bewaad institute@kasumigaseki

  • archives by smart archives
  • 04/30/2007 (5:43 am)

    公務員の若年昇進の是非

    Filed under: government ::

    25日に引き続き、いちご経済/経済学板からですが、そこで示された質問にお答えするのは今回を最後とするので、くれぐれもいちごにはこの手の話を書き込まないようお願いいたします(板違いで迷惑になりますので)。もし何かありましたら、あくまで当サイトに書き込んでいただければ。

    1015: 名無しさんの冒険  2007/04/24(Tue) 17:17

    BEWAAD氏

    日経ネットPLUSで渡辺大臣が、「実力があれば30代で局長、40代で事務次官になれる制度に」と主張している。

    BEWAAD氏はよくご存知だと思うが、太平の時代には皆波風を立てるのを恐れ、年功序列ガチガチの制度になるのは江戸時代を見ても日本海軍を見てもよくわかると思う。(ここで言う「年功序列ガチガチ」とは、同期の中での出世競争はあり、その意味での業績評価はもちろんあるが、例えば、年次が10年下のものが一気に昇進するということがありえない、という意味で使っている)

    渡辺大臣も、別に、「常に局長は30代から、次官は40代から」ということを言っているのではなく、実力のある人間がいれば年次にとらわれずに人材を登用していく、ということであり、大学での「飛び級」制度同様、あくまで可能性を開くというものであって、それが大いに利用されるかはわからないが、可能性を開くことには一定の意義があるのではないかと僕は考えている。

    近年退職する若手官僚諸君を見ていると、全般に「結果が早く欲しい」という人が非常に多いと感じている。その意味では、実力があれば 必ずしも年次にとらわれない人事制度を作る事はおそらくBEWAAD氏もそうであろう課長補佐以下の若手官僚諸君にとっては悪い制度ではないと思うのだが、この点、BEWAAD氏はどのようにお考えになるだろうか。

    (略)

    1017: 名無しさんの冒険  2007/04/24(Tue) 17:33

    なお、僕はこれまでの霞ヶ関の人事制度は、一定程度機能を果たしてきたと考えている。少しずつ下がってきてはいるが、生涯ベースで見ていけば、日本の大企業生涯所得トップ20程度に相当する、悪くとも4億後半の生涯所得が期待できるシステム、同期が入省20年程度までは同じペースで昇進するシステムは組織内部が負のエネルギーで覆われる事を防いできたし、重要な役割を果たしてきたといって良いだろうと思う。

    しかし最近の若手諸君の話を聞くと、子どもの数が減り家庭での相対価値が上昇したことが大きいのだと思うが、「下積みはやりたくない」「オレは民間に出れば30で年収2000万は取れる人材だ」という思いを持っている諸君(自己評価が非常に高い人材)は霞ヶ関を早期退職してしまう傾向が強いと感じている。

    霞ヶ関の離職率に関しては、キー局など異様に離職率の低い職場を除けば、日本の大企業と比較しても、実はマスコミでの報道とは異なり、少しずつ上昇してきてはいるが、離職率は実は非常に低い水準であるというのが実際のところである(入省5年以内の離職「率」で見ると、10%以下、これは民間と比較するとキー局に次ぐ優等生)

    若手諸君の「オレはもっと出来る」という気持ちが離職の一因としてあるのなら、その思いに応えてあげられる制度の導入も意義があるのではと思うのだが、どうだろうか。

    いちご経済/経済学板「日銀はより大胆な金融緩和をパート2」スレ・レス1015-1017

    ここでの「実力」なるものがどのようなものを意図しているのかはわかりませんが、webmasterが見る限り霞が関においては(そして、民間企業をはじめ多くの他の組織においてもそうだと思いますが)、俗に頭の回転のよさといわれるような類の能力については、幹部クラス(とりあえず、総務課長級以上としておきましょう)にはあまり求められていません。幹部クラスに求められるのは、何よりも政治家や関係団体等との調整能力であり、次いで組織の管理能力でしょう。

    #ですからwebmasterは、賃金等の待遇をどこまで考えるかには留保が必要でしょうけれども、基本的にあまり出世したいとは思わないのですが(笑)。

    そしてこれらの能力は、想像するにたやすいですが、それなりに年功序列が意味を持つ分野でもあります。調整能力とは、その多くをコネ等の人的関係に依存しますし(で、人的関係は、質は議論があるにせよ量は、明らかに年を経るごとに増えるものでしょう)、管理能力についても、その組織特有のカルチャーを踏まえねばならず、経験が豊富で損をするということは考えづらいといえます。

    したがって、若い人間をそれらのポストにつけても、まあ抜きん出て優秀な者であれば例外なのかもしれませんが、その能力を十分に発揮できるとは思えませんし、何より当人にとって決して面白いものではないでしょう。優秀だと自認するような人間にとってやりがいのあるポストとは、課長〜係長級で担当する内容が面白い部署であるとwebmasterは思います。

    偏見を承知で申し上げるなら、引用文中の「自己評価が非常に高い人材」は、数年もいればわかるその程度のこともわからないか、それともどこかに自分がしたいことが何でも自由にできる職場があるはず(当然ながら、事務次官であれ局長であれそのようなことはまずありません)という「青い鳥」症候群の患者かのいずれか(または両方)でしょう。自分がどうしてもやりたいことができないとすれば、それは上司をはじめとする関係者を説得する程度の能力もないのだと自覚すべきで、そうした自省もなく環境が悪いと愚痴るような人間は、どうぞ霞が関から出て行っていただければ、というか積極的に出て行ってほしいですね(笑)。

    もう少し制度的な話をするのであれば、若くして幹部クラスに登用した者のその後の処遇をどうするかについては、慎重な検討が必要でしょう。大雑把に分類すれば、

    1. 「長期政権」(定年まで20年以上同一ポストにとどまること)を許す
    2. 「長期政権」を許さず辞めさせる替わりに
      1. 食うに困らないだけの退職金and/or年金を給付する
      2. 他の組織で働いてもらう

    のいずれかでしょう。形式的には下っ端に戻って働いてもらうということも考えられますが、民間企業だって、いったん役員になった人間が降格するというのは例外的ですよね? 霞が関の局長クラスは、民間で言えば十分役員相当(それも、単なる平役員ではなく、本部長以上クラス)ですから。

    1.は明らかに弊害の方が大きいでしょう。地方公共団体の首長の多選批判が典型ですが、トップがずっと変わらないというのでは、どうしても路線が固定化しますし、下の人間も上に迎合するきらいがあるのは否めません。2.1.はひとつの選択肢ではありますが、現在の霞が関を巡る政治環境からすれば、現実性に乏しいといわざるを得ないでしょう。

    残るは2.2.ですが、これだけ天下り批判が喧しい中、これまたどこまで現実性があるかどうか。今の天下りですら、50代・60代だからこそ霞が関よりも処遇の悪いところに行かせることができているわけで、30代・40代の人間に組織として辞めさせるために次の職場を探すといっても、喜んで辞めるような場所を見つけ出すのはきわめて困難でしょう。

    #事務次官や局長の処遇を下げることにより次の職場の相対的価値を上げるというのは、「自己評価が非常に高い人材」への対応としては矛盾でしょうから、ここではそのような対策を併せて講じることはないものとして考察を進めます。

    となれば、任期付採用で居座ろうとしても居座れない制度として放り出し、後は自力でなんとかしろとするしかないでしょうけれども、これもまた事務次官なり局長なりにいる間は好待遇だとしても、生涯賃金ベースで考えれば少なくともリスクは高くなるわけで、「自己評価が非常に高い人材」への対応としては不十分でしょう。そのような人間であれば、自分はまだまだやれるのだからもっとやらせろ、なんてことをいかにも言い出しそうですし(笑)。職務権限を使っての職探しを公認するなら別でしょうけれども。

    結局、若くして事務次官や局長への昇進を可能にしようとすれば、ことそれだけを取り出すならば悪くはなさそうですが、関連して生じ得る問題まで視野に入れると、そう簡単に評価はできないだろう、というのがwebmasterの見解です。現に各国の公務員制度を見る限り、若くしての幹部への昇進があり得るものとして思い浮かぶのはアメリカですが、あちらはリヴォルヴィングドアと一体となったもの。それこそ「職務権限を使っての職探し」が半ば公認されているからこそ、若くして登用し、お役御免となれば放り出すことができるわけですから。

    04/29/2007 (10:24 pm)

    日銀2007/04レポートに係る主要各紙社説

    Filed under: economy, BOJ, media ::

    昨日取り上げた日銀レポートについて、全国紙では、朝日、毎日、日経、東京の4紙が社説の題材としていました。以下、それぞれを見てみます。

    最近、金融政策に関する社説としては東京新聞が出色ですが、今回もまたすばらしいものでした。

     日銀が展望リポートで、二〇〇七年度の物価見通しを下方修正した。物価がそれほど上がらない背景には、昨年来の日銀自身による金融引き締め効果もある。きちんとした政策検証が必要だ。

    (略)

     前回は「(需要が供給能力を上回る)需要超過幅が緩やかに拡大し、生産一単位当たりの人件費である単位労働コストも若干上昇する中で、〇七年度にかけて前年比プラス幅が次第に拡大していく」と予想していた。これが見事に外れた形だ。

     なぜ、外れたのか。

     日銀は原油価格の下落や携帯電話料金の改定などを理由に挙げているが、日銀が継続的に金融を引き締めてきた事実を見逃せない。日銀は昨年三月に量的緩和を解除し、七月にゼロ金利も解除、続いて今年二月には追加利上げに踏み切った。

    (略)

