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2006-12-07

[economy]リフレ政策の波及経路

救急車のクーポン制導入というアイデアを、クルーグマンの子守協同組合のお話の応用問題として発展形を考えるといろいろと面白そうだなぁ、と眺めていたところ、次のような記述がありました。

共有地のジレンマ的な問題に対処する一つの方法が、それを利用する人に「即時的な報酬」を付与すること。

未来に生じうる悲劇とか、みんなが救急車の利用を抑制した先に広がる「美しい国」とか、「今ここ」にあるもの以外のもので人を説得しようとしても、みんなを納得させるのは無理。

たとえ意味がなくても、とりあえず「モノ」をあげて、「利用すると、これがなくなっちゃうんですよ」とやったほうが、ある種の人にはたぶん効果的。

経済活性化のために「インフレターゲットを設定しよう」なんていう意見があるけれど、あれもまた、反応できるのは経済学に詳しい人だけ。自分も含めたほとんどの人は、「そうなると、何がおきるの?」と他人事。

同じことをやろうと思ったら、たぶん貨幣の価値に「半減期」みたいなものを設定して、「使わないで持っていると、お金の価値はなくなっちゃいますよ〜」とやったほうが確実。

国滅ぶだろうけれど。

「「最初の1回だけ無料」ルール」(@レジデント初期研修用資料12/6付)

まず傍論から述べるなら、名目価値を減価させる貨幣はゲゼルの消滅貨幣として、歴史上前例があります。

(Wörgl)オーストリア西部、チロル地方にある小都市。1932年から1933年にかけて、当時の市長であったミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーによって減価する貨幣の理論に基づいた地域通貨「労働証明書」が流通し、地域経済の立て直しに大いに寄与したことで知られる。

当時ヴェルグルでは大恐慌のために大量の失業者が発生し、市の財政も破綻寸前の状況にまで追い込まれた状況下で、シルビオ・ゲゼルの理論に詳しかったウンターグッゲンベルガーがそれを実践に移した。この当時人口わずか4000人強のこの市は400人もの失業者を抱え、しかもそのうちの200人以上は失業保険の資格も切れて生活保護の需給対象になっていた。市の財政も破綻しており、5万シリングもの未払い利息を抱えていたのに対し市民税収入はわずか3000シリングであった。本来は11万8000シリングの未収の滞納市民税があるのでそれで利息の支払いは十分にできるはずなのだが、経済危機の中では納税する金銭的余裕のある市民はほとんどいなかった。このような中で1シリング・5シリング・10シリングの3種類の額面価格による『労働確認書』が発行され、1932年7月31日から流通が始まった。

この『労働確認書』は、いわゆる「スタンプ貨幣」の一つである。紙幣にはスタンプを張るスペースが用意されており、月が改まるごとに額面の1%に相当するスタンプを購入して貼らなければならない。当然この紙幣を手にした者はできるだけ早くこの紙幣で買い物を行おうとし、その結果として紙幣の流通速度が上がり、商取引が促進されるというわけである。

この成果は驚くべきものだった。1000シリングの『労働確認書』の流通からわずか3日で、5100シリングもの税金が市役所に支払われたという報告が飛び込んできた。税収が激増したためそれまで滞っていた公共工事が進み始め、わずか1年で10万シリングもの事業が行われた。また、フランスの雑誌のレポによれば「それどころか人々は税金を前払いしたりさえするのだ」という、現代社会では一般的に非常に考えにくい事態が起こっていた。また、オーストリア全体で失業者が329千人(1932年7月)から375千人(1933年7月)に増大している中、ヴェルグルでは逆に失業者数が1年で4分の1も減少した。しかしながら、経済政策における影響力の喪失を恐れたウィーンの中央銀行によって禁止令が出され、結局ほぼ1年で禁止されることになる。

ヴェルグル‐補完通貨研究所(webmaster注:強調は原文によります)

現在の日本のデフレ対策としては、慶應義塾大学商学部教授の深尾光洋先生が同様の効果を持つ現預金課税政策を提案されていますが、前例があることからも、「国滅ぶ」というわけでは必ずしもなかろう、というのが客観的評価だとwebmasterは思います。

この場合、手持ちの現金がそのままではどんどん減価してしまうわけですから、そのうち支出するつもりのあるもの(で時期を前倒しても問題のないもの)はなるべく早めにしてしまおうとするわけです。例えば手持ちの100円が明日になったら90円になってしまうなら、100円のものは今日買ったほうがまし(明日買うとすれば、減価後の100円=今日の111円必要)ということになります。生鮮食料品等だと前倒すにも限度があるでしょうけれど、上記引用中の税金なんてものは前倒しても困らないものの典型でしょう。

しかしながらこの方法、難がないわけではありません。どこまでを減価の対象とするかの線引きが非常に難しいのです。上記引用のように、紙幣(ないしその同等物)に適用するのは物理的にそのようにすればよいわけで簡単ではありますが、紙幣のみに減価を適用するなら、消費や投資に支出する以外に、預金するという抜け道ができてしまい、消費・投資への刺激効果は限られてしまいます。

