世論が先かマスメディアが先か(魚住本についての追記・その2)
4/18に引き続き、4/16にいただいたご意見を踏まえての再論となります。論じる対象は、エントリのタイトルにあるとおり、世論とマスメディアとの因果関係となります。先行エントリで書いたように、webmasterはまず世論(ないしそれを支える基盤)があり、マスメディアはそれを前提に「売れる」言説を繰り出しているのだ、と考えております。これに対して、マスメディアが世論を誘導しているのではないかとe-takeuchiさんからご指摘がありました。
ここでは、なぜwebmasterがそのように考えているかをお示しして、その妥当性をご議論いただければと思います。いずれも決定打といえるほどのものではないことはwebmaster自身認めますが、状況証拠としてはそれなりの説得力を有しているのでは、というのが自己評価です。
アメリカにおける研究
当サイトでは既に紹介したことがありますが、アメリカでの研究を見てみます。
需要は自らの供給を創出する……タイポじゃないです.Lean Left? Lean Right? News Media May Take Their Cues From Customers (ウヨ?サヨ?マスコミの見解って客見て決めてんじゃないの?)のお話.元ネタはM.GentzkovとJ.M.ShapiroのNBERのペーパー(#12707)とのこと.
研究の手法は,国会の記録から「共和党用語」と「民主党用語」を抜き出すと,共和党が強い地域の新聞は共和党用語,民主党が強い地域の新聞は民主党用語で語ろうとする.要するに,論調は購読者によって決めているという話.ちゃんとマーケティングをして記事を書いている……まぁそりゃそうなんだろうなぁ.
拙著『ダメな議論』にも繰り返し書いたように,相手が好むような論調をベースにすることで根拠のない根拠が通りやすい状況を作ることができる.米国のメディアはその恐れは十分あるというわけです.
これって日本でも後追い研究できるよね?ってかメディア論とか社会学とか詳しい人(むしろ検索システムに詳しい人か^^)……やるなら手伝うよ?
「マスコミ批判に意味はあるのか?」(@こら!たまには研究しろ!!2006/12/7付)
もともとの研究はGentzkov, Matthew and Shapiro, Jesse M., 2006, WHAT DRIVES MEDIA SLANT? EVIDENCE FROM U.S. DAILY NEWSPAPERS, NBER Working Paperで、これが英文で67ページあり、正直申し上げてwebmasterは原論文に目を通しておりません。ま、読んだところでwebmasterごときの知識ではきちんと批判的に検証できるとは思えないのですが(笑)。
とりあえず原論文がアメリカにおける世論とマスメディアとの関係を正しく分析しているとの前提に立てば、まず世論なり風土なりがあり、マスメディアはそれに応じて「売れる」言説を紡いでいるということになります。あるいは、そうしたマーケティングができないメディアは消え去っていくと。
こうした関係について、アメリカと日本とで異なった作用があるとは考えづらいでしょう。飯田先生のおっしゃるとおり、日本についての研究が望まれるところではありますが、日本においても同様に、マスメディアは世論に追随していることが妥当と考えられる材料のひとつとしては、十分通用するとwebmasterは考えます。
情報入手径路としてのマスメディアの影響力
人間が情報を入手するに当たって、メディアごとのシェアを示す研究があればよいのですが、webmasterが探した限りでは見つかりませんで、その代わりに生活時間調査を使ってみたいと思います。
○テレビ以外のマスメディアの行為者率(1日の中で15分以上接している人の率)、国民1人あたりの1日の時間量(接していない人は0分として計算)は以下のとおりである(1週間をならした値)。
1日の行為者率 1日の時間量 長時間の層 テレビ 90% 3時間39分 男女60代以上 ラジオ 14% 22分 男60代、女50代以上 新聞 44% 21分 男60代以上、女70歳以上 ビデオ 9% 9分 なし CD・MD・テープ 10% 10分 女10・20代 雑誌・マンガ・本 19% 14分 なし
2005年国民生活時間調査報告書(PDF版)(NHK放送文化研究所)
視聴率調査を見れば一目瞭然ですが、テレビを視聴する時間の過半はドラマやヴァラエティなどが占め、報道関係が占める時間は極めて少ないでしょう。新聞にしても、そもそも21分しかないところ、テレビ欄やスポーツ面、家庭面などの世論とはそれほど関係がない部分を見ている時間が相当程度あるでしょうから、世論形成に係わり合いが深そうなマスメディアへの接触時間は、かなり多めに見積もったとしても、せいぜいが30分程度であろうとwebmasterは推測します。
webmasterの管見では、いわゆる口コミ、つまりは人と人との直接接触による影響の方が、よほど大きなものでしょう。例えばスティーヴン・ピンカー「人間の本性を考える(下)」では、子育てに関して親の影響よりも仲間の影響の方が大きいとしていますが、この見解に立脚すれば、社会的問題についてのマスメディアの影響は、子育てにおける親の影響をも超えるようなものでなければ、仲間の影響に比すべくもないということになります。
ちなみに、質ではなく量を考えるとしても、仕事関連の1週間を均した(=上記引用のマスメディア時間量と同じベース)平均時間は3時間53分、以下同じベースで学業48分、社会参加13分、会話・交際23分、レジャー活動1時間19分といったところが人と接し得る諸活動ですが、これらの際に行われる情報交換の方が、まあそれらの間ずっと雑談をしているわけではないでしょうから割り引く必要はあるにせよ、マスメディアを通じてのものよりも、より多くを占めるとwebmasterは考えています。
以上について非常に単純な例を示すなら、人は赤旗を読んで共産党にシンパシーを抱くようになるのか、それとも共産党にシンパシーを抱くから赤旗を買うのか、どちらがよりありそうな事例でしょうか? 赤旗を聖教新聞に、共産党を創価学会に入れ替えて考えてみた場合はどうでしょうか?