     そもそも、日銀は「消費者物価が安定的にゼロ%以上になる」と予想したからこそ、量的緩和を解除したのではなかったか。

     政策変更がほかになかった点を考えれば、引き締めも物価下落を招いた要因の一つと考えられる。見通しを誤った理由と金融政策効果を検証し、結果を公表すべきだ。「物価はいずれ、また上がる」などと言っているだけではすまない。

     もう一つ、注文がある。

     消費者物価指数は統計技術上の困難のために、実際よりも数字が高めに出る上方バイアスの存在が知られている。日銀はかつて「バイアスは0・9%」という数字を挙げた。これが正しければ、仮に物価上昇率が0%だとしても、現実は0・9%も下落していることになる。

     日銀は物価安定の水準を消費者物価上昇率で「0−2%程度」と考えているが、バイアス分を考えれば、低すぎないか。あるいは、バイアス幅が変わっているのか。技術進歩の速さは現実と統計にどんな影響を及ぼしているのか。この点もぜひ検証してほしい。

     生身の人間にとって大事なのは統計ではなく、失業や倒産、賃金下落といった現実そのものだ。実態を反映しない統計を基にすれば、政策も不適切になる恐れがある。

    東京「物価下落 引き締め効果の検証を」

    長々と引用しましたが、正直申し上げるならば、社説でここまでの水準の議論を見られるとは期待していませんでした。今後ともこの路線を期待したいと思います。

     日本銀行が金融政策の枠組みを説明する「展望リポート」を公表した。金融政策はこのところ、めっきり分かりにくくなっている。そのモヤモヤが吹っ切れるかと期待したが、当て外れだった。

     日銀は昨年3月、消費者物価指数が上昇傾向に転じたのを理由に量的緩和を終わらせ、7月にはゼロ金利も解除した。だが、物価が横ばいからマイナスに落ちる途中だった今年2月にも利上げした。このねじれは何なのか。

    (略)

     だが、「展望リポート」では基本的にこれまでの説明が繰り返された。賃金上昇が遅れている点などは認めたが、「いずれ物価は上がる」という言いぶりは変わっていない。

     腑(ふ)に落ちないのは、いまの物価下落と1年前までの下落と質的に違うのかどうか、説明が足りない点だ。日銀は石油や携帯電話料金の値下がりによる特殊要因というが、もしそうなら、昨年から利上げしてきた根拠である物価上昇も原油値上がりによる特殊要因ではないか、との疑問もわく。量的緩和やゼロ金利の解除の影響が、物価情勢にどう表れているのか、という分析もない。

     また、日銀は「金利が上がらないという期待が蔓延(まんえん)するとバブルによる資産価格の上昇を招く」というが、物価が横ばいなのに利上げの構えをとると、経済が萎縮(いしゅく)して物価を引き下げるのではないか、という見方も出ている。

     不透明感の根底には、バブルからデフレに至る経過について、日銀が踏み込んだ総括をためらっていることもあろう。

    (略)

     分かりにくいために国民の関心や支持が離れるなら、日銀が自分の首を絞めているのに等しい。残る任期が1年を切った福井総裁の課題である。

    朝日「金融政策―もっと分かりやすく」

    続いて朝日ですが、物価がそのうち上がるからといって引締め続けた日銀に、平たく言えば狼少年ではないかとの疑いが生じてきているのでしょう。東京のように明確に批判しているわけではありませんが、疑念を示しており、今後批判に移る可能性もあるといえるでしょう。同様の路線が日経です。

     確かに日本経済は底堅い。企業の業況感はやや足踏みだが、その一方で昨年後半はさえなかった個人消費に持ち直しの兆しもみえる。5月に発表される今年1―3月期の国内総生産(GDP)も堅調な伸びを予測するエコノミストが多い。

     こうした状況を踏まえれば、景気拡大に応じて日銀が徐々に政策金利を引き上げても、経済には無理がかからないと考えられる。

     難問は物価だ。同じ27日に発表された3月の消費者物価は生鮮食品を除くベースで、前年同月比0.3%低下した。物価下落幅は2月の0.1%より広がり、しばらくはマイナス基調が続くとみられる。

    (略)

     経済のグローバル化で海外の安いモノがどんどん入っている。労働市場が変化し賃金がなかなか上昇しない。デフレの経験が意識に染みつき経営者や消費者のインフレ期待が低下した。物価の感応度低下には、様々な要因が考えられる。日本経済の構造的な変化も関係していよう。

     快刀乱麻を断つ分析は難しいにせよ、日銀は自らの見解を世に問うべきではないのか。金融政策はフォワードルッキング(先見的)な姿勢が必要といっても、足元の物価がマイナスで近い将来もゼロ%近辺にある。そんななかで利上げを目指すのなら、物価に関する徹底的な議論を避けてはならない。

    日経「物価の説明、日銀はきちんと」

    同じ懐疑的路線とはいえ、日経の方が若干日銀に対して好意的で、こちらはきちんとした説明を怠っているといいますか、やろうと思えばできるのだからがんばれ、といったニュアンスでしょうか。あるいは、今のままでは擁護が難しいといいますか。

    という順序で並べてくれば、お察しいただけるように最後に控えるのはもっとも日銀に対して好意的なものです。

     過去の展望リポートで日銀が示してきた予想と、この間の経済の推移との関係について日銀は説明責任を負っている。そうしたリスクを背負い、政策運営に対する透明性を高めていくことが、日銀の金融政策への信認を高めることにつながる。

     そして、現在の日銀の判断によると、これまでの展望リポートの見通しにおおむね沿って現実の経済は動いているという。

    (略)

     物価上昇率が直近でマイナスになっている理由について日銀は「原油価格や携帯電話料金などの下落が大きな要因」と説明しているが、予想値が下方修正されたことを理由に、日銀の判断は間違っているという指摘も出ている。

     物価統計がマイナスだからデフレ状態にあるというのが、日銀の利上げに対する批判の論拠だ。ただし、マイナスといってもゼロ近辺で、統計上の誤差の範囲とも考えられる。また、物価下落の要因となっている原油価格や携帯電話料金など値下がり自体は悪いことではない。

     現在は銀行が巨額の不良債権を抱えていた時とは違っている。ゼロ金利を解除し、再利上げをしたといっても、あまりに低く、金利と呼べるような水準でもない。累積的に物価下落が続くことは回避しなければならないが、都心部での地価急騰などミニバブルと呼ばれる現象が周辺部に広がる気配もみせている。

     今回の展望リポートが示すように当面の経済見通しが順調に推移するなら、日銀は金融調整機能の正常化に向けた作業を継続すべきだろう。

    毎日「日銀展望リポート 金利機能の正常化は必要だ」

    というわけで、やっぱり毎日でした(笑)。

    #下記もご参照いただければ。

    04/28/2007 (5:45 am)

    経済・物価情勢の展望(2007年4月)

    Filed under: economy, BOJ ::

    標記レポートが日銀から公表されました。とりわけ問題だとwebmasterが思うのは、これまでの金融政策の「点検」において、この1年間(昨年4月のレポート以降)をきちんと振り返っているとはいえない点でしょう。当該部分を引用します。

     昨年3月の量的緩和政策解除以降の金融政策運営を振り返ると、経済・物価情勢の先行きを展望して、(1)生産・所得・支出の好循環メカニズムが働き、息の長い成長が続く中で、(2)消費者物価は長い目でみると緩やかに上昇し「中長期的な物価安定の理解」に沿って推移する蓋然性が高いという判断に基づいて、経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行ってきた。物価上昇圧力が弱いもとで、調整のペースはゆっくりとしたものであり、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が維持された。今後の金融政策運営においても、こうした基本的な考え方を維持する方針である。すなわち、「中長期的な物価安定の理解」に照らして、日本経済が物価安定のもとでの持続的な成長軌道を辿る蓋然性が高いことを確認し、リスク要因を点検しながら、経済・物価情勢の改善の度合いに応じたペースで、徐々に金利水準の調整を行うことになると考えられる。

    経済・物価情勢の展望(2007年4月)

    webmasterは日銀の「中長期的な物価安定の理解」の水準は低すぎると考えていますが、それを問わないとしても、それに「沿って推移する蓋然性が高いという判断に基づいて」「徐々に金利水準の調整を行ってきた」というのであれば、「蓋然性が高いという判断」が正しかったかどうかを問わねばなりますまい。その判断が間違っていたというのであれば、金融政策の前提となる状況認識が間違っていたということなのですから、量的緩和解除以降の金融政策の路線転換もまたその見直しが必要となります。

    では、日銀による物価見通し(いわゆるコアCPI(=生鮮食料品を除くもの)政策委員見通し)と実績値はどうであったのか、まとめれば次のとおりです。

    レポート等 コアCPI
    2006/4 +0.5〜0.7(中央値+0.6)
    2006/10 +0.2〜0.3(中央値+0.3)
    実績 +0.1

    昨年4月は量的緩和解除(3月)の後、10月はゼロ金利解除(7月)の後ということになりますが、いずれにおいても高く見積もりすぎていることがわかります。見通しが当たっていたとしてもまぐれ当たりがあり、外れていたとしてもやむを得ない外れがありますから、数値の見通しを誤ったことが直ちに判断の誤りを意味するものではありませんが、外していればより厳しい総括が求められるのは当然でしょう。

    では日銀はどのように総括しているのでしょうか。

     消費者物価指数(除く生鮮食品)は、足もとは、原油価格下落などの影響もあって前回見通し対比幾分下振れている。先行きは、原油価格の動向にもよるが、前年比でみて目先はゼロ%近傍で推移する可能性が高いものの、より長い目でみると、プラス幅が次第に拡大するとみられる。その結果、2007年度はごく小幅のプラス、2008年度は0%台半ばの伸び率となると予想される。

