長崎市長銃殺事件に関して気になる報道等についての追記
昨日のエントリについて、それへのコメントや、あるいは下記において、webmasterが今回の事件はテロリズムではないと主張したとの受け止めがあります。
- 「テロ?民主主義に対する挑戦?」(@Cahier de pas-a-pas4/19付)
- いちご経済/経済学板「日銀はより大胆な金融緩和をパート2」スレ・レス746
しかし、webmasterが指摘したかったのはそういうことではなく、テロリズムかどうかが明らかではない段階でテロリズムと決め付けるステレオタイプが問題であるということです。昨日の繰り返しではありますが、各紙社説とも動機は明らかではないとしていました。にもかかわらずそれをテロリズムと断ずるのは、テロリズムの語の定義に反する話であり(昨日は法令を引きましたが、例えばテロリズム(テラー、テロリズム=Terror, Terrorism)とは一般的に心理的恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為のこと。またはその手段を指す
とWikipediaでもされています)、そこに鈍感な報道姿勢に、各種の問題報道に通じる要因があるのではないかとの認識あってのことです。
こうした問題意識は、webmasterに限らず、同様の疑念なり違和感なりを示されたbranchさんやApemanさんもお持ちなのではないかと思います。当然ながら、こうした問題は、結果的に本件がテロリズムであることが明らかになったとしても、それでよしとできるものではありません。あくまで裏づけよりもステレオタイプを優先させる姿勢の問題なのですから。





4月 21st, 2007 at 14:41:37
言葉の定義を変えたの?
そんなら、概念の相対性ということで、何をいってもいいでしょ。コンテクストから意味を判断すればいいという意味で。
bewaadさんが、法令をひっぱてきて、法令の定義が明快で「テロ」がいろんな意味を含んでいるから、コメントしたのに。
後から定義を変えれば、何とでもいえますよ。
ちゃんちゃん。
4月 21st, 2007 at 15:29:15
政府関係者のコメントは、有権者に向けた言葉ですよね。事実がわからない段階で、「仮に最悪の事態が起きたとしても何とかする」というメッセージを発したのだと理解しました。僕は特に違和感を感じていません。
たまたま選挙機関中だったのか、それとも意図的に選挙期間中を狙ったのかなんてわからない段階で発せられたびっくり水的言葉ですから、変な噂・暴動にならなかった時点で(日本では暴動の類は考えられないですが)発言は成功です。現在、色々な報道がなされていて怨恨説が主流ですが、それが事実かは誰にもわからない事だと思います。
社説とかの類は、視聴者向けメッセージです。ショックを受けている人たちには、強いメッセージは割と簡単に浸透するという事を、ああいう業界にいる方は良くご存知でしょう。また日ごろ公言したいと考えていた事を、とても視聴率が高いであろう全国ニュースで発表する機会を得たのですから、インタビューで大げさに語る人がいるのも自然です。見ている側が割り引けばよい問題かと思います。
今回のシリーズは言葉遊びに堕しているのかなと思います。
4月 21st, 2007 at 18:38:25
>ダニアンさん
そちらが
>法令用語を持ち出すのは官僚なら当たり前かもしれんが、一般的にはちょっと待ってくれよなあ。
ということをおっしゃるので、一般的な用法を参照したわけですが。
>もし法令用語としても、「政治上の主義主張に基づく」ではなく「政治上その他の主義主張に基づく」でしょ。
>そうなら、テロはかなり広い概念になって、bewaad氏の見解をサポートするとはいいがたい。
宗教上、イデオロギー上のものであるからこその「主義主張」であって、金銭や恋愛などにまつわる動機は「主義主張」とは言いがたいでしょう。
4月 21st, 2007 at 18:43:18
>鍋象さん
見込みで走ってしまいがちなマスメディアの体質がよく現れた事例だと思い取り上げてます。
>見ている側が割り引けばよい問題かと思います。
というのはおっしゃるとおりですが、それだけではマスメディアを完全免責するようなものといいますか、そもそもあらゆるメディア批判は無意味だ、ということになりませんでしょうか?
