bewaad institute@kasumigaseki

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  • 05/14/2007 (3:49 am)

    インド人がやった方が儲かることは、インド人にやらせればいいじゃん。

    Filed under: economy, computer ::

    タイトルが非常に差別的な響きであることは自覚しておりますが。

    情報サービス産業に対しては,人月単価ベースのビジネスモデルがいけない,エンジニアを使い捨てている,高い単価でオフショアとどう戦うのか,とかいろいろなことがいわれているし,どっかに活路がないものかなとここ数年いろいろ調べたりもしたのだけれども,最近ふと別に情報サービス産業に明日がなくても構わないじゃないか,と考えるようになった.

    結局のところ要件定義や仕様書に基づいてシステムをつくるという仕事は,ITが生む付加価値そのものを受け取るようにビジネスモデルができていないのだ.技術や製品・専門知識に希少性があった時代はそれでも儲かったが,ハードやソフト,それらに対する知識がコモディティ化した瞬間,サービスやソリューションそのものがコモディティ化することは避けられなかったのだろう.

    「情報サービス産業に明日がなくても構わない」(@雑種路線でいこう5/13付)

    ずっと前にarnさんが指摘されたことですが、情報サービス産業は日本において比較劣位にあるのでしょう。それをなんとか延命ないし発展させようというのは、多大なる非効率をもたらしてしまうわけで。Web2.0の代表的企業とされるGoogleに、日本ではそれを上回って利用されているYahoo!にしたって、現にインドに開発拠点をシフトしつつあるわけで、その流れは加速されこそすれ、減速、まして逆流するはずもないでしょう。

    #Googleにしても、アメリカでないと絶対にできないことというのは、広告市場を押さえることで、そこでの稼ぎこそが彼/女らの競争力の源泉なわけですから。好待遇をもって知られる開発環境にしても、広告での儲けがなければ絵空事でしかありません。

    経済産業省が必死になって旗を振っていることではありますが、比較劣位にある産業を政府の介入でなんとかしようというものだと理解すれば、評判の悪い農林水産省の農業政策と似たようなものです。比較劣位にあるものを比較優位にしようとするならば、現に比較優位にあるもの(たとえば自動車産業)を超えて、発展途上国との生産性格差を構築する必要があるわけですが、頭数がある程度必要であるならば、人件費の違いを超えて生産性格差をひっくり返すのは現実問題として無理でしょう。

    わかりやすい目安を挙げるなら、日本の一人当たりGDPは、インドの50倍を超えます。もちろんインドで情報サービス産業に携わる者は、平均よりは高い賃金を稼いではいるでしょうけれども、乱暴に言えば日本人ひとりでインド人50人以上の働きができるようにならなければ、絶対優位にすら立てません他産業の存在を抜きにしても価格競争力がありません(5/15訂正)。現に比較優位にある産業においては、それ以上の差をつけているわけですから、実際に日本でそれを比較優位にしようとするならば、さらに上を目指す必要があります。おそらくは、自動プログラミングソフトでも開発しないことには、達成できないとwebmasterは考えます。

    そうした認識が、mkusunokさんのようなそちらの分野において著名な人から出てきたというのは、非常に喜ばしいことではないかとwebmasterは考えます。日本人は日本人でないとできないこと(より正確には、日本人がやれば他がやるよりも儲かること)をやるというのが、日本人にとって幸せであるのみならず、他の国々の人々にとっても幸せなことなのですから。

    05/14/2007 (3:47 am)

    鷲田小彌太「夕張問題」

    Filed under: economy, government, book, politics ::

    夕張市の財政再建団体転落については、これまで興味を持ってなんどか取り上げてきたwebmasterなので、本書についても関心を持って入手しました。しかし、期待は悪い意味で裏切られたようです‐単に印象論・感想が綴られているだけなのですから。それが端的に表れている箇所を引用してみましょう。

    美唄は、かつて夕張とともに空知炭田の、ひいては日本の炭鉱の両雄であった。夕張は三井北炭が、美唄は三菱石炭鉱業が、主導権を握って開発した炭鉱町として隆盛を極めた。

    しかし、両市は異なった歴史を持ち、異なった現況に至っている。

    (略)