    経済・物価情勢の展望(2007年4月)

    というわけで原油価格の動向に責任を押し付けているわけですが(一応「など」とは付いていますが)、では原油価格の影響を除けばどうなるのか、今月のCPI速報によると、いわゆるコアコアCPI(=食料・エネルギーを除くもの)の推移は次のとおりです。

    年月 コアコアCPI(対前年同月)
    2006年3月 ▲0.5
    4月 ▲0.6
    5月 ▲0.5
    6月 ▲0.4
    7月 ▲0.3
    8月 ▲0.4
    9月 ▲0.5
    10月 ▲0.4
    11月 ▲0.2
    12月 ▲0.3
    2007年1月 ▲0.2
    2月 ▲0.3
    3月 ▲0.4

    この指標でみれば、引き続いてデフレの真っ只中ということに他なりません(まして、基準年(2005年)から3年目に入り、ラスパイレス指数であるがゆえの上方バイアスも大きくなってきているでしょうし)。原油価格に左右されるのが厭ならそもそもコアコアCPIを使えよというのはあるわけですが、それを措くとしても、原油価格の動向にのみ責任を押し付けて足る話でないことは明らかです。

    足元の動向にもかかわらず、日銀の強気の見通しを支えているのは、次の分析です。

     こうした経済の見通しのもとで、物価を巡る環境をみると、第1に、設備や労働といった資源の稼働状況は高まっており、今後もさらに高まっていくとみられる。マクロ的な需給ギャップをみても、引き続き、需要超過方向で推移していくと考えられる。第2に、ユニット・レーバー・コスト(生産1単位当たりの人件費)は、なお低下を続けているものの、賃金の緩やかな上昇のもとで、下げ止まりから若干の上昇に転じていく可能性が高い。第3に、民間経済主体のインフレ予想は、各種調査では、既往の石油製品価格の下落の影響などから全般に下振れているが、引き続き先行きにかけて物価が緩やかに上昇していく形となっている。

    経済・物価情勢の展望(2007年4月)

    結局は現在の潜在成長率が1%台でしかないということがポイントになっているのでしょう。この潜在成長率見積りの(日銀にとっての)都合のいい点は、「需要超過」だから中長期的にはインフレ圧力があるということになるにとどまらず、例の「上げ潮」の前提となっており、この点については政府・与党が攻撃してくることはないという点です。いくら一部の政府・与党関係者が日銀の金融政策を批判しようと、「需要超過ですけど」という反論がある限り、その批判は天に唾するものでしかないのですから。

    04/28/2007 (5:39 am)

    学生街の書店の厳しさ

    Filed under: book ::

    昨日のエントリに寄せられたkogeさんのコメントに関連して。

    コメント欄でkogeさんが、学生の町京都での丸善の閉店をなげいていらっしゃって、ちょっと感じるものがあった。

    うーん、学生街で本屋ってやっていけるのかな?

    学生さんの使う支出の構成見たら儲かるのは服屋と雀荘と飲み屋とパチンコ屋、続いてラーメン屋あたりが売り上げを伸ばせて、それらと立地を競って生き残るのは本屋にはつらいのではないかと思いますが…..

    「共存共栄の終わり」(@くまくまことkumakuma1967の出来損ない日記4/27付)

    かつてのことはよくわかりませんが、近年においては、生協書籍部の存在こそが、学生街の書店の経営を圧迫しているのではないでしょうか。webmaster自身、学生時代にもっとも多くのお金を支払った書店は生協書籍部でしたが、生協書籍部には、

    • 再販商品である書籍なのに割引がある、
    • 教科書に代表される学生向きの専門書の品揃えが豊富である、
    • キャンパス内にありアクセスがいい、

    といった競争上の優位を確保しています。一般書店がこれに対抗してやっていくのは大変ではないでしょうか。教科書は書籍部、それ以外は一般書店という棲み分けができればともかく、雑誌やマンガなどもそろってますからねぇ、書籍部には。書籍部の売上げの推移がわかるデータがあれば、きちんと検証できると思うのですが・・・。

    04/28/2007 (5:37 am)

    「真の失業率」推計最新版(2007-03現在)

    Filed under: economy ::

    #今回より、対前年同期(括弧書き)を追加いたしました。

    年月   完全     真の    高齢化等  15歳以 就業 完全失 真の失 高齢化等
         失業率    失業率   補正後   上人口 者数 業者数 業者数 補正後
    
    1990  2.1%     3.2%          10,089 6,249 134  204
    
    1991  2.1%     2.4%          10,199 6,369 136  155
    1992  2.2%     2.2%          10,283 6,436 142  142
    1993  2.5%     2.8%          10,370 6,450 166  183
    1994  2.9%     3.4%          10,444 6,453 192  228
    1995  3.2%     4.0%          10,510 6,457 210  266
    
    1996  3.4%     4.1%          10,571 6,486 225  276
    1997  3.4%     3.8%          10,661 6,557 230  262
    1998  4.1%     5.1%          10,728 6,514 279  348
    1999  4.7%     6.3%          10,783 6,462 317  435
    2000  4.7%     7.0%          10,836 6,446 320  485
    
    2001  5.0%     7.9%          10,886 6,412 340  551
    2002  5.4%     9.4%          10,927 6,330 359  660
    2003  5.3%    10.0%          10,962 6,316 350  700
    2004  4.7%    10.0%          10,990 6,329 313  705
    2005  4.4%     9.8%          11,007 6,356 294  688
    
    2006  4.1%     9.5%    6.7%    11,020 6,382 275  671  458
    
    2006/Q1 4.4%(▲0.3) 10.9%(▲0.4) 7.2%    11,014 6,283 286  766  488
    2006/Q2 4.2%(▲0.3) 9.0%(▲0.1) 6.6%    11,014 6,418 280  631  454
    2006/Q3 4.1%(▲0.2) 8.9%( 0.0) 6.5%    11,021 6,426 273  627  448
    2006/Q4 3.9%(▲0.4) 9.3%(▲0.5) 6.4%    11,029 6,400 261  659  440
    2007/Q1 4.1%(▲0.3) 10.7%(▲0.2) 6.6%(▲0.6) 11,035 6,310 272  752  449
    
    年月   完全     真の    高齢化等  15歳以 就業 完全失 真の失 高齢化等
         失業率    失業率   補正後   上人口 者数 業者数 業者数 補正後
    
    2006/4 4.3%(▲0.4) 9.6%(▲0.1) 6.8%    11,002 6,368 284  673  464
    2006/5 4.1%(▲0.5) 8.5%(▲0.2) 6.5%    11,015 6,448 277  602  448
    2006/6 4.1%(▲0.1) 8.8%(▲0.1) 6.5%    11,025 6,438 278  618  449
    2006/7 4.0%(▲0.3) 9.0%( 0.0) 6.6%    11,020 6,421 288  632  454
    2006/8 4.1%(▲0.1) 8.9%(▲0.2) 6.4%    11,019 6,427 272  625  443
    2006/9 4.2%( 0.0) 8.8%(+0.1) 6.5%    11,024 6,431 280  624  446
    2006/10 4.2%(▲0.3) 8.8%(▲0.3) 6.3%    11,030 6,437 281  622  434
    2006/11 3.9%(▲0.5) 9.2%(▲0.8) 6.4%    11,034 6,410 292  652  439
    2006/12 3.7%(▲0.3) 9.9%(▲0.5) 6.6%    11,023 6,354 244  701  448
    2007/1 4.0%(▲0.5) 11.1%( 0.0) 6.9%(▲0.5) 11,034 6,278 264  784  464
    2007/2 4.1%(▲0.1) 10.8%(▲0.2) 6.6%(▲0.6) 11,034 6,302 270  760  447
    2007/3 4.2%(▲0.2) 10.1%(▲0.5) 6.4%(▲0.6) 11,036 6,351 281  712  437
    
    2006/3 4.4%    10.6%    7.0%    11,021 6,308 289  745  475
    2005/3 4.8%    11.1%          11,003 6,260 313  782
    2004/3 5.0%    10.7%          10,990 6,279 333  755
    2003/3 5.8%    10.6%          10,952 6,266 384  743
    2002/3 5.7%     9.8%          10,914 6,297 379  688
    2001/3 5.1%     8.3%          10,869 6,379 343  577
    2000/3 5.2%     8.4%          10,820 6,345 349  580
    
         C/(B+C)   D/(B+D)          A   B   C D=Ax0.64-B
    
    (直近月次ボトム)
        5.8%    11.6%     --        6,193 385  818
       (03/3,4)  (04/2,05/2)            (03/2) (03/4)(05/2)
    
    (注)
    ・単位は、失業率関連を除き万人。失業率関連は%(対前年同期(括弧書き)はポイント)。
    ・ソースは総務省統計局の「労働力調査」(http://www.stat.go.jp/data/roudou/2.htm)。
    ・月次データは原数値を用いている(季節未調整)。
    ・「真の」値は労働力人口比率が0.64(直近ピーク(1992年))であると仮定した場合の値。
    ・「高齢化等補正」についてはhttp://bewaad.sakura.ne.jp/20060729.html#p02を参照のこと。

    #過去の計数は以下のとおりです。

    2005
    03040506070809101112
    2006
    010203040506070809101112
    2007
    0102

    04/27/2007 (6:45 am)

    年金の繰下げ受給、何歳まで生きればお得?

