bewaad institute@kasumigaseki

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  • 05/03/2007 (5:17 am)

    議会政治をMS Wordに擬えてみる。

    Filed under: politics, computer ::

    何でこのような突拍子もないことを考え付いたのか、きっかけは下記のエントリです。

    昨日の日本テレビのゼロで、地方議員の「費用弁済」という制度を取りあげていた。交通費の代わりに一日一万円程度の日当を、地方の議員が受け取ることを問題視しているらしい。あまりちゃんと見ていたわけではないが、テレビでやるほどの問題か?と思った。

    議員年金も議員宿舎もそうだが、地方議員でも国会議員でも、選挙で選ばれる議員の報酬を削ろうという議論には根本的におかしいことがある。

    現状、議員が報酬に見合った働きをしてない、という主張ならそれには同感だ。それを問題とすることは良い。

    だが、「現状の働きに見合った報酬にダウンせよ」というのは本末転倒だ。議員には報酬に見合った働きをしてもらうべきで、それができないなら違う人にやってもらうべきだ。

    税金の無駄使いは議員の責任だが、議員報酬という税金の無駄使いに限っては、責任があるのは国民だ。議員報酬の問題は税金の無駄使いではなくて「一票の無駄使い」という問題である。

    「 「モニターが悪い数値を出すのでモニターを壊せ」という議論」(@アンカテ(Uncategorizable Blog)4/27付)

    ここで、議論の当然の前提とされている、「現状、議員が報酬に見合った働きをしてない」ということは、実際にそうなのでしょうか? 国会議員にせよ地方議会議員にせよ、彼/女らは選挙の洗礼を経ているわけで、少なくとももっとも多くの人が相対的に報酬に見合った働きをするであろうと考える人が選ばれているはずです。

    だからこその選挙制度をめぐる議論や、ここでの「一票の無駄使い」という議論なのでしょうけれども、それらが前提としているのは、有権者の意思が完全に選挙に反映されるならば、必ずや議員が報酬に見合った働きをするはず、という命題でしょう。選挙制度に歪みがあったり、有権者が意思表示を怠るから報酬に見合わないような働きをする議員が選挙で当選してしまうのであって、選挙というシステムが有権者の意思を完全に反映する理想選挙(理想気体等と同じ用法で、「理想」の語に価値判断は反映させていません。為念)であるならば、そのようなことは起きないはずであると。

    実際にそうであるかどうかはわかりませんが、そうではなくきちんと反映されたとしても、やっぱり「議員が報酬に見合った働きをしてない」という議論が残るのではないか、という可能性から、MS Wordが出てきました。

    #そもそも反映できるのか、反映するものは何かというあたりにご関心の向きは、アローの不可能性定理をぐぐっていただければ。

    前提となる現状認識として、ここでいう報酬の無駄遣いとは、積極的に害のある行動をとっている(eg言論弾圧)とか、義務を果たしていない(eg各種の事務が行われていない)ということではなく、無駄が多いということと定義します。各種の改革論においては、公共事業にせよ公務員人件費にせよ、不必要なことが行われているため、必要なことしか行わない場合に比べてコストが多くかかっているということが多くの場合共通項としてくくれるでしょう。そうした無駄の排除を行っていないことこそが、報酬に比して働きが悪いという評価の原因であると考えるのです。

    #積極的に害のある行動をとっていると認識したり、義務を果たしていないと認識したりする人もいるでしょうけれども、それは多数派ではなかろう、というのがwebmasterの認識です。

    こう明確に定義すると、MS Wordと共通するものが見えてくるのではないでしょうか。MS Wordに対する批判は数多くありますが、webmasterが見るところ、その最たるもの、あるいは多くに共通するものは、無駄が多くて重い、ということでしょう。あれこれと無駄な機能を盛り込んでいるので、必要なメモリ容量も増えるし、CPUも速いものが必要になる(それらがないと遅い)というのは、webmaster自身もそう感じますし、ネットでもよく見かけるものです。

    他方、MS Wordがよく売れているというのもまた事実で、これまた選挙で選ばれている各議員と似通っています。それほどまでに人々が不満を持つのであれば売れずにライヴァルに敗れるはずなのに、そのようなことにはなっていません。Microsoftがあくどいとかプリインストールで選択の余地がないといった議論はあるでしょうけれど、これらは先の選挙の例で言うなら、選挙制度や投票率低下に対応するものでしょう。

    しかし、他ならぬMicrosoftの製品で、MS Wordに対する多機能で重いという批判にまさしく応えるものがありました‐MS Worksがそれです(今でもラインナップに載ってはいますが)。いわゆる統合ソフトというやつで、ワープロ、スプレッドシート、データベース等の機能が揃い、各機能はそれぞれの専用ソフトには劣るもののそれなりのものが搭載され、機能をダウングレイドしているので軽い(現行のWorks 8でいえば、Pentium120MHzにメモリ128MBが推奨の最低限。他方でWordですと、500MHzに1GB(文章校正等を行う場合に要するメモリ)ですから)のが特長です。

    これならばMicrosoft製品ですからあくどい商法があるとしても影響を受けません。ハード企業と結託して必要なシステムをどんどん高機能にしているとの議論はありますが、Microsoftとて利潤を追求する私企業ですから、Wordがまったく売れずWorksがどんどん売れるようならば、ハード企業を切り捨ててでもWorksに力を入れるでしょう。

    けだし、多くの人にとっては不要な機能であっても、当人にとってないと困るというものがあれば、それを目当てに買う人間が多いということではないでしょうか。たとえば1から10までの10種類の機能があり、それぞれ必要だという人が均等にいたとして、皆自らが必要とする機能以外は不要だと考えたとすれば、全員にとって無駄な機能が多すぎる(現に備えているものの10%で足りるのに)との不満はあれど、その必要な機能を目当てに全員が買ってしまうわけです。

    議員に関しても、各有権者がどの議員をよしとして票を投ずるかはさまざまです。ある人から見れば報酬に値する働きであっても、他の人から見れば報酬に値する働きではないことはいくらでもあります。自分が票を投じ(、選挙に当選し)た議員は報酬に値する働きをしていると認めても、地方議会・国会の議員数は数名〜数百名ですから、それ以外の多くの議員は報酬に値する働きをしているとは認められず、となれば議員なるものは総じて報酬に値する働きをしていないということになるわけです。

    社会の多様性が増せば増すほど、他人が議会に求めるものは、自分が求めるものとは食い違っていきます。議員が無駄だという指摘は決して新しいものではありませんが、価値観の多様化につれ、より多くの価値観に応えられるよう議会が動く対象は増えるでしょうし、それに伴い各有権者が無駄だと思うものはどんどん増えていくでしょう。つまりは今後、ますます無駄だとの指摘は増えるでしょうけれど、だからといって無駄をなくすことは価値観が多様である限り不可能ですから、それは解消されることはないのではないでしょうか‐おそらくはMS Wordの肥大化が、それに対する数多くの不平不満にもかかわらず止まらず、かといって売れ続けるように。

    #末筆&蛇足ながら、このエントリでWordPress移行後100エントリとなりました。ひとつの節目ということで、ちょっとだけ喜んでおきます(笑)。

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