4月 22nd, 2007 at 0:02:42
鍋象さんが仰っているのは、「この件は許容範囲内」ということでしょう。あと「動機は不明」とはいっても、漏れ伝わってくる未確認情報が行政対象暴力絡みの話ばかりだったという背景がありますから、「不明」のレベルが bewaad さんの前提とズレているものと思います。全く何の情報もない「不明」ではなかった、と。
4月 22nd, 2007 at 8:44:30
わかりにくい書き方でしたね。政府側の反応は事実が確認できない段階でのメッセージとしては正しい反応だと思っています。
マスコミ側の反応はいかにもな売名行為で、僕はかなり割り引いてみているという意味です。というか許容云々以前に無視してます。ああいう人たちはいくら批判しても、損得考えたらやっちゃうから批判するだけ無駄みたいな。
4月 22nd, 2007 at 22:10:31
あ、すんません。更にわかりにくかったっす。マスコミの自動応答的反応については、bewaadさん同様に冷たい視線を送っています。僕の場合は呆れ系ですが。
4月 23rd, 2007 at 3:37:50
>徳保隆夫さん
これ以上言葉を重ねない方がいいのかなとも思うのですが(笑)、別に未確認情報に基づけばテロリズムである蓋然性が相当程度ある、という論説であったならば、私もひっかかりはしませんでした。動機が不明だと言い切ることとの組み合わせに違和感があったといいますか・・・言えば言うほどぐだぐだですねぇ、我ながら。
4月 23rd, 2007 at 3:38:16
>鍋象さん
私の方が釣られやすかった、ということで(笑)。
4月 23rd, 2007 at 10:02:01
bewaadさま
>言えば言うほどぐだぐだですねぇ
とのことですから、週も改まったことですし、あまり蒸し返したくはないのですが、
4/19のエントリの16番目で申し上げたように、
>bewaadさまはおそらく、「テロだと断定するのは早すぎる(根拠がない)」といいたかっただけだ、とおっしゃるでしょう
のとおりになりましたね。
で、19日のコメントで申し上げたかったのは、結局、本件そのものに対するbewaadさんの見解がない、ということです。
たとえば、リンク先のbranchさんは、
>亡くなられた方々の冥福をお祈りするとともに、これらの事件の真相が究明されること、銃器の取締りが強化されることを強く願う。
ですし、apemanさんは、
>ひとりの人間の命が奪われたことは特に政治的な観点から考えずとも十分重大なのであって、事件の政治的な含意が明らかになっていない現時点では、ということ。念のため。
と、本件についての評価をされています。コメント返し、本日のエントリでも、いっさいの評価がないと読ませていただきました。(これについても、事実が明らかにならない以上、コメントできないと、主張されるでしょうね。私の16番のコメントで、「どのような証拠があればテロだと断定されるのか、そしてテロだと断定されたなら、どういう行動をお取りになるのか」という指摘は華麗にスルーされていますし。ひょっとして、テロでもないし、一般の殺人事件についてコメントする立場にない、とか主張されますか。あるいは、「人を殺すことって明示的に書かなくても悪いにきまってるじゃないですか」でしょうか。)
なお、私自身も、4/19の20番目のコメントで、
>マスコミの主張と全面的に同じではありませんが、テロとの決別をしなければならない
とカキコしている意味は、民主主義への攻撃だと脊髄反射したり、テロ対策の名のもとで何でもありの風潮そのものは危惧しております。その点では、bewaadさまと論拠を同じにしているつもりですが、であればなおのこと、マスコミの姿勢にいきすすぎありと主張されると同時に、本件に対する評価が必要だと思うのです。4/19エントリの最終段落でお書きのような他の殺人事件一般と同列的にお考えになられているのかどうか、ということでもあります。
4月 24th, 2007 at 5:30:22
>通りすがりさん
ぐだぐだ云々は鍋象さんとのやりとりに関してですので、お気遣いなく。