    Filed under: pension ::

    4月から公的年金の制度が大きく変わった。なかでも経済的に余裕のある人に魅力的な選択肢に映るのが、厚生(共済)年金の受給開始を本来の65歳から最長70歳まで遅らせることができる「繰り下げ支給」制度。繰り下げると年金額が割り増しになるが、どこまでお得なのか――。

    この制度は、受給開始を65歳から1カ月遅らせるごとに年金額が0.7%増える。最長の70歳(60カ月)まで繰り下げた場合の割増率は42%。

    (略)

    割増率から計算できる「損益分岐点」は11.9年だ。つまり受給開始から12年以上過ぎると、どのケースでも繰り下げた方が総額では上回る。

    男性が平均寿命(78歳)まで生きると、通常1400万円対1年繰り下げ1409万2000円で、繰り下げが得に。女性は平均寿命の85歳まで繰り下げた場合は2272万円になる。

    毎日「春からこう変わってます 年金/繰り下げ受給 復活」

    この記事では、以上の具体例として、年額100万円の厚生年金を繰下げ受給した場合の累計受取額を示す次の表が掲載されています。

    年齢 通常受給 1年 2年 3年 4年 5年
    65 100
    66 200 108.4
    67 300 216.8 116.8
    68 400 325.2 233.6 125.2
    69 500 433.6 350.4 250.4 133.6
    70 600 542 467.2 375.6 267.2 142
    71 700 650.4 584 500.8 400.8 284
    72 800 758.8 700.8 626 534.4 426
    73 900 867.2 817.6 751.2 668 568
    74 1000 975.6 934.4 876.4 801.6 710
    75 1100 1084 1051.2 1001.6 935.2 852
    76 1200 1192.4 1168 1126.8 1068.8 994
    77 1300 1300.8 1284.8 1252 1202.4 1136
    78 1400 1409.2 1401.6 1377.2 1336 1278
    79 1500 1517.6 1518.4 1502.4 1469.6 1420
    80 1600 1626 1635.2 1627.6 1603.2 1562
    81 1700 1734.4 1752 1752.8 1736.8 1704
    82 1800 1842.8 1868.8 1878 1870.4 1846
    83 1900 1951.2 1985.6 2003.2 2004 1988
    84 2000 2059.6 2102.4 2128.4 2137.6 2130
    85 2100 2168 2219.2 2253.6 2271.2 2272

    しかし、よく考えてみればおかしな話で、65歳での平均余命を平成17(2005)年簡易生命表で見れば男性が18.11年(つまり、平均死亡年齢が83.11歳)、女性が23.16年(同じく88.16歳)ですから、65歳時点で癌などの重篤な疾患に罹患していない者については(、それらの者を除けばさらに平均余命は長くなるはずなので)、全員が最大の5年延長を選ぶことが合理的選択ということになります。そのように国が一方的に損をするような制度だというならば、なぜ導入されたのでしょうか?

    #記事で引用を略した加給年金の存在や、年金のみが生活原資となる者といった要素はあるでしょうけれども、ここでは捨象します。

    結論は簡単で、国が一方的に損をするかのように見える上記の試算が間違っているからです。当サイトの読者であればピンときた人も多いでしょうけれども、上記は単に名目額を足しているだけで、受給開始時点が異なることの評価が含まれていません。それをあわせる‐基準時点を揃えて、その時点での価値を比較する‐ことなくしては、本当に得なのが何か、わかるはずもないのです。

    というわけで、累計受取額の65歳時点での割引現在価値で比べてみますと、男性の平均余命を踏まえた83歳まで受給した場合では次のとおりです(強調は、最も有利となる繰下げを表します)。

    #以下の試算は、物価スライド・賃金スライドの影響を勘案していません(スライドゼロの場合の試算となっています)。スライドがある場合、その分だけ割引率が小さくなるものとご理解ください。(4/28追記)

    割引率 通常受給 1年繰下げ 2年繰下げ 3年繰下げ 4年繰下げ 5年繰下げ
    1% 1,739.8 1,777.6 1,799.7 1,806.4 1,797.9 1,774.5
    2% 1,599.2 1,625.1 1,636.6 1,633.9 1,617.6 1,588.2
    3% 1,475.4 1,490.9 1,493.0 1,482.4 1,459.6 1,425.2
    4% 1,365.9 1,372.3 1,366.3 1,348.8 1,320.5 1,282.2
    5% 1,269.0 1,267.2 1,254.1 1,230.7 1,197.9 1,156.4

    割引率(金利)によって、最も有利となる繰下げが0〜3年と変わってくるのがおわかりいただけるでしょう‐0年の繰下げが最も有利な場合があり、つまりは割引率が5%となるときには、繰下げをせずに65歳からの受給とすることがもっとも有利になるのです。続いて、女性の平均余命を踏まえた88歳までの需給の場合です。

    割引率 通常受給 1年繰下げ 2年繰下げ 3年繰下げ 4年繰下げ 5年繰下げ
    1% 2,145.6 2,217.4 2,273.6 2,314.4 2,340.0 2,350.6
    2% 1,929.2 1,982.9 2,022.0 2,047.1 2,058.6 2,056.8
    3% 1,744.4 1,782.5 1,807.2 1,819.2 1,819.0 1,807.2
    4% 1,585.7 1,610.5 1,623.0 1,623.9 1,614.1 1,594.2
    5% 1,448.9 1,462.2 1,464.2 1,456.0 1,438.2 1,411.9

    長生きなので繰下げ期間が長い方がより有利になりがちですが、それでも割引率によっては、繰下げ期間を短めにしておいた方がよいということになります。

    こうした計算を各年齢について行い、最も有利となる死亡年齢をならべると次のとおりです。

    割引率 通常受給 1年繰下げ 2年繰下げ 3年繰下げ 4年繰下げ 5年繰下げ
    1% 65〜77 78〜79 80〜82 83〜84 85〜86 87〜
    2% 65〜78 79〜81 82〜83 84〜85 86〜88 89〜
    3% 65〜79 80〜82 83〜85 86〜88 89〜90 91〜
    4% 65〜81 82〜84 85〜87 88〜91 92〜94 95〜
    5% 65〜83 84〜87 88〜91 92〜96 97〜101 102〜

    毎日の記事にしたがって、78歳には死にそうだから1年繰り下げればいいのかなんて判断をしますと、ちょっと金利が上がればかえって損になり、繰り下げなければよかったと後悔することに。毎日も罪な記事を書くものです(笑)。

    さあ、もうそろそろ65歳だという皆さん、今後の金利動向とご自身がいくつまで生きられそうかをよーく考えて、繰り下げるかどうか、繰り下げるならば何年にするか、心行くまでお悩み下さい(笑)!

    #言うまでもありませんが、それなりの資産なり退職金なりがないと、繰下げの余地はあまりないわけですが。

    04/27/2007 (6:43 am)

    ブックファースト渋谷店閉店

    Filed under: book ::

     阪急電鉄グループ(本社=大阪市)は4月25日、渋谷文化村通り沿いにある旗艦店「ブックファースト渋谷店」(渋谷区宇田川町、TEL 03-3770-1023)を今年10月中旬で閉店すると発表した。

     同社によると、閉店は入居中のビルの建て替え工事に伴うもので、閉店後は近接するビルに新店舗を出店するほか、「新旗艦店」として新宿に売り場面積=1,000坪を超える大型店を開設する。

    (略)

     新店舗「ブックファースト渋谷文化村通り店(仮称)」は、大盛堂書店の閉店に続き同年9月に閉店した「旭屋書店渋谷店」が入居していた道玄坂下交差点近く「渋谷第一勧業共同ビル」(宇田川町)地下1階・地下2階にオープンする。売り場面積は約200坪で、営業開始は渋谷店閉店直後の10月中旬を予定。

    シブヤ経済新聞「大型書店「ブックファースト渋谷店」が閉店へ−旗艦店は新宿へ」

    とてもショックです・・・これでは渋谷に大型書店と言える店舗がなくなってしまうではないですか。新宿は紀伊国屋本店・南口店に加えて、最近ジュンク堂の拡張があったので、これ以上増えてもあまり利便性の向上が期待できないわけで。

    04/26/2007 (7:08 am)

    長崎市長射殺問題と「民主主義への挑戦」

    Filed under: policymaking, politics, law ::

    4/194/20の続きで、関係するいちごでの書き込みについてです。

    #なお、当サイトにご関心をお寄せいただくのはうれしいのですが、いちごを使うのは板違いでもあり、当サイトに直接要望をお寄せいただくのではいかがでしょうか>書き込まれた方。

    53: 名無しさんの冒険  2007/04/24(Tue) 01:56

    びわーど殿へ質問

    先日の政治家の銃撃事件に関連して、氏の意見を拝聴したいと考えています。氏の忌憚の無いご意見を聞かせていただきたく思います。性質上、質問の内容が非常に物騒なものになっていますが(笑)、100%仮想設例で、悪意は全く無く、頭の体操をするためのものに過ぎないことは明言しておきたいと思います。

    X氏は現在地方自治体のトップとして任に当たっており、現在は選挙期間中と仮定させて下さい。

    1. X氏に対して、表向きは競争入札になっているダム建設に関して、「入札させなければ殺す」と書かれた銃弾入りの封書が郵送された。実際、同様の事件で隣県の地方公共団体のトップが暗殺された。この事例において、当該脅迫行為は「民主主義への挑戦」か。

    2. 1の事例で、実際にX氏が暗殺されたらどうか。

    3. 1の事例と同じ図式ではあるものの、地域にとって政治的にも経済的にも非常に重要な意味を持つダム建設をするか否かという事柄に関して第三者が脅迫行為を行ったらどうか。

