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  • 03/31/2007 (12:06 am)

    「真の失業率」推計最新版(2007-02現在)

    Filed under: economy ::
    年月   完全  真の  高齢化等 15歳以上 就業者数 完全   真の   高齢化等
         失業率 失業率 補正後  人口        失業者数 失業者数 補正後
    
    1990   2.1%  3.2%       10,089   6,249   134   204
    
    1991   2.1%  2.4%       10,199   6,369   136   155
    1992   2.2%  2.2%       10,283   6,436   142   142
    1993   2.5%  2.8%       10,370   6,450   166   183
    1994   2.9%  3.4%       10,444   6,453   192   228
    1995   3.2%  4.0%       10,510   6,457   210   266
    
    1996   3.4%  4.1%       10,571   6,486   225   276
    1997   3.4%  3.8%       10,661   6,557   230   262
    1998   4.1%  5.1%       10,728   6,514   279   348
    1999   4.7%  6.3%       10,783   6,462   317   435
    2000   4.7%  7.0%       10,836   6,446   320   485
    
    2001   5.0%  7.9%       10,886   6,412   340   551
    2002   5.4%  9.4%       10,927   6,330   359   660
    2003   5.3%  10.0%       10,962   6,316   350   700
    2004   4.7%  10.0%       10,990   6,329   313   705
    2005   4.4%  9.8%       11,007   6,356   294   688
    
    2006   4.1%  9.5%  6.7%   11,020   6,382   275   671   458
    
    2005/Q4  4.3%  9.8%       11,015   6,356   287   694
    2006/Q1  4.4%  10.9%  7.2%   11,014   6,283   286   766   488
    2006/Q2  4.2%  9.0%  6.6%   11,014   6,418   280   631   454
    2006/Q3  4.1%  8.9%  6.5%   11,021   6,426   273   627   448
    2006/Q4  3.9%  9.3%  6.4%   11,029   6,400   261   659   440
    
    年月   完全  真の  高齢化等 15歳以上 就業者数 完全   真の   高齢化等
         失業率 失業率 補正後  人口        失業者数 失業者数 補正後
    
    2006/3  4.4%  10.6%  7.0%   11,021   6,308   289   745   475
    2006/4  4.3%  9.6%  6.8%   11,002   6,368   284   673   464
    2006/5  4.1%  8.5%  6.5%   11,015   6,448   277   602   448
    2006/6  4.1%  8.8%  6.5%   11,025   6,438   278   618   449
    2006/7  4.0%  9.0%  6.6%   11,020   6,421   288   632   454
    2006/8  4.1%  8.9%  6.4%   11,019   6,427   272   625   443
    2006/9  4.2%  8.8%  6.5%   11,024   6,431   280   624   446
    2006/10  4.2%  8.8%  6.3%   11,030   6,437   281   622   434
    2006/11  3.9%  9.2%  6.4%   11,034   6,410   292   652   439
    2006/12  3.7%  9.9%  6.6%   11,023   6,354   244   701   448
    2007/1  4.0%  11.1%  6.9%   11,034   6,278   264   784   464
    2007/2  4.1%  10.8%  6.6%   11,034   6,302   270   760   447
    
    2006/2  4.2%  11.0%  7.2%   11,006   6,272   277   772   487
    2005/2  4.7%  11.6%       11,003   6,224   308   818
    2004/2  5.0%  11.6%       10,976   6,209   330   816
    2003/2  5.3%  11.5%       10,933   6,193   349   804
    2002/2  5.4%  10.5%       10,908   6,248   356   733
    2001/2  4.8%  8.5%       10,852   6,352   318   593
    2000/2  4.9%  8.8%       10,818   6,311   327   613
    
        C/(B+C) D/(B+D)       A     B     C  D=Ax0.64-B
    
    (直近月次ボトム)
         5.8%  11.6%        --    6,193   385   818
        (03/3,4)(04/2,05/2)           (03/2)  (03/4)  (05/2)
    
    (注)
    ・単位は、%を付したものを除き、万人。
    ・ソースは総務省統計局の「労働力調査」(http://www.stat.go.jp/data/roudou/2.htm)。
    ・月次データは原数値を用いている(季節未調整)。
    ・「真の」値は労働力人口比率が0.64(直近ピーク(1992年))であると仮定した場合の値。
    ・「高齢化等補正」についてはhttp://bewaad.com/20060729.html#p02を参照のこと。

    #過去の計数は以下のとおりです。

    2005
    03040506070809101112
    2006
    010203040506070809101112
    2007
    01

    03/30/2007 (11:53 pm)

    喫煙と社会保障支出との関係

    Filed under: science ::

    ITOKさんによるタミフル問題のまとめの中で言及されている「不都合なタバコの真実@週刊東洋経済(読了して追記)」(@リヴァイアさん、日々のわざ3/20付)において、エントリのタイトルが物語るようにそもそもタバコの話だったわけですが、タミフル問題以外にタバコについても、次のようなコメントのやりとりがありました。

    この号で特に目を引いたのがJT役員の禁煙して長生きすると医療費と年金が余計にかかるとの主張。
    この主張の真偽はともかく、
    JTは国のために人を殺してやっているという本音が見えてきた。

    投稿 FT-620B | 2007.03.23 21:41

    (略)

    そして、ワイネフさん、FT-620Bさん。
    医療費の問題は、真偽はともかく、JTが言う問題ではないですね。

    とはいえ、実は、ぼくは意外とこの議論は大事だと感じています。
    だって、本当にそうかもしれないから。
    たばこを吸う人が、数年間高度な医療を受けて、そのまま亡くなってしまう社会と、長生きしてちょくちょく薄く長く病院にかかる社会はどちらの医療費が大きくなるのでしょう。
    禁煙対策が進んでいる国では、その「結果」があと十年、二十年の間に出るのではないないでしょうか。いや、すでにもうその手の研究はありますか? 寡聞にして、知らず、なのですが。

    で、なぜこれを考えることが大事かというと、もしも、JTの言い分が正しければ、少なくとも医療費問題を喫煙対策の理由にすることはできなくなるからです。
    いや、本来的には、医療費のことを問題にしなくたって、喫煙問題は立派な問題なわけです。我々は「何が問題なのか」をよりシャープに考えなければならなくなります。つまり、生きることにおける福祉の問題ということです。

    個々人のある瞬間の選択として、「今、がんになりたいですか」と聞いて、イエスと回答する人は、ごくごく希なはず。「今、死にたいですか」ですと、そこそこイエスの人がいるかもしれませんが、よりによってまわりくくどく、がんになるなんて、嫌な体験に決まってます(たぶん)。

    だから、やはり、がんはできるだけ少なくしたい、というのはぼくには正当な理由に思えます。身近な人にもなってほしくないし、自分もなりたくないです。

    そんなこんな。

    投稿 カワバタヒロト | 2007.03.25 07:52

    (略)

