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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2006-08-28

[economy][book]コルナイ・ヤーノシュ「コルナイ・ヤーノシュ自伝」

諸所で評判の高い本書ですが、噂にたがわぬ面白さです。ハードカバー、2段組、400ページ超、と手に取るのをたじろがせること請け合いの本書ではありますが、多くの人が推薦するのも納得です。

コルナイはハンガリー生まれの経済学者ですが、ハンガリーという社会主義国において(いわゆる近代)経済学を修め、その手法を用いて社会主義が理想状態においては完全競争市場に匹敵し得ることを示し、しかしながら理想状態への埋めがたい距離をもまた見出したという稀有な業績を残しています。社会主義体制崩壊後には中央銀行での金融政策運営にも携わるなどしたわけですが、その点は日本よりも進んでいr(ry

本書を魅力的足らしめている大きな要因としては、ハンガリーの社会主義体制、さらにはマルクス主義全般に対する極めて根源的な批判をなす著者にして、感情的な非難はほとんどなされていないという点でしょう。とりわけ秘密警察の活動については、社会主義体制下においていかなる監視が行われていたかがわかる時点において書かれただけに、嫌悪感に基づく否定的評価が自然であるはずです。にもかかわらず、それもまた人の性として、あるいはそれもまた愛すべき祖国の一面であると認識してか、抑制した筆致で描かれているため、批判の持つ説得力が増さざるを得ません。

コルナイの業績の一つにして本書においてもかなりの紙幅を割かれているものとしてソフトな予算制約がありますが、webmasterの仕事柄、また、特殊法人等をめぐる議論においてよく見られることもあり、本書の中でもっとも注目を浴びる部分のように思われます。多くの人においては、なるほどソフトな予算制約は問題だ、特殊法人等は廃止すべき、というように受け止められるのかもしれません。webmasterは逆に、

  • ソフトな予算制約が問題であるのはマーケットメカニズムの機能を減殺する点にあり、政府がソフトな予算制約に服するのが問題なのではなく(それは不可避なので)、ソフトな予算制約に服するセクターの国民経済に対するシェアが問題視されるべきであること、
  • 予算制約がソフトであるのかハードであるのかは程度の問題であって、オールオアナッシングで考えるべきではないこと(そもそもソフト・ハードの対であって、有無の対ではないこと)、

からすれば、今の日本でのソフトな予算制約の語られようは、少し乱暴に過ぎるように受け止めました。

この他、余談的な部分ではありますが、webmasterにとって印象深かったのは次のような点です。

  • ミクロ的基礎付けの「窮屈さ」(p237)
  • 中国に対する好意的評価(p388など)

前者については、リフレ政策について時折なされるミクロ的基礎付けのなさとの批判に、一理も二理も認めつつもそれで全否定というのは、という気分が、webmasterのような素人だけの思いではないのね(笑)、とほっとした部分です。後者については、中国が社会主義国であるというだけで全否定するかの評価は乱暴だなと、そのマクロ政策を(日本のそれよりも(笑))評価する身としては、これまたほっとした部分です(コルナイはマクロ政策よりも制度的な対応を評価していますが、にしても指導部の経済学に対する造詣を見て取る点においては類似しているように思います)。

理論的な話については丁寧な説明がなされているので、経済学者としてのコルナイに興味がなくとも、ハンガリー現代史の一資料として、あるいは社会主義体制下における学問研究のあり方についての証言としても楽しく読める一冊です。経済学に関する本だからといって手に取るのをためらっていらっしゃる方がいるなら、騙されたと思って是非。

本日のツッコミ(全30件) [ツッコミを入れる]
梶ピエール (2006-08-30 00:54)

>中国に対する好意的評価(p388など)