    4. 3の事例で、実際にX氏が暗殺されたらどうか。

    5. 個人的利得目的が実現できず、その腹いせに首長を暗殺した場合には、「民主主義への挑戦」ではなく、せいぜい「公正な職務執行の妨害」にとどまるとの見解がある。しかし、「公正な職務執行の妨害」と「民主主義への挑戦」とは切り分けられるものだろうか。いささか恣意的な定義かもしれないが、「民主主義」の本質が「被統治者の意思により統治者が選出され、政策形成に被統治者の意思を反映する」ことだと考えると、個人的な利得目的であるか否かを問わず、自己の意思が容れられないことをもって暗殺が起きるような状況になれば、為政者の政策形成に少なからぬ萎縮効果が働き、民主主義の根幹が掘り崩されるということになりはしないだろうか。

    実際に、重要な政策決定権限を握っている状況にあったらどう考えるかということをお聞かせ願いたい。

    いちご経済/経済学板「経済ブロガーと愉快な仲間たち」スレ・レス53

    これらの点については、直接のお答えにはならないかもしれませんが、脅迫なり暴力なりの対象が首長かどうかで異なるのかによって話が異なると考えます。どのような政策課題であれ、それぞれの分掌においてそれぞれが職責を果たす際、およそすべての者に対する脅迫・暴力を「民主主義への挑戦」だと定義するのであれば、それはそうなのでしょう。

    しかし、相手が首長だから、選挙期間中だからということでのみその定義が満たされ、首長でない者、あるいは首長であっても選挙期間中でなければ「民主主義への挑戦」でないとするなら、それはお示しの「『民主主義』の本質」を損なうかどうかとは別の価値観が混入していると言わざるを得ないでしょう。この文脈上、首長はあくまで機関(天皇機関説でいう機関と同じ趣旨です)であって、同様の機能を果たす機関と量的な差はあれど、質的に差を見出すべくもないのですから。

    結局のところ、民主政体制下においては、公正な職務執行は民主的な意思決定に基づき行われるものであり、決定された意思の実現を損なうものはすべて「民主主義への挑戦」であるとするのであれば、そうした要素が含まれていることは否定できません(公務執行妨害罪の保護法益にしても、究極的にはそのように説明できないわけではありません)。ただし、この手の話は、議論の枠組みとして言えば、実は刑法学において長らく揉まれ続けてきたことでもあります。

    例えば人を死に至らしめた場合、その行為がいかなる罪に該当するかといえば、殺人罪に限られるものではなく、傷害致死罪や業務上過失致死罪、過失致死罪など、その動機や行為の態様に応じてさまざまです‐わかりやすい例を挙げるなら、世の中で一般的に言われる「人殺し」よりも、刑法上の「殺人罪」は狭い概念なのです。今般の議論に応用するなら、直感的に「民主主義への挑戦」と思われるものであるとしても、それが法的に批判すべき「民主主義への挑戦」であることと直結するものではありません。加えて、刑法は原則として罪となるべき行為を故意犯に限り、つまりは結果責任は基本的には問われません。

    もちろん、世の中における非難可能性というものが、刑法上のそれに縛られなければならない理由はありません。刑法は刑法、それ以外はそれ以外として、「民主主義への挑戦」なるものを定義することも否定はされません。しかし、一応は刑法というものは、世の中で人がなす行為について、どのようなものがどのように非難されるべきかについてのカタログのひとつとして、長らく受け入れられ続けたものではあります。

    何らかの行為が社会的に非難されるべきものであるとして、それがどのような理由で、どの程度の非難を受けるべきかを考えるに当たって、刑法の考え方を参照するのは有益であるとwebmasterは考えます。結果において捨て去るとしても、少なくとも、批判的検討の末として損はないのではないでしょうか。

    04/25/2007 (7:01 am)

    S&Pによる日本のソヴリン格付けのAAへの格上げ

    Filed under: economy, treasury ::

    そもそも紙幣をすればいくらでも償還可能な自国通貨建て国債の格下げの趣旨がよくわからないわけですが、とまれ、引上げはなされました。S&Pのソヴリン格付けに関する説明を見る限り、

    政府には課税権限および自国通貨の発行権限があるため、格付決定プロセスにおいて、自国通貨建てと外貨建てとの区別をすることは重要なことです。このような権限があるため、多くの場合、外貨建て債務より自国通貨建て債務の返済能力の方が高くなります。反対に、外貨建て債務の返済の場合、そのために必要な外貨を取得する能力および意志が影響します。この外貨を取得する能力および意志は返済に関わるリスクを増大させる要因となります。

    国(ソブリン)の格付記号の説明

    と「自国通貨の発行権限」を認識しているにもかかわらず、どういう状況でデフォルトを起こすと考えていたのか、十分説明を聞きたいものです。考えられるのはインフレによる実質価値の目減りで、国会答弁でそれは含まれないと明言したMoody’sとは異なり、排除するとは明言していないS&Pは(少なくとも、webmasterが知る限りは)、実質価値毀損もデフォルトとみなすという言いぬけは可能ですが・・・。

    しかし、今回の格上げに関するリリースを見る限り、どこまできちんとわかってのことかは疑問です。結局のところはプライマリーバランスの回復を見てのことのようですが、例えば将来の懸念事項として、次のような言及があります。

    中期的な視野では、ほとんどのOECD加盟国と同様、日本も高齢化問題に直面する。2004年度には、国の社会保障予算の70%に相当する86兆円(対GDP比17%)が高齢化対策に充てられた。社会保障予算総額は2025年度までには対GDP比26%まで拡大するとみられる。政府は2004年の年金制度改革で、公的年金の支給開始時期の繰り下げ、加入者の保険料の引き上げなどに成功したものの、年金制度を長期的に維持するためには、より包括的な改革が必要である。

    日本の長期格付けを「AA」に格上げ、アウトルックは「安定的」

    高齢化要因による財政危機が深刻だとの見方についてはwebmasterは(当サイトで何度か言及してきたように)懐疑的ですが、それを受け入れるにしても、今後の社会保障関連支出で最も重要な要素として、よりにもよって年金を上げるとは。先日言及したように、年金のうち支出の過半を占める被用者年金については、そもそも国庫負担がない(公務員の共済年金については、使用者としての国の負担がありますが)上、マクロ経済スライドが適用されるので、いくら年金受給世代人口が増えand/or現役世代人口が減ろうとも、国の財政にとっては中立であり、心配する必要などありません。こと年金に関する限り、財政問題となり得るのは基礎年金の国庫負担にとどまるのです。

    厚生労働省が発表している試算を見ても、2004(平成16)年度の高齢化対策に充てられた「86兆円」とは年金、医療、福祉などの3分野を指すと思われますが(ちなみに財源をみると、保険料52兆円、公費26兆円、給付・負担差額8兆円)、財政にもっとも影響を与えているのは医療です。以後2025年度までの推計を見ても、むしろ医療の公費負担の比率は上昇しています(2004年度で年金8兆円・医療10兆円に対し、2025年度で年金14兆円・医療28兆円)。この程度のことも分析できないアナリストに格付けされるというのも、変な話ですよねぇ。

    #2004年度の「給付・負担差額」について追記すると、年金が8兆円の受取超過(国民から見れば。国から見れば支払超過)になっているということです(医療と福祉などは収支均衡)。その原資は、おそらく積立金の取崩しでしょう。

    04/25/2007 (6:59 am)

    国際公務員デイ

    Filed under: government ::

    国連が定める公務員の日なるものがあるとkei-zuさんに教えられました。6/23だそうですが、由来はよくわかりません(笑)。で、kei-zuさんご引用の資料より。

    ○中邨座長 本日は政策評価の会合でございますので。大変重要なお話であることはわかりますけれども、また別の会合で続けていただければ大変ありがたいと思います。

    時間もそろそろやってまいりましたが、公務員の皆さんもほとんどご存じないのかなという気がするのですが、実は昨日6月23日は、国際連合が「公務員の日」と決めた日です。6月23日が世界的に「公務員の日」と決められ、世界各国で公務員を顕彰しようということになりました。行政につきまして世界的にもう一度高く評価しようではないか、こういう重要な日でございました。

    なぜそういうことが起こってきたかというと、日本を除きますと今、世界的に政府部門、パブリックセクターのイメージが非常に低下しております。公務員のなり手がいない。これは困ったというので、国連が先頭を切って公務員を顕彰し、公務員を評価するという日を6月23日に決めたわけです。

    日本では公務員になろうという人がたくさんいます。おそらくは松本市でも公務員試験の競争率は100倍だろうと思います。なかなかなれない。これはやはり行政がそれだけ他の国に比べるときっちりしている。基盤もあって、大変な評価を受けているためだろうと思います。

    平成15年度総務省政策評価会(第2回)議事録

    「日本を除きますと」という言葉の意味がまったくわかりません(笑)。2003年当時に公務員人気が高かったのは、パブリックセクターのイメージがいいからでは決してなく、デフレ不況の長期化により下方硬直性を持つ人件費ですら下がっていく中、相対的に下がりにくい公務員人件費に優位性が生じたからだったわけで‐まして地方においては、全国平均以上に民間就職が厳しかったわけで・・・ハッ!