    かわばた様、
     たくさん色んな問題を先送りにしていますが、喫煙と医療費の問題、あまりきちんと計算したことはありませんが、これは大丈夫と思います。ちょくちょく受診長生きとタバコ吸って癌で短期間に医療費かかるのとでは、前者の方が医療費がかからないでしょう。理由は下記の通り。
    1.がんの医療費とちょくちょく受診の医療費は桁違いで、数十年長生きしないと並びそうにない(もちろんちょくちょく受診の種類により違いの大きい少ないはありますが)
    2.喫煙により、ちょくちょく受診の1回当たりの額も、ちょくちょくの回数も増える
    3.上に関連しますが、喫煙は、がんで死ななければ、慢性気管支炎や肺気腫、心臓疾患、脳血管疾患などなど、ちょくちょくどころか医療抜きには過ごせない疾患を大幅に増やし、これが莫大な医療費になる

     さて、問題はこれに長生きして年金を含めて議論しようとするんですよね。これだと分からないんです。さて、どうします?私は却下としたいです。消費もしてくれて経済を回してくれるわけですから。
     あと、JTの医療費議論だと、職業がんなどの発がん物質規制をする必要はなくなりますよね。職業がんの病因物質である例えばアスベストなどは何の役にも立たないタバコより役に立つし、そもそも大量曝露に気を付けておけばタバコと違って癌以外の疾患も少なそうだし。
     こんなところで回答になっているでしょうか?

    投稿 zusammen | 2007.03.27 15:12

    不確実な情報で申し訳ありません。「喫煙と医療費の議論」に関してですが。

    かつて(10年ほど前?)『東欧の国(ブルガリアだっけ?)で米大手タバコメーカー(フィリップ・モリスだっけ?)の資金で大規模な調査活動が実施され、”禁煙推進するよりも喫煙者の早死にの方が医療費・年金トータルでメリットが大きい”という結論の報告書が提出されたが、さすがに反発が大きく取り下げになった』

    というような趣旨の報道を時事通信の報道(これはまちがいない)にて見た記憶があります。その後ソースを探しているのですが、見つけることが出来ないままなのです。
    この調査報告に関してレポートそのものの中身を見ると、喫煙の社会コストに関する議論の参考になるかと思うんですが、どなたか情報をお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか?

    投稿 赤ガエル | 2007.03.27 22:11

    「不都合なタバコの真実@週刊東洋経済(読了して追記)」(@リヴァイアさん、日々のわざ3/20付)

    で、この問題については、少なくとも兪炳匡「「改革」のための医療経済学」に依拠する限り、喫煙率が高ければ高いほど社会保障支出(主として医療費と年金)は抑制されるということについて、関係する研究者の間ではあまり異論はないようです。そのロジックは次のとおり。

    1. 喫煙者の平均寿命は非喫煙者の平均寿命より有意に短いので、年金の支給額は喫煙者が多ければ多いほど抑制される。
    2. 他方、医療費については、喫煙者・非喫煙者を問わず、生涯における医療支出の分布を見れば終末期に集中している。
    3. 喫煙由来の癌などにならないとしても、非喫煙者だからといって終末医療を受けないわけではなく、つまりは他の何らかの病気等により結局は非喫煙者も喫煙者と同等の医療支出を行う。
    4. 以上から、社会保障支出の総額は、喫煙率(人口に占める喫煙者の比率)が高ければ高いほど、抑制される。

    ポイントは、非喫煙者だからといって一般的傾向として「長生きしてちょくちょく薄く長く病院にかかる」だけにとどまるものではなく、「数年間高度な医療を受けて、そのまま亡くなってしまう」点では似たようなものだ、というところでしょう。

    この分析とzusammenさんのお見立てといずれが正しいのかを判断する材料をwebmasterは持ちませんが、「すでにもうその手の研究はありますか? 寡聞にして、知らず、なのですが」とのことですので、今後の有益な議論を願ってのご紹介ということで。

    03/30/2007 (11:50 pm)

    井手壮平「サラ金崩壊」

    Filed under: economy, economics, policymaking, book, politics ::

    サブタイトルに「グレーゾーン金利撤廃をめぐる300日戦争」とあるように、昨年の一連の消費者金融の上限金利規制を巡る騒動を記録したものです。この問題は当サイトでも長きに渡ってフォローしてきましたが、本書の記述が概ね正しいとの前提に立つと、webmasterの理解が誤っていたことがわかり、非常に重宝する記録であるといえましょう。ちなみにwebmasterの誤解とは、政治主導(与謝野大臣・後藤田政務官(いずれも当時))で決まった話で官僚はそのイニシアティヴに受動的に対応していたというもので、本書によれば、(少なくとも)大森信用制度参事官と森課長補佐の2名はきわめて能動的に上限金利引下げを図ったとのこと。

    その他、最高裁判決から法案の決定に至るまでの流れが要所を押さえつつまとめられており、資料的価値はなかなか高いといえるとwebmasterは思います。金融庁担当の記者(共同通信)という著者のグラウンドが影響してか、自民党と金融庁の動きに傾斜しがちで、それ以外の部分が若干手薄にも思われますが、結局のところは勝負はそこで決まり、その余の関係者(業界、日弁連など)の動きはそこへいかに影響を与えたかという形で評価されるべきものでしょうから、本書の価値を落とすものではありますまい。

    ないものねだりをするならば、上限金利規制というものの持つ意味を掘り下げて欲しかったとはいえますが、それは本書、さらには著者の任ではないのでしょう。つまりは本件についての経済学者の発言がもっとあってもよいのでは、ということですが、webmasterが知る限りでは、早稲田大学消費者金融サービス研究所でのもののほか、大竹文雄先生と池尾和人先生の論争、それに当サイトにもコメントをお寄せいただいた吉行誠さんの一連の記事(ちょうどこの3者が大竹先生のエントリのコメント欄で相まみえていますので、概観はそちらをご覧いただければ)ぐらいしかめぼしいものはありませんでした。

    ことはごりごりのミクロ経済問題であり、しかも影響を受ける者の数は多めに見積もれば1,000万人を超える本件について、できれば政策立案過程においての経済学的な議論があればとは思いましたが、過去にとらわれていてもいたし方ありません。せめて今からでも、あるべき消費者金融規制とはどのようなものかを論じることに、経済学者の存在意義のひとつがあるのではないでしょうか。

    03/29/2007 (6:44 am)

    霞が関を弁護する読売新聞

    Filed under: government, media ::

    最近マスメディアの報道を賑わせている新人材バンクですが、当然ながら(笑)基本線は霞が関&それに理解を示す政治家を抵抗勢力(という文言は昨今あまり使われないようですが)とし、「改革」の邁進を訴えるものであるようにwebmasterには見えます。ところが、そうした風潮に真っ向から反する記事が読売新聞に。

     政府は27日、公務員制度改革の基本方針を決め、内閣府に新設する「人材バンク」に政府全体の再就職あっせんを一元化することや、能力や実績に応じて昇進、昇給する人事制度を導入することが決まった。(林博英、中沢謙介)

