toppage memoranda
(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2006-07-13
■ [government][economy]地方交付税と地方財政についての小西論説
一昨日、昨日と取り上げた財政投融資に負けず劣らず評判の悪い地方財政制度(笑)ですが、これについて小西砂千夫先生が相変わらずいい論説を発表されているのでご紹介を。
(前略)
総務相の懇談会からもそのような提言(webmaster注:税源移譲等による財源保障の廃止)が出る背景には、国が地方に地方交付税で財源保障をすることへの根深い不信感がある。財源保障の結果、受益と負担の乖離(かいり)を通じて自治体のコスト意識が失われ、財政支出が非効率になり、公債費が地方財政計画に含まれるために自治体は暗黙の政府保証があるとして安易に借金を重ねるといった批判が高まっている。
自治体の財政運営に非効率があることは間違いないが、無駄は公共部門の常であり、交付税が原因との証拠はない。現に普通交付税をもらわない不交付団体が交付団体より効率的であるとは思えない。暗黙の政府保証とはそもそも意味が不明確であり、自治体といえども過度の負債があれば財政運営は困難になる。負債が拡大するのは自治体内部で厳しい意思決定を先送りしているからで、公共か民間かを問わず、ゆるんだ組織では常に起こりうる弊害である。
地方交付税の簡素化は必要だが、そこには複雑にすることでお手盛りを可能にし、地方交付税の拡大を許してきたという一種の官僚不信が見え隠れする。地方交付税の趣旨は、地方財政計画で確保された財源総額を自治体の財政需要に応じて公平に配分することであって、算定がどうあっても総額は影響されない。
竹中懇談会では人口と面積を基本として算定する新型交付税を打ち出したが、今回の骨太方針には新型交付税の文言はない。来年の参院選をにらみ、地方の反発が強い新型交付税を与党が避けたとの見方もあろうが、そもそも算定の簡素化で地方交付税の性格を変えるという発想に無理があったのではないか。
(略)
筆者が見るところ、地方財政制度の真の問題は、財源保障にあるのではなく、地方財政計画の収支バランスを担保する仕組みがない点にある。各省が地方に新たな事務を安易に押しつけ、地方の役割を拡大した結果、地方の歳出は拡大するが、平成不況の中で歳入の確保が全くできない。地方財政計画は運営の責任主体が分散し、収支均衡という点では十分制御できない課題がある。
(略)
出ずるを量って入るを制すのが財政運営の基本である。納税者が税負担に応じる限り、望ましい歳出水準であるといえる。地方財政計画で交付税率の調整だけでなく、地方が総量として地方税の標準税率の引き上げで全自治体が増収をして収支尻に責任を持てば、地方は地方財政制度の財政責任を果たせる。
(略)
受益と負担の一致とは、財源保障を否定する文脈で使われがちだが、本来は「限界」概念である。限界的な負担と限界的なサービスの比較考量でとらえると、自治体は地方財政計画の規模で決まるサービスの水準までは財源保障されてもよい。それを超えるサービスは自治体が独自判断で上乗せする超過課税で賄うのが望ましい。
現行の交付税率の範囲で地方財政計画の歳出を大幅にカットし、圧縮された交付税は超過課税で賄えばよいとの意見がある。しかし、それだと税源に恵まれない自治体では、相当効率の超過課税でも現行のサービス水準を確保できず、自治体間の財政格差は極端に広がる。それに対して、標準税率の引き上げで地方財政計画の歳出を確保すれば、サービスの保障水準が上がるので貧しい団体ほど逆に有利になる。
(後略)
小西砂千夫「地方は財政責任果たせ」@日経・経済教室(7/12付)
標準税率を上げるというのは当然マクロ的な影響があり、反射的には肯えるものではないようにも思われますが、地方公共団体が基本的にナショナルミニマムを維持し、マクロ政策は国の担当だとそれぞれの役割を捉えるなら、その分だけ交付税に回す分の国税の税率を下げればよいということになります。地方財政や公共投資はナショナルミニマムの水準を念頭に議論すべき、という持論のwebmasterとしては、ぜひ多くの人の目に触れて欲しい論説です。
■ [BOJ]無担コールO/Nの愛称の応募
これは慣れの問題なので、今のままでもいいのかもしれないが、「公定歩合」が余りにも有名な状態が続くのは、日銀としても金融政策の運営はやりにくだろう。短期金利の上限を担うだけの機能しかないのに、政策金利の「無担保コール翌日物」よりも注目度が高いと、金利水準で示す政策スタンスが微妙に誤解されかねない。どうすればよいのか?
