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  • 03/19/2007 (8:38 pm)

    平成デフレの経済学的検討と経済政策のあり方(前編(下))

    Filed under: economy, economics, BOJ ::

    昨日の続きです。

    非伝統的金融政策の枠組みにおける日銀に対する評価

    では、非伝統的金融政策の枠組みにおいてはどうでしょうか。わざわざ分けたからには、というご期待を裏切るのもなんですが(笑)、基本的には伝統的金融政策の枠組みにおけるものと同じで、少なくとも実質金利がどうであったかという点で判断する限り、それが高止まっていた、すなわち緩和が十分ではなかった点において、インフレ率が低下した場合and/or不況の場合には金融を緩和すべきとの従来からの理解に照らせばなすべきことをしたとは言い難いのです。

    唯一、非伝統的金融政策の有効性については、もちろんwebmasterは有効であると推測しているわけですが、伝統的金融政策のそれに比べれば不確かであることは否めません。実際に非伝統的金融政策の枠組みにおいて積極的な金融緩和に努めた場合に、結果として十分な実質金利の引下げが実現できなかったようなときには、やむを得なしとの評価が下される可能性は十分にあります‐日銀がとった行動は「積極的」とは評し難いので、この可能性はあくまで可能性にとどまるわけですが。

    TFP仮説に基づくオルタナティヴ

    ここまで、従来からの経済政策に関するオーソドックスな立場からは、いわゆるバブル崩壊後の日本経済においては、より一層の金融緩和が求められこそすれ、引き締めた方がよかったとは言えないことを示してきました。しかしながら、「承前」において引用したように、緩和すべきでなかったという分析があります。改めて引用してみましょう。

    今までのリフレ論者は、学部の教科書どおりに「不況時には金融緩和を」と言っていたわけだけれど、今実証研究で明らかになってきているのは、金融緩和による銀行の延命措置が、生産性の低い企業の退出を鈍らせ、むしろ経済全体の生産性を落とすことでバブル崩壊からの回復を遅らせてしまった可能性があるということ。

    いちご経済/経済学板「トンデモ経済学家元追求委員会vol.8」スレ・レス395(webmaster注:改行位置等を適宜整形しています)

    この「可能性」が正しいと仮定するのが本稿の前提ですので、その場合には、

    1. 金融を引き締めることにより貸出しがさらに滞り、
    2. それにより生産性の低い企業がより多く倒産=退出し、
    3. 結果として経済全体の生産性が回復していた、

    ということになるわけです。

    オルタナティヴの実現可能性

    ではこの路線の金融政策を実現する方向で詰めてみます。不況期には金融を引き締めれば引き締めるほどよい、というほど過激なパラダイムシフトを含意はしていないでしょうから(笑。それならば金利を上げれば上げるほどいいということで、金融政策にまつわる悩みなどなくなります)、金利引上げに伴う次の2つの効果をにらみながら最適な金利水準を模索するということになるでしょう。

    • 投資需要を冷え込ませる効果
    • 企業の退出を促し全体としての生産性を向上させる効果

    前者は金利と逆相関(金利を上げれば需要が下がる)にあり、後者は順相関(金利を上げれば生産性が上がる)ということは直感的にわかるでしょう。さらに、それぞれの限界効果が低減する(金利の上げ下げに伴う影響が次第に減っていく)ことから、金利を上げていけば、どこかで需要の冷え込みの増分(=需要の減分)が生産性向上の増分が等しくな(り、さらに上げれば需要減が生産性増よりも絶対値で上回)ることになりますので、その等しくなる水準が適正金利であるということになります。

    さて、ここで問題なのが、この「適正金利」の水準がどの程度であるのかということ。webmasterの知る限り、具体的な適正金利の水準についての言及はありません。具体的な水準がわからない以上、上記の「可能性」が正しいとしても、金融政策の指針としては使いづらいということにならざるを得ません。実体経済の様子を見ながら、などということになれば、金融政策の効果は1年前後のタイムラグを伴うことが経験的に知られていますから、上げすぎたとわかったときには手遅れということにもなりかねません。