     天下りや年功序列など、これまで指摘されてきた公務員制度のゆがみをただす大改革となるが、新たな仕組みには問題点も多く、なお検討が必要になりそうだ。

    (略)

     8日に渡辺行政改革相の公務員制度改革案が報道されて以来、その内容の是非も検証されず、あれよあれよという間にこの日、経済財政諮問会議にかけられる事態になった。

     今回の改革で国家公務員に優秀な人材が確保できるのか。新たな人材バンクは成果が上がるのか。こうした議論も十分ではないが、国家の制度設計の一端を担う公務員はどう処遇されるべきなのか、という視点での議論が忘れられている。「政治主導」も行政が機能しないと成り立たない。

     今回の改革は、統一地方選や参院選を前に、官僚バッシングで人気取りを図るという政治的思惑にまみれてはいないのだろうか。

    (高木雅信)

    読売「国家公務員制度一新、両刃の剣」

     政府は、国家公務員法改正案などの関連法案を国会に提出するというが、今国会成立の確たる見通しが立っているわけではない。有権者に受け入れやすい問題という判断から、夏の参院選へ争点化しようという意図もうかがえる。

     しかし、国の基本にかかわる問題だ。拙速に進めるべきではあるまい。

     政府の基本方針は、能力実績主義の導入を主要な柱としている。年功序列、横並びの昇任、昇給を是正するために、当然のことだ。専門スタッフ職の実現や公募制の導入、官民交流の拡大、定年延長なども時代が要請するところだろう。

     だが、新・人材バンク構想は非現実的だ。この要請に応えられる保証はない。

    読売「新・人材バンクは拙速を避けよ」(3/28付社説)

    これで部数が落ちようものなら、マスメディアではその教育効果が働いて二度とこのような論調は出てこないでしょうから、そうならないことを切に願う次第でございます・・・。

    03/28/2007 (5:56 am)

    タミフル騒動の社会的側面

    Filed under: science, media ::

    医学・薬学的側面としては、現時点では次の見方が無難なように見えます(素人ながら)。

    他方、なぜこのようなことが日本において特に顕著なのかということについては、切込隊長さんのエントリによせられた次のコメントが的を射ているように、webmasterには思えてなりません。

    3.名無しさん(2007-03-27T12:14:48+09:00)

    身の回りのお医者さんに聞いた限りでは、統計的に優位な差が出るかどうかはもっと症例数が増えないと判らないそうです。異常行動はインフルエンザ脳症の典型的な症状なので、タミフルを服用していない場合の異常行動はイチイチ報告に上がらないから、現時点ではタミフル服用時とそれ以外の発症数を正確に比較できるデータが無いとか。

    4.名無しさん(2007-03-27T12:16:26+09:00)

    それと日本で2005年以降の発症時例が多いのは、医者の方は「強い薬だから副作用があるかもしれないし高価だから」と使用に慎重になっていたのに、マスゴミが新薬登場を煽ったせいですよ。お陰で「先生、何故タミフルを打ってくれないんですか?アンタは良い薬も知らない藪医者なんですか?」という患者が沢山病院に押しかけた次第。今になって掌返すマスゴミの責任を追及する人は居ないんですかね。

    「立花隆先生がまた早漏」(@切込隊長BLOG(ブログ)〜俺様キングダム〜3/27付)

    #タミフルが広まった理由のひとつとしての保険適用など、コメントにてbn2islanderさんがご紹介の読売新聞記事は上記引用の補足として有益だと思いますので、ぜひご参照ください。(3/29追記)

    若干付け加えるならば、こうした社会的な側面が医学・薬学的な側面に悪い影響を与えないだろうか、ということが心配になります。インフルエンザウィルスは世代交代の早さ、言い換えれば変異の早さが特徴のひとつですが、あまりにタミフルが(必要もないのに)広範に用いられると、タミフル耐性のあるウィルスの登場を促しはしないか、ということです。

    そうした観点からは、今般の騒動は、瓢箪から駒とも言えるのでしょう。タミフルの処方を求めていた患者(ないしその関係者)が、タミフルの副作用を恐れて行動を変えるのであれば、結果的にタミフル耐性のあるウィルスの登場・蔓延を遅らせることにつながり得るといえるからです。

    もちろん、このような社会的な「副作用」を期待するのは、あまりほめられた話ではありません。しかしながら、rnaさんがおっしゃっているように、そもそもインフルエンザにかからないための努力がもっと強調されてしかるべきであったにもかかわらず、という現状を見ますと、正攻法でタミフルの使用を抑制することは困難であったろうとは思わざるを得ないわけで。

    03/27/2007 (12:53 pm)

    TOKIO長瀬智也に注目するなら・・・

    Filed under: entertainment, media ::

    Ameba News「「伝説語録」の新旗手として注目が集まる長瀬智也」を見て、TVぴあ読者であれば何を今更、の感を強くすることでしょう。TVぴあを読まれていない方で長瀬語録をもっと知りたいという方がいらっしゃいましたら(隔週水曜日発行です)、巻末の読者投稿欄(オンエアされたさまざまな人々のおもしろ発言が対象)をチェックしてみてください。

    03/27/2007 (12:52 pm)

    外山恒一都知事候補の政見放送

    Filed under: politics ::

    話題沸騰ですので、ご存じない方も少ないかと思いますが、念のため。

    これらを見た後では、当然ながら立候補した理由を説明しているとのポスターに何が書いてあるのかが気になるところです。「二種類あるから、どちらも見逃さないように」とのことですが、とりあえずネットで探すことができた画像から、字の少ない方を見てみましたが、そこには理由が書いてありませんでした(2行ほど判別できない文字列があったので、そこに書いてある可能性はありますが)。というわけで、

    • 小さな文字で埋まっているもうひとつのポスターの、文字が判別できる画像
    • そのポスターが掲示されている場所

    についての情報をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければ幸いです。

    #実はポスターのテキスト起こしをしてみたのですが、そのネットでの公開は国家公務員法・人事院規則に抵触する可能性があるなぁということで、お蔵入りといたしました・・・。

    03/26/2007 (7:58 pm)

    横田由美子「私が愛した官僚たち」

    Filed under: government, book ::

    著者が重ねてきた「官僚たち」への取材をまとめたものですが、本書で出てくる「官僚たち」は、決して霞が関住人の多数派ではなく、霞が関から出て行った/出て行きたいと願う「官僚たち」であることに留意した上でお読みいただければ、というのが率直な感想です(そういえば、amazonに好意的な書評を寄せている海援隊さんことquecheeさんも、近頃霞が関から出て行かれたようで)。そのことに著者もある意味では自覚的で、別の意味ではまったく自覚的ではないと思わせるのが次の記述です。

    彼らを取材していると、週末のスケジュールは大抵「勉強会」で埋まっていく。各省で目立つ若手が、勉強会を主催している例は本当にたくさんあるので、どれに参加するか迷うぐらいだ。(略)

    (略)