 まあ中国の経済学界でコルナイはほとんど一種の「教祖」のような存在でしたから、祭り上げられた本人としても中国に対して決して悪い印象は持たなかったのでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20060726
 もう少し真面目なことをいいますと、コルナイ理論の中国の現実への当てはめというと、一時期までは「ソフトな予算制約」の精緻化をおこなったチエン・インイーやその同僚であるジェラルド・ローランドらの研究に代表されるように、「地方間の競争」の役割を強調するものが有力でした。つまり「中国は確かに国有企業も存在するが、実質的に地方所有の企業も多い。それらは外資の誘致や政府資金の割り当てをめぐってお互いに競争するので、国有企業と違いソフトな予算制約に陥らない」というロジックです。しかし、格差の拡大、バブルや汚職の発生など地方主導型の経済発展が限界を見せるに従い、最近ではむしろ「ソフトな予算制約の根本的な退治にはやはり所有権改革が不可欠だ」という文脈で言及されることが多いような気がします。
 ただ、私としては、これまでの中国で企業改革が遅れているのにもかかわらず「ソフトな予算制約」の問題がそれほど顕在化しなかったのは、中国がコルナイが想定していた東欧の経済状況に比べ圧倒的に農業主体の経済構造であったため、「ソフトな予算政策」が存在していたにしても、農業→工業というよりダイナミックな経済発展の動きに隠れてあまり目立たなかっただけではないかという気がしています。まあこれだと「中国がうまくいったのは実はコルナイの理論が当てはまらないからだ」という皮肉な結論になるわけですが。

bewaad (2006-08-30 08:11)

>梶ピエールさん
ミクロな中国事情には詳しくないのですが、真にソフトな予算制約が問題であるなら、不良債権問題が言挙げされたりはしないのではないでしょうか。債務者の予算制約がソフトなら、債権がそもそも不良とは認識されないはずですから、その程度にはハード化されているのかな、と。

ちなみにエントリの補足でご指摘の部分、冒頭の凡例を見る限り、英語読みの発音に倣っているのではないでしょうか。中国人以外でも、例えばリバタリアンのノージックという定訳に対して、リベルタリアンのノズィックという表記がされていて、訳者の個人的美学をとやかくいう気もありませんが、不便を強いていることの自覚がどの程度あるのかな、と。

小僧 (2006-08-30 21:40)

8/5 の朝日新聞朝刊に投稿された盛田先生の文章を結論だけ引用させていただきます。

---
「ス」と「シ」の音の無分別は、日本人の外国語能力の評判を落としている原因の一つだ。
名前を間違って発声されて気にならない人はいない。だから現在では原語の発声になるべく忠実に人名を表記するのが世界標準だ。これにならえば前サッカー日本代表監督 Zico は「ジーコ」でなく、「ズィーコー」または「ズィッコ」とすべきで、新代表監督に決まった Ivica Osim は「揖斐茶・惜しむ」でなく、「イヴィツァ・オスィム」である。
発声に近い表記をとると常用表記からはずれたり、1文字で済むところが2文字になったりする。しかし国際化時代の日本人の語学力向上のためにも、まずカタカナの慣用表記の見直しが先決ではないか。外来語や人名のカタカナ表記に、もっと繊細でありたい。

鍋象 (2006-08-30 22:51)

>小僧さん
該当する音素が無い場合の発音の丸めはどの国でもありますよね。日本の場合、その言葉の母国語読みにするのか英語読みにするのかでカタカナ表記が混乱するケースも結構ありますが、今回はそれかなと。

しかし、該当記事は朝日らしい詭弁だなぁ。
そもそも外人さんの話す日本語だって出身国によって色が出てくるわけで、そういうのを面白がって馬鹿にするのはそれぞれの国で精神年齢の低い人達がする事なわけで。この人の指摘って、、馬鹿にして喜んでいる精神年齢の低い人と同類じゃないかと思ったりして。
日本人の語学能力の問題は、むしろモジモジして話そうとしない、遠慮して自分の意思を伝えようとしないという文化面にあるわけで、言語面で怪しいからこそニュアンスを捨てて箇条書き口調にすべきなんです。それなのに、こんなの真に受けちゃったら恥じの文化を持つ僕らは余計もじもじしちゃうわけで。

言葉自体は手段に過ぎず、何だろうと伝わればよいと。こんな配慮する暇があったら、意見をちゃんと言えと。そういう意味では、東南アジアの連中とか発音も文法も滅茶苦茶だけど、ちゃんと英語で商談しちゃってるぞと(^^;

P.S.
そもそも言語は、長く使われれば使われるほど、音素が減って活用が減って単純化していくものですから、音素数が少ない日本語を誇っても良いのではないかなと(冗談

梶ピエール (2006-08-30 22:55)

中国語の不良債権問題についてはできれば以下のやり取りをご参照いただきたく。
http://d.hatena.ne.jp/ryozo18/20060206
http://d.hatena.ne.jp/ryozo18/20060215
 私自身の見解はコメント欄に記したとおりです。