    「デフレ不況の長期化は、公共セクター職員の実質給与を引き上げるための、本石町&霞が関合作の陰謀だったんだよ!!」「な、なんだってー!!」(AA略)

    #洒落になってませんorz。

    04/25/2007 (6:55 am)

    オランダのサッカーファンによるクライフの名言アンケート

    Filed under: sports ::

    なんでも1位は「どんな欠点にも長所がある」だそうですが。

    »

    04/25/2007 (6:53 am)

    洞爺湖サミット開催決定

    Filed under: joke, politics ::

    事実上官邸の振付けであったとの報道がありますが、そうであるならば、なぜに安倍総理の支持者が、ある場所をサミット会場にしようとの運動を起こさなかったのか、千載一遇のチャンスを逃したとも言えるでしょう。洞爺湖が選ばれたのは、風光明媚な観光地であり、人口密地(4/26訂正)ではないことから警備もやりやすいという理由であったとのこと。その条件を備え、かつ、安倍政権であるからこその地があるというのに。つまりは、

    • 隠岐

    ということ。与那国も同種の地ではありますが、前回が沖縄サミットであったことを考えれば、今回は隠岐以外にありますまい。次以降が安倍政権のような対外姿勢であるとは限らないのですから・・・。

    #本当にそんな運動が盛り上がったとしたら、その担い手は自らの支持層と相当程度が重なるだけに、安倍総理は悩んだでしょうねぇ(笑)。どう考えても隠岐での開催は採り得ないでしょうけれど、採らなければ採らないで強固な支持層の離反を招くのは必定でしょうし。

    04/24/2007 (5:20 am)

    安倍総理の職歴と総理補佐官たちと経済財政諮問会議やその他諸々官邸系会議

    Filed under: policymaking, CEFP, government ::

    権丈先生の最新の勿凝学問(77)を読んでいて、ふと思いついた話。

    勿凝学問はリンク先をお読みいただくとして、webmasterの考えるきっかけとなったのは、経済財政諮問会議で社会保障に関する試算を行うという話です。権丈先生は専門家が含まれていない経済財政諮問会議でそんなことをするなんて、という部分に関心を持たれたわけですが、webmasterはそこから若干それて、ではなぜそのようなことが行われるのかに思いが至りました。

    というのも、こと経済財政諮問会議に限らず、さまざまな会議が内閣官房等に設けられ、そこで従来であれば各省庁で検討されるようなテーマが検討されているというのが安倍内閣の特色のひとつといえましょう(代表的な例で言えば、教育再生会議)。ちょうど昨日付の日経金融新聞に次のような記事がありましたが、

    「美しい国づくり企画会議」「アジア・ゲートウェイ戦略会議」「地方分権改革推進会議」――。安倍晋三政権のもとで発足した官邸主導会議に、霞が関の中央官庁が振り回されている。

    会議を支える事務局として人員を奪われるうえ、各会議が掲げる戦略の目玉として、省庁が独自に温めてきたアイデアが吸い取られるケースが出てきたからだ。「政策を横断的に検討するはずの会議が、かえって個別の政策の検討速度を鈍らせている」との冷めた声があがっている。

    (略)

    それでも会議で具体的な政策立案が進めば、事務局派遣もムダではない。だが「横断的に検討する会議が多すぎ、検討課題も重複する。内容はまとまりにくい」(財務省幹部)。省庁を横断して課題の優先順位や統合計画をまとめるはずの会議そのものが、課題のすみ分けができない皮肉な状況だ。

    日経金融「乱立する「首相会議」/官庁、人材取られ不満」

    概ねそんなところだろうとはwebmasterも思います。先日も、

     政府は19日、教育問題を議論している政府の六つの有識者会議の代表者を集めた合同会議を設置し、各会議で共通の論点となっている大学・大学院の高等教育改革をめぐる課題を集中的に議論する方針を決めた。

    (略)

     合同会議は教育再生会議が呼びかける形で、経済財政諮問会議、アジア・ゲートウエー戦略会議、イノベーション25戦略会議、総合科学技術会議、規制改革会議の代表者が参加する。

    (略)

     各会議はそれぞれの観点から大学・大学院改革の議論を行っているが、「議論の内容が重複したり、方向性が逆になりかねない懸念もある」(政府筋)のが実情だ。

    (略)

     このため、一部では各会議の主導権争いも絡み、議論が紛糾するのではないかとの見方も出ている。自民党内では、以前から「首相官邸に会議が多すぎてわかりにくい」との指摘があったことから、「今度の会議が取りまとめ役を担うのでなく、屋上屋を架すことにならなければいいが」「中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)との調整も必要だろう」などと、懸念する向きもある。

    読売「教育6会議が合同で協議 政府、方針統一図る」

    というようなことがありましたが、こういうことをしている方々に霞が関の縦割りがどうのこうのといった批判はしてほしくないなぁ(笑)、という感情的な話はさておくとしても、それほど効率的に機能しているようには見えません。

    この手の流れは小泉政権の頃からありましたが、小泉政権(さらに言えば、官邸機能の強化等を打ち出した橋本政権)で現状が理想に近いとの認識がありつつも、まだそこまでの機運が醸成できなかったのでやむなく諦めていたのか、それとも現状はいわば行き過ぎであるのか、webmasterは後者ではないかと思うのです。そう考える理由は、安倍総理、及び安倍政権の性質にあります。

    安倍総理の職歴

    安倍総理の職歴において顕著なのは、大臣ポストは官房長官しか経験しておらず、副大臣・大臣政務官ポストまで拡げても官房副長官しか経験していないということです。つまり、閣内に入ったといっても、官邸にしかいたことがないわけです。

    かつては総理総裁候補の条件として枢要な大臣ポスト(外務大臣、財務(大蔵)大臣、経済産業(通商産業)大臣など)の経験があることが挙げられ、したがって総理にはそれらの経験を積んだ者が就任していました。小泉前総理はそれらのポストには就かなかったものの、厚生大臣(2回)と郵政大臣を経験しています

    大臣経験があると何がわかるか、それはいろいろとあるでしょうけれども、この文脈において重要なのは、大臣とは本当に力のあるポストであるということです。外部からは、大臣とは官僚の操り人形だなどということがよく言われますが、政策において大臣がしたいといえば、事務方はそれが法律違反でもない限りはなるべく意を叶えようとしますし、人事にしても、大臣の意向でいくらでも左右されます。

    それがわかっているなら、仮に総理の指導力を高めようとした場合、各大臣をきちんとグリップした上で大所高所の指示を出し、具体的な話は各省庁においてやらせる、というやり方があることは自明です。小泉前総理にしても、道路公団や郵政公社の民営化という政権の主軸に据えた話についてはその手の会議を設け、竹中元経済財政政策担当大臣の思い入れのあるテーマ、すなわちアンチ財務省的な話を諮問会議で集中的に取り上げさせはしても、あとはそれなりに各大臣=各省庁に「丸投げ」もしていたわけです。

    #竹中元大臣から与謝野前大臣への交代に伴い諮問会議の路線が変わったのは、それが小泉前総理の関心事項ではなく、竹中元大臣の関心事項だったことの表れだとwebmasterは考えています。

    ところが、安倍総理は各省庁のトップとしての大臣経験がないので(官房長官は官邸(内閣官房)のナンバーツーです)、おそらくはそれが見えていません。各大臣にだって、大臣になるには政治家としてそれなりの格が求められますから、当然ながら自己の定見なりプライドなりがあり、官僚があれこれ知恵をつけられるなんてことがなくても、独自路線を求めたりもするものです。

    言い換えれば、明示的な総理の指示には当然従うとしても、自らの裁量に任されたと判断すれば、なるべく自分のカラーを出そう、あるいはいちいち総理の意向を探ったりせずに判断しようとすることもあり得ます(言われていないことについても総理の真意は何かを探りその実現にできるだけ努めようとする大臣もいます。このあたりはそれぞれの人格・性格によるでしょう)。大臣経験があればその辺りの機微もわかるでしょうけれど、官邸から各大臣・各省庁を見た経験しかなければ、これらは各省庁は思ったとおりにならず、官僚が大臣を取り込んでいる印だ、と思うこともあるでしょう。

    だからこそ、なるべく自らの目が直接行き届くところですべてを決したがるのではないかと、webmasterは思うのです。よくよく考えてみれば、既に引用したように、内閣官房に会議を作ったところで、その事務方になるのは官僚です。総理→各責任者→官僚という統制の仕組みは、官邸直轄であろうと各省庁であっても変わらず、違いは「各責任者」が大臣なのかそうでないのかの違いに過ぎません。にもかかわらず、「各責任者」が大臣だと官僚の操り人形に堕すというのは、大臣職の実態がわかっていないように見えるのです。

    総理補佐官たち

    そもそも総理補佐官を数多く置いたのも、以上のような大臣=官僚の操り人形論に影響されてのことではあったのでしょう。しかし、いったん制度が運用に移れば、当初の意図どおりには必ずしも動きません。

    安倍政権での総理補佐官は、任命当時から各大臣との権限関係が不明確であること等が指摘されてきました。同じ分野で総理補佐官と各大臣とが競争するならば、各省庁という手足となる組織を持っている大臣が有利なのは当たり前のこと。自然体でいけば、明確な特命事項がない限り、総理補佐官の存在感が薄れていくのは必然です。

    しかし、総理補佐官に任命された者は、それが政治家であればなおさら、そのような境遇に甘んじることはできないでしょう。いきおい、総理補佐官たちは、名が売れそうな話があればそれに飛びつき、その存在感を示そうとするでしょう‐各大臣との競争に限らず、総理補佐官同士での功名争いとしても。

    まして、各省庁という執行組織を持たない総理補佐官には、ルーチンワークがありません。つまり、何か問題を見つけてきてはそれに取り組むということでもしない限り、はっきりいえば暇なわけです(笑)。功成り名を遂げた人が就く名誉職というならばさておき、総理補佐官を今後の政治家としての上昇のステップにしようと考えていれば、暇でよかったなぁ、なんて気分になるはずもありません。むしろ暇であればあるほど何かがしたくて仕方がない心理状態になっても、それは極めて自然なことでしょう。

