庭教師のような、典型的な知識サービスだけではない。

家庭、ビル、工場、商業施設、いや、都市そのものが、無数のネットワークカメラ、センサー、ネットワーク経由リモートコントロールされる様々な機器の網の目に覆われることにより、仕事や生活の空間における実に多くのサービスが、海の向こうから、ネット経由で運用されるようになったのだ。ビルやマンションの廊下、公共スペース、駐車場などでは、警備ロボットや、お掃除ロボットですら、海の向こうの警備員や掃除夫がコントロールするケースがどんどん増えてきている。

もちろん、性産業も例外ではない。ネット経由でコントロールされる様々な性器具が開発され、イノベーションを繰り返し、海の向こうから、大量に押し寄せた。なにしろ、かすかな表情の変化や、息づかいまでがリアルに伝わるほどの回線容量なのだ。

そもそも世界最古の職業は売春であった。また、前世紀の終わり頃、それまで一部の研究者のものでしかなかったインターネットを、一般人にも普及させる大きな原動力の一つとなったのがポルノサイトであったのも偶然ではない。経済というものの本質がそこにはある。あらゆる経済活動は、徹底的に突き詰めると、人間の欲望にたどり着く。人間の欲望こそが、あらゆる経済活動の「唯一」の動力源であり、これ以外に経済の存在理由などない。もし、人間から、あらゆる欲望が消失したら、世界経済そのものが、完全に消滅する。そして、人間のもっとも基本的な三つの欲求である、食欲、性欲、睡眠欲に基づくサービスの中で、ネット経由で提供するのに、もっとも適したサービスが、性欲のサービスなのだ。

さらに言うと、性サービスは、音楽と同様、言語の障壁があっても、なんとか成り立ってしまうところがある。たとえ、あまり勉強の得意でない少女が、けなげにも一生懸命憶えた、たどたどしい英語であっても、身振り手振りとの組み合わせでなんとかサービスとして成立してしまう。

また、エイズ禍に悩んでいた途上国の政府とも、利害が一致した。黙認するどころか、性産業のネット化を後押しする途上国政府すら出てくる始末だ。もちろん、エイズの恐怖におびえながらも、今日を生き抜くために、体を売っていた売春婦たちにしてみれば、命の危険なしに収入を得られると聞いて、飛びつかないはずがない。

もちろん、買春する側の先進国の男性にしてみても、リアルの性産業に比べて、膨大な数の女の子の選択肢がある。過去画像や動画をじっくり吟味し、納得のいくまで選ぶことができる。性病、とくにエイズの心配がない。そればかりか、表情や息づかいが感じられるほどのリアルさに加え、ほとんどどんなポーズでもとってくれる。はじめは抵抗のあったが、やがて当たり前になった、お互いの性器に装着したネットワーク対応のさまざまな性器具をコントロールして行われるさまざまな双方向プレイが、エロ雑誌を買うような値段で買えるのだ。そして、コストパフォーマンス的にすばらしいだけでなく、複数の少女を同時に調達したり、さまざまな服を着せたり、いろいろなシチュエーションプレーをさせたり、少女同士を絡ませたり、データグローブとボディースーツでさわりあったりと、イノベーションと創意工夫が繰り返され、急速に多様で充実したサービスが開発されていった。インターネットのサービスは、地理的な障壁や囲い込みがないため、常に、全世界が競争相手であるし、容易に相手のイノベーションを取り込めるので、リアルでは考えられないほどのすさまじい速度で進化していくのが常だが、ネット経由の売春も、その例外ではなかった。

そして、ネット以前の労働力流通において、ベルリンの壁よりもはるかに強固な障壁としてたちはだかっていた国境という壁が音を立てて崩壊したあと、最後に残ったのは、言語という壁だった。翻訳というのは、多くの人間が考えている以上に、高度に人間的な作業であり、機械翻訳には、どうしても限界があるのだ。そして、Yahooやマイクロソフトを絶対君主に押し上げた、あの悪夢のようなネットワーク外部性の効果が猛然と働き始める。ネットワークの価値は、そこにつながっているノードの数の自乗に比例する、というアレだ。

流れが決定的になったのは、主に、発展途上国で高等教育を受けた者たちの集団が、インターネット経由で家庭教師をやり出したあたりだろう。発展途上国では、せっかく高等教育を受けても、高等教育を生かせる産業自体が少なかった。このため、就職先のない大学や大学院卒の優秀な人々が、ネット経由で家庭教師をやり出したのだ。

先進国の知識労働者たちは、自分たち自身が、高度に競争的な知識経済社会を生き抜くために、基礎的な知力を鍛え上げることの重要性を痛感していたので、自分たちの子供に優秀な家庭教師をつけることの重要性をよく理解しており、すぐにこのサービスに飛びついた。

その頃には、すでに、実にたくさんのソフトウェアシステムの開発、保守、運用が、インドをはじめとする途上国で行われるようになっていたし、英語圏の国での電話案内の向こうには、インドやフィリピンのテレフォンオペレータがいて、英語ベースでネットワーク越しにサービスを購入するという経済の流れはすでに形成されつつあった。そして、その、新たな経済潮流は、急速に拡大し、競争が激化し、淘汰が生まれ、価格は低下し、質は向上していった。

こうして、英語による知識労働力の潮流がネット経由で怒濤のように流れ出すと、他の言語によるネット経由サービスとの間に、価格に大きな差ができはじめた。その要因は、いくつか考えられるが、まず第一に、知識労働力提供者の、生活コストの差が、大きく価格に反映するという要因がある。特に、日本のように、生活コストの高い国の家庭教師の賃金は、生活コストに占めるその許容度の高さを反映して高くなるのに対して、途上国の家庭教師は、生活コスト自体が、日本より遙かに安価であるため、より安い賃金しか労働力の見返りとして得ることができない。

他方で、発展途上国では、高等教育は英語で行われることが多い。明治の初期に、たくさんの外国語に対応する日本語の訳語を造語した日本に比べると、そもそも、母国語では、高度にアカデミックな議論をすること自体が困難なのだ。それに加え、教授陣の多くは、英語圏の大学で学位をとっている。さらに、英語を話せることがステータスであるということもそれに拍車をかけている。

このため、こと、高等教育を受けた人口の言語比率で言うと、英語人口が、圧倒的に多く、労働力の供給量が多い。需給バランスで見ても、英語知識労働者の供給量は、その潜在需要と比較しても、あまりに多すぎた。

さらに、ロングテールの法則が、決定的な影響を及ぼす。知識というのは、本質的に、スケールメリットが強くきく。経済が多様化し、ニッチな知識サービスになればなるほど、国内の知識サービス消費者で十分な需要を確保できる国は限られてくる。スケールメリットがきかない。いや、今の時代、一国という概念は、時代遅れである国がほとんどで、それ自体で需要を確保できない地域は「英語圏」に次々と組み込まれていった。実際、すでに四半世紀も前の西暦2000年の段階ですでに、ニッチな分野のソフトウェア工学についての本など、英語でしか出版されない書物も多かった。

また、時代の流れは、ますます加速度的に速くなっており、どれだけ早く最新の知識が手に入れられるかが勝負の分かれ目になることもあり、英語の情報が母国語に翻訳されるまでの数ヶ月間に、海の向こうのライバル企業に差をつけられてしまうことにもなる。

こうして、日本をはじめとする、一国で需要を確保できる限られた非英語圏では、全地球規模での激烈な価格競争を通じてオリジナルの英語ソースの入手価格が限りなく低くなった結果浮いたコストを、それぞれの言語への移植につぎ込み始めた。すでに、四半世紀前の、西暦2000年代ですら、新生銀行のシステムがインドのソフトウェア開発会社に発注され、1/3のコストと1/10の開発期間で開発されるなど、めざましい成果が生まれつつあり、その兆候は見え始めていた。そして、そのように、途上国の知識労働力を縦横無尽に使いこなすには、2000年代においては、自社の業務が、徹底的に英語化されていなければならなかった。なぜなら、ソフトウェアシステムの開発とは、あくまで設計作業であり、橋やダムを作るような製造行為とは、決定的に異なるからだ。仕様書を書いて、それを翻訳して、それを渡して、はい終わり、では、すまされない。その頃から、すでに、ソフト開発とは、本質的に外注することの不可能な、ほとんど経営行為ともいえる、会社にとってきわめて本質的な行為であることが、理解され始めていた。つまり、自社の業務システムを外部の会社に開発してもらう場合、それは、外注を使うと言うより、むしろ、コラボレーションになるのだ。

