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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)
2006-11-07
■ [economy][law]言い得て妙なり「水戸黄門的世界観」
#これまでの関連エントリについては、グレーゾーン金利撤廃(出資法上限金利引下げ)問題indexをご覧ください。
「水戸黄門的世界観」とはすなふきんさんの命名ですが、その言を引き出したのはnight_in_tunisiaさんのエントリでした。
出資法の上限金利を利息制限法と同水準にするのみならず, 年収の一定割合を借入の上限とする案も含まれているらしいが, バブル絶頂の1990年頃からに相次いでとられた政策と, そのヒステリックな反応も含めて酷似しているのが笑うに笑えない.
(略)
多くの人がバブル経済の山の高さ故にその後の不況の谷も深かったのだと自虐的に考えているようだ. しかし, その当時取られた政策を見ると金融政策では1990年の約1年余りで2.75ポイント(3.25→6.00)の金利の急速な引き上げ, 土地関連では土地取引の総量規制, 土地譲渡益課税, 地価税の創設など一気に引き締めに走ったことが分かる. 山が高かったから谷が深かったのではなく, 落ちなくてもよい谷に突き落とされた格好で日本経済は減速していったのだった.
現在の上限金利を巡る議論も同様の構図が見て取れることが, リアルでは全く無関係なこの問題への関心を引き付ける理由なのかも知れない. 上限金利を規制することは金融政策における誘導金利の引き上げと一見, 逆の行為に見えるかも知れないが, 市場を収縮させるという点で同じ効果を持つ. 土地取引の総量規制は土地向けの融資を金融機関の貸出額の一定割合以下に抑えるというものであったが, 今度は利用者, すなわち需要者側の借入額の総量を規制しようと云うものであるから若干の違いはあるがやはり貸し出しの減少になることは間違いない.
(略)
消費者金融市場において同じことが繰り返されようとしている. 同じ失敗が目の前で繰り返される不安をなんと言い表せばよいのか言葉がない. 多くの人が上限金利引き下げに賛成である. 慈悲深い自分への自己満足は消費者金融市場から無縁であるから得られるもので, そのコストは結局救ったつもりの人々が支払うことになるであろう. まさにバブル以降我々が経験してきたように.
「貸金業法改正とバブル崩壊に見る相似」(@night_in_tunisiaの徒然なる数学な日々11/5付)
この「慈悲深い自分への自己満足」の典型例が、ちょうどメディアによって公開されました。その発言者は、今般の法改正の流れを作った最高裁判決にかかわった滝井前判事です。
最高裁判事として貸金業者の高金利受領を厳しく制限する意見を述べ、10月末に定年退官した滝井繁男さん(70)が毎日新聞のインタビューに応じた。「消費者金融が空前の利益を上げる一方で、高利のために自殺者まで次々と出ているのは、どこかおかしいと考えていた」と当時の心境を初めて明かした。裁判官が、関与した判決に言及するのは珍しく「時代の状況をにらんで、法律をなるべくまともな方向に生かしていくのが法律家の役割」とも語った。【木戸哲】
法改正を待たずして、最高裁判決の影響で消費者金融会社はこの中間決算で次々に赤字に陥りましたが、「空前の利益」(金融庁の資料(pdfファイルでp7)を見る限り、上限金利が40.004%から29.2%に引き下げられる前(平成12年6月)の話にしか見えませんが)を理由にするのであれば、それを吹き飛ばして余りある結果が出た現在、やり過ぎであったとお認めになるのでしょうか。でしたら、再度「なるべくまともな方向」に転換すべきということになるのですが。
そもそも論として、「空前の利益」とやらが不公正な取引手法等によるものでなければ、それをたたき出した企業経営の努力が認められこそすれ、貶されるべき話ではありません。その論証を欠くというのは、単に儲けている奴らは胡散臭いことをしているに違いない、というステレオタイプな見方を無批判に受け入れただけではないでしょうか。
83年に成立した貸金業規制法は、業者が一定の書面を交付し、借り手が「任意」に支払った利息は、利息制限法の上限(15〜20%)を超えても有効とみなすと規定。上限を超えた利息を支払っても返還を求めることが出来るという判例を「骨抜き」にする立法だったとされる。
業者はこの法律を根拠に高金利を受領していたが、滝井さんは「利息制限法があるのに、あくまでその例外に過ぎない貸金業規制法が幅を利かせているのはおかしい」と感じた。裁判長として04年2月、超過利息を受領するための書面の要件を厳しく解釈する判決を言い渡した。