    既述のような各会議のバッティングは、それぞれが明確な統一的意図の下で立ち上げられたのであれば、おそらくは事前にきちんと担当が整理され生じないでしょう。バッティングが生じているということは、逆に明確な統一的意図がなく、まちまちに立ち上げられたことを示唆します。

    結局、各大臣・各省庁相手では統制がとれず、身近な官邸勤務者であれば統制が効くとの事前の意図に反し、各補佐官がそれぞれの関心に基づいて「権限争い」(笑)を繰り広げた結果、霞が関を非難する定番のラベルである「縦割り」が霞が関以上に似つかわしくなってしまったのでしょう。かつて今村都南雄「官庁セクショナリズム」の書評で書いたように、縦割りは遍在するのであって、霞が関の病理としてのみ解されるべきものではないのです‐おそらくは、現在の官邸の混乱は、各省庁の権限争いによるそれよりも見通しが悪いものでしょう。見通しの良し悪しは、政治的にいいか悪いかには、必ずしも直結するものではないにせよ。

    04/23/2007 (3:30 am)

    テーマの変更等

    Filed under: notice, WordPress, tDiary ::

    以下のとおりです。

    • pluginの追加
      • コメント欄での長いURIを省略表示するためShrinky Linkを導入
    • headerまわり
      • title要素の表示順を、サイト名→エントリ名からエントリ名→サイト名に変更
    • sidebarまわり
      • 表示順の変更
      • カレンダーを設置
      • “Recent Comments”の表示数を10から20へ増加
      • tDiary時代のarchivesへのリンクを追加
    • footerまわり
      • カウンタを設置

    04/23/2007 (3:26 am)

    ミルコ・クロコップvsガブリエル・ゴンザーガ@UFC70

    Filed under: sports ::

    Youtubeの動画が片っ端から著作権の関係上削除される中、かろうじて最後の部分のみを見たわけですが・・・。

    »

    04/22/2007 (6:50 pm)

    国会における経済論戦 その8

    Filed under: economy, BOJ, politics ::

    さる4/17、衆議院の財務金融委員会において、日銀による「通貨及び金融の調節に関する報告書」の国会報告が行われました。既に多くの方が取り上げていらっしゃいますが、日銀は現状金利が低すぎると考えているのだなぁとか、それを批判する質問は一切なかったなぁとか、そうした感慨を抱かせます。しかし、あえて申し上げるならば、それらは周知の事実であって、情報工学上のエントロピーは極めて少ないといえましょう。

    他方で、bank.of.japanさんが注目された話題は、bank.of.japanさんはネット中継をご覧になって書かれたとのことですから間違いはないと思いつつも、そんな発言があり得るとは予想できず、エントロピーは多かったわけです。ようやく議事録が公開されたので、そこから引用してみます。

    ○佐藤(ゆ)委員 おはようございます。自由民主党の佐藤ゆかりでございます。

    (略)

     まず一番目でございますが、安倍政権の掲げる「美しい国、日本」の国家観では、理想的な我が国経済の姿として、イノベーションによる生産性の向上と国際競争力の強化によります経済成長戦略というものをうたっております。この経済成長戦略では、最終的に均衡のとれた経済成長を実現するためには、サービス業や中小企業の生産性の向上などにも力点を置きまして、結果として、企業部門全体の活力の底上げというものを図ることで、家計所得の拡大そして消費の拡大へと波及ルートに対する道筋を立てていく、そういう考えに立ったものであります。

    (略)

     いろいろな御見解があるわけでございますけれども、そこで、福井総裁にお尋ねしたいと思います。

     高齢化社会の我が国経済が高い成長率を手にするためには、機能すべき経済のさまざまな波及ルートの中で、力点を置くべきルートというのをどこに求めるのか、総裁御自身の御所見をお伺いしたいと思います。

    ○福井参考人 日本銀行にとりましても大変重要な御質問をちょうだいしたというふうに思っております。

     御指摘のとおり、少子高齢化、あるいはさらなるグローバル化の進展への対応など、日本経済がこれからも抱えていく難しい課題を克服して、高い成長率を実現していく。そのためには、御指摘のとおり、イノベーションを通じて民間活力をさらに引き出して潜在成長力を高めていくことが極めて重要だというふうに考えています。それも、先頭に立つ大企業、製造業だけではなくて、おっしゃるとおり非製造業、過去の系譜を振り返ってみましても、製造業と非製造業との間には生産性格差が大きいというのが日本経済の特徴でございます。こうした難点を克服していく。そして、大企業、中小企業間のイノベーションの力の差というものも、やはりいつまでも放置できない問題だという意識でもって潜在成長能力を高めていくことが極めて重要だというふうに考えています。

     潜在成長能力を高めるためには、労働や資本といった生産要素の投入を増加させたり、生産性の向上を進めていくことが必要でございます。生産性を向上させるためには、これは、限られた資源が収益性の高い分野に円滑に配分されるような、変化への対応力の高い経済システム、硬直的でなくて変化への対応力の高い経済システムを構築していく必要がございます。

     私ども、マクロの観点からの仕事をさせていただいておりますので、ミクロの分野への政策対応という点は私どもの手からはなかなか及びがたいわけでありますが、マクロの点から見ますと、例えば、我が国の金融資本市場を、より使い勝手がよく、より効率的な資源配分を可能とするような生きた市場としていくことが非常に重要だと考えております。さらに、教育や研究開発分野に対する投資を着実に続けていただける、つまり、そういう方向に資源配分がなされて我が国の有形無形の資本の質が高まっていくということも大切だというふうに考えております。

    (略)

    ○佐藤(ゆ)委員 ありがとうございます。

     今お伺いしました総裁の御答弁で私が印象を受けましたのは、どちらかといいますと、総裁も、政府の戦略と似たように、生産性を向上させて、その背景にイノベーションがあるわけですが、生産性向上ルートで、人的な投資、あるいはイノベーションに基づく設備投資を主体とした成長力の全体的な底上げというふうにお見受けしたわけでございます。

    (略)

     そこで金融政策についてですけれども、金融政策というのは、政策的に変更すれば所得の分配効果というのも必然的に生まれてくるわけでありまして、例えば、利上げをしませば家計部門の利子所得はふえますが、逆に利下げをすれば企業部門の借り入れコストが低くなるというような分配効果というのは当然生じるわけでございます。

     こうした所得の分配的な側面を考慮に入れつつ、主軸として機能すべき、総裁が今おっしゃられました経済の波及ルートの出現のために、これをどうにか実現させるためにはどのような金利の姿というのが、あるべき姿として望ましいのか。すなわち、安倍政権では、「美しい国、日本」をつくるときに金利がどうあるべきなのか、日銀総裁御自身が描かれておられます「美しい国、日本」のための「美しい金利観」について御所見をお伺いしたいと思います。

    ○福井参考人 日本銀行が金融政策を運営していきます場合に念頭にありますことは、日本経済の実力が時の経過とともに常に向上すること、向上した力が、常に現実の経済発展の成果として国民の多くの方々がそれを享受できるような姿として実現していくこと、そのためには、物価安定のもとに息の長い成長を続けること、こういうことになると思います。

     金融政策の観点から申しますれば、それらすべての目標を同時達成していくためには、限られた資源が収益性の高い分野に円滑に配分されるようなメカニズムが、金利の面からもしっかりと作用する必要があるということだと思います。

     そうした観点からは、市場金利が経済、物価情勢を反映した形で円滑に形成される必要があります。そういう金融条件、金融環境というものを用意するということを念頭に置きながら私どもは金融政策を進めていかなければならない。

     逆に、経済、物価情勢と離れた金利形成が行われますと、非効率な経済活動に資金やその他の資源が使われ、長い目で見た資源配分にひずみが生じるおそれがあります。そうなりますと、これは息の長い成長を阻害する可能性があるということで、目的が損なわれるということになると思います。

    (後略)

    第166回国会 衆議院財務金融委員会 第9号(平成19年4月17日(火曜日))(webmaster注:強調はwebmasterによります)

    「美しい金利観」ですか・・・一応は先立つ説明があり、それを「すなわち」と受けてのことですから、意味不明というわけではありません。佐藤議員の選挙区事情を考えれば、党執行部に迎合したくなる気持ちもわからないではありません。しかし、そうした事情を斟酌してなお、「美しい」という形容詞を「金利観」に接続するというのは、それこそ「美しい日本語」ではないんじゃないの、と厭味のひとつも言いたくなるというものです(笑)。

    日ごろ日銀に理解を示すことの少ないwebmasterにしては珍しく、この質問に対して答えを作成した事務方には大いに同情してしまいました。

    • 「『美しい金利観』についての所見如何、だってよ」
    • 「何を答えればいいんですかねぇ・・・」
    • 「俺に聞くなよ(笑)」
    • 「とりあえず、金融政策運営についてのいつもの答えをつけておきますか」
    • 「そうだな・・・」

    なんて会話が聞こえてくるようです(笑)。webmasterが答弁を作成するなら、「金利について『美しい』『醜い』といった形容詞がどのような意味を持つのかは承知しておりませんが」といった断り書きを冒頭につけちゃうんだろうなぁ・・・実は事務方もつけていて、福井総裁がそんな喧嘩を売るようなこと言えるわけないだろ、と削ったとか(笑)。

    04/21/2007 (6:05 pm)

    世論が先かマスメディアが先か(魚住本についての追記・その2)

    Filed under: media ::

    4/18に引き続き、4/16にいただいたご意見を踏まえての再論となります。論じる対象は、エントリのタイトルにあるとおり、世論とマスメディアとの因果関係となります。先行エントリで書いたように、webmasterはまず世論(ないしそれを支える基盤)があり、マスメディアはそれを前提に「売れる」言説を繰り出しているのだ、と考えております。これに対して、マスメディアが世論を誘導しているのではないかとe-takeuchiさんからご指摘がありました。

    ここでは、なぜwebmasterがそのように考えているかをお示しして、その妥当性をご議論いただければと思います。いずれも決定打といえるほどのものではないことはwebmaster自身認めますが、状況証拠としてはそれなりの説得力を有しているのでは、というのが自己評価です。

    アメリカにおける研究

    当サイトでは既に紹介したことがありますが、アメリカでの研究を見てみます。

     需要は自らの供給を創出する……タイポじゃないです.Lean Left? Lean Right? News Media May Take Their Cues From Customers (ウヨ?サヨ?マスコミの見解って客見て決めてんじゃないの?)のお話.元ネタはM.GentzkovとJ.M.ShapiroのNBERのペーパー(#12707)とのこと.

