続・インド人がやった方が儲かることは、インド人にやらせればいいじゃん。
昨日のエントリには多くの言及をいただき、ありがとうございました。それらを踏まえて、いくつかの補足を。
改めて言いたかったことをちょー簡単にまとめると。
「日本は人件費が高いので、人海戦術的なソフトウェア開発は海外で安く調達することにした方が得ですよ」
#過去のエントリでも似たようなことを寓話っぽく書いてますので、お暇であればそちらもご覧いただければ。
情報サービス産業において日本の比較優位が成立し得る分野
bewaadさんのところで紹介されていた記事なのですが、僕はこれを読んで、藤本隆宏氏が提唱している「インテグラル型(摺り合わせ型)」と「モジュラー型(組み合わせ型)」の概念がIT業界にも適用可能ではないかと思いました。
そもそも要件定義や仕様書を作る理由は、そこに書かれた部分をモジュールとして分離して開発するためなので、要件定義や仕様書が必要な開発はモジュラー型であると言えるでしょう。一方、要件定義や仕様書の作成が難しい開発というのは、他の部分との関連が強かったり、外部からの要求(言い換えれば関連性)が頻繁に変更されるものであり、そのような開発は摺り合わせが必要なインテグラル型であると言えるでしょう。
(略)
だからbewaadさんが言うようにIT産業全体が日本において比較劣位にあるのではなく、「モジュラー型のソフトウェア開発」が日本において比較劣位にあるのだと思います。従って、日本のIT産業は「インテグラル型のソフトウェア開発」に特化すべきだというのが僕の考えです。
「日本の比較優位は摺り合わせにあるのでしょうね。」(@Baatarismの溜息通信5/14付)
これは実のところそんなに難しくない。「産業」を捨ててて、「生活環境」に注力するのだ。どういうことかというと、「ふつうの人」100万倍の人たちに「ここに住み続けていたい」と思わせるようにするということだ。
実はこの点で、日本はけっこういい位置にいる。10代の女の子が平気で夜遊びできるほど安全な環境。引き蘢りにやさしい家庭。どんなオタクが一生かけても観きれないほどのマンガとアニメ….遊びネタが湯水のごとくあって、そして遊んでいることを咎められない環境というのは、プログラミングという狭義のソフトウェアのみならず、コンテンツという広義のソフトウェアまでふくめたソフトウェアにとって理想の土壌なのだ。
「ソフトウェアの競争力は誰に宿るか」(@404 Blog Not Found5/14付)
私が明確に考慮から抜け落ちていると思うのは、日本人が使いたいソフト・アプリ・サービスを作るのならば、作る側も日本人である必要があるということです。少なくとも今は。
(略)
日本のアプリケーションは、海外のもの(私の知っている英語圏)とは結構な差があります。そのため、がっちりした仕様の存在しないために必ず存在する「そこら辺は適当にやっておいて」に対応できません。驚くほど全く使えないのです。そんな指示が通用するのは日本人にだけです。
#いや、現場を知らない方には仕様が存在しないということすら驚きかもしれませんが(笑)(略)
ここ最近私の会社に仕事をくれた2つの大手家電メーカーも、プログラマーコストの低い中国とかに仕事を出して結果的に安くなく品質の悪いソフトウェアを手にし、「失敗した」と言っていたりするのも、そこら辺の事情が大きく影響しているはずです。
「情報サービス産業の海外化について」(@ダメプログラマーのお勉強5/14付)
日本の企業に対するシステム構築(インターナルウェア)に対する僕の見解は,ダメプログラマーのお勉強中のエントリ情報サービス産業の海外化についてと同じく,”日本企業につきあるのは日本企業しかないないのだから当分安泰”(要約)というものです.
当然ながらインターナルウェアの分野で外国に出て行って戦う力はないと思われます.