利息制限法が「時代の状況」に合わず、大きな借入需要を阻害していたとはお考えになれませんか? 少々金利が高くても借りたいという人のニーズを満たすため、「法律をなるべくまともな方向に生かし」たのが例外規定だったわけです。利息制限法という一般法に対する貸金業規制法という特例法、という枠組みにとらわれてそのような「時代の状況」を無視しておいて、何が「まともな方向」なのやら(笑)。
むしろ、悪い意味での法律家の法律至上主義でしかないでしょう。この路線で行けば、40km/h制限の道路で50km/hで走行していた自動車が事故を起こして裁判になったとき、運転手の責任とは別に、「40km/h制限があるのに、それを超過したスピードでの走行が常態化しているのはおかしい」とでも言って、全国でネズミ捕りの強化を警察に求める判決を書きかねませんねぇ(笑)。
だが、業者が要件をクリアする書面を作れば、超過利息の支払いは有効となり「いたちごっこ」が続いてしまう。このため、滝井さんは貸金契約にある「分割弁済の支払いが遅れた場合は全額を一括弁済し、損害金も払わなければならない」との特約に注目。このような特約がある限り、任意の支払いとは認めないとする補足意見を述べた。「一括弁済を逃れようと借金を重ね、仕方なく高利を払う。これでは『任意』とは言えないと判断した」と振り返る。
滝井さんも関与した今年1月の判決は、この意見を踏まえ「特約は超過利息の支払いを事実上強制している」と判断し、超過利息の受領を認めなかった。「天と地がひっくり返るほど画期的」と評価され、法改正の動きも加速した。
業界側は低所得者への「貸し渋り」につながると主張し、金利引き下げに反対してきた。だが、滝井さんは「高金利でお金を借りたために、かえってその負担で状況が悪化し、自殺に追い込まれた人もいるはずだ。お金を借りられなくなって本当に困る人がどれだけいるのか」と指摘。「金利が入るからという理由で十分な審査もせずに融資し、生命保険にまで入れというのは正常な発想ではない」と、業界の姿勢にくぎを刺した。
「いたちごっこ」というのが滝井前判事の言なのか木戸記者の言なのかはわかりませんが、つまりは結論先にありきで法的論理構成は後付だと。厳しい要件を課すべきとしたなら、その要件を債権者側が努力して満たした場合には是認してしかるべきでしょう。とにかくダメなものはダメだ、という自らの見解に固執し前言を翻して恥じないというのは、法匪と難じられるに足る振る舞いです。
まして、高金利がどれだけ多重債務問題を引き起こす要因として機能しているかについては、単に「自殺に追い込まれた人もいるはずだ」というだけで検証として合格点を与え(そりゃゼロってことはないでしょう)、他方で「お金を借りられなくなって本当に困る人がどれだけいるのか」と疑問の余地があるというだけで全否定するのは、どう考えても不公平なダブルスタンダードでしょう。業界の主張、あるいは当サイトでおなじみの吉行誠さんが予測するように、実際に困る人が出てきた場合、滝井前判事はどう責任を取るつもりなのでしょうか(って、取るつもりなんかこれっぽっちもないことぐらいわかっていますが)。
「十分な審査もせずに融資」って、滝井前判事はどこまで消費者金融業界の審査実務に通暁しているのですか? 審査を問題にするなら、あくまで個別事例において十分な審査が行われたかどうかを問うべきであって、審査が不十分であると十把一絡げに括ることこそ「十分な審査もせずに判決」でしょう。「生命保険にまで入れというのは正常な発想ではない」というなら、住宅ローンその他の生命保険はどうお考えなのでしょうか。
結局、night_in_tunisiaさんが「慈悲深い自分への自己満足は消費者金融市場から無縁であるから得られる」と喝破されているように、他人事だからこそ絵に描いた餅を堂々と主張できるのでしょう。借りられなくなった人が出てきたところで、借金に頼ろうとするのは間違いだ、とかなんとかご高説を垂れて悦に入るのが関の山、むしろ将来の多重債務を未然に防止してやったとでも思う可能性は相当に高いはずです。ニート論者などもそうですが、一見同情的な立場から温情ある意見を述べているようで、その根底には抜きがたい蔑視があるのではないか、とwebmasterは思います。
すなふきんさんは、庶民が苦しんでいるのは既得権者や官僚など含め誰か悪い奴らが暴利を貪っているからで、そいつらを退治することで正義は実現されるという水戸黄門的世界観がここにもある
という文脈で「水戸黄門的世界観」という命名をされていますが、その場の解決でよろずめでたしとし、その後のアフターケアを語らないという点でも、鋭く本質を射抜いているといえましょう。
■ [economy][government]民間から学ぶ気のない行革論者