 あと中国語人名についてですが、私のエントリでりえたん氏も触れているように中国語では'gang'とかの最後のgは絶対発音しませんしリエゾンもしません。アメリカで中国人の名前が呼ばれるときもこれは同じです。中国人あるいは中国研究者にちょっと聞けばわかることなので、やはり残念です。

梶ピエール (2006-08-30 22:56)

訂正:
中国語の不良債権問題→中国の不良債権問題

bewaad (2006-08-31 03:28)

>小僧さん
シミュレーションをスィミュレーションと書くような部分については、それも訳者の判断かと思うのですが、こと固有名詞(とりわけ文献参照などがあり得る学者名)については、通例があるならそれに倣うというのも見識であるように思います。

#個人的にはシとスィより長音と二重母音の混同の方がよりネイティヴには通じづらいと思うので、そこまでやるなら「スィミュレイション」だろ、とは思いますが。

bewaad (2006-08-31 03:34)

>鍋象さん
東南アジア人の度胸のよさ以上に、イングリッシュ・ネイティヴに向かってドイツ人が、「"I've had my wallet stolen."はおかしい。主語がIなのだから、walletにmyをつけるのはredundantであり、"I've had the wallet stolen."であるべきだ」とか言っているのを聞いたときには、めっちゃ笑ってしまいました。

bewaad (2006-08-31 03:46)

>梶ピエールさん
ryozo18さんのエントリへのコメントのとおりであるとすれば、国営企業の予算制約は相対的にハードであっても(ここは私と認識が同じであると思います)、金融機関の予算制約が相対的にソフトである、ということではないかと理解しました。

ここで金融機関の予算制約が相対的にソフトであることが問題であるかどうかですが、不良債権を断固として処理すべしとして政府管轄に入ったのであれば、エントリで書いたように政府は本質的にソフトな予算制約に服さざるを得ないのですから、害は軽いのではないかと思います。問題が生ずるとすれば、不良債権を処理してもなお政府直営を続け、金融機関の予算制約がソフトであり続ける場合なのかな、と思います。

小僧 (2006-08-31 22:45)

悔し紛れの冗談:
上の文は訳者の盛田先生の投稿を参考に供するものとして引用したものです。私の考えとは違いますが、と書いておけば良かったのかな :-|
#特に最後は冗談ですから真に受けないでください。

小僧 (2006-08-31 23:36)

私の考えは「国際標準」とかでいじったらまた混乱が...です。

鍋象 (2006-09-01 00:28)

>bewaadさん
さすがドイツ人(笑)

>小僧さん
こちらこそ場違いレスすんません。この手の意地悪な癖に偉そうで無責任な物言いが大嫌いなのでついつい釣られてしまいましたorz

というわけで口直しに一つ。競走馬の血統に出てくる超有名馬にDanzigという馬がいます。これのカタカナ表記は日本メディアにおいてどうなっているでしょうか?

梶ピエール (2006-09-01 02:03)

>国営企業の予算制約は相対的にハードであっても(ここは私と認識が同じであると思います)、金融機関の予算制約が相対的にソフトである、ということではないかと理解しました。

 これは時代により状況が変わってきます。80年代には国有企業も金融機関もともに予算制約はかなりソフトであり、効率の低い貸出がジャブジャブと行われたためたびたび高いインフレに見舞われ、同時に不良債権も急激に増えました。
 朱鎔基が改革に乗り出す90年代後半以降は、一部の優良国有企業については予算制約は基本的にハード化しました。一方、地域の雇用創出のために効率性が低くても残さざるを得ない国有企業も依然として存在しますが、これらの企業はもはや「死に体」ですので、これらがあらたな不良債権発生の原因となる心配はあまりないと思います。
 それに対しておっしゃるように金融機関の予算の規律付けは依然として十分ではなく、特に朱鎔基が退陣した2002年以降は、よく知られているように金融機関が地方政府および開発業者と結託して不動産開発に多額の融資をつぎ込む、というケースが多発するようになっています。ただ、今のところ全体の不良債権のうち近年の不動産融資によるものの比率はそれほど多くないと思いますが。

>不良債権を断固として処理すべしとして政府管轄に入ったのであれば、エントリで書いたように政府は本質的にソフトな予算制約に服さざるを得ないのですから、害は軽いのではないかと思います。問題が生ずるとすれば、不良債権を処理してもなお政府直営を続け、金融機関の予算制約がソフトであり続ける場合

