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(ここはbewaad institute@kasumigasekiの過去ログ倉庫です。コメント等は仕様上受付けを停止しておりませんが、こちらではご遠慮いただければ幸いです。何かございましたら、現行サイトにお願いいたします。)

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2006-12-25

[notice]祝200万ユニークアクセス

カウンタのキャッシュが壊れてリセットされてしまってから調整していないので、画面上では表れていませんが、標記のとおり、昨日200万ユニークアクセスを達成いたしました。100万が2/18でしたから、この1年で2003〜05の3年間累計を上回るアクセスをいただいたということになります。どうもありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします。

[law][book]大屋雄裕「法解釈の言語哲学」

読んだときにすぐwebmasterの頭に思い浮かんだことがあったのですが、哲学に全く不向きな頭を持つ素人の単なる戯言に過ぎないのではという気がして、エントリを立てるのをためらってきました。しかし、そうならそうとご指導いただければいいと割り切って‐大屋先生には当サイトを巡回対象に入れていただいているようですので‐、思い切って書いてしまいます。

本書が取り組む論点は、(唯一の)正しい法解釈はあるのか、というものです。著者の解答はそのようなものはなく、解釈を行うそれぞれが社会の共通理解を得るため議論を戦わせ、多くの支持を得たものが正しいものとして取り扱われる、ということになるのですが、webmasterは疑問に思ってしまうのです‐そんなの、当たり前じゃないですか、と。

逆に言えば、冒頭書いた「素人の単なる戯言」とは、正しい法解釈なるものがあり得ると、かくも多くの法哲学者が考え、議論してきたのがなぜだか理解不能だ、ということになります。身も蓋もないことを言ってしまえば、仮に正しい法解釈があるとしても、有限の時間と能力では事実上それを探し出すことはできず、観念的な存否の可能性を検討するまでもなく、実務上はそんなものはないと取り扱って差し支えないのです。哲学とは、そうした現実の制約から議論を解放して観念論を磨くものとはいえ・・・。

著者はそうした素人の知識不足にも配慮してのことか、次のような解説はあります。

フリーライダーが発生する可能性を承知しながらも井上やデリダが普遍としての正義を要請したのは、それがなければ普遍性への志向が基礎付けられ得ないと考えたからであった。

p200

歴史上の多くの事例が、自らの価値観が普遍性の体現であると(あるいは、それにもっとも近いものであると)認識した者たちこそが、悲劇を引き起してきたこと‐わかりやすい例で言えば、十字軍や共産主義‐を示していて、むしろ普遍性への志向を捨て去るところに、民主政の妙味があるのではないでしょうか。むしろ、普遍性への志向は積極的に捨て去られるべきだとwebmasterは思うのです。

そんな低レベルな疑問はとっくに解消済みだ、と井上先生らには叱られてしまうのかもしれません。普遍性への志向を維持しつつも、そうした悲劇を回避する方策は理念的にはあり得て、井上先生ご自身であれば、そうした実践が可能なのでしょう。しかし、多くの者にはそのようなことは望むべくもないというのが、歴史の知恵というものではないでしょうか。

本日のツッコミ(全11件) [ツッコミを入れる]
西麻布夢彦 (2006-12-25 08:50)

> そんなの、当たり前じゃないですか
いや、「そんなの」が法哲学上最大の争点であってですね。
再生自然法論とか、経済的アプローチとか、いろいろあるわけですよ。
「多数決」ということ自体、賛否両論で、わざわざ「多数決」の結論が「正しい」かどうかを統計や理論数学を使って検証しているほどで……(ぶつぶつ)

中学や高校の倫理で習う「配分的正義」「矯正的正義」とかだって、あくまで法哲学の学説だし(ぶつぶつ)

「絶対正義が無い」という価値相対論も、別にすべての法哲学者が認めているわけでもないし(ぶつぶつ)

だいたい日本国憲法自体が、自然法論と社会契約説と価値相対論のチャンポンで(ぶつぶつ)

> 有限の時間と能力では事実上それを探し出すことはできず
世代を超えた科学的アプローチを行えば、必ずや人類は正義の体系たる科学的社会主義を経て共産主義を実現できると……あれ、ソビエトって、何処に行ったんだろう?