行政改革と口にするのは簡単でも、世にはびこるのは近視眼的現状否定めいたものばかりで、本当に改革につながるような現場が納得するようなもの、現場に花を持たせるようなものなどほとんどみない(成功させたいならそうでなくてはならないはずだ)、といった趣旨のことを当サイトではたびたび書いてきました。実際に結果を出しているコンサルタントのやり方だってそうだ、と。
そんなwebmasterの主張を裏付けるような報道です。
先月、産業再生機構が「事業再生の実践」(1〜3の全3巻、商事法務)という本を出版した。2003年4月の発足後、3年余りに手がけた41社の事業再生で蓄えたノウハウを社会に伝えるための実務書だ。
支援を決定し、債権放棄などの金融支援をまとめて事業再生計画を策定し、実行に移していく――。こうした一連の作業について、企業の実名こそ出さないものの、豊富な具体例を交えて紹介しており、実務家の貴重な参考書となるに違いない。
(略)
今も支援中の企業はダイエーを含め4社。機構の役職員はピーク時の220人から70人に減り、来春にも1年前倒しで活動を終える見通し。今回の出版は機構の“卒業論文”でもある。
卒論の目的はノウハウの伝授だけではない。編纂(へんさん)委員長の冨山和彦専務は「企業で価値を創造しているのは、そこで働いている人間だということをしっかり理解したうえで、彼らのやる気を最大限に引き出すことが重要だ」と、事業再生の“極意”を話す。逆に、経営者や株主、債権者が、安全な場所から厳しい注文をつけるだけでは現場はシラけて面従腹背し、再生はうまくいかないという。
産業再生機構の存在そのものには批判的なwebmasterではありますが‐一言で表すなら、それこそ純粋な民間に委ねるべき‐、ここでの冨山専務の発言には心から納得です。何らかの運営上の問題を抱える行政機関について、それを公的部門として維持するのか民営化するのかはさておき、その問題を解消するために「事業再生」を行う際、「そこで働いている人間」の「やる気を最大限に引き出すことが重要」でしょうし、政治家や学者、マスメディアが、「安全な場所から厳しい注文をつけるだけでは現場はシラけて面従腹背し、再生はうまくいかない」ということになってしまいます。
翻ってよくある改革論議は、まさにこの「うまくいかない」パターンをなぞっているものがほとんどでしょう。政府はダメだ、民間でないと、といいつつも、自らの為すことはまったく民間のベストプラクティスを無視し、さらにはかつての共産圏諸国の政府のように、命令さえすれば、インセンティヴ構造も何も無関係にそのとおりに組織が動くと考えているかのようです。
他人にえらそうな講釈を垂れる前に、まずはご自身の発想について「官から民へ」の転換を図るべきではないのでしょうか。
■ [economy][book]とある宇沢先生のご発言@権丈本
田中秀臣先生が宇沢弘文先生の規制緩和等への批判について取り上げていらっしゃいますが、その文脈ですと、昨日紹介した権丈本に極めて興味深い一節が。コメントはあえて控えます(笑)。
(「新春特別インタビュー 日本医師会会長 植松治雄氏」『Medical QOL』 Jan. 2006, p.38より)
植松 ……先日、東大の宇沢弘文先生と話す機会があったのですが、「経済学上は医療というのは教育とともに社会の一番大きな公共財で、官が指導するべきものではなく、医師が自立性をもって取り組むものだ」ということでした。また、経済財政諮問会議のある議員について、「若い時には期待していたけれども、今では学説的にも変節してしまって、日本を潰れる方向に導きつつある」と評していました。「権力に組みして、権力を得た学者の堕落と、その恐ろしさをみせている。学者としてあるまじきことだ」とまでおっしゃっていましたね。
p448
消費者金融を比較一覧審査の甘い消費者金融は何処だ?金利の安いところは何処だ?ブラックの方でもお気軽にご相談下さい
どうも、まいどです。リンク感謝です。
>他人事だからこそ絵に描いた餅を堂々と主張できるのでしょう。借りられなくなった人が出てきたところで、借金に頼ろうとするのは間違いだ、とかなんとかご高説を垂れて悦に入るのが関の山、むしろ将来の多重債務を未然に防止してやったとでも思う可能性は相当に高いはずです。
結局こういう感覚につきると思います。これって上から見下ろす態度に他ならないのに、庶民は自分も説教垂れる側に与して自己満足ってところですか。
経済成長が生活の質を上げる、という話↓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20061102/112982/
既にモノの需要は足りている、という主張への反論材料になるのかな、と思います。
滝井氏,すっかりヒーロー気取り, いや水戸黄門気取りですね. こういうことがきっかけだったとは知りませんでした.