 基本的に仰るとおりかと思います。政府としては金融機関の株式化を目標に不良債権処理を進めているので、その前に不動産バブルがひどい形ではじけることさえなければ、不良債権問題自体はそれほど深刻ではないと私も考えています。

bewaad (2006-09-01 08:41)

>小僧さん
どなたの意見かを見落としてました(笑)。

個人的には、外国語の発音をきちんと日本語で表記するには限界があるので(典型的にはl音とr音)、最後は決めの問題なのだと理解してます。

bewaad (2006-09-01 08:44)

>鍋象さん
ぐぐってみましたが、予想通り原語派と英語派で分かれているようですねぇ(個人的には、この場合は英語読みが妥当だと思います)。以前取り上げたAjaxの読み方だと、何の固有名詞かで使い分けるべきであるようですが。

bewaad (2006-09-01 08:46)

>梶ピエールさん
一点疑問なのですが、
>80年代には国有企業も金融機関もともに予算制約はかなりソフトであり、効率の低い貸出がジャブジャブと行われたためたびたび高いインフレに見舞われ、同時に不良債権も急激に増えました。
国有企業がソフトな予算制約に服しているなら、基本的に返済が滞ることも少ないと思うのですが、この場合の「不良債権」の定義はどのようなものなのでしょうか?

梶ピエール (2006-09-01 10:50)

>国有企業がソフトな予算制約に服しているなら、基本的に返済が滞ることも少ないと思うのですが、この場合の「不良債権」の定義はどのようなものなのでしょうか?

 ああそうか。bewaadさんのイメージされている「予算制約がソフトな国有企業」というのは恐らく企業の負債を政府が財政資金で肩代わりしてくれる、というものではないかと思います。このような政府財政による企業赤字の補填は制度的には80年代半ばに終焉しています。
 しかし、その後も国有企業がソフトな予算制約に服するという事態は90年代まで変わりませんでした。政府財政に換わり国有銀行(特にその地方支店)が予算制約のソフトな資金の供給源になっただけだったからです。
 このように、企業の予算制約のハード化を目指して行われた改革が不十分だった(財政のツケを金融にまわしただけ)ため、80年代半ば以降金融機関の不良債権は急激に増加し、しばしば高インフレにみまわれることになったわけです。ちなみにこれは天安門事件発生の背景でもあります。

Baatarism (2006-09-01 11:03)

>ちなみにこれは天安門事件発生の背景でもあります。

(^^)ノ凸 ヘーヘーヘー♪
やはり大衆運動の影には経済的な不満があるんですね。

bewaad (2006-09-02 07:22)

>梶ピエールさん
といいますか、統計上の不良債権の定義ですね。一般に不良債権は、
(1)客観的基準(破綻先、延滞、金利減免等)
→追い貸しをすれば、破綻先はともかくそれ以外は不良債権とは認識されなくなってしまいますが、国有企業がソフトな予算制約を支えている=追い貸しだとすれば、不良債権は破綻先のみということなのでしょうか?
(2)主観的基準(金融機関の査定)
→国有銀行がまともに査定しているのでしょうか?
ということになりますが、いずれを用いた統計で、それぞれに書いたような問題にはどのような対応がなされているのかな、と。

言い換えますと、「企業の予算制約のハード化を目指して行われた改革が不十分だった(財政のツケを金融にまわしただけ)ため、80年代半ば以降金融機関の不良債権は急激に増加」というのが、何らかの実質を推計したものなら理解はできるのですが、公表ベースでそうであるなら、どういう類の計数なのかな、と。

bewaad (2006-09-02 07:23)

>Baatarismさん
それを教訓として政策運営に反映させた共産党指導部、輸入できないですかねぇ(笑)。

梶ピエール (2006-09-02 12:27)

>(1)客観的基準(破綻先、延滞、金利減免等)
>(2)主観的基準(金融機関の査定)
 基本的に(2)だといっていいと思います。その主観的基準に基づく不良債権額の推定も政府が不良債権問題に取り組み始めた98年になってようやく出されるようになった数字で、それまでは「返してもらえなさそうな貸付がいっぱいあるなあ」という「実態」があっただけだと考えられます。
ですから
>国有銀行がまともに査定しているのでしょうか?
 という疑問は誠にその通りで、これまでにも不良債権額推計やその査定基準の妥当性についてはさまざまな問題点が指摘されています。これについては例えば以下の文献などが詳しいかと思います。
http://rio.andrew.ac.jp/cms/03ppnishizaki.pdf