    しかし、外部と積極的に接触したがる割合は、全体の三割程度のようである。

    先ほど私は、「これまで数百人の若手官僚に会った」と書いたが、私が会っているのはごく一部であり、全体像を捉えることなど到底できないことを認めざるを得ない。あるキャリアによると、若手は大きく三つのパターンに分かれるという。

    ひとつは、霞が関の外に目を向け、積極的に情報収集をしようとする人たち。将来的にメディアで露出することや政界に打って出ることも考える、やまっ気のあるタイプが含まれる。巨大な活字で名前を刷り込んだ、政治家と見間違うような名刺を配っている官僚もいる。

    一方、他人とのコミュニケーションの方法を知らない人たちも少なからずいて、彼らは内側に籠もりがちだ。このタイプは、パーティなどにはまったく顔を出さないので、ほとんど会う機会がない。広報を通じた取材でこのタイプに当たることがあるが、以外に純粋な印象を受けた。

    最も問題なのは、沈黙を好むタイプだ。出世と保身しか考えず、上の顔色と人事ばかり見ていて、外部の人間に対してはひどく傲慢、不快感を与えるタイプである。”ヒラメ”と呼ばれるこの層が、霞が関では大勢なのだ。

    pp9-12

    ある意味では自覚的、というのは「私が会っているのはごく一部であり、全体像を捉えることなど到底できないことを認めざるを得ない」としている部分で、まったく自覚的ではない、というのは「”ヒラメ”と呼ばれるこの層が、霞が関では大勢なのだ」という部分。「広報を通じた取材」以外で著者に接するようなタイプは、その多くが「霞が関の外に目を向け、積極的に情報収集をしようとする人たち」であって、それ以外のタイプではないでしょうから、結局は著者の持つ「官僚たち」のイメージとは、「霞が関の外に目を向け、積極的に情報収集をしようとする人たち」に対して著者が抱いたものと、彼/女らの持つイメージを吹き込まれたものとの2種類が大半でしょう。

    #しかし、著者の観測が正しいのであれば、霞が関(のキャリア)には3割もそっち系がいるんですねぇorz。

    つまりは客観的には霞が関住人を見ることができておらず、多様なそのあり方のひとつに縛られてしまっているわけですが、その理由は著者自身がエピローグにおいて明らかにしています。

    この三年にわたる取材活動は、私の自分探しの旅であったのかもしれないと思う。

    私は、バランスの悪い、過剰な人間だ。

    (略)

    自分のバランスの悪さを補うために、私は努力した。仕事は努力した分だけ返ってくる。人に気持ちを預けすぎてしまい、その見返りを得られないときに感じる救いようのない絶望感からは逃れられる。

    そして私は、バランスの悪い彼らに、どうしようもない親近感を感じてしまうのだ。

    彼らと私に、大きな能力の差があることをじゅうぶん承知している。それでも、ある種のバランスの悪さを仕事に打ち込むことで解消していることは、共通している。

    この取材がうんざりすることの連続であっても、彼らをどうしても嫌いになれないのはそういうわけなのである。

    pp229,230

    以上から察するに、バランスのとれた霞が関住人‐霞が関という職場に過剰な幻想を持たず粛々と職責を果たし(霞が関を辞めていく人々には、過剰な幻想を霞が関に抱いて就職時にキャリアを選び、それが現存しないのだと裏切られた気持ちになり、どこか別の場所にそれがあるはずと別の道を探すという傾向が、一般的には強いのだとwebmasterは思います)、プライヴェイトにおいてもごく普通に暮らしている人々‐は、著者にとって認め難い存在なのでしょう。言い換えれば、バランスのとれたある意味安穏とした生き方を認めることができず、どこかにアンバランスさを見出さざるを得ないのでしょう。

    #バランスがとれていればいいとか、アンバランスが悪いとか、そういうことを申し上げたいわけではありません。為念。

    あるいは、webmasterとてこのようにネットにてちんけとはいえ言論活動をしているわけで、それはある種のアンバランスさの表出ではありますが、著者と共感しあう類のアンバランスさではないわけです(少なくとも、「仕事は努力した分だけ返ってくる」なんていう楽観主義には縁遠い人間ではあります)。そうしたアンバランスさに対しても、おそらくは理解が及んでいません。それらをひっくるめたある種の理解し難い存在への評価が、「”ヒラメ”と呼ばれるこの層が、霞が関では大勢なのだ」に凝縮しているように、webmasterには見えます。

    #「他人とのコミュニケーションの方法を知らない人たち」がアンバランスであることは、改めて説明するまでもないでしょう。

    これらの裏返しとして、著者が親近感を感じるようなタイプの「官僚たち」については、かなりの程度その内面を探り出すことに成功しているといえるでしょう。おそらくは共依存が成立していて、その手の「官僚たち」にとっても、著者=ジャーナリスト(フリーライター)が着目したという事実により、自らの選択が間違ってなかったとの安心感を得ることができるはず。その結果、

    いまにして思えば、役所の仕事は楽しかった。出てみてあらためて、役所に、いかに情報が集中していたかということを思い知らされる日々だ。役人でないと会えないような人にもたくさん会うことができた。

    官庁を出てみて良かったとは、残念ながらいまはいい切れない。

    正直いって、「戻れるものなら、霞が関に戻りたい」と思うこともある。

    pp76,77

    といった、なかなか人には言えないであろう気持ちを引き出すこともできたのでしょう。多くの場合、そうは思っていても他人に正直に打ち明けられるようなものでもないものですから。

    とはいっても、例えば霞が関はダメだと吹聴する霞が関出身議員であっても、同期会などの場では「あれは選挙のための方便であって、霞が関にはいいところだっていっぱいあるけれども、そんなことを言っていては票がとれない」なんてことを言っていたりもするのが現実(笑)。どちらが彼/女らにとっての真実なのか、webmasterは知りませんが、相当程度本音を引き出しているであろう本書であっても、そのすべてではなく一部のみを切り取っているに過ぎないとは、留保をつけざるを得ないでしょう‐どんなものでもそうですから、これは当たり前の事実の確認ということですが。

    03/25/2007 (1:54 am)

    安藤美姫世界フィギュア2007優勝

    Filed under: media, sports ::

    の主要因は、今シーズンは浅田真央にマスメディアの注目が集まり、相対的に安藤美姫にとっては競技に集中しやすい環境が整ったからでは、という気がしてならなかったり。昨シーズンの安藤、今シーズンの浅田と、メディアが足を引っ張った面が少なからずあるのでは。

    03/25/2007 (1:52 am)

    「追い貸しがTFPを上昇させた」仮説

    Filed under: economy, economics ::

    きっかけは、次の書き込みでした。

    689: 名無しさんの冒険  2007/03/21(Wed) 23:54

    追い貸しは不況の主因じゃないという人は追い貸しの悪影響はほぼないと思ってるの? http://www5.cao.go.jp/keizai3/discussion-paper/dp062.pdf この人は外部効果で最大30%生産性が下がったといってるけど、追い貸しの影響は小さいという人は論破してみてよ。 林本ほど難しくないから簡単に出来るよね?