個人的には、消費者金融のような問題は破産免責制度と密接に絡んでると考えてます(返せなくなくなった場合の再生の問題であるから。)ので、アメリカのように借金の入り口が「緩け」れば、出口(破産)も「緩い」制度にするか、ヨーロッパのように、両方とも厳しくし、破産しやすい人間はそもそも破産などできないような状況にする、の二択だとおもっています。
どちらの社会の選択するかは、有権者の考え方次第ですが、日本の自己破産制度が10年に1回で、手元の資産に100万円程度しか残せないのであれば、社会制度として、入り口を厳しくするような、法解釈、法制度を構築するのは、構造的にいえば「整合的」であると考えます。
「水戸黄門的世界観」として批判なされセーフティネットの構築に頭が回っていない、として批判なさることは理解できますが、利息制限法について別の制度を採用することを論じるのみで、もしもの出口について語らないことは、同じ「過ち」をしているのではないでしょうか?
消費者金融における団体信用生命保険と住宅ローンにおける団体信用保険とを一緒に扱うのはちょっと強引かもしれません。もともとの金利水準が違う上、かたやフローのためのお金、かたや資産購入のためのお金ですから、総合的に判断すればやはり前者はどうしても命で払うというインセンティブは高くなると思います。保険会社としては多分そのあたりまで計算して保険料を算出しているのでどちらでもいいのですが、自殺という局面が大きくクローズアップされるため社会的に非難されやすいビジネスとなってしまったということでしょうか。
そもそも利息制限法や貸金業法自体、制限金利を絶対値として条文に載せてあり、これがどのような金利変動の元においても変わらなかったこと自体、立法者として大いに責められるものだと思うのですが。すみませんちょっとテーマがずれましたけれど。
>アメリカのように借金の入り口が「緩け」れば、出口(破産)も「緩い」
借金による消費は認めても科学(進化論とか)は認めないアメリカの「道徳」と、科学は認めても借金は認めない日本の「道徳」(こう書くとなんかプロ倫っぽくてまともそう)…同じ「宗教右派」でもどっちがマシなんでしょうか(笑)
>これって上から見下ろす態度に他ならないのに、庶民は自分も説教垂れる側に与して自己満足ってところ
むしろ、「威信」とかが金や物より効用に占める割合が高くって、しかもそれがゼロサムの財だと考えると皆の行動が説明できるような気がします。少数の他人をどん底に突き落とすほうが大多数にとって効用が増えるとか言うような。
> これって上から見下ろす態度に他ならないのに、
> 庶民は自分も説教垂れる側に与して自己満足ってところですか。
というより、お金を借りる場面より、借りてしまった後の姿のほうが容易に想像しやすいという感覚ではないでしょうか。自営業等でない限り、(たとえそれが一般給与所得者の場合でも病気の時などにあり得るとしても)つなぎの資金を借りるということに対しての皮膚感覚が弱いのだと思います。だからこのような議論を眺めた時、なるべく返すお金は少ないほうが得だよな、と思ってしまう自分がいるわけです。
night_in_tunisiaさんのところのコメントで、今回の事態は2003年韓国のカード破産による金融不安に近いのではという意見を出したのですが、実際のところ、この金利規制による破産の急増が、日本の金融や景気に与える影響はどの程度になるんでしょうね?影響が出るとしたら来年でしょうが。
誰がどう読んでも吉川洋先生のことだ……ガクガクブルブル。
TBどうもです。m()m.権丈さんの三部作のうち最初の二作はこの夏に図書館から借りてきて読み出したんですが、この種の話にはつきものですが基本ラインは相当に僕と違うような気がしますが(それでもおおざっぱにいえば僕は岩田先生の小さな政府論からも少し距離があるのでその分は近いかもしれない)、各論(年金、医療の部分)では非常に落ち着かれた分析をしていて参考になりますね。ただちょっとネットでは気にならないんですが、本になると少し冗長かなあ。
件の判決を読む限りでは、「制限超過部分の支払を怠ったとしても期限の利益を喪失することはない」ことを周知徹底させれば貸金業規正法43条1項の適用問題はクリアできるので、債権者側はより一層努力を重ねるべきですね。
>すなふきんさん
いや、実にいいセンスだと脱帽です。
>徳保隆夫さん
値段を見てあきらめたことはありませんか、ということに尽きるでしょう>モノの需要は足りている
わかりやすい例としては、発泡酒や第三のビールが挙げられるでしょう。それらを皆がビールより味が好きで飲んでいるならばともかく、値段が安いからといって選ばれているのがほとんどでしょうから、そうであるなら需要は満たされていないことの証拠だと思います。