このため、発注元の社員は、トップマネージメントはもとより、末端の仕様の細部をつめる担当者まで、すべてのドキュメント作成、メール、打ち合わせを、密に英語で行うことが必須になっていく。それを母国語に変換するプロセスのコストを乗せても十分に捌けるだけの需要がない国においてはすべてが英語化され、そのコストを賄えるだけの経済力のある国の企業のみが、そのような英語化をしなくてもなお競争力を維持することができた。もはや、ソフトウェアエンジニアリングは、あらゆるビジネスの根幹となっており、ここでの劣勢は、ビジネスそのものの敗北に直結する。ここで妥協は許されない。

そうして、日本語のような限られた言語においては言語の翻訳にとどまらずシステムそのものを移植する産業が成立したが、それに従事する労働者の収入はうなぎのぼりであった。誰もが一刻も早く触れたがっていたのだから。他方で英語圏に組み込まれた諸国の労働者は、生まれ育つ母国語、国際市場に参入するために必要な英語のバイリンガルでは、例外的に高収入を享受する「勝ち組」を除き英語習得に要するコストすら下回る程度の収入しか得られず、一部の言語センスに恵まれトリリンガルになれる者のそれとは格差が生じていった。とりわけ日本語は、そうした独自に存続可能な非英語言語‐例えばフランス語やドイツ語‐の中で際立った独自性を有しており、英語圏途上国労働者にとっての参入障壁が高く、当の途上国のみならず自らは厳しい競争にさらされているとの危機感を持つ英語圏先進国からも、日本は言語という非関税障壁で自国の労働者を保護しているとの非難も当たり前になっていた。

それに加えて、オンラインの家庭教師サービスは、同じ値段なら、英語ベースの家庭教師の方が圧倒的に優秀だし、また、同じ品質なら、圧倒的に価格が安かった。このため、母国語での高価格サービスを受けることができない子供たちは、幼い頃から、英語ベースでオンライン家庭教師サービスを受けて育つことになった。また、旧植民地時代からのエリート階級を対象とする私立の小中学校の中には、そもそも、学校自体が、多くの海外の優秀な教師をかかえることを売りにし、ごく少人数のクラスと、マンツーマンの指導を安く提供することを売りにするところまでが出てきていた。

そうすると、英語で知識を獲得した子供たちは、アカデミックな話題になると、たとえ家族のあいだですら、英語混じりになったりするし、会社で毎日のように英語を話している両親も、めんどくさくなって、家庭での会話も英語になりがちになっていく。

しかし、このような経済の変化は、高品質テレビ電話もたらしたインパクトのうち、ごく些末的なことに過ぎない。むしろ、より本質的で、影響が大きかったのは、テレビ会議のログがとられるようになったことである。ストレージコストが劇的に安くなったこともあって、基本的に、そう望むのであればほとんどのテレビ会議の動画ログがサーバーに蓄積されるようになった。それらは、縦横無尽に検索できるようになっている。ムービーファイルの中の音声は、音声認識ソフトにより、完全ではないにしろ、ある程度の精度でテキストファイル化されているし、そのテレビ会議システムで使われたワープロ、表計算、プレゼンテーション資料中に使われた文字列でも検索できる。ホワイトボードに書き殴られた文字列も、ある程度認識される。もちろん、時系列グラフとして表示でき、ある特定の人物の発言している部分だけ、動画ブラウズするようなことも簡単だ。

そして、社員の顧客、同僚、上司、部下、フリーの外部スタッフとのやりとりを含め、望まれるもののすべてがログにとられており、それがサーバに蓄積されていく。これにより、いちいち無駄に多くの会議に出なくても、あとから、会議のログを検索し、重要な部分のムービーだけを再生しておけば、事足りるようになる。また、言った言わないでもめることもなくなる。さらに、各人のパフォーマンスが、極限まで透明化されていく。上司が部下の人事評価を行うとき、この過去ログが、抜き打ち検査される。そして、その上司の評価が妥当であるかを、上司の上司が抜き打ち検査する。もし、上司が、ゆがんだ評定をしたとすれば、上司の上司によって、上司の評定が下がることになる。

また、取引先とのやりとりも、いつでも抜き打ちでログを調べることができ、段取りの悪い外注先を切り捨て、よりよい外注先に切り替えることが容易になる。ルーズなマネージメントが、徹底的に排除さていく。

その結果、社員やフリーの外部スタッフ、提携先が提供するバリューが透明化され、調べようと思えば、いつでもどこでも、時空間を輪切りにして、精密に調べることができるようになった。人類の歴史のほとんどにおいて、おおよそ透明と言えるのは、自分が直接生きた時空間だけであり、自分が直接出席した会議だけだった。それが、人類史上初めて、自分が生きた時空間以外の時空間を透明化し、芥川龍之介の藪の中を覗けるようになったのだ。

この結果、いままで誰もがうすうす気づいていながら、恐ろしくてだれも直視することのできなかった問題、すなわち知識労働におけるすさまじい外部性の存在が、公衆の面前にさらされることになった。この問題は、古くは、前世紀の後半、シリコンバレーにおけるコンピュータ関連企業の集積にまでさかのぼることができる。しかし、現実には、シリコンバレーだけではない。世界各地において、ある場所にたまたま多くの優秀な者が偶然にでも集まると、その他の場所では考えもつかないような企業成長が見られる、それが集積というものだ。そして、これはコンピュータ産業に限った話ではなく、従来型産業においても、取引や輸送コストゆえに集積がなされているだけでなく、アンオフィシャルに行われる数々のコミュニケーションが外部性となり各地の生産性を向上させているとの見方がなされるようになったのである。

そして、何より、知識労働というのは、外部からはその秘訣をうかがい知ることができない労働だ。それが端的に表れたのが、前世紀末に登場したgoogleという会社だった。100倍の年収を払って確保した最上級のエンジニアたちがどのようなコミュニケーションをし、どのような思考に基づき設計・開発しているのか、有名な毎週金曜日のミーティングはログにとって共有することができるとしても、その後の食事をしながら、帰り道で偶然会ったときに、あるいは週末のスタジアムで交わされる雑談とそこから得られるインスピレーションは、その場にいなければ体験できないのだ。

しかし、これは、コンピュータ産業だけの話だけではない。本質的に、人の頭の中で勝負が決まる職業は、すべて同じ問題を抱えている。パリやミラノにデザイナーが集まってくるのも、同じはなしだ。1件100万円でネット経由で受注してくれるデザイナーより、1件1億円で、カルチェラタンのカフェを探し回って拝み倒さなければならないデザイナーの方が、遙かに安いのである。これは、大型M&Aのプロジェクトマネージャでも、会社の経営陣でも、同じ話だ。

しかしながら、四半世紀前の西暦2000年のころまでは、この問題は、藪の中だった。なぜなら、あるプロジェクトが成功したとして、その成功が、どの程度外部性に依存し、どの程度場所によらなくともなし得たものなのか、不透明だったからである。あるプロジェクトが成功すると、コストを支払った部分にしか成功の原因を求めることがなく、無料で享受していた環境がどの程度の価値を有していたのかが検証されることはほとんどない。また、仮に検証されたとしても、定量化できない以上このぐらいの価値だと根拠もなく思いこんでいることも多い。

ところが、ほとんどのコミュニケーションが、メール、IM、TV電話などのネット経由で行われ、ログがとられるようになり、しかもそれが縦横無尽に検索されるようになったことで、藪が取り除かれ、霧が晴れ、すべてが白日の下に晒されることになったのだ。同様の能力を有する者が同じようなオフィシャルなコミュニケーションをしていながらアウトプットに差があるなら、それはアンオフィシャルなコミュニケーションに由来するのだ。

これにより、社員であれ、取引先であれ、フリーランスの契約社員であれ、使える人間は、ネットでやりとりできるからどこにいてもいいなどということはなく、ネットでやりとりできないコミュニケーションに引かれて、ますます寄り集まることになった。