    さらに言うならば、リアルタイムで「適正金利」の水準がわからない以上(事後ですら判明していないのですから)、例えば非伝統的金融政策の枠組みの下において、リフレ政策が採用された場合であっても、そこで実現する(実質)金利が「適正金利」を上回っているのか、それとも下回っているのかすらもわからないわけです。であるならば、実は金利を引き上げていいのかすらもわからない、というのが実態なのです。

    政策が誤っていた場合の影響評価

    そのような環境において、果たして金融を引き締めるべきか緩和すべきか、ひとつの基準としてミニマックス法を用いてみましょう。すなわち、想定される最大の損害の最小化です。オルタナティヴから考えるならば、生産性向上効果はすでにそれほど見込めない一方、需要の冷え込みが極めて厳しくなるような状況です。

    この場合、需要が十分に落ち込んでいるのであれば、生産性に優れた生存企業の供給能力で需要を満たすことができてしまうため、生産性向上=供給効率の改善があったとしても、絶対値自体は上がらないということになります。言い換えれば、「ゾンビ企業」に退蔵された生産資源が解放されたところでその行き先はなく、生産性に優れた生存企業による投資増を通じた経済全体の活性化という途は閉ざされてしまっているわけです。

    以上は国内民需の話ですが、では他に生存企業の投資を誘発するような環境があり得るのかを考えてみましょう。引き締め=一般論としての円高トレンド下での外需や、金利負担が増え維持可能性がますます怪しくなる公共部門の需要も期待できないのですから、これまたなかなか難しいということになるでしょう。

    他方で、金融緩和が間違っていた場合の損害はどうでしょうか。

    望ましい日銀の「責任逃れ」

    金融を引き締めれば、それが「ゾンビ企業」かどうかの疑義はさておくとして、多くの企業を退出に追い込むことができるでしょう。では、金融を緩和していればそれが不可能かといえば、必ずしもそうではありません。

    「ゾンビ企業」と追い貸しはセットで語られていますが、とりあえずある企業が「ゾンビ企業」であるとした場合、追い貸しが可能であるのは金融緩和がなされているからだけなのでしょうか。そうではなく、不良債権の存在を許容する金融監督・会計基準あってのことです。それらがきちんと整備・運用されているならば、いくら金融が緩和されていたところで、「ゾンビ企業」への追い貸しは不可能でしょう。

    先のオルタナティヴとの対比で言えば、引き締めとは異なり緩和の場合には、間違っていた場合にも他の手段で補うことが可能だということです。金融セクターにとどまらず、他の分野においても、市場の調整機能を損なうような諸要因を取り除いていくことができれば‐それが昨今の「構造改革」とイコールかどうかは措くとしても‐、過てる金融緩和により生産性向上効果が減殺された場合であっても、その狙いの実現は可能なのです。

    したがって、TFP仮説が正しかったとしても、「適正金利」の水準がリアルタイムにはわからないこの世においては、市場の調整機能の不全により生産性向上が滞っていると考えられる場合には、市場の機能回復の必要性を訴えつつ、金融を緩和するというのが中央銀行の施策として無難であるのだとwebmasterは考えるのです。

    実際の日銀を見れば、前者はしても後者はしなかったわけですが、市場の機能回復の必要性は誰にでも主張可能ですが、金融緩和は中央銀行にしかできないのですから、やはり落第だとせざるを得ないでしょう。金融を緩和しつつも、市場の調整機能が働いていないから生産性が向上しないのだと「責任逃れ」をすればよかったわけですが、(本稿の仮定の下では)生産性向上が滞るのを座視できなかったとは、あまりに真面目すぎたのでしょうか、日銀は(笑)。

    (続く)

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