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  • 05/09/2007 (9:19 am)

    大学院での政策エンジニアリング教育の可能性

    Filed under: economics, policymaking, government, politics, law ::

    先日のエントリを受けて、次のような興味深い言及をいただきました。

    ところで話が若干それますが、公共政策大学院のカリキュラムをみてみても、依然としてそのほとんどが理論系の科目であり、実践的な科目も名前だけが実践的にしてあっても中身は全然実践的ではないというのが以外と多かったです。bewaadさんのエントリで引用されていた、

    アメリカの大学等では「オマエの考えた政策(僕の場合はオークション設計)を今すぐ実行すべく政府に売り込めるか?」と聞かれたということですが、日本ではそのようなことはあまり聞かれないのではないでしょうか?

    ではないですが、このような真に実践的な政策論について議論するというのは、教員・学生双方の質という点でかなり難しいのが現状ですし、その意味で現状では就職活動でも学部卒と扱われても仕方ないかなという気がします。霞が関就職を目指す学生の多くは入学後から公務員試験勉強中心の生活になるので、振り返ってみてkoukyo政策大学院で何を学んだのかということを考えてしまった、となることが多いらしいです(伝聞ですが)。論文執筆なども必須ではないので、そこまで一つのテーマに打ち込むことがないまま修了してしまうこともありうるわけで、そのような状態ではとても院卒としての利点をもたらすことはできないでしょう。もちろん一つ一つの授業や事例研究なりに打ち込むことは可能ですが、はたして外部にそれを説明して説得力があるのかどうかはもう個人の資質次第というところでしょうね。

    「公共政策大学院雑感2」(@Koukyo政策大学院修了生の蹇蹇録5/7付)

    エンジニアリングという言葉は(svnseedsさんが訳された)Mankiwのテキストからのパクリではありますが、その表題である「科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者」ということからいえば、公共政策大学院はエンジニア志望者を集めつつも、科学者養成のカリキュラムしか(現時点では)持っていない、ということになりましょうか。医学でいえば研究医と臨床医ということになりましょうが、踊る大走査線風にいえば会議室じゃなくって現場ではどう対処すべきか、ということの体系化がなされていないわけです。もちろん、霞が関においても。

    アメリカではどうか、というのはMankiwのテキストに依拠すれば日本よりは期待できる状況にあるとはいえ、Public PolicyやPublic Administrationにしても、それほど実践的な話をしているわけではない、というのはビジネススクールと経営との関係と大差ありません。当サイトの先のエントリでは経済学についての議論をしていましたが、他の学部、たとえば法学部にしても、先日紹介した江頭・薄井本は相当程度そうした分野に近接していますが、法学部のカリキュラムの中ではまず見られない話であるのも事実です。

    #アメリカの実際について、ご家族もまた当サイトをご覧いただいていらっしゃる(ありがたいお話です)というyyasudaさんに、詳しいお話をおねだりさせていただきます。

    ではエンジニアリングといって何をどうするかというお話ですが、どのような現場かと言えば、たとえば次のようなものです。

     【質問】
     武装勢力の武装解除は,具体的にはどのように進められるのか?

     【回答】
     「アメとムチ」を基本とし,あらゆる方面で小さな交渉による「根回し」を際限なく行うのみだという.
     以下引用.

     紛争地帯において,武装勢力を武装解除させる交渉の基本は,「アメとムチ」である.

     つまり,
    「このまま抵抗を続けても,この国は変わっていくから,いずれ君達の居場所はなくなる」
    と脅しをかけ,同時に,
    「もし今,武装解除するなら,犯した罪は不問にする」
    などの政治的なインセンティヴで譲歩する.

     アメを見せなければ交渉相手は動かない.

     しかし,これには慎重な根回しが必要だ.

     内戦中に虐殺を指揮した司令官などの場合,恩赦のやり方を間違えれば,被害住民の怒りに油を注ぐ事になりかねない.

     実は,紛争解決の仕事で派手な交渉の場面など何もなく,黒子としてあらゆる方面で小さな交渉による「根回し」を際限なく行うのみである.