    いちごびびえす・経済/経済学板「トンデモ経済学家元追求委員会vol.8」スレ・レス689

    この三平剛「追い貸しの外部不経済効果について」を読んでいるうち、よく言えばセンスオブワンダー、悪く言えば一発芸的な標記仮説が思い浮かびましたので、書いてみたいと思います。内容についてのきちんとした検討ではないので、そのあたりについては、「日本発展のカギは全要素生産性の成長をいかに加速させるか」RIETI政策シンポジウム「全要素生産性向上の源泉と日本の潜在成長率−国際比較の視点から−」をご覧いただくことをお薦めいたします。

    三平論文における「追い貸しの外部不経済効果」その1‐定性的分析

    三平論文においては、追い貸し(その定義が妥当であるかどうかは、本稿では論じません)が外部不経済効果をもたらすパスとして、以下の3つが掲げられています(pp6,7(紙原稿として振られているページ数です。以下同じ)。

    1. 追い貸し先への貸出しシェアの高止まりによる健全先向け貸出しのクラウディングアウト(ただし、資金需要の低迷等から、健全先は資金供給を受ける代替手段があったと考えられることから、著者はこのパスの影響については消極的に解しています)
    2. 追い貸し先への金利減免等による競争優位獲得・健全先等の活動意欲阻害
    3. 追い貸し先の突然死リスクを警戒した結果としての取引関係の縮小(デット・ディスオーガナイゼイション効果)

    三平論文における「追い貸しの外部不経済効果」その2‐定量的分析

    以上の仮説を前提に、三平論文においては、次のような形で分析が進められています。

    そこで、本論文では、三平(2005)の分析を延長し、追い貸しが外部効果を有していた可能性も考慮して、追い貸しの影響を分析する。具体的には、企業のミクロ・データを用いた回帰分析により、企業の生産性や収益率が、自らが追い貸しを受けているかどうかだけでなく、他の追い貸し企業の存在によっても影響を受けていたかどうかを検証する。追い貸し企業の存在による外部効果を捉える変数としては、当該企業の属する産業における追い貸し企業の割合と、取引先産業における追い貸し企業の割合を用いる。これにより、同一産業内や取引先に追い貸し企業が増加した場合に企業の生産性や収益率に与える影響を検証できる。

    三平剛「追い貸しの外部不経済効果について」, p5

    このような分析により追い貸し企業の割合が高い方が生産性が低い等の結果が導き出せたことから、次のような結論にいたっています。

    本稿では、追い貸しが経済に与えた影響について、追い貸しによって非効率な企業が延命することによる直接効果だけでなく、追い貸しが他の健全企業の生産性等にまで影響を与えるといった外部効果も考慮に入れて分析を行った。その結果、同一産業内や取引先産業内に追い貸し企業が増加すると、企業の生産性や収益率に影響を与えるという外部効果が存在することが明らかとなった。

    こうした外部効果も含めて経済への影響を推定すると、直接効果のみを考慮した場合と比べ、影響は大きかったと考えられる。実際、外部効果も含めて最大限見積もった場合には、追い貸しは経済の生産性(TFP)の水準をおよそ30%低下させていた可能性がある。また、直接効果だけでは追い貸しの影響が確認できなかった生産性上昇率についても、外部効果を考慮すると、最大で1.1〜1.7%程度、生産性上昇率を低下させていた可能性があることが示された。

    これらの結果から、追い貸しは90 年代以降の日本経済を停滞させる大きな要因の1つであったと言えよう。そうした追い貸しも、大手金融機関の相次ぐ破綻や金融再生法の成立を受けて金融機関が不良債権処理に本格的に取り組むようになった98年頃を境に見られなくなり、現状では不良債権処理もようやく出口を迎えつつあることから、日本経済は、バブル崩壊後10 年以上にわたる不良債権の重石からようやく解放されつつあると考えられる。

    三平剛「追い貸しの外部不経済効果について」, p20

    「追い貸し」のない世界のシミュレーション

    では追い貸しがなければ生産性等は下がらなかったのでしょうか。著者はそのようにお考えに見受けられますが、実際に追い貸しがなければどうなるかを考えると、そうは問屋が卸さないような気がwebmasterにはするのです。

    追い貸しがなければ、現実には追い貸しを受けていた企業は「倒産」するのでしょう。ただ、単に「倒産」といっても、そのあり方は様々です。といってもまったくのカオスというわけではなく、次のように大別可能とされています。

    清算型倒産手続
    「倒産」した企業を資産売却等により現金化し、その現金を配当として債権者等に支払って企業そのものはなくしてしまうもの。破産や特別清算など。
    再建型倒産手続
    債権放棄等により損失を債権者等の間で分かち合い、「倒産」した企業の事業内容を見直した上で、一定期間をかけて企業を再建していくもの。会社更生や民事再生など。

    #これらは法律上の定めのある手続ですが、関係者間の合意に基づき進められる(=法律上の根拠を持たない)任意整理については、いずれのパターンもあり得ます。一般的な傾向としては、任意整理の多くは清算型であると言われています。

    さて、先に整理した定性的分析に照らして、追い貸しを受けられずに上記のいずれかの手続による「倒産」にいたった場合の影響を考えてみましょう。クラウディングアウト効果は、著者が書かれているのと同様の理解からwebmasterもほぼ存在しなかったろうと見ていますから、そこは割愛します。

    競争阻害効果

    追い貸し先が「倒産」した場合、それが再建型手続によるものであれば、競争阻害の原因となる追い貸し先が獲得する優位性は、より大きなものとなります。一般に債権者(多くの場合において銀行)が「倒産」を避けて追い貸し(下における金利減免や一部債権放棄)を好むのは、「倒産」の場合にはより貸倒損失が増えるからですが、これは債務者の側から見れば、返済義務がより小さなものになる、ということに他なりません。

    清算型である場合には、追い貸し先はなくなってしまうわけですから、このようなことは起こりづらいとはいえましょう。

    デット・ディスオーガナイゼイション効果
    本効果は存在したとの前提で議論をするならば、追い貸しがある場合に比べてない場合の方が「倒産」の危険を察知しやすいということでない限り、追い貸しがあるからデット・ディスオーガナイゼイション効果が働くということにはなりません。デット・ディスオーガナイゼイションの場合、対金融機関よりも対取引先に主たる着眼点がありますが、取引先からすれば、経営悪化から「倒産」へ直接移行するより、追い貸し段階を経ている方がいわば「黄信号」を見ることができるので、かえって追い貸しがない方が「倒産」の危険を察知しづらく、本効果はむしろ強くなるようにwebmasterには思われるのですが。

    「追い貸しがTFPを上昇させた」仮説の論理

    というわけですので、現に追い貸しを受けていた企業が、仮に追い貸しがなかった場合に再建型倒産手続に移行するものが多いのであるならば、追い貸しの存在によりTFPは上昇していた(あるいはその減少は小さいものにとどまっていた)、ということが言えるでしょう。そこはきちんとしたミクロのデータで検証する必要がありますが、一般的な傾向として、次のようなことが言える蓋然性は高いでしょう。

