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2006-09-13
■ [economy][BOJ][government][book]上川龍之進「経済政策の政治学」
かみぽこさんご推薦の一冊です。バブル生成期の日銀の金融政策・同崩壊期の大蔵省の金融行政について、現実に採用された方針がかくあったのはいかなる理由によるものか、というものがテーマになっています。著者は政治学者であり、バブル及びその崩壊そのものの評価は経済学者の分析に譲るとして、具体的には吉川洋先生のものを採用しています。
いわく、バブルそのものが「失われた1X年」の原因であり、その後始末のまずさが傷をより深いものとした、というあらすじになります。バブルそのものよりも、それを無理やりつぶし、さらにはその後も十分な金融緩和を行わずデフレを長きに渡り生じせしめたことが問題であると考えるwebmasterからすると、この前提自体に対して疑義を持たざるを得ませんが、そこは本書においては所与のものであるとして、この点についての議論はここでは割愛したいと思います。
#本書においてもwebmasterのような(といいますか、岩田規久男先生その他の)主張は紹介されていますが、1990年代を通じて実質利子率が高止まりしていたならば、なぜ95年から96年にかけて設備投資が回復し、96年には比較的高い経済成長が実現されたのかについては、疑問が残る
(p35)、バブルとは実体のないものであり、人々の経済への強気の期待がなくなれば、必然的に崩壊すると考えられる。(略。日銀の引締めや大蔵省の総量規制という)そうした政策が実施されなくても、いずれバブルは崩壊したであろう。(略)バブル潰しの金融政策よりは、やはりバブルを発生させた金融政策の方が問題であった
(pp35,36)というのが、それに対する著者の認識だということです。
本書の前半で展開される日銀論、とりわけその独立性に関する検討は、非常に興味深いものです。よくあるバブル生成期における金融緩和についての理解では、プラザ合意後の円高不況への対処として、「増税なき財政再建」を掲げていた大蔵省が財政政策を用いることを嫌ったがゆえに、日銀に対して圧力をかけて金融緩和を継続させた、というものでしょう。この理解の前提となるのは、日銀は大蔵省や、ひいては円高不況対策を求める政治その他による圧力に抗し切れなかった、という低いな独立性です。
これに対して著者が提示する魅力的な対抗仮説が、日銀は十分に独立性を有していた、というものです。通常、現行日銀法への改正前においては日銀の独立性は低かったとされ、その根拠としては政府(大蔵省)が有する一般監督権や業務命令権、総裁の解任権等が挙げられていました。また、有力政治家による次のような「圧力」もまたその証拠とされています。
- 1989年12月に、橋本大蔵大臣(当時)がスクープされた公定歩合引上げに対して「事務方に白紙に戻してこいと言ってある」と発言。
- 1992年2月に、金丸自民党副総裁(当時)が公定歩合を下げるべきだとし、「首相の言うことを聞かない日銀総裁は、首を切ってでも下げるべきだ」と発言。
しかしながら、著者が丁寧に検証しているように、政府の旧日銀法に基づく各種権限は行使されたことがなく、行政指導に相当する大蔵省の各種要請についても、日銀は多くの場合においてそれにとらわれず金融政策を決定してきました。行政の現場にいるwebmasterの実感としても、法律に書いてあるからと言って世の中がそのとおりになるなんてことはあり得ず、きちんと実現できるだけの体制整備や世間的認知があってはじめて実効性を有するというのは納得です。わかりやすい例を出すなら、制限速度ってどの程度守られてますか、ということ。