     現政権の長と反政府ゲリラのリーダーが握手を交わすシーンが,メディアで流される裏には,虱を潰すような地味な努力が隠れているのである.

    伊勢崎賢治 from SAPIO 2004/6/23号,p.24

    軍板常見問題/内戦

    政策決定・実施過程とは調整・妥協の繰り返しだというと過剰に現状肯定的であるように思われてしまうわけですが、結局現実の政策はそこから抜け出せるわけではない、ということがこの伊勢崎さんのお話に垣間見えているとwebmasterは思います(蛇足ながら、伊勢崎さんの「武装解除」はぜったいお薦めです)。内戦がようやく終了したような発展途上国だからそのようなことになるのであって、先進国では違うんだ、というようなことではありません。

    実際に「黒子としてあらゆる方面で小さな交渉による『根回し』を際限なく行う」ということは、最後は実践経験を重ねて身につけるしかないわけで、教育機関において交渉技術その他をあれこれ磨いてもらうということは、それほど重要ではないでしょう(ロールプレイなどが課目のひとつとしてあるのは有益でしょうけれども)。そういう意味での優秀さは、必ずしも求められてもいないはずです。

    むしろ、考慮すべき(≒さまざまな調整対象が好き勝手に主張する)論点が数多くあり、それらが相互に対立しているような場合に、政策の諸要素にきちんとプライオリティを設定し、何であれば妥協でき、何は妥協すべきでないのか、という思考の訓練が必要であるようにwebmasterは思います。現場で調整技術のみが磨かれた場合、合意できればその内容は問わないということにもなりかねないわけで、高等教育として叩き込むことの価値がここにはあると言えるのではないでしょうか。

    究極的には、これが十分に成熟して公務員試験の科目になれば、受験者が能動的に学んでくれるわけで、効率よく普及が可能になるわけですが・・・。

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    18 Responses to “大学院での政策エンジニアリング教育の可能性”

    1. 西麻布夢彦 Says:

      > 【質問】
      >  武装勢力の武装解除は,具体的にはどのように進められるのか?

      > 【回答】
      > 「アメとムチ」を基本とし,あらゆる方面で小さな交渉による「根回し」を際限なく行うのみだという.

      え〜と、これはダメな回答の例でしょうか?

      というのも、質問では「具体的に」と聞いているのに、一般論を答えているという……

      せめて、「○○方面軍××師団の△△特務連隊をα地区に配備し、甲団体を摘発・制圧後、武装勢力リーダーAに、某国への安全な寄航と何とかデルタ銀行口座(または、某外国団体の運営する信金口座)の不問を打診し、云々」という程度の具体性は欲しいのですが……

      「このまま抵抗を続けても,この国は変わっていくから,いずれ君達の居場所はなくなる」なんて抽象的な恫喝、武装勢力には何も怖くないでしょうに……
      (ボクが武装勢力の長なら、あざ笑いますよ。「オレの望むように、この国を変えてやる」と)

      最低でも「なんとか特別措置法」を衆議院の委員会に上程するとか、国体委員の会合で取り上げてニュースで報道するとか、「具体的な動き」を見せなければ、なにも「具体化」しませんね。

      少なくとも、政策ブレーン(参謀)が、ボスに「武装勢力との和解プロセスを立案しろ」と言われたら、計画書には固有名詞と日時は記載されているはずですね。
      もし、政策大学院なるものが「アメとムチで云々」なんて回答を正解としているなら、そりゃ、実務家からは無価値と見なされるでしょう。

      ちなみに「敦煌」という映画で、佐藤浩市さん扮する主人公の科挙受験生が、皇帝から、西夏の伸張に対して、宋(だったかな?)はいかに対処すべきか、と質問されたときの回答が、まさに「アメとムチで云々」でした。
      ま、当然、科挙に落ちて、辺境に都落ちしていくわけですが……

    2. vicinity Says:

      >アメリカではどうか、というのはMankiwのテキストに依拠すれば日本よりは期待できる状況にあるとはいえ、Public PolicyやPublic Administrationにしても、それほど実践的な話をしているわけではない、というのはビジネススクールと経営との関係と大差ありません。