    すなわち、今般の景気回復過程において追い貸しから「倒産」を経ずして立ち直った企業は、再建型手続により「倒産」に追い込まれずに済んだがゆえに外部不経済をもたらさずに済んだ、と。真に立ち直れないほどの経営悪化に直面した企業は、結局のところは追い貸しをもってしても復活させることはできず、清算型か再建型かは別にするとしても、「倒産」に追い込まれたものと推測するのは、あながち的外れというものでもないでしょう。

    あくまで外部不経済は再建型によるものに限られ、清算型が多かったのであればそのような悪影響はなかった、というのがここまでの前提です。三平論文の分析を受け入れるにせよ、ここまではその分析を延長することにより必然的にたどり着く帰結を論じてきました。これが間違っているとするには、三平論文の妥当性を否定するのが唯一のやり方となるはずです。

    では、清算型においては本当に悪影響は生じないのでしょうか? 一般に企業の継続価値に比べて清算価値は低くなりますが、その理由のひとつとして、これはその企業が存在してこそ価値が出てくる組織内のノウハウ等の存在が挙げられます。企業が存続すれば何がしかの価値をもたらすものであっても、清算してしまえば、それらは雲散霧消してしまわざるを得ません。この存在をも考慮に入れるのならば、

    • 追い貸しがなければ清算型手続で「倒産」していた企業数×換価不可能な企業特有の価値>追い貸しにより清算型手続による「倒産」の時期が遅れた企業数×当該遅れた期間の平均値×単位期間あたりの追い貸しによる延命の外部不経済効果

    という関係が成立するのであれば、やはり「追い貸しがTFPを上昇させた」ということが言えるはずでしょう。

    因果は巡る?

    三平論文の内容への理屈に基づく反論は以上ですが、そもそもの前提がおかしいのでは、という反射的な違和感が別にあります。三平論文は回帰分析によっていますが、回帰分析は因果関係を調べる手法のひとつとはいえ、必ず因果関係が成立することを保証するものではありません。

    三平論文が示しているのは、乱暴にまとめるのならば、追い貸し企業が多くなれば、その産業は生産性が相対的に低い傾向にある、ということに過ぎません。そこで存在し得る因果関係は、追い貸し企業が多くなることには生産性等を引き下げる効果がある、という三平論文が採ったものしかないのでしょうか?

    webmasterには、俗に言う構造不況業種としてある産業の生産性等が下がれば、当該産業の企業は他産業のそれに比べより多く経営悪化に陥り、その結果として追い貸しを受けざるを得なくなっている企業も多い、という別の因果関係も、それに勝るとも劣らぬ説得力を持つように思えます。いずれが正しいかを検証する能力はwebmasterにはありませんが、少なくとも三平論文の分析内容が正しかったとしても、追い貸しがマクロ経済に悪影響を与えたとの観察にそれを直ちに接続するのは、少々軽率ではないかという気がするのです。

    03/24/2007 (6:28 pm)

    低金利下での家計の利子収入に関する面白い計算結果

    Filed under: economy, BOJ ::

    当サイトはいちご経済/経済学板よりもアクセスを集めているらしいので、ご紹介の価値もあるでしょう。

    782: ドラエモン  2007/03/24(Sat) 01:27 [ va4qsJNk0c ]

    もちろんもっと金利の高い預金はあるから、これは極端な例かもしれないが今計算してみた結果は面白かったので報告。

    ある月に普通預金をして、1年後に受け取る利子からその期間のインフレを控除した実質利子率(後ろ向きではないことに注意)を計算してみた。

    1970年1月から2006年1月までの433ヶ月のうちで、実質利子率がプラスだった月数は133ヶ月しかない。

    しかもデフレ開始以前の1997年12月までの336ヶ月のうちでプラスだったのはわずか52ヶ月。

    つまり、残り96ヶ月のうちで81ヶ月はプラスだったわけ。

    要するに、ゼロ金利時代(正確には99年3月以降だが)は、70年代以降ではもっとも家計が普通預金から実質的なリターンを受けていた時代であった。普通預金に関する限り超低金利は、家計にとってもっとも預金が有利だった時代なわけね(爆

    いちごびびえす・経済/経済学板「トンデモ経済学家元追求委員会vol.8」スレ・レス782

    これは次のような試算への反論ではありますが、デフレ下では実質金利が高止まる、と定性的に言うよりも説得力があります。再反論があれば面白いことになりそうですが(笑)。

    日銀の福井俊彦総裁は22日の参院財政金融委員会で、バブル崩壊後の超低金利により家計が失った金利収入の累計が331兆円に上るとの試算を明らかにした。福井総裁は「低金利政策のマイナス面の一つだが、借入金利低下の影響を含めた経済全般への効果を判断する必要がある」と述べた。

    試算は最新の国民所得統計をもとに日銀がまとめた。バブル崩壊直後にあたる1991年の家計の受取利子額は年間38兆9000億円。家計が同じ額を2005年まで継続してもらっていた場合と、実際に受け取った利子額との差をはじいた。 (07:02)

    日経「超低金利で家計、331兆円の利子所得失う・日銀総裁が試算公表」

    03/23/2007 (4:26 am)

    さらにさらにCSSを変更してみました。

    Filed under: notice, WordPress ::

    変更点は次のとおりです。

    • サイトタイトルの文字色を変更。
    • h3要素の表示位置を調整。
    • コメント投稿欄のコントラスト増加。

    03/23/2007 (4:23 am)

    続・あるべき日銀の利上げ批判

    Filed under: economy, economics, BOJ ::

    先日の「あるべき日銀の利上げ批判」のコメント欄にて、韓リフさんとwebmasterとの間でコメントのやりとりが続いておりましたが、田中秀臣先生ご自身が本件についてのエントリを別途立てられたこともあり(韓リフさん=田中秀臣先生です。為念)、改めてエントリを起こしてみたいと思います。

    田中先生のご理解の枠組み

    若干長くなりますが、引用いたします。

     まず教科書レベル(具体的な教科書としてブランシャールの『マクロ経済学』を採用します)の話ですが、金融政策と株価の変動というのは関係します。どう関係するかは、教科書によると

    1)金融政策自体の変化によるショック

    2)(ニュース、政府統計公表などで)消費の変化・景気動向などが市場に伝えられたときのショック

    のふたつを原因にしています。そして各々市場参加者の期待(予測)のあり方が株価の変動や産出量の変化に関連してきます。株価の変動はショックの直近から観察可能ですが、産出量が実際にどう変わるかは時間を置かないと観察可能ではないでしょう。また2)の方は金融政策自体のスタンスをどう市場が予測しているかということにも関わります。ちなみにここでは予測と期待は同じExpectationの訳語として原則採用します。