    しかし、美唄は67頁の年表でも分かるように、閉山を正面から受け止め、企業誘致、福祉サービス地域、学術都市、そして本来の農業振興にシフトして生きてきている。結果として、人口流出を最低限度に止めることができている。しかも注記すべきは、美唄がその本来の機能である農業においても、立派な成績を上げていることだ。

    p68,69

    夕張も、あたかも美唄のように「閉山を正面から受け止め、企業誘致、福祉サービス地域、学術都市、そして本来の農業振興にシフト」していれば生き残れたかのような認識ですが、夕張と美唄とではここで著者が触れていない決定的な違いがあります‐美唄は、札幌と旭川の間にあるのです。わかりやすい例を示せば、美唄駅からは一日48本電車が出ます(札幌方面行き(上り))が、新夕張駅からは一日16本しか電車は出ません(同じく上り)(盲腸線の終点である夕張駅にいたっては、一日9本です(これもまた同じく上り))。それだけ、人口稠密地へのアクセスに差があるのです。

    中山間地の人口維持の可否にとってもっとも重要な要素はDIDへの距離だ、という分析をかつて紹介したことがありますが、これを踏まえれば、夕張と美唄との差は、まずもってこの立地条件の差の影響が大きいと考えるのが自然でしょう。こうしたことを無視して、市が主導した観光事業の破綻に全ての責任を帰するのは、確かに観光事業は頓挫したわけですからそれが悪いということ自体は正しいわけですけれども、代替策を考える前提としては実現可能性に疑問符をつけざるを得ません。

    たとえば筆者は、夕張メロンに代表される農業に可能性を見、その理由として夕張のメロン生産は、石炭にも観光にも、国にもそして夕張市役所にも依拠しない、文字通り、夕張のメロン生産者と生産組合の長年にわたる、試行錯誤に満ちた真摯な努力によって成長してきたのであるp90)と説きます。夕張の生産者の努力を多とするにやぶさかではありませんが、そのメロン生産とて、多額の補助金がつぎ込まれている道央用水、さらにはその水源たる大夕張ダム・川端ダムがなくては不可能公共事業により畑地としての整備がなされたからこそ可能になったのです(5/15訂正)。公的支援がお嫌いなのは結構ですけれども、失敗したものだけを言挙げし、成功したものの貢献は無視するというのでは、今後の再建策を検討するに望ましい態度と言えるでしょうか。

    まして、別荘地としての価値を見出す(pp198-202)などというのは、筆者が指弾する、観光に活路を見出した中田元市長らと何が違うというのでしょうか。まだ中田元市長の推進した観光事業は現地に雇用をもたらしましたが、過疎地だからこそ自然に親しむ快適な暮らしが可能で人を引き付ける力があるというのは、生活に困らないインテリの趣味以外の何だというのでしょうか。別荘地としての魅力として、著者は

    • 交通の便
    • 整備されたインフラ
    • 夕張のネイムヴァリュー

    の3点を挙げますが、交通の便ならば他にいくらでもよいところがあります(それこそ、美唄に比しても劣っていることは既述のとおりです)し、インフラは財政再建団体となった今その維持が危ぶまれます(一回作れば永遠に使用可能と勘違いしていることはないと信じたいものですが)し、ネイムヴァリューといっていかほどのものがあるのでしょうか。夕張で雇用が不足だって。大いに結構ではないか。他自治体、とりわけ札幌に求めることだって可能だ。エッ、遠いって? わずか一時間少しだ(p163)というなら、交通の便もよく、インフラの維持可能性も夕張に比べればはるかに安心でき、ネイムヴァリューもまさる札幌郊外にでも住むのが普通でしょう(笑)。

    先日の統一地方選挙にて今後の夕張を担うこととなった、新市長や新議会議員たちが、本書に惑わされぬことを祈るばかりです。地方交付税交付金の減額が夕張市財政に与えたダメージに着目する(p61)など、部分部分としては見るべきところがないわけでもないだけに、残念なことです。

    05/14/2007 (3:46 am)

    WikipediaをWikiと略す人がいたなんて・・・

    Filed under: WWW ::

    まったく知りませんでした。まして、Wikiと略しても問題がないという人がそれなりにいて、議論になっているとは。

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