それだけではない。そうした場を確立できたビジネスは、全世界的な需給バランスによって左右される代替可能なスキルと異なり、独占的に決定されることになった。このあおりを直に食ったのが、英語圏に組み込まれ世界を相手にする競争に放り込まれる類のスキルを持つ労働者だった。たとえば、単にコーディングができるというだけのプログラマーは、もはや世界中にあふれていた。バナナ農園やナイキの工場での肉体労働はいやだとスキルを身につけたプログラマーは、同じようなことを考え同様にすさまじいバイタリティーでのし上がろうとする他の途上国のプログラマーと、正面からまともに殴り合うことになった。インドの寝苦しい夜、土壁の家の外で、星空を見上げながら、執念深くシステム設計を練り、頭の中でデバッグし続ける若いエンジニアのすさまじいハングリースピリッツが書いたコードは、モンゴルの吹きすさぶ地吹雪に囲まれ、遠い春を待ちながら同じように書き上げられたコードと比較され、とことんまで安く買い叩かれた。なにしろ、彼らはともに、自分の妻に、洗濯機やクーラーを買って生活を楽にさせてやるために、必死で働く。年収百万円でも喜んで働く。そして、彼らは、やたらと数が多い。ソフトウェア産業に従事することで、貧困を脱出したごく一部の人を見て、我先にと、ソフトウェア産業に、人が押し寄せる。必死で勉強する。ネットにさえアクセスできれば、無料の教材は、ネットにあふれている。そして、インドをはじめとする、途上国の政府は、膨大な国家予算をつぎ込んで、安価なPCと回線を、貧しい人々に行き渡るようにした。その方が、一時的に債務がふくらんでも、結局は、将来の税収増につながると考え、それまでに償還不能となった対外債務とは違うのだと夢を見ていたからだ。それより何より、広域無線LANシステムなどのイノベーションにより、回線コスト自体が、すさまじく安くなっていたし、PCのハードウェアコストも、同様に、すさまじく安くなっていた。

こうして、英語圏の途上国のプログラマーは、念願どおり筋肉を酷使される単純肉体労働から脱出して、その代わりに脳細胞を酷使される単純知識労働に従事せざるを得なくなっていった。

そして、特に秀でた英語圏途上国のプログラマーは、それなりのコネや資金を獲得し次第、英語圏先進国へ移住していった。取り立てて差別化要因を持たない多くの労働者は、分野は違えど先進国企業の参加に組み込まれていった。スポーツ選手も、アーティストも、気がついたら、多様な活躍があふれているようで、実は、どれも先進国でのそれをネットやテレビで観るに過ぎなくなっていた。

そして、日本の田舎もそうなるだろうと多くの人が予想する中、田舎は田舎でなくなっていった。従来は、企業の農業経営を厭い、農地改革以来あくまで個人経営にこだわってきた日本の農業であるが、それぞれの産地でだけ消費されていた、伝統のうまい干物、漬け物、工芸品、野菜、海産物、酒など、その土地ならではの独自の価値のある産品を提供できる者を除き‐そうした者はネット化によって、日本中から注文がされるようになり、また、うまい生の酒の風味を損なわずに流通するような流通におけるイノベーションにより、これら価値ある商品は、日本列島の隅々まで行き渡ることになった‐を除き、これといった特色もなく、国の農業補助金でなんとか長らえていた農業は、高齢化とによる、国家財政の急速な悪化で、補助金を打ち切られどんどん経営が苦しくなり、ついには企業経営を受け入れざるを得なくなっていった。アメリカ並みに拡大した大規模土地利用の下、米作へのこだわりから解き放たれ、食料自給率こそ一段と落ちたものの、高付加価値産品に特化した企業経営が主力となった農業は高収益産業として生まれ変わったのだ。

そして、こうした成長の成果をどのように使うか、とりわけ進行する少子化・高齢化にどのように対処するかは国民的議論を呼び起こした。世紀の変わり目あたりでは、もはや政府に負担能力はなく支出を切り詰めるべきとの意見があふれていた。

しかし、安定した経済成長に確かな基盤を見た政府は、累進課税率を引き上げ、高度知識経済の恩恵を被ることになった高生産性の知識労働者たちから、膨大な税金を徴収することにした。導入に先立って、副作用のおそれが大いに喧伝された。もともと、ただでさえ、累進性が高く、やたらと高い税金を収めていた日本の高額所得者は、とうとう耐えきれなくなって、我先にと、税金の安い海外で居住を始めてしまうだろう、と。国籍を変えなくても、年の2/3以上を、国外で暮らせば、日本には税金を収めなくてよくなるからだ。そして、職場環境が、徹底的にオンライン化された現代においては、知識労働者は、基本的には、どこの国でも働けるのである、と思われていた。

こうして、累進税率の引き上げに当たっては、実際に移住する動きもあったが、遠からずその数は減り、それどころか帰国者も出始めた。そして、その流れはやむどころか、ますます加速度的になると見た日本政府は、安心して高い累進税率を維持した。海外でも、オンラインで十分に仕事ができるという気になった知識労働者は、日本語という参入障壁と産業集積の先行者利益に二重に守られてこその収入であるという厳しい事実に直面し、英語圏途上国に存する無限ともいえる競争者の存在におそれをなして、高額所得者の税率が高いと文句を言いつつも、一部の英語圏においても競争力を維持できる者を除いて、結局は日本へ戻ってきたのである。

そうして、膨大な借金にも目途がつき、膨大な税収増まで抱え込むことになった日本政府に、もはや深刻な政策課題など残っていないかのように思われた。この結果、またしても予想外なことが起こった。なんと、日本の失業率が、激増したのである。

いったい何が起こったのか?

起こったのは、日本のアメリカ化であった。前世紀半ばから末にかけて、日本に比べ、それなりに豊かで、生活に余裕のある人の多いアメリカの失業率は、日本より遙かに高かった。なぜかというと、金融政策の失敗など様々な要因が絡み合っているが、その一つとして、移民の流入が続き、その収入が定着後十分に増加するまでは、需要増より供給増の効果が大きいからだ。アメリカの南部には、そういう移民があふれかえっていた。

しかし、日本の場合、当時は海に囲まれたという地理的条件があり、アメリカのように徒歩で国境を越えるわけにはいかない。そこで、日本へ入国してくる者は、厳しい入管行政もあり、多くが非合法入国(目的外入国を含む)という手段を選んだ。

前世紀の末から、今世紀の初頭にかけて、コンビニエンスストアや飲食店の店員や工場労働者に外国人の数が急速に増え、労災や社会保障の対象外であるなどの問題が多く見られるようになった。こうしてたくさんの事件が起きたくさんの人々が移民の受入には消極的であった。

ところが、非合法入国する外国人の数が、ある時を境に、急激に少なくなった。厖大な在日外国人をカバーし、にっちもさっちも行かなくなった入管行政が、現実に押し流される形で改められ、合法入国枠を大幅に拡大したのだ。

母国では、それほど現金がなくても、暮らしていける。入国した自分は、できるだけ生活を切り詰める。残った金を仕送りして、生活水準を上げる。そのうち機会があれば、家族を呼び寄せることだってできる。移民は、そうして、世界中で生きてきたのだから。そもそも、日本の風土は、幸いにして世界の多くの国に比べ穏やかで、ダンボールがあれば凍死することもない。

もちろん、楽な暮らしではない。異国人に囲まれた生活とは、エージェントが持ちかけたうまい話のような、理想郷などではない。とにかく、就職の手続、必要な生活知識の習得、日々の家事など、やることはたくさんある。しかし、極度に競争的な全世界市場がもたらす絶対的な貧困が、日本での暮らしにはない。とくに、選ばれたごく一部に生まれ育つことができなかった、ごく普通の能力の人々にとって、世界を相手にした競争は、地獄のように希望が見えない社会だった。栄養失調や水不足など、肉体に変調を来す人も、多かったし、異常に高い疾病罹患率は、低下するどころか、ますますあがっていった。自給自足の崩壊が原因と言われる、金を出さないと手に入らない商品は、ますます増えていった。だれもかれもが、お金を必要としていた。

ところが、母国を離れ、日本でさびしい生活をはじめて半年もたたないうちに、残された家族たちは大抵のものが入手できるようになるのがよくみられた。年収は、日本人のそれに比べればほとんどないに等しいし、娯楽らしい娯楽もない。ときどき、同一人種で集まり後からきた人間が持ち込んだふるさとの味を持ち寄って、集まって呑んで騒ぐぐらいなものだ。夜は、星が見えないほど明るく、自動車の行きかうン音が聞こえる。ネットもなく、読むものもほとんどないので、早く眠り、早く起きる。しかし新しい移民たちの、表情はなぜか明るい。そんな不思議な生活だ。

ただ、ほとんどの人は、異国での暮らしを始めたわけではない。それは、まだしも気力と体力のある若者たちに限られていた。やはり、ほとんどの人は、「祖国を捨てる」のはいやだと思いこんでいたし、競争が過熱化するグローバル知識経済社会の中で、なんとか生き抜こうとしていた。もちろん、他の途上国を含めた、全世界の労働者との競争にさらされ、失業はしないまでも、収入はそれほど上がらず、物価もそれなりにしか上がらなかったため、生活はよくなったようには思えなかった。いままですんでいた家が開発の対象となり、住み慣れた我が家を立ち退く人は増えていった。都会に住みたければ、伝統から離れ、現代的な部屋にすまなければならない。ある程度昔ながらの生活を続けたければ、郊外へ引っ越すしかない。