     また株価は(教科書の定義を採用し)一年物の期待利子率の流列によって割り引かれた将来の期待配当の現在価値である、とします。

     まず1)では、いま書きましたように、市場参加者の予測のあり方が大きく関わります。

      1−a) 金融政策が予測どおりだった場合

      1−b)金融政策が予測どおりでなかった場合*

        *どの程度の人が予測どおりでなかったかどうかにこのシナリオは依存する部分が大きいです。

      1−a)では株価の定義から金融政策の動きを市場は織り込んでいるので株価は変化しません。

      1−b)では予期しない金融政策の変化があったので、修正された予測に応じて株価は変化します。

       小例1)予期しない金融緩和ならば、現在の利子率と将来の期待利子率は低下、期待産出量・期待利潤の増加を予測するので、現在の配当・将来の配当の増加。ゆえに株価上昇。

       小例2)予期しない金融引き締めならば、現在の利子率と将来の期待利子率は上昇、期待産出量・期待利潤の低下を予測するので、現在の配当・将来の配当の低下。ゆえに株価低下。

       小例3)予期すべきアンカーがないままなんらかの政策決定が行われたとき、市場参加者の予測形成もまたアンカーをもたない(株価は変化するがどう動くか予測することはできない)。

     この1−b)の小例3)はいまの日本のリークこみの金融政策のあり方を示しているように思えます。カシャップも次のような表現を使用しています。

    「「日銀はマスコミへのリークを政策ツールとして導入した。このため、市場参加者たちが、日銀の政策変更を根拠に基いて推測することはほとんど不可能と感じるという、かなり常軌を逸した事態となってしまっている」(svnseedsさん訳)

     以上の1)は金融政策と株価との関係を示していて、それぞれが株価の動き(動きの無い場合も含めて)をみて、金融政策を評価することに奇妙なことはないことを示しているといえるでしょう。

    (略)

     さらにこのグラタンという人が批判している「ほら言わんこっちゃない、日銀が利上げするから世界同時株安が起きた」というものをより直接にみておきましょう。これはブランシャールでは2)の応用となります。「今回の利上げが先月の21日、世界同時株安の発端となった上海が落っこったのが同27日」という事態もからめてよりもっともらしいシナリオを考えることになります。

     教科書的知識をまず整理しますと(ブランシャールはis-lmを利用しています)

    2)上海株式市場の下落という予期せざるニュースが生じる(これは日本経済の投資や輸出に悪影響を及ぼす)を考える場合ですが、

     2−a) 日本銀行が利上げをしていること(LM曲線は左上方シフト。またLM曲線の傾きは非常に緩やかだと仮定しても日本の場合は不都合はないでしょう)

     2−b)上海株の下落ニュースはIS曲線を左下方にシフトさせること

    以上から新しい均衡点はニュースの伝わる前の初期の均衡点よりもより高い名目利子率とより低い産出量に直面していると市場で期待されます。これは株価の定義から現在のより高い名目利子率とより高い期待利子率をもたらし、またより低い期待配当をもたらすでしょう。すなわち株価は現在において下落します。

    このときも上海株のニュースが日本銀行の利上げスタンスによって、直近の株価の変動として現れても不思議ではないことになります。なおこのときは市場が金融政策の動向を正しく予想していた場合を想定しています。つまり21日から26日までは1−a)のように市場の期待通りだったので株価の顕著な変動は起きなかった。予想通りに金融引き締めだった。しかし27日に予期しない上海株下落のニュースが飛び込んできたので、金融引き締めという日銀スタンスを正しく予測しているので、株価は非常に下がった、というわけです。

     ここでも上の見込みのない引用の主張とは反対に、日本銀行の利上げが世界同時株安に貢献していてもいい理論的証拠になると思います。つまりこれはなんらかのリスクの発生を考慮に十分いれないで金利を引き上げたことが、株価下落、将来の産出量低下を招く、と批判していい論拠となるでしょう。

    「見込みのない議論と株価と金融政策」(@Economics Lovers Live3/22付)

    田中先生とwebmasterとの行き違いその1‐「日銀が利上げするから・・・」の解釈

    株価下落と日銀の引締めとの関係については、実はwebmasterは上記引用の最後から2つめのパラグラフ(「このときも・・・」以下)のように理解してます。前回のコメント欄であれこれデータを引いたのも、「なおこのときは市場が金融政策の動向を正しく予想していた場合を想定しています。つまり21日から26日までは1−a)のように市場の期待通りだったので株価の顕著な変動は起きなかった」というようにwebmasterが状況を評価していることの説明、つまりは市場(参加者の多く)は日銀が引き締めると予測していたよね、ということをうかがわせる諸々をお示ししたものだということです。

    ではなぜ行き違ってしまったかですが、webmasterの日本語の感覚では、「日銀が利上げするから世界同時株安が起きた」というからには、「日本銀行の利上げが世界同時株安に貢献していてもいい」という程度では足りないのです。言い換えますと、田中先生がそのような事象までを「ほら言わんこっちゃない、日銀が利上げするから世界同時株安が起きた」の解釈に含めているとは考えがいたりませんでした。

    webmasterが「日銀が利上げするから・・・」という文章から想定するのは、日銀の利上げが上海の株価暴落を引き起こしたとか、日銀が利上げしていなければ上海の株価暴落は上海に留まり他国には波及しなかったとか、そういう状況ということになります。日銀が利上げしなければある程度は各国の株安が小さくなっていたかもしれないけれども、それなりの株安の連鎖は不可避であったと見込まれるというような状況には、そのような表現は当てはまらない(とりわけ「から」の部分)というのがwebmsaterの語感です。

    したがって、「日銀が利上げするから世界同時株安が起きた」の解釈として、日銀の利上げが世界同時株安の直接の原因になったとの意味に限定せず、それを助長した可能性をも含むとの前提の下では、webmasterは田中先生のご見解に同意いたします。

    田中先生とwebmasterとの行き違いその2‐一般論と個別論

    前回のエントリのコメントでも書きましたが、一般論として金融政策が資産価格に影響を与え得ることはwebmasterも認めています。この一連のやりとりの中でwebmasterが否定的に解していたのは、(上述の理解としての)株価下落から日銀批判を実証ないし蓋然性の高い論理展開を経ずして導き出すことです。

    言うまでもありませんが、資産価格に影響を与え得るのは金融政策に限りません。顕著な資産価格変動が起こった際に、その要因が数多あるその候補たちがどう影響を及ぼしたかを検討した上で、金融政策の寄与度が有意に存在すると示してこそ、資産価格変動をもって金融政策を論ずることができるというものでしょう。言い換えれば、それなりの根拠を揃えてから批判しましょうよ、ということです。

    ところが、田中先生は、webmasterのこのような議論を、次のように解されています。

    で、逆に切り返しますが、中銀が裁量的政策で株価に影響を与えることは「まったくない」理論というのはあるんでしょうか? あるならば教えていただけますでしょうか? なければそれはbewaad-グラタンの妄想でしかないと思います。

