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2006-10-27

[politics][economy][pension][book]権丈善一「年金改革と積極的社会保障政策/再分配政策の政治経済学II」

先日紹介した「I」の続刊ですが、相変わらず世間に阿らず著者自身の納得がいくまで思考を積み重ねていく様には、素直に敬服いたします。行政がやることだからといって脊髄反射で貶したりせず、是々非々で評価いただくのは霞が関住人としては落涙モノですが、御用学者といったレッテルが貼られてしまうのではないかと心配ではあります。

本書の構成は、タイトルが示す年金改革と積極的社会保障政策が2つの大きな柱であり、それに著者のサイトでも見ることができる「勿凝学問」と題されたエッセイがちりばめられたものです。政府の施策が持つ意義を丁寧に解き明かす年金改革についての記述は、野党やメディアが喧伝する年金不信に共感する方々にはぜひともお読みいただきたいですし、勿凝学問はエッセイとして時事問題の一断面を簡潔かつ軽妙に提示するもので、こんな文章を書けるようになりたいと思わせるものですが、やはり本書においてもっとも重要なのは、積極的社会保障政策についての言及でしょう。

積極的社会保障政策とは何か、その含意が一番はっきり表れているのは次の部分でしょう。

こうした状況のなか、日本が経済政策で求められていることは需要の回復である。そして需要を回復させる方法のなかで、社会問題解決とも合目的的な方法は、福祉サービスの家計内生産を外部化することである。この時、図3-15にみるように、日本の進むべき道には2つの方向がある。ひとつは、従来、家計がやっていたことを市場に任せるアメリカ型であり、いまひとつは、政府に任せるスウェーデン型である。

こうした選択に直面する時に、間違いなくアメリカ型を選択してしまうのが、典型的日本人の癖である。しかしながら、アメリカには低賃金労働者がいるために家計生産の外部化が市場において機能しうるのであるし、なによりも、「いくつかの国(たとえば、アメリカ)を除いて、ほとんどの社会サービスの成長は公共セクターのなかで起きている」という先進諸国の経験則を、われわれは知っている。(略)ところが日本は、未だに、先進諸国の経験則に反した方向に進もうとする典型的日本人好みの選択をしようとしているようである。しかしながらそうしたアメリカ型の方向では、労働者保護立法を緩め取り去り──いわゆる労働市場の規制緩和を図ることによって──賃金格差を拡大させでもしないかぎり、日本では早晩行き詰るであろう。「サービス活動が安価なところでは、市場が機能する」のであるが、労賃が高い社会ではサービス活動が安価にはならない。(略)

結論から先に述べれば、日本が進むべき道は、福祉サービスを家計生産に依存した福祉国家から政府生産に強く依存する福祉国家へと転換することであろう。そして、従来の家族依存型福祉国家から政府依存の福祉国家へと転換しながら社会サービス需要を創出していくプロセスは、公共支出をどの分野に向けるべきかという問題の解決を政治力学に委ねたままで良しとしたこれまでのケインズ政策とは根本的に異質であるが、その経済効果は第2次ケインズ革命と呼ぶに値する変化ではないかと思っている。(後略)

pp161-163

偽装請負問題などに見られる労働法制の昨今の指向を考えれば、「労働者保護立法を緩め取り去り・・・賃金格差を拡大させ」ることが「アメリカ型の方向」には必須だとの慧眼には脱帽ですが、それは脇筋ということで、本筋についても傾聴に値するでしょう。家計における社会福祉サービスの自家提供の外部化を所得再分配と組み合わせて行うというのは、専業主婦を中心とした女性の自己選択の拡大という機会平等の実現にとどまらず、このところ当サイトで話題とすることが多いナショナルミニマムの確保に資し、さらには人口減少社会として暗い見通しが闊歩する日本経済における生産人口増加という効果をももたらすものではないかとwebmasterは思います。

#労働法制に関して言えば、最近においてもしばしば目にする、国内のサービス産業の低生産性改善、ということにも相通じます。非貿易サービスであり、もっとも効率的な国で生産させて輸入することができない以上、労働集約的なこの産業の生産性を向上させるには、労働集約産業を脱するような何らかの技術革新(≒何らかの形での機械化)がない限り、労働単価を切り下げるより他ないからです。ウォルマートをご覧いただければわかりやすいかと。

ただ、気になるのは最後の「第2次ケインズ革命」という言葉です。本書では青木・吉川モデルと呼ばれ、それに小野先生の主張も同一線上にあるとwebmasterは理解していますが、つまりは「いいこと」に公共支出を行えば、民間のイノヴェーションも喚起してよろずめでたし、ということです。そりゃ「いいこと」が何か事前にわかるなら誰も反対しないでしょうけれど、ヒトは神様にはなり得ないわけですし。

こうした疑問は著者も想定しており、次のような記述があります。

さらにここでひとつ抱かれる、青木・吉川モデルに関する疑問を記しておこう。このモデルは、日本に富をもたらす基幹産業を養成するという戦略的通商政策につながる可能性をもっている。(略)けれども、この新しい国際経済学を開発したクルーグマンたちや、他にサマーズなども、成長する産業を事前に選択する政治的・技術的難しさ、および仮に選択した産業が成長したとしても国富への貢献がほんのわずかにしかならないことを指摘している。それゆえに彼らは、戦略的通商政策は利益集団に支えられた旧来型の保護貿易政策に利用されるだけだとして、この政策に強く反対する。クルーグマンやサマーズのこうした言い分は、もっともなことではあろう。