一方で、産業集積の先行者利益に守られ極めて生産性の高い部類に属する知識労働者たちは、所得がどんどん増えていった。なぜなら、集積による外部性は、収穫逓増効果が働き、そこでのより優れたイノヴェーションが社会と経済のシステムの高度化をもたらし、ますます需要が増大していったからだ。また、途上国からの移民労働者も、なかなか産業集積に食い込むことはできず、日本の「できる」労働者たちは、価格競争にさらされるおそれがなかったためだ。

この結果、世界の消費者市場は、先進国マーケットと途上国マーケットに、前世紀以上に明確に二分された。もちろん、途上国マーケットの方が、人口ははるかに多い。従って、スケールメリットがとてもきく。しかし、トータルの経済規模は、先進国マーケットの方が巨大で、その格差は開くばかりだった。

そして、面白いことに、先進国マーケットにしろ、途上国マーケットにしろ、その供給者の中核は、どちらも高度知識労働者たちなのだ。百円ショップや、格安食堂、激安衣料品店の、店舗オペレーションシステムを徹底的に低コストで、効率的に設計して途上国に進出するのも、「できる」知識労働者の高度な頭脳のなしえる技だからだ。凡庸な労働者を何万人集めたところで、少数精鋭の高度な知識労働者チームの足下にも及ばないのだ。

そもそも、監視カメラの値段や回線コストが劇的に下がったため、店舗には、無数の監視カメラが備え付けられており、その監視カメラは、海の向こうの、冗談みたいに安い労働者が監視している。さらに、無線ICタグも、劇的に値段が下がってきており、すべての商品が、無線タグで、精密に監視され、コントロールされている。このため、ほとんどの店舗が半ば無人だ。実際には、無人のように見えて、ネットワーク越しに監視されているわけだけれども。もちろん、なにかトラブルがあれば、すぐに警備員や修理要員がかけつけるようなシステムができているし、何しろ、すべてがネットに録画されているのだ。とても悪いことはできない。また、強盗に入ろうにも、ほとんどの店は、いまや電子マネーだ。前世紀のように、レジをこじ開けて現金をつかみ取ろうにも、そもそも現金がないのだ。

そういう、徹底的に無人化され、自動化された、スケールメリット追求型の格安店舗やサービスの登場により、少子化・高齢化により成長制約要因と予想されていた労働人口の減少は、日本においては移民の増加とあいまって問題にはならなかった。もちろん、前世紀のように、今の技術をもってすれば人手が不要である業務にまで人を配置したりはしない。そうではなく、高齢者介護や幼児保育といった人手に頼らざるを得ないサービスに労働力がシフトしたため、かつては高嶺の花であったそうしたサービスを、平均的所得であっても購入できるようになったのだ。

そして、やはり、前世紀以降、欧米諸国で現れ始めた移民との軋轢が、日本でも一般的になった。すなわち、移民が集まりコミュニティを作り、その関係者のみを前提とした非日本語空間と、母国では危機に瀕する伝統が息づく、異国のような街である。その中には、たくさんの道路があるが、道行く人に日本人は少ない。従来住んでいた日本人も、多くは出て行ってしまう。その中の商店街も、その町の住人のためだけの商店街だし、そのなかにある学校も、その町の住人の子供しか入らない。

ただ、その町の住人のすべてが、移民というわけではない。むしろ、どのコミュニティも、日本政府が提供する様々な公的サービスの世話になっている。移民が合法化されたために、前世紀には外国人には敷居が高かった役所が変わったのだ。

ただ、前世紀と異なる点として、役所の公務員が、それなりの数の外国人で占められているという点がある。

また、コミュニティは、それぞれ特色があり、同じ国からきた世帯同士で、それぞれの別のコミュニティを形成している。最近ネット上で、人権保護団体にやり玉に挙げられ、非難を受けているのが、割礼の習慣を持つ国からきた者ばかりで形成されるコミュニティだ。その街では、各世帯で生まれる赤ん坊のほとんどが割礼を受け、親による子供の虐待であるとして、それが問題視されていたのだ。コミュニティの住人にしてみれば、日本人に迷惑をかけているわけではなく、わが子がまだ物心がつかず日本の文化に染まらないうちに、自らのアイデンティティの一部を受け継がせ、子供とのつながりを何とか維持したいという打算もあるのだろう。要するに、これまで多くの日本人が免れてきた、異文化との摩擦の始まりである。

さらに言うと、自分には無理であるものの、子供ができた場合、各種の公的サービスも日本人は気前よく提供してくれるし、産業集積のインナーにさえ、努力しさえすれば気前よく入れてくれる。そして、母国との精神的つながりを受け継ぎ、日本の教育を受けた子供が、将来高額所得者になってくれれば、自分の老後も安泰である。それは、ある意味、きわめて合理的で賢明な人生戦略であり、ビジョンである。彼(女)ら移民にしてみれば、人権保護団体の主張する子供の人権など、くそくらえというところだろう。

そうこうするうち、なんと、長年低下傾向だった日本の出生率が上昇に転じた。もちろん、結婚率も、劇的に上昇している。もう、何が起こったかは、誰の目にも明らかだった。要するに、日本が日本人だけの国であるという幻想が崩れてきたのだ。移民の男性の中から、コミュニティの中で、同国出身の女性を娶り、たくさんの子供を生ませるというライフスタイルを持つ人が激増したのだ。

こうして、いまや、発展途上国はいつまでたっても発展の途上で、日本のような先進国で、発展途上国人が先進国人になることとなった。途上国だけでなく先進国も、大都市の近郊には、異なる伝統を持つ途上国出身の新国民が暮らしている。日本において、相対的に低コストで保たれていた国民国家意識は変容し、大和民族と移民の軋轢が顕在化した。産業化の進展によって、いつかは先進国にと願った途上国は、また希望を失っていった。

こうして、グローバリゼーションは、結果として、先進国と発展途上国の格差を拡げることになった。社会や文化の構造まで含めて、垂直的な統合をもたらしたのだ。

しかし。。。。これは果たして、人類の勝利なのだろうか?はたして、インターネットとグローバリゼーションは、人類を幸福にしたのだろうか?そして、これはいつまで続くのだろうか。また、途上国に移民が還り、先祖代々の地で汗をかく時代がやってくることもあるのだろうか?少なくとも今は、その兆候は、まったく見られないのだけれども。

[law][government]内田貴「法科大学院は何をもたらすのか または 法知識の分布モデルについて」

「法知識の分布モデル」(@Koukyo政策大学院生の蹇蹇録4/10付)経由で面白い論文を読みました。webmasterが官僚というわが身の環境に照らして特に興味深いと感じたのは次の指摘です。

法科大学院が導入されるまで,日本には全国に100に近い数の法学部があり,約4万5千人の卒業生が毎年生み出されていた.卒業生は,中央,地方の官公庁のほか,幅広い領域の民間企業に就職してきた.法曹になったのは毎年1〜2パーセントに過ぎない.無論,4万5千人の法学部卒業生の多くが,十分な法的素養を身につけていたかどうかはわからない.しかし,契約書その他の法的文書を見せられたとき,多少なりとも意味を解することのできる人材が,毎年4万人以上生産され,その中の優秀な人材が中央や地方の官公庁に大量に入っていった.民間企業でも,現在の法務部員の多くは,法曹資格のない法学部卒業生によって占められている.日々,生きた法務に接している彼らから,若い弁護士は使い物にならないという話も聞く.

司法制度改革は,日本社会を法知識についての集中型社会へと転換する選択をした.現在はまだ社会に多数拡散している法知識は,今後,法科大学院が定着するなら,次第にその質を低下させていくだろう.そして,法知識を法曹が独占する社会へと向かう.その影響は,やがて,じわじわと社会の様々な面に現れるに違いない.真っ先に直面しなければならないのが,中央・地方の公務員における法的リテラシーの低下だろう.とりわけ中央の官僚たちの法的資質が低下したとき,どのような影響が生ずるか.近い将来,その影響ははっきり観察できるに違いない.