パッケージについては,ここは外国勢に制圧されてますよね…OSからWEB検索からワープロから日本勢は全滅に近いです.*6多分bewaadさんが問題にしているのはここだと思うので,情報システム産業ではなく,パッケージソフトウェアの生産性の源泉なんてのを考えてみるのもいいかもしれません
「情報システム産業について議論すべき前に抑えておくべきこと」(@y_rの落書き帳5/14付)
これらはいずれも、実はあるひとつの日本という国の特長に着目した論考であるとwebmasterは思います。要するに、日本は豊かだと。そして、貿易財・サービス(輸入できるもの、すなわち外国から買えるもの)ではその日本の豊かさの影響度合いが相対的に少ないので、非貿易財・サービスに特化して、日本の豊かさから十分に見返りを受けられる分野で稼げ、と。
豊かであることの意味というのは、山形浩生さんと海外著名経済学者とのメイルのやりとりを詳しくはご覧いただくとして、本件との関係で重要な部分を大雑把にまとめるならば、日本の床屋がガーナ(アフリカの。蛇足な補足で恐縮です)の床屋の何十倍も稼げるのは、日本の床屋の生産性がガーナの床屋の生産性に比べて何十倍も高いからではなく、日本という豊かな国で商売しているからに他ならない、と。
日本が世界第2位の経済大国であるというのは伊達ではなく、その含意としては質量ともに豊かであるといえることです。ここでいう質とは一人当たりGDP、量とはGDPそのものとご理解いただければ足りると思いますが、一人当たりGDPがいくら高くても、経済規模が小さければ(ルクセンブルクとか)国内だけで稼ぐには限界があり、外国で売ることも考えなければなりません。GDPそのものがいくら大きくても、一人当たりが低ければ(中国とか)安い商品≒低付加価値商品≒誰でも作れる商品しか売れないわけで、それほど儲かりません。
日本に立地する企業、あるいは日本で働く労働者は、この日本という市場に恵まれているのですから、それを最大限活用しない手はありません。もちろん、トヨタのように世界中でガチンコで戦って十分にやっていける企業はそうすればいいわけですが、プログラマの生産性が人件費あたりで平均的にはインド人よりも低いとしても、インド人にはなかなかできない日本という市場に適合した商品を作り出す部分に特化していけば、そこでは大いに儲けることができるはずなのです。
情報サービス産業の外部性
けれどもbewaadさんのいうように,ITが比較劣位なのだからインド人にやらせればいいじゃん,と割り切れるかというと微妙だ.ITが各業種の業務に深く関われば関わるほど,IT産業に於ける比較劣位が,社会としての生産性に影を落とす可能性がある.現在は比較優位にあるエレクトロニクスや自動車産業に於いても,組込ソフトウェアや生産管理など様々なところでITが競争力を左右する.比較優位な産業分野のITを中国やインドに外注すると,これまで以上に技術流出を防ぐことは難しくなるのではないか.
(略)
これからの日本に必要な情報政策とは,意外とエネルギー政策に近いのかも知れない.比較優位を望むことが難しいとしても,他の産業を粛々と支えられるように気を配る必要がある点に於いて.人余りから人不足へ,ハードからサービスへの転換に当たって,情報サービス産業の自助努力だけでは心許ない,政府のやるべき仕事として何があるのだろうか.雇用規制にせよ著作権ににせよ電力料金にせよ,政策が情報サービス産業の足を引っ張りかねないことが少なからずある以上,それを補って余りある活躍を期待したい.
「SaaSで加速する情報産業の空洞化」(@雑種路線でいこう5/14付)
技術流出して何か問題がありますか? というとラディカルでしょうか。知的財産関連で対価をきちんとせしめることができるかという別の問題はあるにせよ、わざわざ安く作ってくれるというのであれば、安く作ってもらえばいいじゃないですか。若干人権的には(笑)問題のある例ではなりますが、古代ギリシア人が農耕などは奴隷にやらせて、自分たちは哲学などにいそしんでいたような構造でいいじゃないですか。もう少しマイルドにいうなら、国を挙げて下請けと化しデスマーチを喜んでやってくれるというなら、やってもらえばいいじゃないですか(あまりマイルドではないかな?)。
mkusunokさんが挙げているエネルギというのは多分に示唆的で、石油はITをはるかに上回るほど社会の多くの分野に影響を及ぼす財ですが、日本で自給自足というのはナンセンスです。さて、国内にそれなりの規模の油田を持つA国では、石油産業への配慮もあり、品質が悪いand/or価格が高い国内産石油の使用を一定水準は義務付けていて、他方で国内ではまったくといっていいほど石油が採れないB国では、世界中から品質と価格のバランスがもっとも優れているものを輸入して使っています。お得なのはA国とB国のどちらでしょうか?
日本はB国に近しいというのは一目瞭然でしょうけれども、それと同じことが情報サービス産業で起きたとして、それは基本的に歓迎すべきことといえます。インドなり中国なりでは作れないもの、あるいは日本で作った方がいいものは日本で作るとしても、そうでなければ、作ってきたものを買ってきた方が、品質がよいand/or価格が低いわけですから、ユーザであるエレクトロニクス産業やら自動車産業やらにとってもお得になるわけです。
この議論が成立しないとすれば、何らかの外部性が存在して、情報サービス産業の興隆が財・サービスの等価交換を超えて他部門へ好循環をもたらすような場合で、mkusunokさんもそうした外部性があることを前提にしていらっしゃるように見えます。しかし、本当にそうなのでしょうか?