鍋象 (2006-09-02 17:05)

>bewaadさん
個人的には原語派です(^^;

ところで中国の不良債権問題って、効率性の問題なのでしょうか?中国では、経理は支払いを遅らせたほど支払わずに済ませたほど優秀な人物だと評価されます。「客から入金が無いから、俺もお前に払えない」という言い訳は、極普通に行われています。

日本は手形・小切手の不渡りで官報に記載されて2回で銀行取引停止という信用状の罰を受け、この時点で事実上倒産しますが、中国をはじめとする東南アジアでは銀行は与信になんら責任を負いませんので、お金が払えないからといって倒産しません。僕は、この方が影響が大きいんじゃないかと思います。

会計的に言うと、あんまりにも金額が膨大なので入金してもらえる売掛金と破綻先との区別がつかない点。そして支払いが起こせるように不要不急の支出を止めるように人員整理をしたいけど国営企業ではなかなか進まないという問題はあると思いますが。

ちなみに、今日は大連から書き込んでいます(^^;

梶ピエール (2006-09-02 23:06)

>鍋象さん、
 確かに、「金を貸すバカ、返すバカ」ともいわれる企業間の債務滞納(三角債)の問題は中国の企業間取引において一般的に見られる現象ですし、金融機関の不良債権問題とも根は同じところにあるといえるかもしれません。ただ、債務の延滞などの現象は企業や債務の性質によってかなり大きく左右されるようです。一般的に売掛金の延滞などは大規模の国有企業ほど(優良企業であっても)ひどいようです。また中小の民営企業はまだ銀行融資を受けること自体が難しいと言う状況にあるようです。
 また、国有銀行を中心とした金融機関の不良債権の問題は、経済全体に与える影響という点で企業間信用より重要な意味を持っているのは確かでしょう。政府がこれを看過できないという態度を一貫してとっているのも、以下のようなマクロ上の問題点が存在するからだと思います。

1. 企業とは異なり、金融機関は国民から広く集めた預金を資金源に融資を行っているので、不良債権問題が深刻化することは金融システム全体の不安定化をもたらす。
2. 不良債権化しかねないようなルースな貸出しが中央銀行からの再貸出しでファイナンスされるような状態が続くと、マネーサプライが過剰になり、高インフレをもたらす(これは80年代に生じた現象)。
3. 金融機関にハードな予算制約が働かない限り、金利の操作を通じた金融のマクロコントロールがいつまでたっても機能しない。

鍋象 (2006-09-03 00:47)

>梶ピエールさん
そうですね。企業間信用のみならず銀行の信用が薄れているのは問題だと思います。というか、こういう問題は発展途上国に普遍の問題ではないかなと思ったりします。

中国に限らず、タイなんかでも聞くのですが、ちょっとお金が手に入ると速攻で貴金属にしてしまうそうです。この話、彼らは戦乱の記憶が生々しいので財産を必ず持ち出せるところに置くと日本にいた間は聞かされてきましたが、冷静に考えると戦乱の記憶は日本と時期的に大差ないし、現地の人に聞くと単純に「銀行が信用できないから」という理由で貴金属類の購入に走っているようです。

というわけで、僕が得たのはマクロ経済政策の効果云々以前の、国の金融システムの不備・不信に関する印象でした。この辺になると開発経済学の領分なのかな。

実は予算制約におけるハード・ソフトの意味が理解できていないので、もしかしたら頓珍漢な事を言っているのかも知れませんが、これは貸し手の予算制約ではなく、返済義務の履行と返済できない場合の罰則という当たり前のことを軽視しているところに問題があるのではないかと思います。

宮嶋陽人 (2006-09-03 01:01)

いささか乗り遅れた話題ではあるのですが、サッカー選手のDidier Drogbaにおいて、gbaは「グバ」じゃないので「ドロバ」が原語に近い、と言われても、日本語の音韻にしたらねえ、悩ましいところです。マラソン選手のCatherine Nderebaも多分「ンデレバ」って書くのかなあ、とは思ってるのですが。
サッカーで言えば、一昔前はRuud Gullitのことがあり、今でもブラジル人のRをいちいちハ行表記にしてホナウドだのホナウジーニョだの書くのも嫌味ったらしいし格好悪いし、でもそれって格闘技のグレイシー一族じゃ別に変でもなんでもないんですよねえ。この辺、音韻の与える心理的な影響と合わせて、不思議だなあと思っています。
競馬だと、1997年のジャパンカップを勝ったPilsudskiが、JRAによってピルサドスキーと表記され、えらく不評を買ったことがあります。どうせどう表記しようが原語には近づかないのだからとうるさいことはあまり言いたくなかったのですが、さすがにこれはピウスツキに失礼だろうと思った次第。

bewaad (2006-09-03 19:51)