有力政治家の「圧力」にしても、そもそも独立性が低いならわざわざ物議をかもすこうした公の発言によることなく裏でやればいい話で、それができなかったからこそ、かくもおおっぴらにやらざるを得なかったということになります。結果を見れば、こうした「圧力」は厳しい批判を浴び、以後金融政策に対する政治家の手足はますます縛られることとなりました‐実際のところは、負け犬の遠吠えであったわけです。
では独立性の高い日銀がなぜバブル生成期において金融引締めへの転換が遅れたのか、著者の分析は次のとおりです。
これらの事実を考え合わせると、この時期において公定歩合が引き上げられなかった主たる原因は、確かに三重野の総裁昇格に関する外部からの政治的な圧力は存在したものの、外部アクターが影響力を行使したことにあるのではなく、ドル暴落へのおそれが強かったこと、日本銀行の資産インフレに対する認識が不十分であったこと、さらに物価が安定している状況では、日本銀行としては公定歩合引き上げを行う積極的理由を持たなかったことという3つの理由から、日本銀行自体が公定歩合引き上げという政策判断に踏み切れなかったことにあると言えよう。そしてこのことは、1989年5月の公定歩合引き上げの過程を検証することで、より明確になる。
p164
にもかかわらず、なぜ日本銀行は公定歩合引き上げにこだわったのであろうか。その原因としては、日本の景気拡大によりアメリカの対日貿易赤字が減少したことや、ブッシュ政権によるドル高政策のため円安が進展し、ドル暴落の危険性が消失したこと、さらにこれが最も重要な点であるが、物価上昇の気配が生じてきたことが挙げられる。要するに、1988年には物価上昇の徴候がまったくなかったために公定歩合は引き上げられなかったが、89年になると、その徴候がほんのわずかながら生じてきたと考えられたため、日本銀行は公定歩合の引き上げに踏み切ったのである。この日本銀行の行動は、物価安定を最優先とするその政策指向と一致している。つまり、日本銀行は物価安定という目標に関しては、バブル期においても一貫して自立的な政策運営を行ってきたのである。
p167
この分析の弱点は、1989年の「物価上昇の徴候」とは、消費税の導入及びそれに伴う便乗値上げ懸念だということです(p166)。消費税導入はあくまで一時的な事象に過ぎず、継続的な物価上昇につながるものではありませんから、それを金融政策の決定要因とするのはおかしな話です(どこまで著者が自覚的かはわかりませんが、日本銀行も、消費税導入による物価上昇圧力を口実に公定歩合を引き上げる姿勢を見せていた
(p166)(webmaster注:強調はwebmasterによります)という記述があります。
それよりはむしろ、円高シンドロームによるものであろうというのがwebmasterの見方です(円高シンドロームについては、かつて取り上げたことがありますので、ご関心の向きはそちらをご覧下さい)。いみじくも引用部にあるように、1988年は「ドル暴落へのおそれが強」く(つまりは円高傾向)、他方で1989年は「ドル高政策のために円安が進展し」ていたわけです。加えてこの時期は、単に円高で金融を緩和する余裕があったというにとどまらず、ベーカーは選挙対策としてアメリカ国内で利下げを望んでいた。これに対しボルカーは、ドル暴落を恐れて、日本との協調利下げを望んだ
(p151)状況にあり、金融緩和はアメリカの要望そのものであったわけです。
このように日銀の金融政策の失敗に関しては、独立性については賛成、金融政策そのものについては反対というのがwebmasterの見解ですが、他方で大蔵省の金融行政の失敗に関しては、ほぼすべてにおいて反対ということになります。著者の金融行政の失敗についての見立ては、不良債権問題が深刻であるにもかかわらず組織防衛のため隠蔽し先送った、というものですが、果たして本当にそうなのでしょうか?