内田貴「法科大学院は何をもたらすのか または 法知識の分布モデルについて」(「UP」4月号)

内田先生のご指摘に経験上付け加えるなら、企業法務の立場から見て若い弁護士が使い物にならないというなら、行政法務の立場から見ると若くなくても弁護士はなかなか適応できません。期限付き任用で霞が関にお越しの弁護士の方々とも仕事をしたことがありますが、やはり弁護士といっても分野によって得手不得手があり、行政法は不得手の最たるものであることが多いです。

というのも無理はなく、昔あれこれ書いたこともありますが、法学部での行政法の講義はあくまで総論にとどまらざるを得ず、行政法学者の数を考えても今後ロースクールを含めそれが各論に至るまで整備されることは期待できず、いきおい行政府がその細部にいたる知識を独占する形になってしまっているからです。行政訴訟は一般に原告に分が悪く、司法が行政に肩入れしているといった批判も多いわけですが、この圧倒的ともいえるバックグラウンドの差による部分も相当程度あります。

となると、行政において内田先生のご指摘どおり法的リテラシーが低下した場合、それに代わるべき法曹側には一般の法的リテラシーはあっても行政法各論に関する法的リテラシーはなく、それが実務経験・判例の積み重ねによって向上するまでの間は、その担い手の移行による混乱ではなく、不存在による混乱が起こる可能性があるわけです。あなおそろしや。

ちなみに不存在による混乱を防止するため法曹側の行政法各論リテラシー向上に許される期間は、だいたい10年ちょっとといったところでしょう(少なくとも霞が関においては。地方公共団体についてはよくわからないのでコメントを控えます)。というのも、古代ローマ軍の百人隊長に比すべき霞が関の現場の柱は課長補佐ですが、だいたい入省庁6年目前後に課長補佐となり、15年目ぐらいまで務めます。この層の法的リテラシーが低下すれば、それはすなわち現場の対応力が落ちるということで、それ以上の世代に法的リテラシーに優れた人がいても、少なくとも現場レベルではそれほど意味がありません。

示した年限からご賢察いただけるように、10年もたてば課長補佐の過半は入れ替わってしまいます。内田先生のご指摘が正しいとして、その後は霞が関の現場の法的リテラシーは落ちていく一方ですから、その間にせめて大手ローファームが複数の行政法争訟案件を並行して処理できるようにならなければ、問題案件に巻き込まれた方々には今以上の混乱が待つのみです。行政府部内とは違ってOJTというわけにはいかないのですが、ではどうしたらよいのか、webmasterにはこれといった妙案が浮かびません。

このような事態に対して、行政による法運用を補完するものとしての中間団体の役割に着目の大屋先生はどのようにお考えなのでしょうか、とコメントないしエントリを期待してtrackbackを送らせていただきます。

#ロースクールがそんなにうまくいくようには思えないから安心せよ、というものだったりして(笑)。

本日のツッコミ(全58件) [ツッコミを入れる]
BUNTEN (2006-04-11 05:51)

>その後の食事をしながら、帰り道で偶然会ったときに、あるいは週末のスタジアムで交わされる雑談とそこから得られるインスピレーションは、その場にいなければ体験できないのだ。

こう来て

>安心して高い累進税率を維持した。

こう来るのか。(注:ネタ元との違い)

ええと、その考察はたぶん当たっています。
普通に言うところの"能力"では決まらない生産性の差はその種の繋がりあるいはコネの差(インスピレーションというより、儲け口へのアクセス性)なので、超高額所得部分への強累進は正当化されるし、それで"優秀な"人が逃げるということは置きにくいと私は考えています。

西麻布 夢彦 (2006-04-11 08:08)

> #ロースクールがそんなにうまくいくようには思えないから安心せよ、というものだったりして(笑)。

企業人の立場から言わせてもらうと、弁護士はもちろん、法務部門の人間も「使い物」になりません。
ボクら企画部門の人間は、仕方ないので、自分で「法務」を処理しています。

特に、弁護士さんに言いたいのは、ボクらは日本の法規や判例くらい知った上で回避策を尋ねているのに、「わかりきったこと」を回答してくることです。
金取って仕事してるなら、少しは付加価値付けて欲しいですね。

司法制度改革、特に司法試験改革については、このような企業実務を無視した法曹という問題を解決してくれるかと期待しましたが、単に特権階級を固定するだけの試みでしたね。
ロースクールも何も、法曹自体が時代の取り残されて消滅するのでしょう。

あと「2026年の日本」は面白く拝見しました。
ただ、そのころには世界の帝国主義(特に米帝様)が破綻して、国家はなく、したがって役人は居ない社会になっている、というくらいドラスティックな予言が欲しかったです(現実には、管理国家現象は進展するのでしょうけど)。

本当のところをいうと、2026年なら中華皇帝様の予言通り、日本なんて国は無くなっているのでしょうけど……

西麻布 夢彦 (2006-04-11 08:23)

連投すみません。

あと、内田先生の「司法制度改革は,日本社会を法知識についての集中型社会へと転換する選択をした.現在はまだ社会に多数拡散している法知識は,今後,法科大学院が定着するなら,次第にその質を低下させていくだろう.そして,法知識を法曹が独占する社会へと向かう.」というコメントに異議あり!

「法知識」なんて所詮形式知なのだから、本読みゃ十分。
今だって、十分、質は低いし……

むしろ、法知識を法曹が独占できないので(英米のようなコモンローではないので)、社会的には法曹の地位が下がるだけですね。
具体的には、紛争解決に裁判所が用いられなくなるでしょう。

上手く法規を回避すれば、(民間の?)仲裁機関や外国の法廷を使って紛争解決を行うことはできますので……

私は、法科大学院構想は、司法・法曹が自殺の道を選んだとしか思えません。

ゆーき (2006-04-11 09:07)

>特に、弁護士さんに言いたいのは、ボクらは日本の法規や判例くらい知った上で回避策を尋ねているのに、「わかりきったこと」を回答してくることです。

脱法方法を知りたいのですか?

ゆーき (2006-04-11 09:20)

もう一言いえば、「〜であると認めてもらうこと」と「〜であると主張する(できる)こと」は全然違うということです。

法律問題に対する最終的判断権は裁判所にあるので、そんな権限などない弁護士は、そんな最終的な「回避策」なんていえるわけがありません。

Baatarism (2006-04-11 09:52)

bewaadさんもあの話に注目してましたか。
元の話は、失業率激減あたりから、あれ?という感じがしたのですが。w
bewaadさんの話の方がありそうですね。

koge (2006-04-11 12:56)

ここでよく話されている経済学的リテラシーの現状を考えると、大学教育によってそれなりの法的リテラシーを持った人材が広く社会に拡散していたというのは自分たちを過大評価しすぎだとしか思えないんですが。
実際に法曹以外で法的リテラシーを活用している人のほとんどは、その知識の源泉はといわれたらほぼOJTと(行政の場合予備校もあるか)答えると思いますし。
実際bewaadさんの書かれたとおり
>法学部での行政法の講義はあくまで総論にとどまらざるを得ず、行政法学者の数を考えても今後ロースクールを含めそれが各論に至るまで整備されることは期待できず、いきおい行政府がその細部にいたる知識を独占する形になってしまっている
のであれば、もともと行政の外部に行政法的リテラシーを持った人など存在しなかったのですから、大学がどう変わろうと行政法的リテラシーの分布は変わらないのではないかと。
もちろん、「公共政策大学院」がロースクール並みに拡充されれば法曹界と同様になる可能性はありますが。

cloudy (2006-04-11 16:34)

> 2026年
Emacsのediffモードを活用して、二つの版を見比べながら読みました。面白かったです。
fromdusktildawn氏のはマジな予想というより、いまマスコミにはびこっている頭の悪そうな将来予測を極端な形で敷衍してみせたということなんじゃないでしょうか(彼の記事はどれも真意がわかりにくいですが)。
bewaadさんの予測はこれに近いですね。
ホワイトカラー真っ青
http://cruel.org/krugman/lookbackj.html

orz (2006-04-11 21:17)

グローバル化が進んでも、公務員は不滅なのですね…orz

西麻布夢彦 (2006-04-12 00:52)

ゆーき様
レスありがとうございます。

> 脱法方法を知りたいのですか?

面白い!

ではなくて「わかりきったことを言うな」と。

こちらが「○○は××という前提で、△△について話したいのですが」と話を振っているのに、「○○は××です」と返事するので、会話になってないと。

さらには、もっと回答に付加価値をつけてくれと。

> 法律問題に対する最終的判断権は裁判所にあるので、そんな権限などない
> 弁護士は、そんな最終的な「回避策」なんていえるわけがありません。

脱法はともかくとして、リスクを低減するスキームくらい出して貰わないと……

リスクなんてとっくに検討していて、その上で呼んだ弁護士が、「そのスキームにはリスクがあります」なんて言っても、もう分かっているって!

