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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2006-05-07

[economy][history][book]竹森俊平「世界デフレは三度来る」(

#"history"カテゴリにも区分いたしました。(5/24追記)

当サイトのように取り上げる人間への嫌味かと思しき次の文章に直面すると、何を書いてよいのか悩んでしまいます。

(前略)筆者も日本の官公庁などで話をする時には、紙一枚の要約を出すことを要求され、大学の授業で本書のような内容を話すときには、「ようするに試験に出るのはどこですか」と学生から尋ねられるのに慣れているが、1000ページを超す本の場合、紙一枚の要約では内容をまとめられず、まとめる気もない。紙一枚でまとめるにはあまりに豊かな内容があり、ドラマとしての流れがあるからだ。それに、そもそも紙一枚の要約でしかものを考えないという習慣そのものが、安易に結論を決めてかかる傾向を生み、経済政策の判断を誤らせた原因ではないか。

上・p7

これでは何を書いても著者からインチキ扱いされてしまうようなものです(笑)。それにめげず紙一枚を書くとして、すべての学問は広義の歴史学であるとの暴論を唱えてみたいと思います。

ニュートンが語った(ことで有名になった)「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」という言葉がありますが、巨人の肩=先人の苦闘の積み重ね、ということになります。巨人の肩の上に立つこととは、すなわち先人の苦闘をたどることなのですから、それは広義の歴史学であるといってよいでしょう。

しかし、広義と狭義の歴史学を分かつのは、苦闘をたどることそのものが目的であるのか、それとも苦闘をたどるのは遠くを見るための手段なのかという点です。広義においては、肩の上に立つための「登山道」が整備され、それをいち早く上って遠くを見、巨人の肩の高さをわずかなりとも高めることが目的になるわけです。

#狭義の歴史学においても、学問の手段として遠くを見るために肩の上に立つというマトリョーシカ構造はあります。為念。

ただその「登山道」も、ときとして進んでみれば行き止まりだったりします。本書で取り上げられた経済学で言えば、60年代までのアメリカにおける経済運営の指針としての「ケインズ経済学」は70年代のスタグフレーションという行き止まりに直面し、マネタリズムという別ルートの開拓により乗り越えられたわけです(ただし、ケインズの主張≠「ケインズ経済学」であってマネタリズムもまたある意味ケインズの掌の上、といった話はクルーグマンによる「一般理論」解説あたりを)。

本書においては、近年の日本におけるデフレをめぐる論説の混迷を解きほぐすにあたり、かくて登山道を上るのではなく先人の苦闘を追体験すべく、過去のデフレとそれらをめぐる各般の議論が丹念にたどられています。一見歴史書のようであっても、それは現代の課題に対して麓からルートを開拓しているようなもので、あくまで狭義ではなく広義の歴史学=経済学の試みであると、webmasterは思います。

といっても麓に読者を放置して自ら道を探せと突き放すものではありません。著者によるナヴィゲーションがいたるところに盛り込まれ、それを頼りに肩を目指すことはできます。ただ、それでは本書の楽しみ方としてあまりにもったいない話です。ナヴィゲーションはあくまでナヴィゲーションと割り切り、それ以外の可能性も考慮に入れて地図を見ながらコンパスを頼りにあれこれ思い悩む、それこそが本書を味わうということでしょう。

本日のツッコミ(全6件) [ツッコミを入れる]
roi_danton (2006-05-07 23:51)

論文を書く際に、先人の論文を紹介して、「A氏は論文BでCと主張している。そのことは、自分のこの論文の追い風or向かい風or問題提起になっている。」等と書くことが多いと思うのですが、この人は自分の著書が誰かの論文で引用されるのを好まないと言うことなのでしょう(毒)。

bewaad (2006-05-08 12:35)

>roi_dantonさん
誤解を招くような書き方でごめんなさい。昨今のデフレに対する竹森先生のご主張は明確で、そこを逃げられているわけでは決してありません。

ただ、それこそ紙一枚にまとめられる話を導き出すに、なぜ上下巻の大部を要したか、そのところを見過ごさないでほしいということかと存じます。映画監督が愛を描きたかったとして、だからといってインタヴュアーにこの映画は何を描きたかったのですかと問われても、それが簡単に説明できるなら映画なんて撮らないというようなものではないでしょうか。

roi_danton (2006-05-09 00:19)

いえいえ、当方の読みが浅かったのが敗因でしょう。ただ、役人が紙一枚で言え、と頼むかどうかは別にして、奥さんや恋人や恋人候補に「何の研究をしているの?」と聞かれたら、やっぱり紙一枚以内で説明しないと「つまんない!」とか「わかんない!!」って言われそうな気が・・・・

bewaad (2006-05-09 06:48)

>roi_dantonさん
そういうときはサブではなくロジで説明するのが我らが業界の定番ではないでしょうか。根回ししたり想定書いたり上司に詰められたり・・・「つまんない!」のは事実ですし、「わかんない!!」って、わかってもらえない方が幸せなような(笑)。

roi_danton (2006-05-09 23:04)

スミマセン、ロジが利きません(泣)。冗談(じゃないけど)はさておき、プロ相手は無理でも、素人相手ならば寝ているところを叩き起こされても完全に騙し通すことができるだけのサブを持っているのが、役人の最低要求レベルだと思ったりもします。で、できれば、解りやすいボケを時々入れて、突っ込めよー! がっかりだよっ! って笑いが取れればなお良いのですが・・・・
(しつこくてすみません)

bewaad (2006-05-10 03:42)

>roi_dantonさん
それはおっしゃるとおりだと思うのですが、それがまた霞が関不信の原因の一つであるような。事後の事情変更で対応が変わらざるを得ない場合でも、騙したのか、みたいな。


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