隠蔽というからには、大蔵省は不良債権問題が極めて深刻であることを知っていたことが前提となります。本書で隠蔽の実例として挙げられているのは、
- 1996年11月に行われた、中小金融機関が一気に不良債権を処理した場合には、合計すると最大で1兆円弱の債務超過となるシミュレーション(p261)
- 1998年1月に、それまでの公表不良債権額21.7兆円のほか、大蔵省が橋本総理(当時)に伝えた分類債権額76.7兆円(p262)
の2つです。
前者については、預金保険機構が金銭贈与をした額18.6兆円のうち、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の大手3行に対するものは8兆円程度でしかなく、約10兆円は中小金融機関に費やされたとの実績(本年3月末現在)に比べれば、いかにも過少見積りです。後者については、定義が違う数字を並べただけで、いずれも同じ状態を表しているものですから、隠蔽というには語弊があります(端的には、損失見込みはいずれをとっても同じものになります)。
前者の見込み違いからすれば、大蔵省はわかっていて隠蔽したわけではなく、わかっていなかったのだという理解が自然でしょう。といっても、おそらく1996年11月という時点ではそれほど大きく外していたわけではなく、97年の三洋証券の破綻に際して発生した無担コールのデフォルト、そしてその頃から深刻化したデフレの影響を過小評価していたということでしょう。無担コールのデフォルトが回避でき急激な信用収縮が生じなければ、そしてデフレから早期に脱却できていれば、このシミュレーションはそれなりに当たっていたのではないでしょうか。
こうした大蔵省の見込み違いについて、著者は次のように採用しない理由を述べます。
大蔵省が消費税率の引き上げに固執し続けたという事実からして、1990年代には大蔵省は、地価や株価が回復すれば金融問題は解決するという「甘い期待」を持っていたという説も棄却できる。なぜなら大蔵省は、財政赤字に関しては将来の景気回復と、それに伴う自然増収によって問題は解決されるという立場をとらなかったからである。
大蔵省は将来における財源不足の深刻化を恐れ、短期的には大蔵省への批判を高めることになるにもかかわらず、消費税率の引き上げを実施するため政治家に対し必死の説得活動を行った。しかしその一方で、不良債権問題に関しては、それを放置しておけば一層問題が深刻化する可能性が高かったにもかかわらず、将来の地価の値上がりという不確実な希望的観測に期待をかけて何もしなかったというのは、論理的に整合性のある説明だとは思えない。
(略)
なぜ大蔵省は、財政赤字に関してはその将来を悲観的にとらえ、最悪の事態に備えようとしたのに、不良債権問題については最悪の事態に備えようとはしなかったのであろうか。
pp196,197
しかし、著者とは異なる考え方を持ち込むなら、「論理的に整合性のある説明」は可能です。最たるものはデフレの影響を過小評価していたのはいずれも同じというもので、消費税率を引き上げても大丈夫なぐらいに、そして不良債権問題の過半は自然治癒が可能であると考えられるぐらいに、景気の見通しは良好であると認識していたならば、両者に齟齬は生じません。不良債権問題について読みが外れたのみならず、景気悪化により財政構造改革法の放棄を迫られたわけですから、財政政策・金融行政運営のいずれにおいても、大蔵省は同じ向きの失敗を犯したのが実態です。
また、昨今の動向を見るなら、景気回復により金融機関の不良債権問題が解消したにもかかわらず、そして税収が覿面に回復してきているにもかかわらず、財務省は増税・歳出削減の必要性を執拗に訴えています。これは、景気が回復するなら不良債権は解消すると予想することに合理性があることを示しているのみならず、「将来の景気回復と、それに伴う自然増収」があってなお、財務省は財政赤字に関して「問題は解決されるという立場をとらな」いこともまた示しています。
著者による「なぜ大蔵省は、財政赤字に関してはその将来を悲観的にとらえ、最悪の事態に備えようとしたのに、不良債権問題については最悪の事態に備えようとはしなかったのであろうか」との問いかけに対する答えとしては、組織防衛のための隠蔽・先送りではなく、財政赤字についても最悪の事態には備えていなかったのだ、という答えが正しいのではないかとwebmasterは思うのです。
バブルはいつか崩壊するからバブルつぶしは問題ないという意見はよく見かけますが、なぜそういう結論が導き出されるのかわかりませんね。人間はいつか死ぬから今殺しても問題ないというのと同じくらいばかげてると思います。好景気を長引かせることこそが腕の見せ所だと思うんですが。
それに崩壊するとしても善後策しだいで被害の規模に差が出てくるわけで、根拠なき熱狂といわれてITバブルが崩壊しても経済政策を総動員して短期で底打ちさせたアメリカを見習ってほしいもんです。
95年から96年にかけて景気が回復傾向にあったのも90年代前半は公定歩合を下げていて名目金利が低下していたから実質利子が高止まりしなかっただけで、90年代後半以降のデフレ期よりましなのは当然のことなんじゃないでしょうか。
>〇さん
>人間はいつか死ぬから今殺しても問題ないというのと同じくらいばかげてる
とってもいい表現ですね。これから使わせていただきたいと思います。
96年までの好景気については、そりゃデフレであっても景気循環は存在するよねという話と、評判の悪い財政出動の効果を見ていないということなのでしょう。