長崎市長射殺問題と「民主主義への挑戦」
4/19、4/20の続きで、関係するいちごでの書き込みについてです。
#なお、当サイトにご関心をお寄せいただくのはうれしいのですが、いちごを使うのは板違いでもあり、当サイトに直接要望をお寄せいただくのではいかがでしょうか>書き込まれた方。
53: 名無しさんの冒険 2007/04/24(Tue) 01:56
びわーど殿へ質問
先日の政治家の銃撃事件に関連して、氏の意見を拝聴したいと考えています。氏の忌憚の無いご意見を聞かせていただきたく思います。性質上、質問の内容が非常に物騒なものになっていますが(笑)、100%仮想設例で、悪意は全く無く、頭の体操をするためのものに過ぎないことは明言しておきたいと思います。
X氏は現在地方自治体のトップとして任に当たっており、現在は選挙期間中と仮定させて下さい。
X氏に対して、表向きは競争入札になっているダム建設に関して、「入札させなければ殺す」と書かれた銃弾入りの封書が郵送された。実際、同様の事件で隣県の地方公共団体のトップが暗殺された。この事例において、当該脅迫行為は「民主主義への挑戦」か。
1の事例で、実際にX氏が暗殺されたらどうか。
1の事例と同じ図式ではあるものの、地域にとって政治的にも経済的にも非常に重要な意味を持つダム建設をするか否かという事柄に関して第三者が脅迫行為を行ったらどうか。
3の事例で、実際にX氏が暗殺されたらどうか。
個人的利得目的が実現できず、その腹いせに首長を暗殺した場合には、「民主主義への挑戦」ではなく、せいぜい「公正な職務執行の妨害」にとどまるとの見解がある。しかし、「公正な職務執行の妨害」と「民主主義への挑戦」とは切り分けられるものだろうか。いささか恣意的な定義かもしれないが、「民主主義」の本質が「被統治者の意思により統治者が選出され、政策形成に被統治者の意思を反映する」ことだと考えると、個人的な利得目的であるか否かを問わず、自己の意思が容れられないことをもって暗殺が起きるような状況になれば、為政者の政策形成に少なからぬ萎縮効果が働き、民主主義の根幹が掘り崩されるということになりはしないだろうか。
実際に、重要な政策決定権限を握っている状況にあったらどう考えるかということをお聞かせ願いたい。
いちご経済/経済学板「経済ブロガーと愉快な仲間たち」スレ・レス53
これらの点については、直接のお答えにはならないかもしれませんが、脅迫なり暴力なりの対象が首長かどうかで異なるのかによって話が異なると考えます。どのような政策課題であれ、それぞれの分掌においてそれぞれが職責を果たす際、およそすべての者に対する脅迫・暴力を「民主主義への挑戦」だと定義するのであれば、それはそうなのでしょう。
しかし、相手が首長だから、選挙期間中だからということでのみその定義が満たされ、首長でない者、あるいは首長であっても選挙期間中でなければ「民主主義への挑戦」でないとするなら、それはお示しの「『民主主義』の本質」を損なうかどうかとは別の価値観が混入していると言わざるを得ないでしょう。この文脈上、首長はあくまで機関(天皇機関説でいう機関と同じ趣旨です)であって、同様の機能を果たす機関と量的な差はあれど、質的に差を見出すべくもないのですから。
結局のところ、民主政体制下においては、公正な職務執行は民主的な意思決定に基づき行われるものであり、決定された意思の実現を損なうものはすべて「民主主義への挑戦」であるとするのであれば、そうした要素が含まれていることは否定できません(公務執行妨害罪の保護法益にしても、究極的にはそのように説明できないわけではありません)。ただし、この手の話は、議論の枠組みとして言えば、実は刑法学において長らく揉まれ続けてきたことでもあります。
例えば人を死に至らしめた場合、その行為がいかなる罪に該当するかといえば、殺人罪に限られるものではなく、傷害致死罪や業務上過失致死罪、過失致死罪など、その動機や行為の態様に応じてさまざまです‐わかりやすい例を挙げるなら、世の中で一般的に言われる「人殺し」よりも、刑法上の「殺人罪」は狭い概念なのです。今般の議論に応用するなら、直感的に「民主主義への挑戦」と思われるものであるとしても、それが法的に批判すべき「民主主義への挑戦」であることと直結するものではありません。加えて、刑法は原則として罪となるべき行為を故意犯に限り、つまりは結果責任は基本的には問われません。
もちろん、世の中における非難可能性というものが、刑法上のそれに縛られなければならない理由はありません。刑法は刑法、それ以外はそれ以外として、「民主主義への挑戦」なるものを定義することも否定はされません。しかし、一応は刑法というものは、世の中で人がなす行為について、どのようなものがどのように非難されるべきかについてのカタログのひとつとして、長らく受け入れられ続けたものではあります。
何らかの行為が社会的に非難されるべきものであるとして、それがどのような理由で、どの程度の非難を受けるべきかを考えるに当たって、刑法の考え方を参照するのは有益であるとwebmasterは考えます。結果において捨て去るとしても、少なくとも、批判的検討の末として損はないのではないでしょうか。





4月 26th, 2007 at 11:49:19
殺人事件に思うのは、刑務所の受刑者の格付けのような、論議なので、たとえ暴力団同士の殺しでも、見過ごしてはならないと、感じます。
ささいと思われる事件から、国を脅かすような大事件へと繋がるのではないでしょうか?
4月 27th, 2007 at 7:18:34
>魚さん
私はそれに近い考えですが、他方で暴力団等に対してはダブルスタンダードを用いてよい(暴力団対策法の存在自体、そうした志向の表れでしょう)というのが一般的風潮でもあり、民主政下においてはなかなかおっしゃるとおりにはならないというのが現実だと思います。