>night_in_tunisiaさん
私も、実は今回はじめて最高裁判決をまじめに読んだ、というのは秘密です(笑)。
>ゆーきさん
狭義の破産はともかく、特定調停や私的整理を含めた何らかの債務整理として把握すれば、それほど日本において「出口」が詰まっているわけではないと思います。もちろん改善策として、ADRの利用促進や「法テラス」等の充実、さらには司法書士の関与の拡大などが望ましいと考えています。
>害債さん
住宅ローンが資産購入原資になるといっても、返済財源はローンにかかわりのない収入だという点では変わりませんから、それほど違いがあるのかな、というようには思います。住宅ローンの場合、家が担保提供できるので、自殺するよりは担保売却という選択を選ぶのでしょうけれど(よって団信の主な機能は、死んだ後に遺族に家を残すというものになるわけですが)、担保提供がなかりせば、住宅ローンが返せないから自殺という事例は頻発していたでしょう。
名目金利を固定していたことのおかしさについては、全く同感です。
>kogeさん
>科学は認めても借金は認めない日本の「道徳」
科学も認めていないぞ、という異論が多くありそうな気も(笑)。
威信の方が効用が高いというより、お金が期待できないからこそそちらで少しでも、ということではないでしょうか。
>ともけさん
私の場合、サラ金ではないにせよ、キャッシングや質屋を使ったことがあるという実体験があるからこそ、借りられないと困るなぁ、ということがわかるという面はあると思います。
>Baatarismさん
それなりのインパクトはあるでしょうけれど、日銀の動向の方が(マクロに対しては)よほど大きな影響を及ぼすのだろうな、とは思います。あくまでミクロの不都合をこそ問題視したいなぁと、マクロの問題はあくまで補助的な材料なのかな、というのが私の現在のスタンスです。
>とおりすがりさん
正解は、引用部の前のページをご覧ください(笑)。
>韓リフさん
私も権丈先生の主流とされる経済学への見方には頷けない部分が多いのですが、われわれの業界の事情をよぉ〜く理解していただいていることと、何よりあくまでご自身の守備範囲に集中し、乱暴な一般化をなさらない点に私は信頼を寄せています。
>ああさん
消費者金融会社にとっては、コスト割れしてまで慈善事業として貸す義務はないのですから、あまりにコスト・リスクがかさむようならば撤退するのが自然でしょう。とりわけ滝井前判事のような判例変更も辞さない態度が最高裁において維持されるなら、現時点ではご指摘のラインでいいかもしれませんが、将来更なる判例変更があり得ると認識すれば、リーガルリスクが大きすぎると判断してもおかしくはないと思います。
>bewaadさん
だったら来年には、グレーゾーン金利廃止による不良債権増加が日銀の言い訳に使われる可能性もありますね。w
>Baatarismさん
うーん、シャレになってないですぅorz
年収1/3貸付上限規制で生まれる新たな多重債務者
業界は、従来、貸付評価にあたり、LE(借入)件数を最も重要視しており、信用リスクの基準にしてきました。
特に、開発と維持に金のかかるスコアリング・モデルを持たない資産3000億円以
下の会社では、LE件数、所得、負債総額/所得で、貸すか貸さないか決めているの
が実態。
LE5件で300万円でも、所得が450万円と650円では信用(返済能力、財務
力)は大きな違いがあることはわかるでしょう。
過去3年くらい、LE件数の信用リスク(貸倒費用)説明力が落ちてます。
理由は、おまとめ一本化がはやっており、件数が少なくても、1件あたりが大口化していること。
件数が少ないから、貸付単価の大口化できる。
それだけ、市場の寡占が進んでいることを意味します。
これは、上限金利を40%から29%に引き下げた効果といえます。
10兆円の市場で、大手のうち3社だけで、100万円超過のローンが1.3兆円に
もなっている。
GE,Citi他の中堅を加えれば、2兆円に達すると見られますが、これが多重債務を
生み出している与信評価にあると考えます。現在は、そこからは、貸倒はきわめて低く、年6-7%程度の貸倒とみられています。
追加貸し出しがあって、新たな100万円超ローンが生まれているので、100万円超過ローン全体の貸倒の発生は、新規にうまれる大口ローンで、いつも薄まって見えていました。
これが、大口貸付は、夏ころから、急ブレーキがかかっています。貸せる客がいなくなったことが要因でしょう。