雇っている側は、弁護士の先生はどんなスキームを提案されますか?ということを問うているのです。
(呼ぶ段階で、こちらの認識しているリスクは伝えているんだから)

あと「最終的な「回避策」」って言い方が問題で、顧客側は「最終的な「回避策」」なんて聞いて無くて、いくつの回避策があって、それぞれに、どんなリスクがあるかを列挙してくれるだけでも、それなりには評価します。(努力はしてくれているな、と)

さらに「最終的判断権は裁判所にある」なんて言うなら、弁護士じゃなくて裁判所に問い合わせればいいのね、という話になるので、なおさら弁護士不要ということになりますね。

アルベルト (2006-04-12 02:58)

>西麻布夢彦さん
それ、すごいよくわかります・・・。

自分「××契約書のこの部分、先方が、○○という文言じゃないと受けられないと言ってるんですが・・・」
法務「それはダメですね。△△というリスクがありますから」
自分「それはわかってるんですが、些末な文言で破談にしたくないので、どこまでなら受けられるという代替案を知りたいのですが・・・」
法務「でも。△△というリスクがありますのでね」
(以下水掛け論)

自分「というわけで困っちゃってるんですよー。身内の恥みたいな話なんですけど」
優秀な弁護士「よろしければ小職が見てみましょうか?受けられるか受けられないかはもちろん御社で決められることですけど・・・そうですね、例えば□□という表現はどうでしょう?」

自分「これで、どうでしょうかね?」
法務「あ、これならいいんじゃないですか?この文言、アルベルトさんが考えたんですか?」
自分(アフォ法務、氏ね)

ということで、使えない法曹は多いですが、少数ながら「わかってる弁護士」も確実に存在する。だから、ゆーきさんのおっしゃるような弁護士の職務権限のような問題ではないと思います。

bewaad (2006-04-12 06:19)

>BUNTENさん
さらにいえば、お金以外のステイタス等もゼロベースになってしまうわけで、ますます海外逃避はないのだろうなぁと。エントリでは文脈にあわないので触れませんでしたが、法人税についても大市場である日本で成功しているのに撤退というのは考えづらいでしょう。

bewaad (2006-04-12 06:30)

>西麻布 夢彦さん
どちらかというと法務という部局の問題というより、その担当者の能力の問題であるのではないでしょうか。

法務担当者は法務担当者で悩みがあるということで、例えばろじゃあさんの次のようなエントリは、向こう側がどう考えているかのヒントになるのではないでしょうか。
http://rogerlegaldepartment.cocolog-nifty.com/rogerlegal1/2006/03/post_f17b.html
http://rogerlegaldepartment.cocolog-nifty.com/rogerlegal1/2006/03/post_7a5f.html
http://rogerlegaldepartment.cocolog-nifty.com/rogerlegal1/2006/03/post_cec5.html

bewaad (2006-04-12 06:34)

追加。

>さらに「最終的判断権は裁判所にある」なんて言うなら、弁護士じゃなくて裁判所に問い合わせればいいのね、という話になるので、なおさら弁護士不要ということになりますね。
裁判所は答えないからこそ、合理的な推論に基づきそれなりの確度で予測する法曹の存在価値があるわけです。

bewaad (2006-04-12 06:44)

>ゆーきさん
法的リテラシーという意味では、法そのものの解しかた以前にその役割・社会における機能といったところに彼我の認識に差があるのかもしれません。

bewaad (2006-04-12 06:48)

>Baatarismさん
はてブで注目を集めているのを見て、ちょっとこれは書かなきゃな、と思いました。

bewaad (2006-04-12 06:55)

>kogeさん
私の同期の経済職の人間が、最初は六法全書の引き方すらよくわからなかったと回顧していまして、もちろん今ではきちんとやっているわけですが、それなりの苦労をしたわけです。そういう専門知識以前の慣れというのは、案外大きいのではないかという気がしますし、そういう慣れがある人の存在もそれが無意味ではないと思います。

bewaad (2006-04-12 06:58)

>cloudyさん
クルーグマンのそれはむしろpreviewのときに意識しました。

bewaad (2006-04-12 07:00)

>orzさん
政府の職員を公務員というなら、無政府でないと不滅にならざるを得ないでしょう。

bewaad (2006-04-12 07:05)

>アルベルトさん
もちろん有能な法務部員であれば代替案を示すのでしょうけれど、リスクを前提に判断するのは経営の部分だと割り切るなら、リスクの所在を示すことは最低限必要なことはやっているとも言えるでしょう。法務に同情的なのはご容赦を。

47th (2006-04-12 08:08)

>大手ローファームが複数の行政法争訟案件を並行して
>処理できるようにならなければ

という部分にインサイダーとして反応してみますが、多分、「できるか?」と問われれば、できるのではないかと(現にやってましたし)。
ただ、それが一般の人にとってアクセス可能かと問われれば、本気で行政訴訟をやろうとすると、行政処分の背後で行政庁が有する情報の収集・分析がスタート地点になるので、その時点で膨大なコストがかかってしまうんで、クラス・アクションでやれるようになれば別ですが、大手ローファームが行政法リテラシーの代替的担い手となる可能性は低そうです。
じゃあ、どうするんだというのは、私もアイディアはありませんが、むしろ、懸念すべきは職業法律家によるレント・シーキングの方で、それを防ぐことを考えた方がいいんではないかという気も・・・まあ、立場上、私がいうのも変なんですが。
あと、ちょっと違う視点でTBさせていただきました。

(2006-04-12 21:37)

経済成長が続く中国やインドと先進国間での賃金物価の格差は20年後でも変わらないでしょうかね。PCやブロードバンドが全国的に普及し、知識労働者が大量に出現するほど成長してるなら、経済も内需中心で為替による物価差もなくなってるんじゃないでしょうか。日本だって、高度成長期から2,30年で欧米との物価差もほとんどなくなっているから、今高成長の国々も20年後には先進国と変わらなくなっていそうな気がします。
ただ途上国でも今経済成長しているところは20年後にそうなっていても、今の破綻国家紛争地域は読み書きすらできないままで、ITインフラを整備維持管理する技術者も育ってないだろうし、PCなんか普及の仕様がないと思います。警察や裁判等の行政システムもないので仕事なんかも頼めないはず。
性産業も画像だけなら、すでに流通してるもので多くの需要が満たされ、直接的な性行為は国内に相手がいないと成り立たないので、エイズに苦しめられているような貧困国などの海外での雇用を多く生み出すとも思えません。

西麻布夢彦 (2006-04-12 22:14)

(1)
bewaad様

レスありがとうございます。

> 裁判所は答えないからこそ……法曹の存在価値があるわけです。
この話こそしたかったわけです。
というのも、裁判所にもノーアクションレター制度のようなものを入れて、事前の情報開示をすれば、訴訟リスクを最小限にできると考えるのです。
争訟があるまで、情報開示しませんなんていうのが不合理です(いえ、bewaad様に文句言ってもしかたないけど)。

要は、裁判所が、わざわざ弁護士の仕事を作って(コストを上げてくれて)、弁護士は「私、裁判官じゃないのでわかりません」と言っていると……

私が、法曹に不信感をもつ所以です。

(2)
アルベルト様
レスありがとうございます。
クリエイティブにご活躍のようですね。

bewaad様
> どちらかというと法務という部局の問題というより、
> その担当者の能力の問題であるのではないでしょうか。
どうも個別の担当者の問題ではないという印象を受けます。

2年ほど前、法務の担当役員が、役員会議で「(技術)標準化を戦略的にやるために、法務内に標準化のWGを設置します」と言いました。

先月、標準化のWGからお呼びがあったので、話を聞きに行ったら
「本社から何の指示もでないので、何をしたらいいのか分からない」
とおっしゃるのです。

いや、アンタのところの役員がやっていることだから……

日本の法曹養成システムは腐敗してます!(`・ω・´)つ

※ろじゃあさんの書いている事例は、相手方の出してきた契約書を、そのままっつかっている営業の側に問題がありますね。
 まあ、しかし、以前、法務さんに「カウンターの契約書作って」と頼んだら、「法務は契約書のチェックが仕事で、契約書の作成はしません」とおっしゃられたので、アゼーン……いや、いいけど(ぶつぶつ)

※実のところ、営業さんが法務(ろじゃあさん)の何に怒っているのかは想像がつきます。(どちらが正しいとか言う話ではなくて)

bewaad (2006-04-13 06:13)