ご指摘の点については、むしろ積極的に、人が死んだという点については一般の殺人事件と差を設けるべきではないと考えています。政治家だからその他の人々よりも殺されるべきではないとはまったく思いませんので(もちろん政治家に限らず、あらゆる属性においてですが)。
仮にテロリズムであった場合には、主義主張の暴力的手段による達成がどれだけ図られたかという観点から犯罪の影響を考えるべきであって、殺人であっても達成にほとんどつながらないならばテロリズムとしては相対的に軽微なもので、傷害にとどまっても達成に大いに寄与するのであれば相対的に重大なテロといえるでしょう。一般的傾向として、殺人の方が傷害よりも重大なものでありやすいとは認められるにせよ、基本はこの政治的影響等について個別に判断すべきだと考えています。
4月 24th, 2007 at 11:51:14
bewaadさま
連日のコメント返しありがとうございました。
これまでの文脈では、bewaadさまは、テロ、経済的利得を達成しようとする暴力(断片的に報道されることで判断される本件のようなもの。もちろん、まだまだ真相が解明されているとはいいがたいですけれども)、一般の暴力(痴話けんか)と、3種類あると考えられているように思います。そして、本日のコメントでも、2番目の経済的利得云々のケースには言及されませんでした。
私は経済的利得を得よう、守ろうとする暴力もテロだと考えております。これが国レベルになると、帝国主義的侵略とかいいます。紛争を解決するための手段としての暴力ですね。また、痴話けんかであっても、「私と結婚して」といって暴力を振るうのは、自らの主張を押し通すための暴力で、テロと同様根絶すべきと考えておりますが、まあ、bewaadさまとは、このあたりが本質的に考え方が違うのでしょう。
繰り返しですが、もちろん本件を契機に、テロ予防のためにはなんでもありという風潮が強まること、しかもその可能性が多いにあること、には危惧感があり、bewaadさまとは問題意識を共有しております。
連日の長文カキコ、たいへん失礼致しました。
4月 25th, 2007 at 7:12:46
>通りすがりさん
暴力かどうかよりも、本件の文脈で言えば殺人かどうかということが私の議論の中では意味を持ってきます。刑法での観念において暴力行為は、ラフに言えば殺人>傷害>暴行となりますが、これは暴力行為の結果が死亡、けが、無傷(傷害致死とかいろいろありますが、ラフな議論としてご理解いただければ幸いです)のいずれかということで、身体への侵害の程度によって罪の軽重が定まります。
他方でテロリズムは、政治的目的(宗教その他の主義主張に基づくものを含みます。以下断りません)の達成度合いによって罪の軽重が定まるものであって、先のコメントでも書きましたが、暴行でも重大なテロリズムもあれば、殺人でも軽微なテロリズムもあるわけです。
ご指摘のように殺人の動機に3種類あるというより、殺人はいかなる殺人も等しく殺人であって、もちろん情状酌量の余地など勘案すべき事情の有無によって非難可能性には差が出てきますが、少なくともこと殺人であることには差はない、あるいは差をつけるべきではないということになります。政治家を殺そうがそうでない人を殺そうが、動機がいかなるものであろうが、ある殺人は第一級殺人で、異なる殺人は第二級殺人であるといったものではなかろうと。
カタカナ時代の刑法には尊属殺人がありましたが、これなどは殺人の被害者の身分によって一般の殺人とは異なる罪であると観念していたわけですが、これなどがそうした対象なり動機なりによって犯罪の観念そのものを違える例でしょう。そうした類型化はいかがなものか、というわけです(他方で英米法系では謀殺と故殺の区分がありますが、これは計画的殺人か衝動的殺人かによって分かつもので、対象や動機による類型化ではありません)。
まとめるなら、殺人は殺人として非難すればよく、政治家相手の殺人だからといって他の殺人より重く扱うのは変だろう、テロリズムはテロリズムとして非難は可能であるけれども、本件がそれに該当するかどうかはきちんと検証が必要であろう、ということになりますでしょうか。あるいは、単なる殺人事件としての非難では何が足りないのかわからないとか。なお、関連する議論を明日(4/26)のエントリでしようかと考えていますので、よろしければご覧下さい。