今のところ、ほとんど枠いっぱい(200万円あるいは150万円)貸しているので、貸倒が現実にはでてきていません。
これが出だしたら、多重債務者が現実になると、どうなるのでしょうか。
これまでとは全く、違った性格の多重債務者となります。所得がある程度多く(400万円以上)、かつ安定しており、かつ数年間の働いている定職である。
これらに政府はこれ以上与信をつけないこと、年収1/3まで削減することにした。
大手3社で765,000口座、他の単価を150万円とすれば、名寄せ前口座数だけで、123万口座。 重なりが1.7件としたら、725,000人が、回収だけのリスクにあえぐ対象となります。
これまでの立法担当者、議会は、多重債務者を、クレサラ弁護士が苦情している破産
者や債務整理のイメージがから、とらえています。優良客については苦情がありませ
んから、そのあたりが見えていません。
金融庁も懇談会メンバーの経済学者も、こうした各社の開示データからみえてくる現
状さえ認識しないで、予知できない状況で、立法された問題は、重大な影響を与える
ことになります。クレサラ弁護士に感情的に誘導されたといわれても、仕方ありませ
ん。実際に市場の債務者動向分析がないのですから。
そして、懇談会のそうした雰囲気も、クレサラ対策的色彩が強くなり、現在の市場を
かんがえないまま、年収1/3基準を導入すれば、多重債務が発生しないと決め付けた。
問題は、この72〜75万人にどういう影響が出るか。生活破綻予備軍なのです。
その分析が、急務にかかわらず、クレサラのいいまま。
倒れたどうしようもない債務者のことより、生きている数百万人の市場を見ないで、立法する浅はかさ。
大口ローンの影響は、すでに東洋経済・金融ビジネス4/25、7/25号で取り上げていますが、金融庁や懇談会の学者からは返りみられていません。
官僚のあるべき事前調査機能を果たさないまま 債務者の状況をみない無責任なあり
方が、そうした知識のないメディアに弄ばれてしまった反省もない。
金融庁は懇談会資料から、業者を略奪的収奪者と決めつけ、アメリカのノースカロライナ州の反プレデタリー貸付法にある年収制限を、プレデタリ貸付方針の中身も商品も十分に検討することもなく、我が国への導入での影響度も考えず、「いいアイデア」ぐらいの気分で、導入したにすぎない。
それについては、大竹文雄ブログで、池尾論争で、池尾教授が、上記の市場分析やプレデタリ貸付を議論しないまま、収奪的業者と決め付けていることからも明かでしょう。
消費者金融はお金を貸すから金融庁に規制されるわけですよね。でも、彼らのexpertiseは信用管理にあるわけですから保証料をとって連帯保証業務に徹すればよいのでは。それで、金融庁お墨付きの金融機関から借りられるようにしてあげればようのでは?家賃とかこういう仕組みよくありますよね。そうすればサラ金、銀行、金融庁それに借り手もすべてハッピーでは?
>吉行誠さん
いつもながら丁寧な論説ありがとうございます。
本来、弁護士の非経済学的議論に対して毅然と対応すべき経済学者が、一定の条件の下では正当化可能とのみ述べるのは問題だと思います。これは、池尾先生のみならず、大竹先生にも当てはまる傾向だと思います。
もちろん役所の問題もあるわけですが、同業者として彼/女らを弁護するなら、あれだけ大臣・大臣政務官が前のめりになってしまえば、事務方にできることはほどんどないのだろうとは思います。昨今の風潮からすれば、大臣らに役人が逆らうことなど許される余地はゼロですから・・・。
>金融オタクさん
理屈からすればおっしゃるとおりかと存じます。
しかしながら、海外でもそうした事例の話はあまり聞かない(私の無知ゆえでしたらごめんなさい)ことからすれば、現実に落とし込むと何らかの問題が出てくるのかな、とは思います。例えば貸し手と保証主体との間でPA問題が生じてしまう、とか。
200万人いるという多重債務者。
借入5件以上の債務者は、230万人に上り、借入総額の平均がひとり240万円と報道されたばかりです。
30〜50万円平均で、一件75万円借りていたら、250万円にもまります。
もはやいずれ債務整理になるひとと、政府も要注意に入ったのでしょうか。
金融庁も、政府も多重債務整理が重要と説明されていました。
これから先、多重債務者をつくらない政策は、意味があるでしょう。
しかしすでに作られて、苦しんでいる債務者をどう救済処理されるのでしょうか。
どのような制度的な体制があるのでしょうか。
従来から、過払い請求をともなう債務整理、破産免除などは、訴訟代理人の資格をもつ弁護士に限られてきました。たった2万人の人たちが独占的にです。
