「左翼」の退潮に関する管見
なぜ日本において「左翼」が衰えを見せているのかについて、はてなブックマークで人気を集めたエントリがありました。
多くの人々は当惑しながら「右傾化」のレッテルを貼って終わりにするだけだが、私が考えるには従来の「左翼」と呼ばれる人々が「中流幻想」からなかなか抜け出せなかったことにあることが背景にあるように思う。1970年代以降にマルクス主義の凋落によって「左翼」の学者やジャーナリストが選択した戦略が何かといえば、(1)女性の社会的な地位向上を訴えるフェミニズム、(2)中国・韓国の戦争被害者に対する補償を求める戦争責任論、(3)「在日」や移民の社会的権利付与を支援するマイノリティ運動などであった。こうした戦略を通じて、戦後の日本社会は経済的な豊かさを達成したものの、それが様々なマイノリティを排除することによって成り立ってきた「男性日本国民」の社会であったことを暴露的に批判することで、「多様で開かれた社会」を達成しようとしたのである。
問題は、評価するにせよ批判するにせよ、こうした議論が1970年代以降の「豊かな中流社会」を多かれ少なかれ前提にしていたことである。つまり日本国民の間では貧困からの脱出に成功し、社会的な地位や収入が拡大しつづけていくという「成長神話」をどこかで念頭においていたからこそ、「男性日本国民」だけがそうした「成長」を特権的に享受していることは不公平な状態であり、女性や民族マイノリティのような「社会的弱者」に権利を拡大していくべきだという主張が正当性を持ちえた(少なくとも許容された)のである。
しかし1990年代後半以降、「左翼」の主張は急速に説得力を失っていく。それは、不況の中で「成長神話」が終焉し、彼らの批判対象だった「男性日本国民」は等しく経済的な豊かを享受しているのでは決してなく、社会的な格差や分断を抱え込んでいることが露わになっていったからである。つまり「左翼」が批判対象とした「男性日本国民」そのものが脆弱化していったことで、「男性日本国民」から排除される女性や民族マイノリティが「社会的弱者」であるということのリアリティも、同時に乏しくなっていったのである。
「「左翼」が支持されない理由」(@狂童日報4/29付)
1990年代における「左翼」の退潮は、ソ連の崩壊を抜きにして語ることはできないはずで、それに何ら触れていない論調には違和感があります。ただ、それは世界中の「左翼」を等しく襲った衝撃であり、こと日本においてそれが他国に比して大きく影響したことについての考察と捉えなおすことは可能かもしれません。
#あくまで個人的印象ですが、日本において、他国に比して「左翼」がより衰えていると見るのは、決して外れてはいないのではないでしょうか。
しかし、そのように捉えなおすとしても、この議論は妥当なのでしょうか。webmasterは必ずしもそうは思いません。たとえばひとつの目安として、GEM(Gender Empowerment Measure)での国際比較を見てみれば、絶対水準としてだけでなく、他国との比較においても、女性が「『社会的弱者』であるということのリアリティ」が乏しくなったようには見えません。アメリカのようにアファーマティヴアクションが推進されたわけでもなく、新卒就職市場が典型でしょうけれど、男性が厳しい状況に追い込まれるのであれば、女性とて勝るとも劣らない程度に追い込まれるというのが現実ではないでしょうか。
webmaster自身の見解は、実は着眼点そのものはqushanxinさんと同じで、デフレ不況が大いに影響しているというものです。デフレ不況は日本でしか起きていないのですから、日本においてのみ深刻な状況をもたらしても当然です。議論の枠組みは、かつて
書いたことの応用となります。これらにおいては、社会において指導的立場としての処遇を受けることを許されていた知識人階層が、長きに渡るデフレ不況の結果責任を問われて指導的立場から引き摺り下ろされているのだ、という構図を描きました。左翼の方が右翼よりも知識人の占める比率はより大きいですから、知識人全体が地盤沈下すれば、右翼よりも左翼が沈むわけです。
この議論の傍証としては、90年代以降に退潮を示しているのは、決して左翼だけではないということです。webmasterが属する霞が関もそうですし、不良債権に関する銀行批判もそうでしょう。自民党にしても、吉田茂以降芦田、鳩山、岸、池田、佐藤、福田、中曽根と受け継がれてきた旧帝大出身総裁が、宮沢喜一を最後に途絶えているというのは、偶然の一致にしてはできすぎています。
#svnseedsさんのご紹介によると、岸信介が彼の兄以外で唯一「頭が良い」と評しているのは宮沢喜一だそうで(岸の兄は、海軍兵学校・海軍大学校をともに首席で通し「海軍始まって以来の秀才」と謳われた佐藤市郎。岸自身も、学生時代には同窓の日本民法史上最大の学者である我妻栄に勝るとも劣らないと自他共に認めた大秀才です)、そんな宮沢がバブルの崩壊=デフレ不況の黎明に総理大臣として立ち会ったというのも皮肉な話です。
他方でqushanxinさんの議論に難があるとすれば、引用で列挙されている他に「社会的弱者」として配慮を要請されてきた中小企業を取り巻く環境でしょう。qushanxinさんの議論が正しければ、中小企業もまた、デフレ不況を受けて、これまでの施策は手厚すぎたものとして排除されることが予想されます。
しかしながら、たとえば小渕政権下での信用保証の積極的活用や、一時期は小泉政権のイデオローグでもあった木村剛の「不良債権問題=大手30社問題」論にしても、銀行等の大企業の批判でこそあれ、中小企業はゆえなく苦しんでいるとの評価には変わりありませんでした。大企業が苦しんでいるから中小企業が虐げられているがための苦しみのリアリティが薄れたとはいえない以上、女性その他のマイノリティのみについてリアリティが薄れたというのであれば、さらなる補助線が必要なのではないでしょうか。