>47thさん
大手ローファーム云々と書いたのは、どうしても行政訴訟の担当弁護士はあっち系(笑)が多いので、もう少しビジネスライクに議論できるカウンターパートであってほしいという気分も手伝ってました。どう考えても渉外より儲けは少ないでしょうし、と危惧していたのですが、そうではないようで少し安心です。まあ東京に集中していることの問題はあるのでしょうけれど。

エントリはじっくり読ませていただきます。

bewaad (2006-04-13 06:17)

>〇さん
先進国へのハードルはなかなか高くて、ちょっとやそっとの経済成長では追いつけません。歴史的に見ても日本はきわめて例外的存在で、例えば中国だってすべてが理想的に進んだとしても、高度成長が終わる頃でも今の日本より一人当たりGDPは小さいということを昔書いたことがあります。この辺の話はイースタリー「エコノミスト、南の貧困と戦う」にあれこれ書いてあって興味深いです。

bewaad (2006-04-13 06:28)

>西麻布夢彦さん
裁判所(というか各裁判官)の判断は基本的に個々のケースがすべてであってルールがあるとしても帰納的に(もちろん法規範そのものは別ですが)というのが原則です。例えばノーアクションレターなりガイドラインがあるとして、行政ではそれを当てはめては不合理な事例があるとしても、原則はまずはそれを変更してからでないとルールはルールとして尊重することになります。他方で司法ではそんなものは打ち捨てて個別の救済を最優先するのが行動原理となります。

つまりは立法・行政という事前に規範を示して「悪法も法なり」という機能と、司法というできるだけ個別事例に着目して「悪法は法でない」と判断し得る機能を競争関係においておいた方が経験則的にましであるとして制度が作られています。

よって、ご指摘の部分は確かに非効率でありますが、それは最悪のケースの損害を最小化するためのコストではないか、というのが管見です。

なお蛇足ですが、法務に対するご不満は、霞が関に対する国民の不満を考える際に手がかりになるのでは、とコメントを拝見して思いました。

Baatarism (2006-04-13 09:49)

>先進国へのハードルはなかなか高くて、ちょっとやそっとの経済成長では追いつけません。
結局、先進国の地位は早い者勝ちであって、19世紀後半までに近代化を始めた国でないと実現できないものであった、と未来の歴史書には書かれるのかもしれませんね。
都市国家を除く旧植民地諸国で一番先進国に近い存在なのは韓国と台湾だと思いますが、それでも先進国とはかなりの差がありますから。

koge (2006-04-13 11:15)

>大手ローファーム
>東京に集中していることの問題はあるのでしょうけれど
まあもっと弁護士増(と規制緩和?)が進めば、大手の合従連衡が進んで4大監査法人みたいになって、せめて高裁所在地には支店が置かれて本社から各分野のエキスパートが派遣されるようになるんじゃないでしょうか?過疎地は救われることはないでしょうが。
>先進国へのハードル
裏技。沿海州だけ平和的に分離すれば欧州先進国の下のほうには…まあ、プロジェクトX的奇跡を日本並みに起こすよりはるかに難しいですが。

Baatarism (2006-04-13 12:54)

>kogeさん
だったら長江や珠江の河口部周辺だけ平和的に分離する裏技もありますね。それでもせいぜい韓国レベルかもしれませんが。

koge (2006-04-13 17:38)

>Baatarismさん
しかし韓国・台湾や中国沿海州は日米との差は大きいにしても、先進国でも下のほうにはかなり近づいてるんじゃないか…と思って調べてみました。一人当たりGDP(名目)でいえば、
(出典:米CIA 「The World Factbook」(http://www.cia.gov/cia/publications/factbook) 2006/1/10)
ルクセンブルク:69915$
ノルウェー:57609$
スイス:49937$
日本:38888$
英国:37640$
オランダ:36617$
フランス:34918$
ドイツ:34332$
イタリア:29826$
EU:28684$
スペイン:25929$
シンガポール:25668$
ニュージーランド:24773$
ギリシャ:20237$
ポルトガル:16382$
韓国:15003$
台湾:14606$
チェコ:11014$
中国沿海州はどの程度のものかちょっとデータがないんですが、まあ韓国・台湾もギリシャ・ポルトガルあたりなら追いつけそうですね。その上となるとちょっと壁がありそうですが、あとはどこからを先進国とみなすかの問題といっていいかもしれません(ギリシャ・ポルトガルの皆さんごめんなさい)
ちなみに内閣府の平成14年度県民経済計算(http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/kenmin/h14/main.html)によると、年度が違うので単純比較はできませんが東京が53380$、それを含む南関東が38781$、東海が35127$、関西が31037$、四国が26895$、沖縄が20997$になるそうです。

Baatarism (2006-04-13 18:26)

>kogeさん
2004年度のデータだと、上海市の1人当たりGDPは5165ドルです。上海だけでもまだまだチェコにも及ばないようですね。

出典:中国経済新論-051129実事求是
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/ssqs/051129ssqs.htm

koge (2006-04-13 20:28)

>Baatarismさん
ありがとうございます。ちなみにさっきの下のデータも出すと
ハンガリー:10683$
クロアチア:7956$
メキシコ:6751$
リトアニア:6676$
ポーランド:6445$
マレーシア:5181$
トルコ:4950$
ブルガリア:3533$
ウクライナ:1426$
ってとこです。こうやって見ると東欧といってもかなり差がありますね。
上海だけでもポーランドにも及ばず、トルコと同じ程度って言うのはいくら大量の貧困層もいるといってもちょっと意外ですね。実質GDPだともうチョイ変わってくるのかな?

cloudy (2006-04-13 23:59)

生活レベルの比較であれば、PPP換算一人当たりGDPを使った方が良いでしょう。これだと中国は$1272→$5641(2004年,IMF)になり、上海だとおそらく1万ドルは越えるかと。ただしクロアチアも$11568になりますが。

あと、ルクセンブルグ等の人口の少ない都市国家では、一人当たりGDPは過大になるので御注意を。ルクセンブルグは31万人の国に12万人国外から通勤してきています。

bewaad (2006-04-14 05:53)

>Baatarismさん
なんとか開発経済学がその予測を打ち破れればいいのにな、と思います。

bewaad (2006-04-14 05:57)

>kogeさん
弁護士の知り合いの話を聞く限り、難度の高い案件は出張で済ませるパターンが多くなるような気がします。今でも東京から出向くことも結構あるように聞いてます。

bewaad (2006-04-14 06:03)

>cloudyさん
ルクセンブルクあたりはGNI per capitaで見た方がいいんでしょうかねぇ?

小倉秀夫 (2006-04-16 16:51)

企業案件について言えば、顧客にご来所頂いたり、弁護士が出張したり、あるいは電話会議(ネットを活用したものを含む。)で済んでしまうので、わざわざ支店を開くメリットが東京の企業法務系の事務所にはないのでしょう(東京と高裁所在地間の交通事情は新幹線や飛行機等のおかげでかなりよいのでわざわざ支店を開くために投資するメリットが少ない(NYの弁護士がLAに出張するのと、東京の弁護士が大阪に出張するのとでは全く時間的、費用的なコストが異なるのでしょう。)し、日本の場合、日本中のどこに行ってもビジネス法はほぼ一緒なので「現地法」に習熟した弁護士を各支店に置いておくメリットがないのでしょう。)
 ということで、弁護士増が進んでも大手ローファームが各高裁所在地に支店を置くような事態にはならないのではないかと予測しています。
(本題とははずれるコメントですみません。)

bewaad (2006-04-17 02:52)

>小倉先生
知り合いから聞いた話の紹介というあやふやなコメントに、当事者として裏づけをいただきありがとうございます。

加えてアカウンティングファームと比較するなら、期末・中間期末それぞれにそれなりの期間と陣間戦術を有するアカウンティングファームと、個別事案について1人ないし極少数の担当弁護士が必要があるときのみ現地に赴くローファームという業務の性質の違いがあるように思います。

ろじゃあ (2006-04-19 20:13)