      こうだとすると、経済学士が人事院留学できる大学院候補が極めて狭くなりかねないような…。個人的にはMPA、MPPとMBAで最後まで迷ったつもりなので。

      ビジネススクールは、カリキュラム上の勉強と同時に、インターンに行くことが求職の上だけでなく学んだことを実践する機会を多少なりとも得るという意味で非常に大きいと思います(人事院留学では、当然有給インターンは不可、無給でも許可が必要)。

      公共政策大学院も、東大は確か某府省から某プロジェクトを請け負って研究していたように思いますが、このように大学院のカリキュラム内外で政策立案過程を体験する機会を得るのはとてもよいこと(却って夢を失ったら困りますが)だと思います。

      あるいは、もう少し規模の小さいところで、自治体とか町内会とかNGOとか非営利団体との関係を強めて、当該団体を経由して研究データも集めて分析するとかで、何か【実践的なこと」は出来そうな気がしないでもないです。でも、あまり首を深く突っ込みすぎると、失敗したケースでの責任問題が出てきますので要注意な気がします。

    3. rijin Says:

       西麻布夢彦 さま、こんにちは。

      > ま、当然、科挙に落ちて、辺境に都落ちしていくわけですが……

       殿試で法家的な回答をしたから落第したということではないでしょうか。

    4. 鍋象 Says:

      調整の話を聞いて羽柴秀吉を思い出しました。

      で、教育でのサポートですが、あんまりたいした事はしなくても良いから、せめてブレーンストーミングくらいは学生の間に成功体験を積み上げておいて欲しい。物心ついた社員に研修で教えてもあまり効果が無いので。交渉術・調整術も一緒です。
      こういう実務的に役立つものは、専門の府でもある大学では教えにくいでしょうから、できれば高校生くらいで。アメリカだって、別に大学院で教えているわけではないでしょう。むしろ小学生から高校までの積み上げだと思われます。

      というわけで西麻布さんに賛成。

    5. yyasuda Says:

      >アメリカの実際について、ご家族もまた当サイトをご覧いただいていらっしゃる(ありがたいお話です)というyyasudaさんに、詳しいお話をおねだりさせていただきます。

      リクエストしていただき恐縮です(笑)
      博士論文の提出期限が近づいておりバタバタしておりますので返答まで少しお時間を下さい。それでは取り急ぎ!

    6. 西麻布夢彦 Says:

      >rijin様
      ご指摘ありがとうございます。

      > 殿試で法家的な回答をしたから落第したということではないでしょうか。

      「敦煌」の原作では、主人公は”居眠りしてたから”落ちるという展開ですね。
      映画版は、主人公が西夏を辺境と馬鹿にして無知だったので、しどろもどろになって落ちたという描写をしたかったようです。

      で、西夏に拉致されて、その都が中華文化から見ても優れていることに触れて、自分の不明を恥じるという展開です。

      ですので、「法家的で落ちた」ではなくて、むしろ、実践的な対策を訪ねたのに形式的回答しかできなかったので落第した、と見えました。
      (前漢の冒頓単于対策のような古くさい対策でしかないので、それで落第点だったという感じでした)

      いろいろな解釈があるものですね。
      勉強になりました。

    7. webmaster Says:

      >西麻布夢彦さん
      質問中の武装勢力が特定されていないので、そのような回答は不可能ですね(笑)。質問で与えられている情報を所与とすれば、可能な限りで最大限の具体的な回答でしょう。

    8. webmaster Says:

      >vicinityさん
      インターンも、行政部門は公益的・教育的観点から受け入れるインセンティヴがあり得ますが、その他ですとどのように受け入れてもらうかが難しいところですよね。営利法人であれば、やはりリクルーティングに結びつくことを期待してのこととならざるを得ないでしょうし。

    9. webmaster Says:

      >rijinさん
      断固討伐すべし、が正解なんですかねぇ。当時の儒家的には。

    10. webmaster Says:

      >鍋象さん
      スキルとしては、学部の教養ぐらいがちょうどいいんじゃないでしょうか。で、その応用ないし実践を専門で積んでもらう、とか。

    11. webmaster Says:

      >yyasudaさん
      ご多忙のところ勝手なことを申し上げ恐縮です。もちろんそちらを優先していただき、こちらは余裕があるときにでも思い出していただければ幸いです。

    12. rijin Says:

       西麻布夢彦 さま、こんにちは。

      …ちょっと考えすぎましたか。

       webmaster さま、

      > 断固討伐すべし、が正解なんですかねぇ。当時の儒家的には。

       イヤ、基本的には徳治でしょう。臣従の礼を取らせることが第一です。それでも従わねば、成敗。

    13. webmaster Says:

      >rijinさん
      もちろん正統的儒家からすればそうなるわけですが、西夏のほか遼や金にも痛めつけられ、それへの反動として朱子学が勃興した時代であるという状況を考えると、どうなんでしょうか。

    14. アルベルト Says:

      アメリカの公共政策大学院では「ソフトスキル」への過剰な期待が学生の間にあるような気がしますね。コンサル出身の学生が「Feasibilityを考えない政策立案には意味がない」とか言ってカリキュラム批判をするんですが、そりゃそうだけど政策オプション間のトレードオフとかも考えずに自分のやりたい政策をどうやって実行するかのマヌーバーだけ身に付けたいんだったら大学院なんて来ないでそのままコンサルにいるなり議会で働くなりしろよ、と言いたくなりますね。あ、これはほとんどチラ裏ですねw すいません。

      私は、勉強した道具を使う目的が「ペーパーを書く」(≒既存のペーパーの限界・間違いを乗り越える、新しい理論や知見を提供する)か「政策立案・実行」(現実の諸問題に対して応用できればよく、必ずしもsomething newである必要はない)かという違いなのであって、専門職大学院だからということで学ぶ道具立て自体を過剰に差別化する必要はないと思いますけどね。なのでwebmasterの意見に基本的に賛成なのですが、まあ実際にそういうカリキュラムを組むのはなかなか困難だとは思います。

    15. rijin Says:

      > もちろん正統的儒家からすればそうなるわけですが、西夏のほか遼や金にも痛めつけられ、それへの反動として朱子学が勃興した時代であるという状況を考えると、どうなんでしょうか。

       北宋末・南宋初の軍事・外交状況は複雑で、それを反映して政治状況も複雑だったようです。

       北宋末の正統であった文治政治は、とくに武人を嫌います。ついには靖康の変を招きました。外交政策の基本は「夷以制夷」、つまり、毒を以て毒を制するというもので、要は可能な限りお金(歳幣)で話を付けることに終始し、積極的に自らの手を汚そうとするものではありませんでした。実際、宋軍は弱かったと言われています。

       北宋時代、主戦はありえません。

      …しかも、この文治政治・宥和政策は南宋初の宰相・秦檜による抗金名将の弾圧へと受け継がれます。

       靖康の変前後の一時期を除き、宋に於いて主戦が唱えられた時期はなかったと考えられます。

       たしかに、これまた秦檜によって弾圧された主戦派に属していたが故に、朱子(朱熹)自身の科挙の席次は低かったと言われています。

       しかし、これはまた別の物語でありましょう。

    16. webmaster Says:

      >アルベルトさん
      確かにカリキュラムを組むのは難しいと思うのですが、院に進むような方々が多くの組織において需要されないというのも悲しいなぁとも思うのです。田中秀臣先生も、経済学院卒のエコノミストとしての需要のされなさ(及びエコノミストとしての需要に合致するスキルの育成に資さないカリキュラム)について以前お考えを示されていましたが、大学側からすればどうなんですかねぇ。院卒は研究・教育職に進んでくれればよく、サラリーマン就職市場において需要がないことはどうでもいい、という認識だとすれば、ちょっと悲しい気もします。

    17. webmaster Says:

      >rijinさん
      作中の時代を正確に認識していなかったようですorz。

    18. ECONO斬り!! Says:

      bewaadさんへのお返事(前編):日米大学院教育の違い…

      先日光栄なことにbewaadさん(「bewaad institute@kasumigaseki」)からのご指名で「アメリカの大... (more…)

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