カエサルの「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」ではありませんが、ホモサピエンスが自らのステレオタイプを守るため、あるいは認知的不協和を避けるため、選択的に情報を取得することは、これまた広く見られる事例ではないでしょうか。マスメディアに限って、見たいと欲しない何らかを見させ、それを現実だと思わせる力があるというのは、マスメディアへの過大評価というものではないでしょうか。
その他のe-takeuchiさんのご指摘について
、「そもそも報道とは・・・情報という商品を不特定多数の消費者に売る仕事にすぎな>い」との指摘こそ卓見だと思うのですが、どうやら筆者にとってはそうではないようです。
どこが卓見なのかわかりかねます。情報を売るだけなら、瓦版で十分です。情報をどう定義するかによりますが、売れない商品は市場から撤退せざるを得ないだけだとする考えには賛成しかねます。たとえば、くだらない本が売れ、良書が売れないという現実をどう考えるのでしょうか。もちろん、くだらないというのは主観に基づくものなので、売れている本や雑誌や記事こそが価値あるものだという味方も可能でしょう。でも、ぼくは同意できません。まぁ、「たしかに商品の売り方を考えた方がいい」とは思いますけど。
余計な解説はいらない、一次ソースをなるべく歪みなく知らしめることがマスメディアの役目だ、という主張は、まったくもってそのとおりだということになります。
テレビはそうでしょうねぇ。下らない解説より、映像のほうが、説得力ありますから。でも、その映像ですら、全体の中の一部であり、ディレクターによって編集されたものです。まして、新聞は記者たちの頭の中で事件が再編集されるわけですから、ありのままに伝えるなど不可能です。もし、ありのままに伝えることができるという記者がいたら、それは奢りです。新聞や雑誌の場合、即時性がないのですから、起きたことを解釈して伝えることが必要だと思います。メディア側に偏向する性質があるなら、読者がそれを理解した上で読めばいいだけのことです。読者にもリテラシーが求められると考えます。だいたい、霞ヶ関や永田町では、未だにしょっちゅう事実が歪められているではないですか。
先にそれらを失った共同通信はとっくに倒産し、あるいは後になるまでそれを持ち続け>た朝日新聞がもっと部数を伸ばしていてしかるべきなのですが、現実はそうなってはい>ません。
共同通信のことは知りませんが、朝日が讀賣に部数で抜かれたのは、記事の内容よりも販売員の力によるところが大きいと思います。同和をだしに購入をせまる販売店がありますし、見るからにヤクザにしかみえない人が大手町の本社に出入りしています。たしかに、最近の朝日新聞はつまらないですが、かといって他の新聞がおもしろいとも思えません。良質なものが勝つとは限らない、あるいは淘汰されたものがだめとは限らないのが市場というものです。
それが、市場が出した答えなのです。
経団連の回し者かと思ってしまいました。市場というのは、しょっちゅう間違いながら調整されていくものです。ただし、放っておけば自動的に調整されるというものではありません。「見えざる手」などというものはありませんから。ですから、市場が出した回答が正しいという保証はないのです。
いずれもe-takeuchiさんはwebmasterの主張を誤解されているのかな、と思うのですが、webmasterは現実とはそのようなものだ、ということを申し上げているのであって、それに対して良し悪しや質がどうかといった評価を下しているわけではありません。人によって良し悪しの評価は分かれるかもしれませんが、マスメディアにおいて残っていくものは多くの視聴者・読者を獲得したものであるということを直視すべきであると。良しと思い是認するにせよ、悪しと思い改善を考えるにせよ、この現実を前提とすべきでしょう。
あえて申し上げるならば、プロの高い評価を受けつつも販売が不振で市場から消えていくものがあるというのは、多くの(全ての?)財やサービスにおいて観察されることです。言論を取り扱う市場においても同様であろう、というのがwebmasterの主張ですが、もしそうではないのだ、あるいはそうあるべきではないのだということであるならば、他の財やサービスの市場についても同様でない限り、言論のみが何がしかの特権的地位にあるべきという価値観の反映ということではないのでしょうか。
