大学院での政策エンジニアリング教育の可能性
先日のエントリを受けて、次のような興味深い言及をいただきました。
ところで話が若干それますが、公共政策大学院のカリキュラムをみてみても、依然としてそのほとんどが理論系の科目であり、実践的な科目も名前だけが実践的にしてあっても中身は全然実践的ではないというのが以外と多かったです。bewaadさんのエントリで引用されていた、
アメリカの大学等では「オマエの考えた政策(僕の場合はオークション設計)を今すぐ実行すべく政府に売り込めるか?」と聞かれたということですが、日本ではそのようなことはあまり聞かれないのではないでしょうか?
ではないですが、このような真に実践的な政策論について議論するというのは、教員・学生双方の質という点でかなり難しいのが現状ですし、その意味で現状では就職活動でも学部卒と扱われても仕方ないかなという気がします。霞が関就職を目指す学生の多くは入学後から公務員試験勉強中心の生活になるので、振り返ってみてkoukyo政策大学院で何を学んだのかということを考えてしまった、となることが多いらしいです(伝聞ですが)。論文執筆なども必須ではないので、そこまで一つのテーマに打ち込むことがないまま修了してしまうこともありうるわけで、そのような状態ではとても院卒としての利点をもたらすことはできないでしょう。もちろん一つ一つの授業や事例研究なりに打ち込むことは可能ですが、はたして外部にそれを説明して説得力があるのかどうかはもう個人の資質次第というところでしょうね。
「公共政策大学院雑感2」(@Koukyo政策大学院修了生の蹇蹇録5/7付)
エンジニアリングという言葉は(svnseedsさんが訳された)Mankiwのテキストからのパクリではありますが、その表題である「科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者」ということからいえば、公共政策大学院はエンジニア志望者を集めつつも、科学者養成のカリキュラムしか(現時点では)持っていない、ということになりましょうか。医学でいえば研究医と臨床医ということになりましょうが、踊る大走査線風にいえば会議室じゃなくって現場ではどう対処すべきか、ということの体系化がなされていないわけです。もちろん、霞が関においても。
アメリカではどうか、というのはMankiwのテキストに依拠すれば日本よりは期待できる状況にあるとはいえ、Public PolicyやPublic Administrationにしても、それほど実践的な話をしているわけではない、というのはビジネススクールと経営との関係と大差ありません。当サイトの先のエントリでは経済学についての議論をしていましたが、他の学部、たとえば法学部にしても、先日紹介した江頭・薄井本は相当程度そうした分野に近接していますが、法学部のカリキュラムの中ではまず見られない話であるのも事実です。
#アメリカの実際について、ご家族もまた当サイトをご覧いただいていらっしゃる(ありがたいお話です)というyyasudaさんに、詳しいお話をおねだりさせていただきます。
ではエンジニアリングといって何をどうするかというお話ですが、どのような現場かと言えば、たとえば次のようなものです。
【質問】
武装勢力の武装解除は,具体的にはどのように進められるのか?【回答】
「アメとムチ」を基本とし,あらゆる方面で小さな交渉による「根回し」を際限なく行うのみだという.
以下引用.紛争地帯において,武装勢力を武装解除させる交渉の基本は,「アメとムチ」である.
つまり,
「このまま抵抗を続けても,この国は変わっていくから,いずれ君達の居場所はなくなる」
と脅しをかけ,同時に,
「もし今,武装解除するなら,犯した罪は不問にする」
などの政治的なインセンティヴで譲歩する.アメを見せなければ交渉相手は動かない.
しかし,これには慎重な根回しが必要だ.
内戦中に虐殺を指揮した司令官などの場合,恩赦のやり方を間違えれば,被害住民の怒りに油を注ぐ事になりかねない.
実は,紛争解決の仕事で派手な交渉の場面など何もなく,黒子としてあらゆる方面で小さな交渉による「根回し」を際限なく行うのみである.
現政権の長と反政府ゲリラのリーダーが握手を交わすシーンが,メディアで流される裏には,虱を潰すような地味な努力が隠れているのである.
伊勢崎賢治 from SAPIO 2004/6/23号,p.24
政策決定・実施過程とは調整・妥協の繰り返しだというと過剰に現状肯定的であるように思われてしまうわけですが、結局現実の政策はそこから抜け出せるわけではない、ということがこの伊勢崎さんのお話に垣間見えているとwebmasterは思います(蛇足ながら、伊勢崎さんの「武装解除」はぜったいお薦めです)。内戦がようやく終了したような発展途上国だからそのようなことになるのであって、先進国では違うんだ、というようなことではありません。
実際に「黒子としてあらゆる方面で小さな交渉による『根回し』を際限なく行う」ということは、最後は実践経験を重ねて身につけるしかないわけで、教育機関において交渉技術その他をあれこれ磨いてもらうということは、それほど重要ではないでしょう(ロールプレイなどが課目のひとつとしてあるのは有益でしょうけれども)。そういう意味での優秀さは、必ずしも求められてもいないはずです。
むしろ、考慮すべき(≒さまざまな調整対象が好き勝手に主張する)論点が数多くあり、それらが相互に対立しているような場合に、政策の諸要素にきちんとプライオリティを設定し、何であれば妥協でき、何は妥協すべきでないのか、という思考の訓練が必要であるようにwebmasterは思います。現場で調整技術のみが磨かれた場合、合意できればその内容は問わないということにもなりかねないわけで、高等教育として叩き込むことの価値がここにはあると言えるのではないでしょうか。
究極的には、これが十分に成熟して公務員試験の科目になれば、受験者が能動的に学んでくれるわけで、効率よく普及が可能になるわけですが・・・。