     研究の手法は,国会の記録から「共和党用語」と「民主党用語」を抜き出すと,共和党が強い地域の新聞は共和党用語,民主党が強い地域の新聞は民主党用語で語ろうとする.要するに,論調は購読者によって決めているという話.ちゃんとマーケティングをして記事を書いている……まぁそりゃそうなんだろうなぁ.

     拙著『ダメな議論』にも繰り返し書いたように,相手が好むような論調をベースにすることで根拠のない根拠が通りやすい状況を作ることができる.米国のメディアはその恐れは十分あるというわけです.

     これって日本でも後追い研究できるよね?ってかメディア論とか社会学とか詳しい人(むしろ検索システムに詳しい人か^^)……やるなら手伝うよ?

    「マスコミ批判に意味はあるのか?」(@こら!たまには研究しろ!!2006/12/7付)

    もともとの研究はGentzkov, Matthew and Shapiro, Jesse M., 2006, WHAT DRIVES MEDIA SLANT? EVIDENCE FROM U.S. DAILY NEWSPAPERS, NBER Working Paperで、これが英文で67ページあり、正直申し上げてwebmasterは原論文に目を通しておりません。ま、読んだところでwebmasterごときの知識ではきちんと批判的に検証できるとは思えないのですが(笑)。

    とりあえず原論文がアメリカにおける世論とマスメディアとの関係を正しく分析しているとの前提に立てば、まず世論なり風土なりがあり、マスメディアはそれに応じて「売れる」言説を紡いでいるということになります。あるいは、そうしたマーケティングができないメディアは消え去っていくと。

    こうした関係について、アメリカと日本とで異なった作用があるとは考えづらいでしょう。飯田先生のおっしゃるとおり、日本についての研究が望まれるところではありますが、日本においても同様に、マスメディアは世論に追随していることが妥当と考えられる材料のひとつとしては、十分通用するとwebmasterは考えます。

    情報入手径路としてのマスメディアの影響力

    人間が情報を入手するに当たって、メディアごとのシェアを示す研究があればよいのですが、webmasterが探した限りでは見つかりませんで、その代わりに生活時間調査を使ってみたいと思います。

    ○テレビ以外のマスメディアの行為者率(1日の中で15分以上接している人の率)、国民1人あたりの1日の時間量(接していない人は0分として計算)は以下のとおりである(1週間をならした値)。

           1日の行為者率 1日の時間量  長時間の層
     テレビ      90%    3時間39分  男女60代以上
     ラジオ      14%       22分  男60代、女50代以上
     新聞       44%       21分  男60代以上、女70歳以上
     ビデオ       9%        9分  なし
     CD・MD・テープ  10%       10分  女10・20代
     雑誌・マンガ・本 19%       14分  なし

    2005年国民生活時間調査報告書(PDF版)(NHK放送文化研究所)

    視聴率調査を見れば一目瞭然ですが、テレビを視聴する時間の過半はドラマやヴァラエティなどが占め、報道関係が占める時間は極めて少ないでしょう。新聞にしても、そもそも21分しかないところ、テレビ欄やスポーツ面、家庭面などの世論とはそれほど関係がない部分を見ている時間が相当程度あるでしょうから、世論形成に係わり合いが深そうなマスメディアへの接触時間は、かなり多めに見積もったとしても、せいぜいが30分程度であろうとwebmasterは推測します。

    webmasterの管見では、いわゆる口コミ、つまりは人と人との直接接触による影響の方が、よほど大きなものでしょう。例えばスティーヴン・ピンカー「人間の本性を考える(下)」では、子育てに関して親の影響よりも仲間の影響の方が大きいとしていますが、この見解に立脚すれば、社会的問題についてのマスメディアの影響は、子育てにおける親の影響をも超えるようなものでなければ、仲間の影響に比すべくもないということになります。

    ちなみに、質ではなく量を考えるとしても、仕事関連の1週間を均した(=上記引用のマスメディア時間量と同じベース)平均時間は3時間53分、以下同じベースで学業48分、社会参加13分、会話・交際23分、レジャー活動1時間19分といったところが人と接し得る諸活動ですが、これらの際に行われる情報交換の方が、まあそれらの間ずっと雑談をしているわけではないでしょうから割り引く必要はあるにせよ、マスメディアを通じてのものよりも、より多くを占めるとwebmasterは考えています。

    以上について非常に単純な例を示すなら、人は赤旗を読んで共産党にシンパシーを抱くようになるのか、それとも共産党にシンパシーを抱くから赤旗を買うのか、どちらがよりありそうな事例でしょうか? 赤旗を聖教新聞に、共産党を創価学会に入れ替えて考えてみた場合はどうでしょうか?

    カエサルの「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」ではありませんが、ホモサピエンスが自らのステレオタイプを守るため、あるいは認知的不協和を避けるため、選択的に情報を取得することは、これまた広く見られる事例ではないでしょうか。マスメディアに限って、見たいと欲しない何らかを見させ、それを現実だと思わせる力があるというのは、マスメディアへの過大評価というものではないでしょうか。

    その他のe-takeuchiさんのご指摘について

    、「そもそも報道とは・・・情報という商品を不特定多数の消費者に売る仕事にすぎな>い」との指摘こそ卓見だと思うのですが、どうやら筆者にとってはそうではないようです。

    どこが卓見なのかわかりかねます。情報を売るだけなら、瓦版で十分です。情報をどう定義するかによりますが、売れない商品は市場から撤退せざるを得ないだけだとする考えには賛成しかねます。たとえば、くだらない本が売れ、良書が売れないという現実をどう考えるのでしょうか。もちろん、くだらないというのは主観に基づくものなので、売れている本や雑誌や記事こそが価値あるものだという味方も可能でしょう。でも、ぼくは同意できません。まぁ、「たしかに商品の売り方を考えた方がいい」とは思いますけど。

    余計な解説はいらない、一次ソースをなるべく歪みなく知らしめることがマスメディアの役目だ、という主張は、まったくもってそのとおりだということになります。

    テレビはそうでしょうねぇ。下らない解説より、映像のほうが、説得力ありますから。でも、その映像ですら、全体の中の一部であり、ディレクターによって編集されたものです。まして、新聞は記者たちの頭の中で事件が再編集されるわけですから、ありのままに伝えるなど不可能です。もし、ありのままに伝えることができるという記者がいたら、それは奢りです。新聞や雑誌の場合、即時性がないのですから、起きたことを解釈して伝えることが必要だと思います。メディア側に偏向する性質があるなら、読者がそれを理解した上で読めばいいだけのことです。読者にもリテラシーが求められると考えます。だいたい、霞ヶ関や永田町では、未だにしょっちゅう事実が歪められているではないですか。

    先にそれらを失った共同通信はとっくに倒産し、あるいは後になるまでそれを持ち続け>た朝日新聞がもっと部数を伸ばしていてしかるべきなのですが、現実はそうなってはい>ません。

    共同通信のことは知りませんが、朝日が讀賣に部数で抜かれたのは、記事の内容よりも販売員の力によるところが大きいと思います。同和をだしに購入をせまる販売店がありますし、見るからにヤクザにしかみえない人が大手町の本社に出入りしています。たしかに、最近の朝日新聞はつまらないですが、かといって他の新聞がおもしろいとも思えません。良質なものが勝つとは限らない、あるいは淘汰されたものがだめとは限らないのが市場というものです。

    それが、市場が出した答えなのです。

    経団連の回し者かと思ってしまいました。市場というのは、しょっちゅう間違いながら調整されていくものです。ただし、放っておけば自動的に調整されるというものではありません。「見えざる手」などというものはありませんから。ですから、市場が出した回答が正しいという保証はないのです。

    「メディア論」(@不安症オヤジの日記4/18付)

    いずれもe-takeuchiさんはwebmasterの主張を誤解されているのかな、と思うのですが、webmasterは現実とはそのようなものだ、ということを申し上げているのであって、それに対して良し悪しや質がどうかといった評価を下しているわけではありません。人によって良し悪しの評価は分かれるかもしれませんが、マスメディアにおいて残っていくものは多くの視聴者・読者を獲得したものであるということを直視すべきであると。良しと思い是認するにせよ、悪しと思い改善を考えるにせよ、この現実を前提とすべきでしょう。

    あえて申し上げるならば、プロの高い評価を受けつつも販売が不振で市場から消えていくものがあるというのは、多くの(全ての?)財やサービスにおいて観察されることです。言論を取り扱う市場においても同様であろう、というのがwebmasterの主張ですが、もしそうではないのだ、あるいはそうあるべきではないのだということであるならば、他の財やサービスの市場についても同様でない限り、言論のみが何がしかの特権的地位にあるべきという価値観の反映ということではないのでしょうか。

    次のページ »