では預金もふさぐとして、有価証券はどうでしょうか。株式や不動産はさすがに貨幣との代替性は低いかもしれませんが、ならば株式投信やREITは? と考えていくと、どこかで減価すべきものとそうでないものを線引きすることの難しさをおわかりいただけるのではないでしょうか。そのゆえんは、貨幣との代替性はさまざまな財においてそもそも連続的に変化するものであって、オールオアナッシングではないからです。

そこで逆の発想として、先の例で言えば、今日も明日も100円は100円ですが、値段の方が100円から111円に上がるとすれば、効果は同じということになります。いろいろな財・サービスの値段が上がっていく状態になれば、既述のような難点を持つゲゼルの消滅貨幣をわざわざ使わなくとも、普通の貨幣で十分なのです。いろいろな財・サービスの値段が上がっていく状態とは、すなわちインフレです。

#厳密には、今後の物価の動向の見込みが今日の消費・投資判断に影響を与えるので、大切なのは今のインフレ率ではなく、今後のインフレ率見込み(期待インフレ率)がどうなるか、ということになります。

冒頭の問題提起では「『インフレターゲットを設定しよう』なんていう意見があるけれど、あれもまた、反応できるのは経済学に詳しい人だけ。自分も含めたほとんどの人は、『そうなると、何がおきるの?』と他人事」とのことですが、インフレターゲティングの導入は手段であって目的ではなく、インフレターゲットが設定されたからといってその含意を皆が読み取る必要はありません。期待インフレ率が上がればよいわけで、実際にそうなった場合、インフレターゲットの効果はブラックボックスで何ら差し支えないわけです。

実際にリフレーション政策パッケージ‐インフレ(より望ましいのは物価水準)ターゲティングの導入と、日銀保有長期国債残高の大幅な増加等によるマネタリーベース供給の拡大がwebmasterが考える二本柱です‐が採用された場合、皆がいっせいに期待インフレ率を高め、消費・投資判断を変える必要はありません。目端の利く人間から順次変わっていけばよいわけで、重要なのは最初に判断を変える者のインパクトということになります。

目端の利く人間とは誰か、具体的には企業の経営者たちでしょう。鵜の目鷹の目で収益機会をうかがっている彼/女らにしてみれば、将来インフレになりそうだと予測しているにもかかわらず、路線転換を遅らせる理由はありません。いざなぎ越えの現在の景気回復ですら、外需を主として頼るのみであれだけの設備投資がなされているわけです。内需に火がつくインフレが見込まれることとなれば、内需関連産業が今までの抑制を取り戻すべく、大胆な路線転換を図ることは自然なことです‐今のように漫然とフリーキャッシュフローを積み上げておくのは、ライバルに遅れをとることに他なりません。

#理由は上記の応用で、インフレ=手持ち現預金の減価が予測されるならば、減価するがままに放置するのは収益機会を見逃すということになるからです。

本年度の第3四半期(7〜9月)のGDP(1次速報値)を見れば、民間消費約290兆円に対して粗輸出は84円に過ぎません(名目値、年換算(12/8訂正))。今年に入っての設備投資増10%強(各四半期の前年同期比)が主として粗輸出の好調さに支えられているわけですから、その3倍以上の規模の国内民間消費が活性化するとの見込みが成り立つならば、年率20%程度の伸びだってあながち夢物語とはいえません(専門的な推計は11/21に紹介しました)。

一般の消費者が将来予測において企業経営者ほど敏感ではないとしても、実際に設備投資が増え、雇用が増加し、給料が上がり、各種報道においてその手の話題が数多く取り上げられるようになれば、おのずと財布の紐も緩むというものでしょう。リフレーション政策パッケージの採用に当たってはその効果に懐疑的であっても、懐が暖かくなれば理屈がどうであれ消費行動を変えてくるはずです。

したがって、繰り返しにはなりますが、インフレターゲティングの含意が広く周知されることは、その有効性の必要条件ではありません。最初の段階においては、少なからぬ企業経営者の将来予測を変えることができるかどうかが勝負の分かれ目になるのです。

[economy][WWW]非常に楽しみな連載

以下の10項目別に、ファイナンス理論のエッセンスについて、数字をほとんど使わないで、生活的な内容を含めて書いていこうと思いますとのことです。これは要注目だとwebmasterは思います。山形浩生さんの「血も涙もない損得勘定だけの冷血ファイナンス屋養成講座」がおそらくこのまま未完に終わるであろうことを考えますと、なおさらその価値は高いといわざるを得ません。

  1. ファイナンス理論で出来ること、出来ないこと
  2. 危険はいやだけどお金はいっぱいく(ママ)ほしい−リスク・リターン・効用
  3. 明日の1万円と今日の一万円−割引率
  4. 不幸な時に恵んでくれる人のありがたさ−逆相関の大切さ
  5. 安全な口座が出来たらみんな同じ様に資産を持とうとする−二基金分離定理
  6. リスクの本質って何なんだろう−資本資産価格理論
  7. 世の中にうまい話はない−無裁定理論
  8. 周りを出し抜く?むりむり。−効率的市場仮説
  9. パイの切り方を変えても大きさは変わらない−MM命題
  10. 義務のついてこない権利は有料です−オプション価格理論