    「あるべき日銀の利上げ批判」(3/9付)に対する韓リフさんのコメント

    そんな理論の存在など知りませんってば(笑)。先般の世界同時株安における日銀の利上げの寄与度はほんの脇役程度でしかない可能性がある(ので、上述の意味で「日銀が利上げするから世界同時株安が起きた」と主張するのであればそれにふさわしい根拠が必要ではないか)と指摘することが、何ゆえに日銀の利上げは株価にまったく影響を与えないと主張することと同じ扱いになるのか、webmasterには理解不能です。

    勝手な想像をするなら、グラタンさんが「心理的ショックの要因で動く短期的な株価動向」としたことについて、短期的には株価は心理的ショック要因でしか動かない(心理的ショック要因以外に短期的な株価動向を左右するものはない)と解されたのかな、とは思います。webmasterはそういう趣旨ではなく、理屈に裏付けられた心理的ショック要因以外の短期要因を否定するものではないと解し(たことに加え、あくまで枝葉の記述と位置づけ)たのでこだわりませんでしたが、田中先生の解釈を前提とすれば、それに賛成するものではないことは、念のため申し添えます。

    田中先生とwebmasterとの行き違いその3‐「裁量」の理解

    「その1」で書いたとおり、webmasterは昨今の状況を田中先生の整理でいうところの「1−a)」だと理解しています。同時にwebmasterは日銀の裁量性についても批判的なのですが、ここでいう「裁量」とは、日銀法上、日銀のミッションは物価安定であると明記されているにもかかわらず、手前勝手な理屈を持ち出してミッションをないがしろにしていることです。

    カシャップの言についても、webmasterはこうした文脈において評価し、「日銀はマスコミへのリークを政策ツールとして導入した。このため、市場参加者たちが、市場参加者たちが、日銀の政策変更を根拠に基いて推測することはほとんど不可能と感じるという、かなり常軌を逸した事態となってしまっている」というのは、市場参加者の金融政策の予測が、ミッションに照らして(=物価動向を見て)どうかというものではなく、金利の正常化等の勝手な理屈に即したものとなっているというように捉えなおせば正しい指摘だと考えています。

    #あえて「捉えなおせば」としているのは、カシャップ自身はこれに続いて「日本の金融政策がどこへ向かっているのかについてのはっきりした認識はないように思われる」としているので、彼の主張をその趣旨に忠実に解するならば、それに対してはwebmasterは懐疑的だからです。その後に、日銀がデフレ下であるにもかかわらず利上げをする理由は何かを考察されているのですが、カシャップはそれらいいかげんな理由と明確なミッションとの矛盾ゆえに、日銀の将来の政策決定に不透明さを見出しているのだとwebmasterは察しています。他方で管見では、日本の市場参加者はそれほど誠実に悩むことなく、ミッションはある種の建前のようなものに過ぎず、本音である金利正常化路線に従って引締めが続くであろうと割り切って将来の金融政策を予測している(ため、混乱せずにはっきりした認識を持っている)のではないでしょうか。(webmaster注:以上、カシャップのテキストはsvnseedsさんの邦訳によります。)

    他方で田中先生は、「その1」で書いたような枠組みをも提示されているのでその点に留意は必要ですが、引用部前半の「この1−b)の小例3)はいまの日本のリークこみの金融政策のあり方を示しているように思えます」との記述や、先に引用したコメントの別の部分において金融政策の裁量性が顕著なときには、株価が乱高下することは理論的には十分予測できますとされていることから、昨今の状況を「1−b)・小例3)」であるとご理解されているとwebmasterは認識しています。

    #このwebmasterの認識が正しければ、カシャップの意図に即した議論をされているのは、webmasterではなく田中先生です。為念。

    「その2」の議論の延長のようなものですが、「金融政策の裁量性が顕著なときには、株価が乱高下することは理論的には十分予測でき」るからといって、「株価が乱高下」したら「金融政策の裁量性が顕著」である(当然ながら、ここでいう「裁量」はwebmasterの理解ではなく「1−b)・小例3)」に掲げられたものとなります)とは限りません。その余の要因が大きく働いているのであれば、「金融政策の裁量性が顕著」でなくても「株価が乱高下」することになりますから。

    言い換えるなら、「株価が乱高下」していることをもって「金融政策の裁量性が顕著」であるとの批判をなすのであれば、単に「株価が乱高下」しているという事実を指摘するのでは根拠として十分ではなく、その余の要因によるものではないことをも同時に論証すべきであるとwebmasterは考えます。そうでなくてはトートロジーになってしまうでしょう。

    #本当に「株価が乱高下」しているのかどうかも、本来であれば検証すべきでしょうけれども(例えば、株価のヴォラティリティを時系列で比較するなど)。

    とりあえずwebmasterは、「株価が乱高下」していることがその余の要因によるものだとの論証はしていませんが、市場参加者にとって、日銀の行動が「1−a)」として受け入れられていることを示唆するデータを、一連のやりとりの中で示してきました。仮にwebmasterの観察が当を得ていて「1−a)」として受け入れられているのであれば、田中先生がお示しのとおり、利上げは「株価が乱高下」することにつながるものではないので、「株価が乱高下」しているがゆえに(田中先生やカシャップの文脈において)「金融政策の裁量性が顕著」であるとの批判は当たらないということになります。

    #このことは、webmasterの文脈における「裁量」が批判に値することを否定するものではありません。為念。

    ことは理論的な可能性が複数考えられる場合において、現状をよりうまく説明する、あるいは当該局面の理解としてより整合的なものは何かというものですから、理論的な可能性をお示しいただいても致し方ないのではないでしょうか。「1−a)」ではない蓋然性を示すデータなり、「1−b)・小例3)」であることを裏付けるデータなりをお示しいただければ、と思います。そうであるならば、より説得的な仮説として賛成させていただきます。

    03/22/2007 (1:15 am)

    明日14時ごろ、アクセスが滞るかもしれません。→22日11時15分頃完了しました。

    Filed under: notice ::

    サイト表示が重い問題への対処として、当サイトがお世話になっているクララオンライン側で標記の時間に処置を講じていただくことになったためです。どの程度改善されるかはわかりませんが、事情をご理解いただければ幸いです。

    ♯標記のとおり、無事完了いたしました。予告より早く、それによりご迷惑をおかけしたかもしれませんが、すみませんでした。なお、もともと本日の予定だったのですが、寝る前だったので「明日」と間違えて書いていたのは内緒です(笑)。(3/22追記)

    03/22/2007 (1:15 am)

    さらにCSSを変更してみました。

    Filed under: notice, WordPress ::

    背景色を入れてみました。

    加えて、従来より、あまり文字色と背景色のコントラストが強くない方が読みやすかろうと思っていたのですが、kanoseさんより文字色は白でいいんではとのご指摘もあったので、白とはいかなくとも、黒と現在の背景色との差以上に文字色を強めて、若干コントラストを上げています。読みやすくなった、いやむしろ読みづらくなった、等々のご意見をいただければ幸いです。

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