>梶ピエールさん
ご教示ありがとうございます。まずは把握から、という前進的改革の途上なのでしょうけれど、ここでも以前お話のあったような人民銀行vs党という対立があるのでしょうねぇ。

結局はきちんとした金融機関運営をすることができる経営陣への刷新ができるかどうかなのでしょうけれど、そうした人事(ガバナンス)を許さない党幹部は、おそらくは地方へ行くほど多いのでしょうし、さらには地方をどう党中央がグリップするかもまたそうなのでしょう。

その意味では、地方への統制を強化するという方向であれば、人民銀行と党は連携できるのかもしれませんね。

bewaad (2006-09-03 19:56)

>鍋象さん
私が英語派なのはそれがアメリカの馬だからで、ちょっと前のAjaxの読みについての失敗が重くのしかかってます(笑)。

中国の企業の行動は、やっぱりマクロ的に効率を低下させているのでしょう。つまりは各経済主体が過度に手許流動性を厚くし、各種のリスクヘッジにコストを費やさざるを得なくなっているのですから。

おそらくは、ソーシャルキャピタル論と同じ文脈で議論ができるのかな、と思ってます。

bewaad (2006-09-03 20:01)

>宮嶋陽人さん
「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」の頃からの古くて新しい問題ですからねぇ(笑)。カナと言語綴りの併記がもっとも無難ではないかと思うものの、これも英語圏その他のヨーロッパ語圏を主として念頭に置いてのものとならざるを得ず、例えばアラビア語を併記することにどこまで意義があるのかと思うと悩ましいところです。

鍋象 (2006-09-05 02:24)

>bewaadさん
ところがどっこい各経済主体は過剰流動性をあんまり持っていないようなんですよ。だから不良債権問題なわけで。払わなければそれでOKという感覚なんです。だから年収の何倍もする車を買っちゃったりするんです。ルールが違うとしか言いようがありません。

マクロ効率の低下の話は結果として生じる現象ですよね。僕はどちらかというと原因系の方に興味がありまして、何故国によってこうも違うのかというのを向こうに行ってみて、半径50mの感覚で思うのです。

ソーシャルキャピタル論って開発経済学とかの用語じゃない一般的な話でよいんですね。「個々人の社会への帰属意識に基づく協調&ルールの遵守」を社会的資本の蓄積と捉えるなら、まあ、そういう感じかなぁと思います。だからどうという話にもならないのですが。

P.S.
ちなみに、今回の出張中はインフルエンザ様の症状を発症して、到着翌日から出国の前日夜までほとんど寝てました(^^;。潜伏期間的に、鶏でもSARSでもなく日本で拾っていったもののようです。何しに行ったんだろうと・・・orz

bewaad (2006-09-05 03:28)

>鍋象さん
手許流動性という言い方は不正確でした。ごめんなさい。念頭にあったのは、先のコメントで例示いただいた貴金属みたいなもので、つまりは遊休資産ないし不稼動資産として保有されている部分が多いという意味です。そうした資産保有が多ければ多いほど、全体としての資源配分の効率性は損なわれてしまうわけで。

原因系は私がまるで役に立てないので、マクロの話にしているのは、いただいた情報に何とか付加価値をつけられないかとあれこれこねくり回しているだけです。読み飛ばしていただいてもちっともかまわないです。

ソーシャルキャピタル論は、今の私の認識では、現状分析の一助というものに過ぎず、あまり政策提言に使えるものではないなぁ、と。所得が上がれば向上するという仮説もあり、それにより総需要管理政策等のサポートができもしますが、それがなければ総需要管理政策の有効性が説明できないわけでなしとも。

とりあえずお体には大事ないようでなによりです。寝てなかったら鳥インフルエンザかSARSをもらっていたかもしれないと割り切って、バランタイン30年でも飲んで忘れてしまいましょう(笑)。


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