とまれ!
資本主義というのは価値相対論に立って配分ばかりを気にするのですよ。(ケシカラン)
それに比べて、共産主義は、人権と正義を基軸にするので、配分より倫理を重視することになるわけです。
この二つのイデオロギーだけでも対立が根深いのに、ましてや各イデオロギー内のセクト争いと言ったら(ぶつぶつ)

bewaad (2006-12-26 12:55)

>西麻布夢彦さん
いや、おっしゃるとおりなのですが、そちら側から突っ込んだ議論を聞いたことがないもので・・・。唯一納得がいくとすれば、自然法なり絶対的正義の存在を公理として体系化した方が便利だ、という便宜主義なのですが、そういう趣旨で主張している人もいないでしょうし(笑)。

西麻布夢彦 (2006-12-26 14:17)

余り深入りするほど、私も教養豊かではないのですが、そもそも国際法という分野は、社会契約を超越した自然法で構成されているはずです。

実のところ、オーソドックスな法学の立脚点は
 ・人は生まれながらに人権(自然権をもつ):固有性
 ・人権は人間なら誰でも持っている:普遍性
 ・人権は立法でも侵されない:不可侵性
にあるので、所与のものとして、人権(自然権)を認めているわけです。
んで、人権の内容が多数決で決まるなんてことは論理矛盾になるわけです。
人権が多数決で奪えることと同じになり、不可侵性に反するからです。

とすれば、多数決に左右されない普遍的正義の体系を認めた上で、自然権を定義するしかないわけです。(自然権はコモンセンスによって認識される)
社会契約論は、自然権を認めた上で、権利行使を国王や議会に委任するロジックですので……

その意味では、普遍的正義を否定するという昨今の潮流(ロールズ以後かな?)は、近代的民主国家のフレームを揺るがすパラダイムシフトなわけです。

んで、日本国憲法が問題なのは、国民の思想の自由を徹底すべく、反自然法思想や反人権思想も「禁止しない」という価値相対論を採っていることです。
ここに、価値相対論の根拠が、自然法思想に基礎づけられるという矛盾が生まれるわけです。

すなわち、価値が相対的であるから思想は自由なのではなく、思想が自由であるから価値相対論を採るということです。

で、私は、普遍的正義の立証をすることを目標にしているのではなく、こんな風に読めば、「法解釈の言語哲学」を味わって読めるのでは、というご提案をしたいだけです。

19世紀的近代国家が、21世紀に相応しい現代国家へ脱皮するには、まだまだ思想的、論理的試行錯誤が必要なんだなと……

koge (2006-12-26 14:59)

法律の素人からの素朴な疑問なんですが…
「21世紀に相応しい現代国家」にふさわしい思想や憲法ってどういうものなんでしょうか?合衆国?英国のコモンロー?ドイツの「闘う民主主義」?それとも未だ地球上のどこにも実現していない、その兆しすらないものなのでしょうか?

bn2islander (2006-12-26 23:25)

>西麻布さん
>反自然法思想や反人権思想も「禁止しない」という価値相対論を
>採っていることです。

これは、世界的に見て珍しいことなのでしょうか。私の誤解でなければ、西欧・北米諸国の多くの人がパラダイムシフトだと思っていることに、日本人は何の疑問も持たずにいることになりますが。

私個人的には、誰が決めたかもよく分からない自然権とか天賦人権論を少々胡散臭く思ってしまう節はあります。

一国民 (2006-12-26 23:55)

200万アクセスおめでとうございます。
これからも頑張って下さい。
官僚の激ウラ情報を期待しています(笑)。

西麻布夢彦 (2006-12-27 07:49)

> これは、世界的に見て珍しいことなのでしょうか
珍しくないと思います。
だからこそ、法哲学上の課題になっているのだと。
古くは法実証主義と再生自然法論の論争であり、これに英米法からの横やりが入りと……
(ドイツは法実証主義とナチズムへの反省から闘う民主政を採用したりしてます)

> 私個人的には、誰が決めたかもよく分からない自然権とか天賦人権論を少々胡散臭く思ってしまう節はあります。

皆、胡散臭いと思うのですが、手続さえ踏めば(多数決なら)どんな結論でも甘受するのかと言われれば、それも極論だろうということで、論争が絶えないのではないかと思います。

bewaad (2006-12-27 08:52)

>西麻布夢彦さん
学者やインテリがどう騒ごうとも、大衆がそう決めたらそうなっちゃうんだよ! という現実認識があるわけです。それに抵抗を感じるのはわからないではないですが、現実逃避しても仕方ないでしょ、ということではあります。

bewaad (2006-12-27 08:57)

>kogeさん
不向きなのでそれが何かはまったくわからないのですが、備えるべき条件としては、より大衆の意向に左右されざるを得ないという現実をきちんと考慮に入れたものであろう、ということだと思います。それに対してポジティヴ・ネガティヴいずれの立場であるにせよ。

bewaad (2006-12-27 09:00)

>bn2islanderさん
宗教的バックグラウンドの有無がひとつと、西洋法体系の受容の際に「パラダイムシフト」が起きてしまい、それによって相対化されてしまっている、というあたりかな、と反射的には思います。

bewaad (2006-12-27 09:02)

>一国民さん
インサイダー情報より公開情報にこそ真実が得てして含まれているというクルーグマン的スタンスに立っておりますので(笑)。


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