しかしながら、青木・吉川モデルと社会保障政策との関係については、たしかなことが言えるのではなかろうか。なぜならば、社会保障分野にニーズがあることは明らかなのであり、そのニーズを公主導で顕在化する政策を展開すれば社会サービス部門への需要は確実に成長し、そこに新たな雇用が生まれるのもまた確実である。そしてさらには、これはきわめて大切なことなのであるが、「国が安いデイ・ケアを提供すれば、家族と市場はどちらも変化する。主婦が減少し、労働力参加が高まり、共働き世帯のサービスの購買力が高まることで、新規需要の乗数効果が引き起こされる」。そのとき、福祉サービスの生産を家計生産に依存した日本型福祉国家であったがゆえに生まれてきた人口問題の解決を、同時に考えるのである。

pp188,189(webmaster注:強調は原文では下線です)

しかしながら、ここで書かれていることは反論として十分でしょうか。もっとも大きな問題としては、仮に「そこに新たな雇用が生まれるのもまた確実」であるとしても(確かにそうだろう、とはwebmasterも思います)、ここで雇用を吸収してしまうことが、他部門へ与える影響がまったく考慮されていない、という点があります。政府により支えられた社会福祉サービス供給に従事する者の生産性が、もしそうした政府の介入がなかった場合に他部門へ配分されていたときのそれを下回るようであれば、少なくとも国全体の生産性については、こうした介入により低下してしまうことになります。

webmasterはそうした効果を実証的に確認できるスキルを持ちませんが、仮に女性の労働参加促進に何らかの労働生産性改善効果があるとしても、全体としては大差ない部分に収まるような気がします(根拠は、「クルーグマンやサマーズのこうした言い分」ということになるでしょう)。少なくともこうした比較を可能とする試算を示さずして、単に上記引用のように述べるだけでは、成長につながるからとの論旨は説得力を欠くといわざるを得ないでしょう。

加えて、仮にそうした試算をした際に、その結果が成長につながらないものであるなら、はたして積極的社会保障政策は存在意義を失うのでしょうか。webmasterは既述のような意義が認められると考えていますが、あたかも成長につながるからこそ推進すべきと解されるような説明は、そうした意義の認知が進まないことにもつながり得るでしょう。成長につながろうとつながるまいと積極的社会保障政策には意義がある、それによりある程度国の生産性が下がったとしても、それはそうした成果を得るために必要なコストである‐そうした主張の方が著者らしいのでは、というのはwebmasterの勝手な思い込みかもしれませんが。

#積極的社会保障政策の意義ないし便益としては、著者の他の主張との整合性でいえば、経済全体の不確実性への対応力を高める、というものもあるでしょう。

ちなみに。

ところが、1980年代に現実の政策に適用されていった新古典派マクロ経済学は、その壮大な社会実験のもとに、ひとつひとつ消え去っていった。まずは、フリードマンを総帥とするマネタリストが倒れる。つぎに、ルーカスの指導のもとに、マネタリストに頑強な理論的基盤を与えた合理的期待学派も生き残ることはできなかった。また、合理的期待学派の衰退の時期に重なりながら登場してきたリアル・ビジネス・サイクルの一派は、相応の数の信者を得ることはできたのであるが、政策の場で実験されることもなく研究者仲間でのブームは消え去っていった。

p169

この記述がリフレ政策を巡る論争の経緯に照らして、webmasterは非常に気になるのですが、真贋の度合いはいかほどなのでしょうか? webmasterの認識では、マネタリストの知見は(止揚という形でそのまま存続というわけではないでしょうが(k%ルール→インフレターゲティング、等))今においてもなお重要性は失っておらず、合理的期待形成は現在のマクロ経済学の基礎として確固たる地位を占め、というように理解しているのですが(RBCの受容についてはよくわかっていないので言及は控えます)・・・。

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通行人 (2006-10-27 22:55)

ついでに、前から疑問なんですが、Real Business Cycleってのは、「Real(数量ベースの;(対)Nominal)」「Business Cycle(景気循環)」という意味ですよね?

bewaad (2006-10-28 05:11)

>通行人さん
素人が無責任に書くなら(笑)、RBCの訳語としては実物的景気循環ということで、実質景気循環とは充てていないのは、nominalとの対比ではないのだろう、と思います。realと対比されるのは、適当な英語は思いつきませんが(笑)、短期の攪乱要因なのでしょう。おそらくこの文脈でのrealとは、fundamentalに近しい意味であるように思います。

以上、あまり信頼しないでください(笑)。

平家 (2006-10-28 11:56)

私も素人ですが、この場合景気循環が始まる原因が、金融的なあるいは貨幣的なショックではなく、技術進歩などの実体的なものなので、リアルといっているのではないでしょうか。

bewaad (2006-10-29 04:36)

>平家さん
補足ありがとうございます。


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