困った債務者は、そこに相談に行くほかありません。
それでは、どのくらいの費用がかかるのでしょうか。
それは、多重債務整理に障害になるほどの報酬ではないでしょうか。
クレサラ整理における弁護士報酬の基本的枠組みですが、着手金に加えて、通常の訴訟事案のような経済的利益の一部としての報酬を請求され、それが一般として通用しています。クレサラ着手金は、経済的利益が300万円とか500万円以下なので、20〜30万円ほど。それ以外に過払いがあれば、返還された金銭の20〜30%が弁護士報酬となります。和解して減免されれば、その30〜50%が報酬となるようです。
報酬の根拠とされる経済的利益の計算に関して、報酬の法理論的根拠なり、そうした報酬の請求権の法的構成は何でしょうか。通常のケースと同様なので、理由など示されていません。
もっとも、存在しなかった債務に対する不当利得の返還ですから、それが利益となります。本来債務者が払ったものであっても、取り返すのですから、その一部が弁護士の報酬になるのは、彼らの規範的考量には合致します。
でもそうした報酬体系にかんしては、弁護士という人種、弁護士村に対して、法務省や金融庁、政府、議会、国が認めた法域のひとつでしょうけれど、議論なく承認された領域なのです。
離婚の慰謝料だろうと、交通事故の損害賠償で得た金銭であろうと、日陰になった補償金であっても、債務の不存在を確認して、不当利得返還された金銭も、クレサラ整理の不当利得返還請求と同じなのですから、同じ報酬体系に従うのです。客にお金があろうと、生活できないような状態であろうと、慈善事業でないから、同一の報酬体系を使って計算されるのが、正義に合致するというのです。
いっぱんの損害賠償請求訴訟の報酬体系がそのまま、クレサラに導入されています。疑問をいだくこともなく。
多重債務で支払も生活もできないというのに、優先的に持っていくのです。
一般に事件の着手料は、8%で最低10数万円、訴訟などで取れた金銭〔経済的利益)の30%が、弁護士報酬の基本なのです。クレサラでは、借入相手の社数によって、一社が3万円x相手社数が着手金の事務所が多いようです。
そんなにほしかったら、債権者代位を主張して、給与に対して、差し押さえる弁護士が現れたら、やっと弁護士の異常性が世の中にわかるのでしょうか。
そんなことより、
弁護士報酬体系が、そして弁護士だけが、訴訟代理できるという立場をもっていることが、債務者救済の代理人になれるということが、お金のない人たちの多重債務問題を生み出すゆがんだ根本原因ではないでしょうか。
債務者どころか、一般人がそんな報酬をみて、誰が頼めるのでしょうか。
それを政府、金融庁も、議員もマスコミも、誰も本質を言いません。そして弁護士業界が潤うのを放任しています。メディアは、そんなことを書けば、名誉毀損、営業妨害、威力妨害罪で、訴えかねません。記事にしようものなら、すぐ法律チェックで、顧問弁護士にはねられてしまいます。
社会として、もっと安く債務整理出来るような法制度が必要でしょう。それが多重債務整理であるのに、マラソンして、業者を悪者にしてしまって、社会に本質を見えなくして、自分は正義をふりかざして、髪をかき乱して、債務者のために尽くしていると主張する。債務整理できる制度を広げるべきでしょう。
ひとりあたり、5万円でできれば、多重債務の解決は早いし、発生原因もなくなります。
安すぎてやっていかれないというなら、受任されるのをやめればいいのです。安くできるようにして、多重債務をなくすのは、国の関心です。
まずは、司法書士が破産免責手続きをするのに、わざわざ半日かけて、八王子支部まで行かせることを止めるべきでしょう。そうすると司法書士による免責が、10万円で出来るようになり、半額以下になるでしょう。国民は、弁護士に牛耳られ、結果的に司法書士にやらせないようにする態勢ができあがっていること、そういうことさえ、しらされていませんし、司法書士も皆が簡裁代理権を持っているわけでなく、だれもが債務整理をしてませんので、そうした事実は知られません。
これは法務省と日弁連の嫌がらせなのかとおもうほどです。司法書士は無能だから、破産の債務免除をやらせないという意図でしょう。
そういう利権があることを、弁護士は言わないし、教えないから、一般には誰も知らないのです。
それで裏でメディアに言う発言は、司法書士は無能で経験もないから、やらせたらだめだと、人格を疑うような発言の数々。
法テラスでは、地方債務者に東京の弁護士を当てなければならないとして、ひとがたりない悩みがあるとクレサラ味方の宇都宮弁護士はいいます(今週の日経新聞朝刊)。地方に司法書士がいても、無能者、無資格者のごときに扱う発言が多いのも、クレサラ弁護士といわれます。真剣に債務者の債務整理を考えているのでしょうか。