- 最初に述べたように放置し、自然に理解が進むのを待つ
- 「公定歩合」という言葉をなくす
- そのうえで「無担保コール翌日物」を有名にする名称を考える
一番良いのは1だが、2以下は金融政策のブランド戦略に関わる。国民の多くが知っている公定歩合がなくなると、日銀が一体何をやっている(操作している)のかイメージが湧かなくなる。別にそれで生活上、特に困ることはないと思われるが、金融政策の期待形成の観点ではマイナスかもしれない。
そこで「無担保コール翌日物」のイメージアップ作戦である。今の呼び名はインタバンク関係者には馴染みがあるからいいが、一般向けにはさすがに冴えないので、いい名称を考える必要があるだろう。「無短」、「むたん」、「MUTAN」。うーん、短縮形はいまいちである。何かいいアイデアありますかね?
「金融政策手段のブランド戦略=「公定歩合」に替わる名称は…」(@本石町日記7/12付)
普通に「政策目標金利」「誘導目標金利」、あるいはシンプルに「目標金利」でいいんじゃないでしょうか。これらなら「日銀が一体何をやっている(操作している)のかイメージが湧」くでしょうし。
■ [BOJ][media]Ceterum censeo: delenda est Nippon Ginko
引き続き本石町日記からですが、1/12の「大機小機」が秀逸であるとのこと。とあるところをがさごそしたら見つかりましたので、転載してみます。
2007年初頭の日銀総裁会見は、福井総裁の余裕をうかがわせるものとなった。日本がインフレ目標を採用してからほぼ半年がたち、インフレ率は目標値の2%に近づいてきた。景気回復に伴う求職者増で失業率は一時やや高止まりしたが、最近は4%を割り込む水準に下がった。名目成長率は5%に迫る勢いだ。
もともと、06年時点で変動相場制を採用しながらインフレ目標を採用しない主要国はほとんど存在しなかった。周回遅れだった日本の金融政策は、やっと世界標準に追いついた。日本の実績を見たバーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長も、いよいよインフレ目標採用に踏み切るといううわさである。
結果として日本のインフレ目標は、目標値を政府と協議する英国型に近いものになった。日銀の「展望」は目標値を明示するインフレーション・リポートへと変わった。目標の実現には一定の幅が許容され、中央銀行の裁量は最善の形で保証された。
インフレ目標採用で、量的緩和解除はそれこそ技術的な問題になった。ただし、インフレ目標の核心は、中央銀行が将来の経済動向を予測しながら金融政策を運営するところにある。振り返れば、日銀の発行するベースマネーや04年後半から大きな減速傾向にあり、このまま続けば、06年にはデフレに再突入する危険すらあった。先を見る政策運用という観点から日銀は量的緩和解除を延期した。
不満の声がなかったわけではない。例えば量的緩和解除を織り込んでしまった市場関係者。総裁自身が「期待を織り込まないように」と警告していたのだから、自己責任としかいいようがない。あるいは独立性をはき違えた日銀至上主義者。しかし、先を見る政策の眼目はダウンサイドリスクを冷静に計算することだ。量的緩和解除によるデフレ再突入の危険性を考慮すれば、今ごろは日銀法が再改正されていたかもしれない。
06年中は、総裁の本音は量的緩和解除だったとの観測が根強かった。だが、政策担当者に問われるのは彼の本音や願望ではなく、実際に何をなしたかという結果責任だ。福井氏はデフレ脱却の道を確実にした名総裁として歴史に名を残すだろうと、もっぱらの評判である・・・。
ここで初夢から覚めた。もう少し続きを、つまり安定成長に入った日本経済の姿を見たかったのだが。(カトー)
「こんな初夢を見た」@日経・大機小機(1/12付)
内容について異存がないことは否定しませんが、webmasterではありませんよ、これの筆者は(笑)。
なんでいままで本格的に言及されてなかったのだろうか。僕自身もすべての単行本を読んでいたにもかかわらずまったく失念してしまっていた。 1 戦前の世界恐慌期の大停滞は「金の足かせ」による貨幣の大縮小が原因 2 1はつまりは金融政策の失敗による現象 3 ケイン
小西論説の
> 地方交付税の簡素化は必要だが、そこには複雑にすることでお手盛りを可能にし、地方交付税の拡大を許してきたという一種の官僚不信が見え隠れする。
実際にお手盛りしてきたことは、自治官僚なら知っているはずです。
大変失礼を致しました。筆者としてちょっと期待したのですが、残念です(笑)。
>ダニアンさん
例えば次の記事を見れば、算定式を竹中懇談会流に人口・面積基準に簡素化しても、総額の抑制ではなく分配の割合にのみ影響を与えることがわかると思います。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200605180015.html
>本石町日記さん
失礼だなんてことは全くありませんが、どういう種類の期待を寄せられていたのかは全く腑に落ちません(笑)。