>西麻布夢彦さん
ろじゃあです。
いくつかのコメント拝読しましたが・・・
法務部は契約をチェックするのが仕事で契約書は作成いたしません・・・とか、相談に対していくつかの選択肢を経営サイドに法的リスクの所在に応じていくつか示すことができない法務担当者・・とかは、ろじゃあの範疇では「法務」のお仕事をしているとはいえませぬ(^^;)。想定されるリスクの範囲と内容を共に確認した上で選択によりそれをより最小化するところまでお膳立てしてあげなくいと本来はぜぜこは取れないはずなんですけどねえ。
ただ、自分達が管理すべきリスクに法的なリスクがあるのだということが自覚できていない企画なり営業なり更には経営者が、西麻布さんのように企画として自ら「法務」を行いうる方々とは別に棲息し、「環境」として、西麻布さんが唖然とするような「法務担当者」として養成(ちゅうか培養か?)してきたというのも事実なのかもしれません。
経営と弁護士と法務の役割分担は当然あるべきなのですがそれと西麻布さんが挙げられた「状況」は別問題だとろじゃあは思ってます。そんな企業内法務担当者ばかりだとは思っていただきたくないのが実際なのですが、まあ、経験則上そのようなご経験も多かったようですし、無理もないかなと。ろじゃあの経験則上も十分あり得る話ですから(^^;)。
 bewaadさんもそうですが、西麻布さんも直にお話できれば更に突っ込んだお話ができるかもなどとも感じた次第でございます。
ですぎたコメントすいませんです。

西麻布夢彦 (2006-04-19 22:21)

ろじゃあ様

コメントへのレス、ありがとうございます。
法務のお仕事大変かと思います。
私のような、怖い(法務担当者談)人が噛みついてくる職場でもあるでしょうから…

私自身の問題意識は、実のところ、法務さんのお仕事というより、法曹資格の面にあります。
企業人でも、ろじゃあ様のように素養を持った方がいますし、いっそ法曹を完全自由競争にしては、と考えているのです。
一応、弁護士代理の原則の理念は、三百代言の跳梁跋扈を阻止する(依頼人の権利保護)という点にあることは理解していますが、司法試験って品性を問う試験じゃないからなぁ〜
そんなわけで、法曹資格をロースクールを出てまで司法試験を受験する、お金とヒマをもてあました人のものにした司法試験制度改革には懐疑的なのです。
結局、内田先生の食い扶持を作っただけでしょって……

そんなことをいうと、内田先生のお弟子さんに怒られるかも知れませんが……

※私は、米国弁護士の日本での活動領域が規制緩和されて、日本人もこぞって米国弁護士資格をとるようになり、日本の法科大学院は崩壊するのかな?と予測していますが……

bewaad (2006-04-20 05:52)

>ろじゃあさん
やはり法務を育てるのも経営ということなのでしょう。権限も与えず、成果もみとめず、責任だけを押し付けるような社内運用をしていれば、おのずと責任回避にのみに走ることでしょう・・・うちの業界も他人事じゃありませんが。

bewaad (2006-04-20 05:56)

>西麻布夢彦さん
ただ専門職である以上、何がしかの資格試験は必要ですから、自由競争というのも難しいでしょう(アメリカ弁護士資格の国内適用にしても、国際訴訟等に限定せざるを得ないでしょう)。個人的には、まさしく医師が専門分化しているように、弁護士も専門分化する形で量的拡大を図るべきだと思うのですが。何でもできる(という建前を守れる)弁護士を育てようと思えば、そりゃ試験のハードルも高くなりますし、修習も高度なものが必要でしょうに、と思ってます。

kagami (2006-05-16 19:05)

朝日新聞を読んできました。ネットの誤った言説を鋭い洞察力を持って打ち砕く天才財務省官僚ブロガーとして朝日新聞にbewaadさんが大々的に紹介されていて、マジカッコいいです。これからもカッコいい活躍ぶり、期待しております!!(^^)

koge (2006-05-17 00:09)

財務省…というのも真実かそれとも情報操作か(ぉ

bewaad (2006-05-17 05:43)

>kagamiさん
trackbackとあわせ、ありがとうございます。イメージが美化されすぎているのが気になります(笑。オフで「ノルウェイの森」の永沢のイメージ(ただし非モテヴァージョンw)といわれたことはありますが)。

ただし、(続く)

bewaad (2006-05-17 05:47)

>kogeさん
(続き)
採用・所属省庁については、自称したことはないので(画面上部より"about"をご覧ください)、稲葉先生の誤解ではないかと存じます。

Baatarism (2006-05-17 09:39)

kagamiさんのところのイメージを見て思ったのですが、あのイメージを元に「bewaadたん」でも作ってみてはどうでしょうか?(爆)

いなば (2006-05-17 15:19)

そうですか>自称
では「と巷では推測される」あたりが無難で下でしょうか。
その件につきましては担当のA田さんがひどく気にしてはいたんですが。ごめんなさい>A田さん。

koge (2006-05-17 17:29)

>bewaadさん、稲葉先生
このブログにあまり財務省っぽさはないような(あ、でも旧経済企画庁はあるかも)気がします。
個人的な予想では
本命:国土交通
対抗:農林水産
 穴:防衛
大穴:実は技官(笑)
のような気がします。
ま、外れてたら見事な情報統制、ってことで。

branch (2006-05-17 19:06)

人定を明らかにせずに各種論評をものされているwebmasterについて公の場でその所属府省を云々することは、ご本人にしてみればあまり好ましいことではないのではないか、と思ったりもするのですが。『三本の矢』の著者について、霞が関の一部で「犯人探し」が行われたという話もあります。(出過ぎたコメントであればお詫び致します。)

kagami (2006-05-17 20:37)

私は新聞記事の「財務省官僚」というのは、カッコよさを引き立てていてGOODJOBだと思ったのですが…。こう、例えて云うなら、ガンダムでシャア・アズナブルのことを、シャアと呼ぶのとシャア少佐と呼ぶのでは後者の方がカッコいいですから。若くして左官なのか、切れ者だな、みたいなイメージがありますし。財務省官僚というのはちょうどこの少佐みたいな感じでカッコいいです。分裂君の扱いはちょっとアレでしたが(^^:それとbewaadさんTBありがとうございます。シャア少佐に声を掛けられたスレンダー軍曹並に感動しています!!
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words02_Gundam.html

BUNTEN (2006-05-17 20:53)

>「bewaadたん」

一票。\(^o^)/

とーにゅー (2006-05-17 22:40)

>「bewaadたん」
たぶんオトコノコ(ですよね?)だから「bewaadきゅん」ではなかろうかと愚考する次第。

bewaad (2006-05-18 05:57)

>皆様
>採用・所属
いかなる推測等をされてもこちらから難じたりやめるよう求めたりはいたしませんが、その正否についてはノーコメントとさせていただくことをご理解ください。

役人口調で恐縮ですが(笑)。

>呼称とか、想像図とか
ご自由にいじっていただいていただければと思いますが、絵を描かれるなら当サイトで言及している女性芸能人とのツーショットもあわせて作画していただけるとうれしいです(爆)。

koge (2006-05-18 21:07)

>bewaadさん、branchさん
軽率な発言でご心配をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。以後このようなことのないよう努めてまいります。

でもあれだけ詳しく業務のことを記しているbranchさんに心配されると言うことはひょっとして図うわなにをするやm

bewaad (2006-05-19 03:16)

>kogeさん
いやいや、私からは何も申し上げられないということだけですので、お気になされぬよう。

でbranchさんですが、業務のこと以上にお見合いとkくぁwsでrftgyふじこ

branch (2006-05-19 07:34)

書き手がどのような属性を持った人間かということは、私にとってもテクストを読む際に最も気になる事項の一です。定期巡回しようと思わされるblog等を発見した際にはまずprofileを探しますし、過去の記事を追う中でも人定等を窺わせる記述に目が行きます。本来であれば純粋に発せられた言説のみを以てその適否を論じ、また評価を行うことが適当である、ということなのかも知れませんが、「どのような人間が」「どのような意図を持って」書いた文章かという視点で見るのが習い性になってしまっています。だから、bewaadさんの人定には私も大いに関心がありますが、公の場で論ずるのはちと野暮なのかな、というわけで一昨日のようなコメントを付した次第です。ご本人が苦にされていないようなので杞憂でしたね。

なお、私の人定に関心を持っていただくような奇特な方もいらっしゃるようなので、私の日記は、特に業務関連は問題のない範囲での記述とするよう留意するとともに、相当程度フィクションを混和するよう努めておりますです。社会的圧力等は若干の脚色を除けばほぼ事実に即していますが…。('A`) 当面、自虐ネタ以外にそっち系のネタは書けそうにありませんが。('A`)

bewaad (2006-05-20 16:14)

>branchさん
まあ盛り上がることを歓迎できるかといえばアレですが、なるべく議論を掣肘しないようにという信条とのせめぎあいでございます。

そっち方面はなぜかpogemutaさんがいよいよお盛んでうらやましいことで・・・orz

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