これらの勘所がつかめれば、ほとんどの人にとっては、例えばブリーリー&マイヤーズなんて分厚い本をわざわざ読む必要はないといっていいでしょう。その分野の専門家以外が基礎知識として押さえておくべきことは、この10項目に尽きているといってよいのですから。

本日のツッコミ(全15件) [ツッコミを入れる]
medtoolz (2006-12-07 07:54)

はじめまして。
ご指摘のとおり、元ネタはクルーグマン論文の翻訳「経済を子守りしてみると」という文章です。
あれを読んで、救急医療はむしろ大不況になってくれると助かるなぁ…とおもい、不況をおこす
手段としてこんなことを考えました。

kumakuma1967 (2006-12-07 08:48)

>ヴェルグル
中央銀行が金利を下げてお金の将来価値を抑制しますよ、とメッセージを出して、少なくともみんなお金を物や資産に換える自由があるのに、「普通預金に100万円預けても年間1000円も利息がつかない不当な低金利だ!利子生活者は生活の危機だ!」って文句が「国権の最高機関」からでちゃう国から見ると夢のような話ですねぇ。

Taejun (2006-12-07 10:00)

トラックバックありがとうございました。
「本当にbewaadさんから?」と目をこすってしまいました。。 

楽しく書いていこうと思うので、ご笑覧ください。 それと、誤りの指摘、ありがとうございました。

ふま (2006-12-07 10:02)

何も勉強しなくても、多分、皆さん分かりますよ。
ただ、用語法は勉強しないと分からない訳ですが…

osanai (2006-12-08 02:32)

はじめまして。いつも大変ためになるエントリをありがとうございます。
些末事で申し訳ないのですが、「リフレ政策の波及経路」の、
> 本年度の第3四半期(7〜9月)のGDP(1次速報値)を見れば、
> 民間消費約290兆円に対して
> 粗輸出は84億円に過ぎません(名目値、年換算)。
中、「84億円」とあるは「84兆円」の誤りでしょうか?
その後の「その3倍以上の規模の国内民間消費」という記載からも、かように推察してしまうのですが。
当方の間違いでしたら申し訳ありません。失礼しました。

bewaad (2006-12-08 07:26)

>medtoolzさん
やはりクルーグマンが下敷きでしたか。いちど清算してしまえ、という機運の選好はよく見られる話ですが、そこを生き延びられるだけの体力はいかほどかと考えますと、なかなか「救急医療はむしろ大不況になってくれると助かるなぁ」とはいかない(ぺんぺん草も残らない可能性)のかなぁ、と個人的には思っています。

bewaad (2006-12-08 07:31)

>kumakuma1967さん
収入が物価水準ほどには下がらない、という見込みがあるなら、そのような主張はミクロ主体としてはまったくもって合理的で、その合成の誤謬を正せない国会の問題ではあるのでしょう。

bewaad (2006-12-08 07:33)

>Taejunさん
とっても楽しみにしていますので、無理にならない範囲でよろしくお願いいたします。

bewaad (2006-12-08 07:35)

>ふまさん
概念として理解できるかどうかといえば、おっしゃるとおりかと思います。ただ、ある種のチェックリスト的に、それぞれの項目からしておかしなことはないかどうか、という確認には格好ではないかと思っています、。

bewaad (2006-12-08 07:36)

>osanaiさん
おっしゃるとおりです。ご指摘ありがとうございました。

通行人 (2006-12-08 12:07)

ゲゼルに関しては、むしろ年率数%程度のインフレこそ、経済にとって必要な状態であるという事の証拠として使うべきかなと思います。制度として導入しようなんて金輪際思わないけど。
結局は、インフレはたとえそれが微細なレベルであっても悪で、インフレを起こす原因となる経済活動を、経済がぶっ壊れない程度に沈静化させる。そういうスタンスの中央銀行が諸悪の根源ですよね。

平家 (2006-12-08 23:42)

すると、リフレーションパッケージが導入されても、企業経営者が、これでも内需は増えないと(誤)判断して、行動を起こさなければ、その判断が実現してしまう、ということでしょうね。
その『勝負の分かれ目』で勝負を決するものは何でしょうか?政府の経済政策への信任でしょうか?

bewaad (2006-12-09 08:52)

>通行人さん
おっしゃるとおりだと思いますが、ECBを見ていると日本だけではないのかな、という気もします(といっても程度は相当違いますが)。バーナンキやイェレンがいるFRBや、10年以上の好景気を支えるBOEといった辺りの方が例外なのかもしれません。

bewaad (2006-12-09 08:53)

P.S.
だからこそ、能力が低くても大丈夫なインタゲをどうn(ry

bewaad (2006-12-09 09:02)

>平家さん
そのあたり、心理学的分析は見たことがないのですが、大恐慌期やちょっと前のニュージーランドを見る限り、マネタリーベースを持続的に大規模拡大させれば大丈夫だろう、というのが経験則であるように思います。

もしそれでも期待インフレ率が動かないようなら、シニョレッジ財源での財政政策発動により直接需要を喚起することが必要なのでしょう。

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