確かにコンピュータに詳しい人間がまるでいないというのでは、先に引用したBaatarismさんやダメプログラマーさんがお示しのような調整に要するコストがかさみそうではありますが、それは価格に反映されるでしょうから、外部性とはいえません。付け加えるなら、いみじくもmkusunokさんがお示しのとおり他産業においても相当程度組み込まれるわけで、そこでの就業機会がある以上、情報サービス産業の相当部分が海外移転したとしても、そうした人間がいなくなるというのも想定し難いでしょう。
#そうした人間をきちんと育成できるかというのは、教育その他の問題でもあるので、情報サービス産業があるかないかがまったく影響しないわけもありませんが、それだけで決まる話でもないとwebmasterは考えます。
可能性がありそうなのは、日本の市場ニーズにまったく合わない製品が氾濫してしまいいろいろと不都合が起きるということかと思います。といっても、そうさせないところに日本での稼ぎどころがあるとは既に記したとおりですし、何より商売は、基本的には買い手が強いものですから、そのような収益機会が放置されるというのは考えづらいわけです。
#だからこそ、かつてはNECがPC-98シリーズで牙城を築いていた日本語処理にしても、DOS/VやらWindowsやらでMicrosoftその他が頑張って実装したわけですし。
マクロ経済的な影響まで視野に入れれば、現在情報サービス産業に従事している者をどこにシフトさせるかという話はあるでしょう。どこかに有望な産業がなければジリ貧という可能性も、ゼロというわけではありません(情報サービス産業がそれほどの雇用インパクトがあるのかという話はあるにせよ)‐ただし基本的には、日本での収益機会を活かせるほどに海外の労働者が日本語に通暁する等の状況になれば、その分だけ海外の労働者の賃金が上昇して海外シフトは止まるはずですが。
しかし、それはいかにしてさまざまな成長機会の芽を摘まずに育てられるか、最近の政府のはやり言葉でいえばイノヴェーションが活発かどうかに依存するのであって、情報サービス産業を大切にしていればよいという話ではありません。情報サービス産業が比較劣位なのに政策支援等でリソースを抱え込み続けるのであれば、それはかえってイノヴェーションを阻害する行為でありましょう。
えっ、今後有望な産業は何かって? そんなこと官僚に聞かないでくださいよ(笑)。市場競争に勝ち残ったところがそうなるでしょう、としか。
産業として論ずること、あるいは個別性について
だから、ソフトウェアの生産性を決める一番の要素は、問題を選ぶ自由度と解き方を選ぶ自由度。だから、「ほにゃらら産業」といった時点で実は負け、その時点で産業という「解き方」を指定しちゃうんだから。何が間違っているといったら、主語が間違っている。「日本人かインド人か」ではないのだ。この主語は実は個人名でしかありえない。
「ソフトウェアの競争力は誰に宿るか」(@404 Blog Not Found5/14付)
ここでのご指摘にそれほどの異論はないのですが‐つまり、生産性とは究極的には個別の主体に帰属するということ‐、若干切り口が違ってきているのかな、と思います。まったく政府の支援等がない世界で自由に競争してもらう分にはそれでかまわないわけですが、「IT産業こそが21世紀の基幹産業であり、そこでの国際競争力の喪失は国家的損害をもたらすので、官民一体となって・・・」といったようなことが行われては無駄になりかねないし、現にそうした動きは少なからずあるよね、というのがwebmasterの問題意識だったりします。
たとえば現在の日本においては、織物産業は比較劣位にあるといってよいと思いますが、それと人間国宝になるような優れた職人さんがいて、その人が作り出す織物が高額で取引されることとは、まったく矛盾しません。同様に、優れたプログラマが日本においてすばらしいプログラムを作り出すことと、人海戦術的なソフトウェア開発が日本では採算がまず合わないといった状況になることは、十分両立する話といえます。
前回のエントリの例を応用するならば、営農技術に秀でた農家が高く売れる農産物を栽培する一方で、売れない産品しか作れない農家が農業を断念することはまったく問題ないわけですが、一定量の食料生産が必要だと政策リソースを投入することは無駄を伴うわけで、その無駄が生産量維持によってもたらされる便益と釣り合うものであるかどうかはきちんとした検討が必要です。昨今の情報産業施策は、そうした検討がなされているのかどうか、webmasterにとっては疑問であるといわざるを得ないのです。