地方の債務整理には、司法書士を使いましょう。沖縄では、司法書士ががんばって、過払い請求が進み、いまや全国の司法書士の手本でし、研修にもそれが使われています。
資産があり破産免責されない場合、破産管財人に20万円の着手金を要求する裁判所の見識は何でしょうか。これも司法書士に認めるべきでしょう。そうすると財産の30%も持っていくから、75-150万円も追加の報酬請求があるようですが、債務超過で支払が出来ないから破産しているのに、管財人にもっとも優先して、そんなに巨額を払うとは何事でしょうか。
多くの事案が、司法書士が、財産目録、資産負債の調査した表、分配率の計算などしてあげて、それで10万円で、弁護士は、裁判所から仕事のしていないのに20万円で、その後100万円ですか。
債務者に対して、かわいそうで、顔向けできません。管財人資格が認められれば、そういう費用もなくて、経済的立ち直りも早いのにと、悲しい現実。
政府が真剣に、200万人もの多重債務整理をしたいなら、債務整理費用を安くする方法を考えることです。
行政書士にもこの問題に興味を持っておられる優秀な方がおられます。彼らにも、クレサラに限り、簡裁代理権の門戸を開いたらどうですか。
弁護士だけの利権にされているから、こんなことになるのです。
弁護士報酬に関する弁護士の抗弁は、安易に破産させたり、債務整理してあげたら、借金することの容易さを味わい、また繰り返し破産したり、債務整理に訪れる、われわれはそういう債務者の精神構造からはいって、再び多重債務に陥らないようカウンセルしなければならないから、費用がかかるというのでしょうか。
弁護士報酬が高いのは、弁護士給与が高いからではないですか。ふつうの訴訟ではないクレサラ事案は見合いません。いそうろう司法書士であれば、月給20万円以内でしょうし、残業も50時間でしょう。事務所も多くが、20万円程度の安い住居用賃貸マンションの一室で、事務員いれて数人でやっている。
彼らに本格的に債務整理、破産事案を担わせれば、多重債務整理は、安く済むでしょう。
町弁でいそうろうでも、600万円とは比較になりません。
といって、東京の弁護士は、そろそろ飽和状態とか。新司法試験で、3千人の合格者がでると、1千人の就職ができず、1人弁護士事務所になるとも噂されます。
質が落ちないといいです。彼らも同じ料率表を、客である債務者に示すのでしょうか。
>mさん
ご趣旨には基本的に賛成で、上(http://bewaad.com/20061107.html#c15)で、
>もちろん改善策として、ADRの利用促進や「法テラス」等の充実、さらには司法書士の関与の拡大などが望ましいと考えています。
と書いたのは、概ね同様の問題意識に基づいています。
ただ、訴訟代理について弁護士の独占を外すのは、ちょっと他への影響を読みきれず、留保したいなと思います。同様の効果としては、ADRと入り口のカウンセリングを充実させ、
(1)訴訟等が不要なものはできるだけ裁判所に持ち込まず低コストで解決する手法へ誘導するようにし、
(2)裁判所へ持ち込むものは、(1)で試しても難航したものなどそれ以外では不可能なものに厳選(してここだけは弁護士に任せるように)する、
ということかな、とは思います。合わせて、弁護士報酬の実質的な自由化の促進や、それこそ弁護士会が弁護士報酬を低金利でローンするといった工夫も考えられるでしょう。
誤解なきように
ご存知と思いますが、司法書士にも1000人くらいですが、一ヶ月の研修、資格認定試験合格者に、簡裁代理権資格が認められています。都内では、すでの多くの司法書士が債務整理に携わっており、多くの弁護士の半分くらいの費用でサービスがなされています。地方では、まだまだですが。
債務整理は、行政書士まで広めればと考えます。裁判外手続きで決着するのが、通常です。もし訴訟となっても、簡裁であれば、特に事実認定審において、法律解釈がともなうわけではありませんし、裁判所には、業者に対して取引履歴の提出命令をだしてもらいさえすれば、いついくら借りた、返したの取引履歴の事実の確認が中心ですので、訴訟といっても、法律的争点は、2006年1月最高裁判例以降、薄れています。
問題は、地裁では代理権がないため、破産手続きについて、救済の手助けができません。それが債務者の費用を高くしたままです。
>mさん
恥ずかしながら、司法書士の簡裁代理権資格については知りませんでした。ご教示いただきありがとうございます。